武衛様動く

 坂井さかい大膳だいぜん一党が挙兵したその日。


 尾張守護・斯波しば義統よしむね武衛ぶえい様)は、清須きよす城内の守護館で、嫡男・岩龍丸がんりゅうまるの武芸の稽古を見ていた。


「岩龍丸よ。そのようなへっぴり腰では本物の太刀を振るうことはできぬぞ。もっとしゃっきりいたせ」


 縁側に座る義統は、庭で木刀をヤァーヤァーと振り回している幼い息子を叱る。


 まだ九歳の岩龍丸はこんな辛い稽古よりも川で遊びたい。なぜ国主の嫡男である自分が剣術の特訓をしなければいけないのだろうと思い、半べそをかいていた。


「泣くな、馬鹿者。そなたは日頃から川で魚ばかり獲っていて、学問も武芸も疎かにしておる。それでは尾張国主の任は務まらんぞ」


「う、う、う……。でも、明後日には信長と川漁をいたす約束をしているのです。それなのに、こんなにも手にマメができていたら……」


「たわけ。信秀の嫡男は城主の務めで忙しいのだ。その合間に、そなたの遊びに付き合ってくれているだけに過ぎぬ。

 よいか、息子よ。国内のまつりごとを織田一族にゆだねていても、『武衛様』として人々に尊崇されるだけの器量をわしとそなたは身に着けておらねばならぬのだ。下剋上げこくじょうが横行する乱世であっても、家臣は落ち度無き主君を討つことはできん。大義名分を伴わぬ謀反は大なる悪とされ、人々の支持を得られぬからな。

 それゆえ、尾張守護たる儂は立派な国主たらんと努力しておる。跡継ぎであるそなたも遊んでばかりいないで、修練を励むのじゃ」


「は、はい……」


 岩龍丸はコクリとうなずくと、再び木刀を振り回し始めた。しかし、どうにも覇気が足りない。(困った奴じゃ……)と思い、義統はため息をついた。


「武衛様! 一大事にござりまする!」


 守護家の直臣であるもり刑部丞ぎょうぶのじょうという者が荒々しい足音とともに現れ、切羽詰った声で義統にそう告げた。何事だ、と義統は庭の息子を睨みながら問う。


「たった今、守護代殿(織田大和守やまとのかみ達勝みちかつ)の家来衆が手勢を率いて城から打って出た模様です」


「何? 美濃におる信秀から援軍の要請でもあったのか?」


「いえ、それが……。軍勢は南東の方角へと向かっているようでして」


「南東――信秀の居城の古渡ふるわたりにか⁉」


 ギョッと驚いた義統はそうわめきながら立ち上がる。


 達勝みちかつは何を考えているのだ? 儂と達勝は信秀の戦を全面的に支持し、あの者に尾張国の未来を託すことで意見を一致させていたはずだ。何故なにゆえ、今ここで信秀を裏切った⁉


「達勝をここに呼べ! なぜ信秀の城を攻めるのか問いたださねばならぬ!」


御意ぎょい!」


 義統は、森刑部丞に命じて、守護代の達勝を守護館に呼び出した。


 しかし、代わりに館に姿を見せたのは、守護代家の家宰かさいである坂井さかい大膳だいぜんだった。


「儂は達勝を呼んだのだ。そなたの醜い顔など見とうはない。さっさと主をここに連れて来い!」


「申し訳ありませぬ、武衛様。我が主・達勝は、自ら謀反人の城を落とすべく出陣中で、今は城を留守にしておりまする。それゆえ、それがしが代理で参上いたしました」


 大膳はふてぶてしい態度で真っ赤な嘘をつく。


 昏睡状態に陥っている達勝の体は、密かに寝所に運び込まれて、薬師も呼ばずに放置したままなのだ。そんなことを正直に言うはずがなかった。


 だが、義統も聡明な男なので、大膳の下手な嘘にはだまされない。「ここ数年は病がちで杖が無ければ歩くのも難儀していた達勝が出陣じゃと……?」と呟きながら眉をしかめ、蹴鞠男けまりおとこをねめつけた。


「嘘を申すな」


「いえ、嘘ではありませぬ」


 大膳は見え透いた嘘を貫き通すつもりらしい。信秀の城を攻め落とせば後は何とかなる、とかなり楽観的に考えているのだ。


 大膳は、主君を主君と思わない。下剋上の鬼・斎藤さいとう利政としまさ道三どうさん)に匹敵するほどの冷酷さと野心を持っている。

 しかし、利政と大きく違うのは、巡らす陰謀が愚かなほど稚拙ちせつだということである。美濃のまむしならば、もっと巧みに虚言を弄して義統をあざむくことができたはずだ。


(これは……達勝の身に何かあったのだな。だから、大膳が好き勝手動いているのだ)


 すっかり、義統に事の真相を半ば見抜かれてしまっていた。


 しかも、浅はかな大膳はこれ以上の追及を嫌がり、


「信秀追討は我が主君が突如決断なされたことゆえ、それがしも事情がよく分からず驚いているのです。達勝が戻れば、武衛様に詳細な報告をすることでしょう。……では、それがしはこれにて失礼つかまつる」


 と、そそくさと逃げるように退出したのである。しょせんは器の小さい悪人のため、斎藤利政のように迫真の演技で人を騙せないのだ。これでは、ますます怪しいと疑われても仕方がない。


「何か裏がある。これは絶対に裏がある。早急に信秀の息子たちにこの異変を報せねば……」


 義統に十分な兵力さえあれば、手薄になっている城主館に乗り込んで達勝の安否を確かめてやりたいぐらいである。

 しかし、元々多くの兵力を有していない守護家は、信秀の美濃攻めにかなりの人数の家来を貸し与えてしまっている。それゆえ、毛利もうり十郎じゅうろうなど豪の者たちの多くが不在だった。

 義統に今できることといえば、危険が迫っていることを信秀の妻子に教えてやることぐらいだろう。


「森刑部丞! そなたは密かに清須城を出て、古渡城へ向かえ! 大膳が遣わした軍勢よりも早く到着し、信勝のぶかつ(信長の同母弟)に危機を報せるのだ!」


「ハハッ! お任せくださいませ! ……されど、大膳一党に狙われている古渡城だけでなく、那古野なごやの信長殿にも密使を送らねばなりますまい。信長殿は信秀殿の世継ぎゆえ、この事態に対処する責務があります」


「うむ、そうじゃな。信長への使者は誰に任せるべきか……」


 義統がそう言いながら家臣たちを見回すと、一人の勇敢そうな顔つきの若者が「それがしが!」と前に進み出た。


「そなたは……毛利十郎の一族の新介しんすけか。元服して間もないそなたには荷が重かろう。大膳一党の軍勢に見つかれば、殺されるやも知れぬぞ」


「それがし、前々から信長殿のことを立派な若武者であると尊敬しておりました。あの御仁の危機を救いたいのです。命を賭して役目を果たしますゆえ、何とぞ!」


「ふむ……。あい分かった。那古野城へはそなたが参れ。油断して大膳の一味に捕えられるなよ」


「御意! 有り難き幸せッ!」


 若者は主君に深々と頭を下げると、森刑部丞とともに清須城を密かに脱け出して、それぞれの目的地へと向かった。


 毛利新介――後に織田信長の馬廻うままわりとなり、桶狭間合戦では今川義元にとどめを刺す未曾有みぞうの大功を上げることになる勇士である。

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