忍べ滝川一益!・前編

 信長と滝川一益の運命の再会(?)から数刻後の真夜中。


 一益は、毛利もうり新介しんすけ(尾張守護・斯波しば義統よしむねの直臣)の手引きで清須きよす城内に忍び込んでいた。


「畜生……。なんで俺様がこんなことやらなきゃいけねぇんだよ。俺様は忍びじゃねぇつーの」


「いや、誰がどう見ても今のお前は忍びだぞ。自分が身に着けている装束をよく見てみろ」


 さっきからずっと愚痴っている一益に、新介がひそひそ声でそうツッコミを入れる。


 一益が現在身にまとっているのは、柿渋色かきしぶいろの忍び装束――甲賀者や伊賀者がよく着用している衣服だ。そんなかっこうをしている人間に「自分は忍びじゃない」と言われても、まったく説得力がない。


「俺様は戦場で武将として華々しい軍功を上げて、立身出世がしたいんだ。忍びになりたいわけじゃねぇ。城にこっそ~りと忍び込んで、こっそ~りと城内の秘密を探るなんていう地味な仕事は嫌なんだ。どれだけ頑張っても、俺様の名前が歴史に残らなかったら意味ねぇーし!」


「しっ。声が大きい。……信長殿が欲する情報を入手してくるのが、お前が織田家に仕官できる条件なのであろう? ならば、嫌な仕事でも我慢してやれ。ぐだぐだ言うな。大の男がみっともないぞ」


「わ、分かってらぁ……」


 年少の新介に説教をされ、一益はぐぬぬぅ……と唸りつつも大人しくなった。


 新介がさっき言った通り、清須城に侵入して情報収集をしてくることが、信長が掲示した織田家仕官の条件なのである。


 信長に「必ずつかんでこい」と命令されたのが、次の二つの情報だ。



 一、守護代様・織田達勝みちかつの安否――すなわち、今回の挙兵の原因は親信秀派だった達勝の心変わりなのか、それとも達勝の身に何かあって家宰の坂井さかい大膳だいぜんらが暴走したのか。


 二、坂井大膳ら清須衆は今後、どのように動いて信秀不在の織田弾正忠だんじょうのちゅう家を追いつめる腹積もりなのか。



 これらは信長が清須衆の挙兵に対処するためにはどうしても欠かせない情報である。なるべく迅速に、正確な事実を把握しておく必要があった。


 それだけにこの隠密任務は重大な仕事なのだが……当の一益は不満たらたらだった。


 この男は、とにかく目立ちたい。天下にその名をとどろかせたい。あと美女と金が欲しい。それ以外のことは何も考えていない。忍者がうじゃうじゃいる甲賀の出身だからといって、人の目を盗んでこそこそやる仕事など真っ平御免だと思っていた。


「はぁ~……。忍びたくなんかねぇ。めちゃくちゃ目立ちてぇ……」


「いつまでもブツブツとしつこい奴だなぁ。俺が協力できるのはここまでだから、後はしっかりやれよ。ではな」


「ええー⁉ ちょ、ちょっとちょっと! あんた、信長様の味方なんだろ⁉ 最後まで協力してくれってば!」


 新介が去ろうとしたため、一益は驚いて引き留めようとする。しかし、新介は眉をひそめ、「できればそうしてやりたいが、さすがにそれは無理だ」と頭を振った。


「俺は武衛ぶえい様(斯波義統)の直臣なのだ。武衛様の家来である俺が信長殿のために坂井大膳たちの動向を探っていることがばれたら、武衛様に迷惑をかけてしまう。暴走を始めた清須衆はいま何をするか分からず、逆上して武衛様を弑逆しいぎゃくするやも知れぬ。悪いが、力になれるのはここまでだ。許せ」


「え、ええ~……。マジっすか……」


「守護代殿(達勝)の居館の場所は先ほど教えた通りだ。くれぐれも見つからぬようにな。武運を祈っている」


 新介はそう言うと、城内を巡回している清須衆の兵たちに気取られぬように忍び足で去って行った。同じ城の中にある守護館で報告を待つ武衛様の元へと帰ったのだろう。


「一人になっちまった……。どうすりゃいいんだ?」


 一益は、うまやの陰に身を潜めつつ、守護代・達勝の居館をこっそり観察した。


 あの館に忍び込むことができたら何らかの情報を得られるはずだが、パッと見でも分かるほど警備は厳重だ。館内には多くの侍が詰めていて、簡単には侵入できないだろう。


(つーか面倒くせぇし……。できることなら楽をして任務を達成したいっすわ。そこらへんを歩いている雑兵から何か凄い極秘情報とか聞きだせねぇかなぁ?)


