主家ご謀反
――
信長からの驚くべき急報を受けて仰天した信秀は、
「
「ハハッ」
信秀に命令されると、山口教吉は緊迫した面持ちで「主家ご謀反」の詳細を居並ぶ諸将に語りだした。
「これは守護代・
* * *
ここで、時間を少し
尾張国で異変が起きたのは、織田軍が
守護代・織田大和守達勝の居城である清須城には、「共に信秀を討とう」という
信秀を憎む家宰の坂井大膳は、(今こそ信秀を滅ぼす絶好の機会)と考え、主君の達勝に毎日のように決起を促していた。
「殿。
その日も、大膳はでっぷりとした肥満体を揺さぶりながら熱弁を振るい、達勝を説得していた。
大膳の一味である
だが、達勝は、大膳たちがいくら言っても不愉快そうな顔をしているだけである。
「……大膳よ。奸臣とは、いったい誰のことじゃ」
「それはもちろん、信秀のことです。奴は守護代家を
「黙れッ! このたわけどもが! 信秀は、
達勝は老齢ながらその目は曇っていない。信秀の大義の戦を理解し、大膳とその一党の野望を見抜いている。「儂が信秀を裏切ることなど有り得ぬ!」と怒鳴りながら立ち上がり、大膳の
「帰れ! 帰れ! 汝らの醜い顔など見とうはないわ!」
大膳たち奸臣一党は広間内を必死に逃げ回り、達勝は杖を振り回して彼らを追いかけ続ける。蹴鞠のように丸々とした体の大膳は、動きが遅いのですぐに捕まり、またもや額を数度叩かれて悲鳴を上げた。
「義父上。これは何事ですか。お体に障りますゆえ、おやめくだされ!」
養子の
「の、信友様! お助けくだされ!」
「ケシカラン奴らめ。何をやっているのだ。義父上を興奮させるなとあれほど……ああ⁉ ち、義父上⁉」
信友が大膳を叱ろうとしたその時。
達勝は、杖を手に握ったまま唐突に倒れた。
驚いた信友と大膳たちは、達勝の元に慌てて駆け寄る。「義父上! しっかりしてくだされ、義父上!」「守護代様!」と呼びかけたが、言葉は返って来ない。意識が無いようだ。
「い……いかん! これはいかんぞ!
動転した信友は唾を飛ばしながらそう
しかし、広間にいる家臣たち――坂井大膳とその一党はすでに冷静さを取り戻していて、動く気配が無い。誰も薬師を呼びに行こうとはしない。
「信友様」
押し殺した声でそう言いながら、大膳は信友ににじり寄る。額から滴り落ちた血で真っ赤に濡れている唇を信友の耳に近づけ、この蹴鞠男は恐るべき魔の
「これは、天の助けかと」
「天の……助け? 義父上がお倒れになったのだぞ。おぬしは何を申して――」
「守護代様は我らの敵である信秀に肩入れし、正直言って邪魔でした。早くくたばってくれないだろうかと、それがしはずっと思っていたのです。
……ようやくその時が来ました。薬師など呼ぶ必要はありませぬ。このまま守護代様の意識が戻らずに逝去されることを期待して、我らは我らの為すべきことを実行しましょう」
「我らの為すべきことだと……?」
信友の声は震えていた。あまりにも不忠で非道な大膳の言葉に
大膳は主君の生き死にを
「こ……この私に何をせよと申すのだ」
「決まっているではありませぬか。信秀の居城・古渡を奇襲するのです。我ら清須衆も信秀の美濃攻めに兵力を取られてしまっていますが、主のいない城ならば小勢で落とせるはず。城にいる信秀の妻子を血祭りに上げ、その勢いに乗じて
大膳は醜悪な笑みを浮かべ、自らの企みを語る。
慎重な性格の信友は(そう上手く事が運ぶであろうか)と疑問に思ったが、弱気なこの青年は
(ケシカラン……。大膳はケシカラン。何という悪しき家来じゃ。されど、大膳に逆らうのは恐ろしい。信秀を討つ絶好の機会だという
実父の達広は信秀が主導した美濃攻めで死んだ。父が死んだのは信秀のせいだと、信友は恨みに思っている。大膳の悪魔の囁きに従うのは天の道に背く行いかも知れないが、実行に移すのならば今しかないだろう。
「信友様。達勝様が死ねば、あなた様がこの国の守護代になるのです。どうかご決断を。信秀が斎藤利政殿を討ち取り、美濃を制した後では遅いのです」
大膳は信友の肩を強くつかみ、血走った目で迫る。肩に痛みが走り、信友は顔をしかめた。決断しなければ殺されるかも知れない……!
「……あい分かった。ただちに出撃し、古渡城を攻めよ。城を守る信勝(信長の同母弟)を討ち取り、信秀の正室も捕えるのじゃ」
「御意。我らにお任せを」
かくして、大膳率いる清須衆は、意識不明の主君を放置したまま決起した。
織田信秀の運命は、この大膳の陰謀によっていっきに暗転していくことになるのである。
<織田達勝の死没年について>
信秀の主君である織田大和守達勝は生年も没年も不明です。
谷口克広氏著『天下人の父、織田信秀』(祥伝社新書)によると、
・現在確認されている織田達勝の最後の発給文書は天文12年(1543)2月に熱田加藤氏に宛てたもの。
・天文19年(1550)7月に熱田社座主憲信が記した覚書の中に織田達勝と思われる人物が登場する。
・天文22年(1553)9月に「織田大和守勝秀」という別の人物が法華寺に宛てた判物を発給している。(達勝と勝秀の関係は不明)
とのことです。
つまり、1543年ごろまでは達勝自らが守護代の政務を執っていたけれど、それ以降は老齢ゆえか目立った活動が見られなくなり、この物語の現時点(1548年)では辛うじて生存しているもののだいぶ弱っていたのではと推測されます。
1553年9月の時点ですでに亡くなっているようですが、信秀の没年(1552年)よりも前なのか後なのかは不明です。
何はともあれ、信秀と協調路線をとっていた主君達勝の衰弱と影響力の低下が「主家ご謀反」につながったのではと考えられます。
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