忍べ滝川一益!・前編
信長と滝川一益の運命の再会(?)から数刻後の真夜中。
一益は、
「畜生……。なんで俺様がこんなことやらなきゃいけねぇんだよ。俺様は忍びじゃねぇつーの」
「いや、誰がどう見ても今のお前は忍びだぞ。自分が身に着けている装束をよく見てみろ」
さっきからずっと愚痴っている一益に、新介がひそひそ声でそうツッコミを入れる。
一益が現在身にまとっているのは、
「俺様は戦場で武将として華々しい軍功を上げて、立身出世がしたいんだ。忍びになりたいわけじゃねぇ。城にこっそ~りと忍び込んで、こっそ~りと城内の秘密を探るなんていう地味な仕事は嫌なんだ。どれだけ頑張っても、俺様の名前が歴史に残らなかったら意味ねぇーし!」
「しっ。声が大きい。……信長殿が欲する情報を入手してくるのが、お前が織田家に仕官できる条件なのであろう? ならば、嫌な仕事でも我慢してやれ。ぐだぐだ言うな。大の男がみっともないぞ」
「わ、分かってらぁ……」
年少の新介に説教をされ、一益はぐぬぬぅ……と唸りつつも大人しくなった。
新介がさっき言った通り、清須城に侵入して情報収集をしてくることが、信長が掲示した織田家仕官の条件なのである。
信長に「必ずつかんでこい」と命令されたのが、次の二つの情報だ。
一、守護代様・織田
二、坂井大膳ら清須衆は今後、どのように動いて信秀不在の織田
これらは信長が清須衆の挙兵に対処するためにはどうしても欠かせない情報である。なるべく迅速に、正確な事実を把握しておく必要があった。
それだけにこの隠密任務は重大な仕事なのだが……当の一益は不満たらたらだった。
この男は、とにかく目立ちたい。天下にその名を
「はぁ~……。忍びたくなんかねぇ。めちゃくちゃ目立ちてぇ……」
「いつまでもブツブツとしつこい奴だなぁ。俺が協力できるのはここまでだから、後はしっかりやれよ。ではな」
「ええー⁉ ちょ、ちょっとちょっと! あんた、信長様の味方なんだろ⁉ 最後まで協力してくれってば!」
新介が去ろうとしたため、一益は驚いて引き留めようとする。しかし、新介は眉をひそめ、「できればそうしてやりたいが、さすがにそれは無理だ」と頭を振った。
「俺は
「え、ええ~……。マジっすか……」
「守護代殿(達勝)の居館の場所は先ほど教えた通りだ。くれぐれも見つからぬようにな。武運を祈っている」
新介はそう言うと、城内を巡回している清須衆の兵たちに気取られぬように忍び足で去って行った。同じ城の中にある守護館で報告を待つ武衛様の元へと帰ったのだろう。
「一人になっちまった……。どうすりゃいいんだ?」
一益は、
あの館に忍び込むことができたら何らかの情報を得られるはずだが、パッと見でも分かるほど警備は厳重だ。館内には多くの侍が詰めていて、簡単には侵入できないだろう。
(つーか面倒くせぇし……。できることなら楽をして任務を達成したいっすわ。そこらへんを歩いている雑兵から何か凄い極秘情報とか聞きだせねぇかなぁ?)
そんなわけがあるはずもないのに、天下一の横着者である一益は「物は試しだ。やってみよう」と呟くと、たまたま厩の前を通りかかった足軽の首根っこをつかんで暗闇の中に引きずり込んだ。
「うわわ! 何だ、お前は⁉」
「うるせぇハゲ。大声を上げるなボケ。金玉潰すぞおたんこなす。手で鷲掴みにしてじっくりねっとり潰すぞデブ」
「ひ……ひえっ……! そ、そそそれだけはご勘弁を……」
足軽は一益のヤクザ口調の脅しに
「俺様の問いに素直に答えたら、無事に解放してやる。さもなくばタマ潰しの刑だ。いいな?」
「は、はい。おいらに分かることなら……」
「まず一つ――織田達勝が急な病気で倒れて、家来の坂井大膳が勝手に戦を始めたって本当か?」
「し、知らねぇ……」
「じゃあ二つ目。清須衆はこれからどう動くんだ。やっぱり、美濃の
「わ、分からない……」
「なんで二つとも分からねぇーんだよ‼ 一つぐらい知ってろよボケぇ‼」
「知るわけないだろ! おいらはただの雑兵だぞ⁉ 一兵卒のおいらにそんなことを聞くのがおかしいだろーが!」
「はぁぁぁぁつっかえねぇッ‼ タマ潰れてろッ‼」
「ぎゃん⁉」
理不尽にも一益はその足軽の金玉を蹴り潰した。じっくりねっとり潰さず一瞬で済ませたのはせめてもの情けである。
「ああ~くそ。やっぱり、雑兵から極秘情報を聞き出すのは無理か。面倒だが、城主館に忍び込むかぁ~……」
一益はうんざりとした顔で独り言を言うと、悶絶した足軽をその場に放置して厩から飛び出した。
ようやく、大嫌いな「忍び」の仕事を始めるつもりらしい。
* * *
それから四半刻(約三十分)後。
(滝川某とかいう男、無事に任務を果たせているだろうか。坂井大膳に捕まって信長殿の忍びだということを吐いていなければよいのだが……)
毛利新介は心配のあまり、守護館の一室で悶々としていた。
あの滝川某、口は達者だが根性はあまり無さそうである。拷問などにかけられたら、逆に信長側の情報を大膳たちに教えてしまいそうで不安である。
「やはり、俺も手伝ったほうがよかったのだろうか。しかし、武衛様の直臣の身でそれは…………む? 何の音だ?」
突然、清須城の東の方角から凄まじい轟音が聞こえてきた。これは爆発音――火薬が炸裂した音だ。
何事だ、と驚いた新介は部屋を飛び出した。他の部屋にいた同僚の侍たちも庭に出て来ていて、口々に「
皆が指差すほうを新介が見ると、たしかに燃えている。メラメラと夜天を焦がす勢いで櫓が炎上していた。あの物見櫓には、
「敵襲! 敵襲じゃ! 那古野の手勢が攻めて来たぞ! であえ、であえッ!」
坂井大膳の怒鳴り声と清須衆の
(……やったのは滝川某か。なるほど、これで今は守護代殿の居館はほぼ空っぽのはずだ。
新介は一人でそう合点していた。
しかし、これはいささか乱暴すぎる。忍びのくせして、忍べていない。目立ちたがりにもほどがある。
「これは……無事に那古野城へ帰還できても、信長殿があいつをお召し抱えになるか怪しいな。俺だったら、あんなド派手な行動をする忍びはいらない」
半ば呆れながら新介はそう呟くのであった。
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