 そんなわけがあるはずもないのに、天下一の横着者である一益は「物は試しだ。やってみよう」と呟くと、たまたま厩の前を通りかかった足軽の首根っこをつかんで暗闇の中に引きずり込んだ。


「うわわ! 何だ、お前は⁉」


「うるせぇハゲ。大声を上げるなボケ。金玉潰すぞおたんこなす。手で鷲掴みにしてじっくりねっとり潰すぞデブ」


「ひ……ひえっ……! そ、そそそれだけはご勘弁を……」


 足軽は一益のヤクザ口調の脅しにおびえ、股間を両手で隠しながら許しを乞うた。誰だって、暗闇からいきなり現れた強面こわおもての不審者に「金玉潰すぞ」と迫られたら従順になってしまうだろう。一益はくっくっくっと悪役そのものの凶悪な笑みを浮かべ、尋問を開始した。


「俺様の問いに素直に答えたら、無事に解放してやる。さもなくばタマ潰しの刑だ。いいな?」


「は、はい。おいらに分かることなら……」


「まず一つ――織田達勝が急な病気で倒れて、家来の坂井大膳が勝手に戦を始めたって本当か?」


「し、知らねぇ……」


「じゃあ二つ目。清須衆はこれからどう動くんだ。やっぱり、美濃の斎藤さいとう利政としまさ道三どうさん)と手を組んで信秀殿とその一党を滅ぼす魂胆か」


「わ、分からない……」


「なんで二つとも分からねぇーんだよ‼ 一つぐらい知ってろよボケぇ‼」


「知るわけないだろ! おいらはただの雑兵だぞ⁉ 一兵卒のおいらにそんなことを聞くのがおかしいだろーが!」


「はぁぁぁぁつっかえねぇッ‼ タマ潰れてろッ‼」


「ぎゃん⁉」


 理不尽にも一益はその足軽の金玉を蹴り潰した。じっくりねっとり潰さず一瞬で済ませたのはせめてもの情けである。


「ああ~くそ。やっぱり、雑兵から極秘情報を聞き出すのは無理か。面倒だが、城主館に忍び込むかぁ~……」


 一益はうんざりとした顔で独り言を言うと、悶絶した足軽をその場に放置して厩から飛び出した。


 ようやく、大嫌いな「忍び」の仕事を始めるつもりらしい。




            *   *   *




 それから四半刻(約三十分)後。


(滝川某とかいう男、無事に任務を果たせているだろうか。坂井大膳に捕まって信長殿の忍びだということを吐いていなければよいのだが……)


 毛利新介は心配のあまり、守護館の一室で悶々としていた。


 あの滝川某、口は達者だが根性はあまり無さそうである。拷問などにかけられたら、逆に信長側の情報を大膳たちに教えてしまいそうで不安である。


「やはり、俺も手伝ったほうがよかったのだろうか。しかし、武衛様の直臣の身でそれは…………む? 何の音だ?」


 突然、清須城の東の方角から凄まじい轟音が聞こえてきた。これは爆発音――火薬が炸裂した音だ。


 何事だ、と驚いた新介は部屋を飛び出した。他の部屋にいた同僚の侍たちも庭に出て来ていて、口々に「物見櫓ものみやぐらが燃えているぞ!」と叫んでいる。


 皆が指差すほうを新介が見ると、たしかに燃えている。メラメラと夜天を焦がす勢いで櫓が炎上していた。あの物見櫓には、那古野なごや方面から来る侵入者、つまり信長の軍勢の襲来を警戒して清須衆の兵が詰めていたはずだ。今頃は大騒ぎになっているに違いない。


「敵襲! 敵襲じゃ! 那古野の手勢が攻めて来たぞ! であえ、であえッ!」


 坂井大膳の怒鳴り声と清須衆の武士もののふたちの足音が、守護館の前を通り過ぎていく。突然の火事に驚いた大膳は、これを信長軍の奇襲と思い、城の東口で迎え撃とうとしているらしい。足音の多さからして、達勝の居館を警備していたかなりの数の将兵が、迎撃のために出撃したと思われる。


(……やったのは滝川某か。なるほど、これで今は守護代殿の居館はほぼ空っぽのはずだ。易々やすやすと侵入できるだろう)


 新介は一人でそう合点していた。


 しかし、これはいささか乱暴すぎる。忍びのくせして、忍べていない。目立ちたがりにもほどがある。


「これは……無事に那古野城へ帰還できても、信長殿があいつをお召し抱えになるか怪しいな。俺だったら、あんなド派手な行動をする忍びはいらない」


 半ば呆れながら新介はそう呟くのであった。

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