鉄砲問答・後編

「私が指摘した鉄砲の三つの欠点は大した問題ではない……と。なぜそう思われるのか、後学のためにぜひお教えくださいませ」


 彦太郎は失礼にならないように言葉を選びながら、三郎(信長)にたずねた。


「うむ、よかろう。そなたは雨の日は鉄砲が使えぬと申したが、陣立てや行軍も晴れの日と雨の日では勝手が違うものじゃ。晴天時には晴天時の戦い方、雨天時には雨天時の戦い方があるのは常識。いきなり雨に見舞われて困るのは、何も鉄砲だけの話ではない。

 それゆえ、大将というものは、土地の古老に話を聞くなどして、戦場となる場所がいつの季節に雨が多いかをあらかじめ知っておき、明日の戦ではどのいくさ道具を使うかなど熟慮しておく必要がある。

 雨に対する警戒を怠り、『突然の雨で鉄砲が撃てなくなった。陣立てに手間取った。行軍が遅れた』などと慌てるのは、戦における天候の重要さを知らぬ愚か者じゃ。雨の日に晴天を想定した戦準備をしてきて負ける大将こそ、無能というものだ。道具のせいにしてはならぬ」


「なるほど……。仰せ、ごもっともです」


 彦太郎はそう言いつつも、(でも、やっぱり雨の日は撃てないじゃないか)と心の中でブツブツ呟いていた。

 彦太郎は新兵器の鉄砲で大きな手柄をあげてみたいのである。ここ一番の大勝負の時に戦場が雨だったら困るのだ。


 彦太郎の表情を見た三郎は、どうやら俺の考えに不服があるようだなと察しつつも、構わずに続ける。


「あと残り二つの欠点についてだが……。発砲までに時間がかかるという欠点は、鉄砲と火薬をたくさん買い込んで兵に持たせれば解決する。二人交替……いや、三人交替でバンバカ撃たせたら、鉄砲玉の雨を降らせることができるであろう」


「え⁉ そ、それは……」


 三郎の言葉に、彦太郎はとんでもないことを言うお方だ、と仰天してしまった。あまりにも子供じみた発想だったからだ。数人交替で鉄砲を撃つなどという幼稚な戦法ぐらい、誰だってすぐに思いつく。しかし、その戦法を実現させるのには大きな支障があり、考えついた次の瞬間には諦めてしまうのが普通だ。その理由はもちろん、銭がかかりすぎるからだ。


「た……大量の鉄砲や火薬を用意するのには、多くの銭がいります。私が申し上げた欠点の二つ目をお忘れですか、三郎様」


 彦太郎がそう反駁はんばくすると、三郎はニッと不敵に微笑んだ。


「銭がかかるのは、おおかたの者にとっては欠点だが、特定の者には大いなる利点となる」


「……え? そ、それはどういう意味でしょう?」


 わけがわからない、といったふうに彦太郎は首を傾げた。


「富と力を持った者が、港を持たぬ者、銭を持たぬ者たちに実力の差を見せつけることができるということよ。

 考えてみろ。港を持たぬ貧しい武将がやっとの思いで鉄砲を二、三十挺ほど用意し、俺の軍勢と戦ったとする。そして、俺が率いる軍勢は数百、数千の鉄砲を持っていたとしたら……敵将はどう思う?」


「……おびただしい数の鉄砲と火薬を用意できる三郎様の財力に、きっと震え上がるでしょうね」


「そうだ。おぬしたちがどう逆立ちしてもほんのわずかしか手に入れられぬ鉄砲と火薬をこちらはふんだんに持っているのだぞ――と恫喝どうかつすることができる。敵を戦わずして屈服させることも可能だ」


「な、なるほど。『実力の差を見せつける』とはそういうことですか……」


「鉄砲は、ただの戦力として役立つだけではない。己の富と力を誇示するのにうってつけの道具だと俺は考えている。

 ……今の将軍様が鉄砲をかき集めているのも、もしかしたら鉄砲が新たな権力の象徴になり得るとお気づきになったのやも知れぬな。だとしたら、将軍義藤よしふじ(後の義輝よしてる)様は非常に聡明な御方じゃ」


 三郎は、まだ見ぬ同年代の天下人に思いをせながら、天を仰いでそう語った。


 そんな発想があるのか……と彦太郎は驚くしかない。三郎の視野は、戦場という一つの視点だけを見据えていない。天下のまつりごとを睨んでいるのだ。彦太郎のずっとずっと高いところからこの世界を見ている。


(な、何者なんだ、この人は……)


 圧倒されつつ、彦太郎は三郎を仰ぎ見た。

 そして、尊敬の念を抱く同時に、嫉妬めいた思いも心の中で渦巻く。


 三郎と名乗るこの見目麗しい少年は、その立ち居振る舞いからしてそうとう高貴な家の子に違いない。幼い頃から、立派な父親の薫陶くんとうを受けてきたのだろう。住んでいる城か屋敷にも、たくさんの兵法書や学問書があり、それを読める環境で育ったはずだ。

 近江の片田舎で生まれ、血筋は由緒正しいものの貧しい生活の中で苦学してきた彦太郎とは最初から大きな差がある。彦太郎は兵法書ひとつを読むのにも、ほうぼうを必死に走り回って他家から書物を借り、それを書き写しているありさまなのである。

 きっと、三郎が一年で読む本の量を彦太郎は十年ぐらいかけなければ読むことはできないだろう。これまでに吸収してきた知識の量が圧倒的に違うのだから、兵器について問答してもかなうはずがないではないか。


「お……恐れながら、あなた様はいったい――」


 何者なのですか、と問おうとしたところで、三郎の傅役もりやくらしき老人(平手政秀)が彦太郎の言葉をさえぎるように「若様」と三郎に声をかけた。


「そろそろ旅立ちましょう。日が暮れるまでに、国境を抜けねば」


「デアルカ」


 三郎は短くそう言うと、小夜に向き直って「俺の乳兄弟が世話になりました。おかげで自力で歩けるぐらい元気になったようです」と丁寧に礼を言い、霞には頭を撫でてやって「またな」と別れを告げた。


「彦太郎、鉄砲談義面白かったぞ。……母上、姉上。それでは出立いたしましょう」


「ええ」


「はぁ~……疲れたわぁ。ようやく帰れるぅ~」


 三郎たちは、ぞろぞろと連れ立って明智屋敷を去って行こうとする。


 慌てた彦太郎は「お、お待ちください! 名を……あなた様のまことの名をお教えください!」と思わず叫んでいた。


 三郎は振り向かず「三郎だ」と答える。三郎信長なので、嘘はついていない。だが、お忍びの旅の途中なので、「織田家の三郎」と名乗るつもりはなかった。


「ど……どこの家の三郎様なのですか。六角家のご嫡男と親しいということは、尾張の守護か守護代の家柄なのでは――」


「こら、いけません。彦太郎」


 去りゆく三郎の背中を追いかけようとした彦太郎の腕を母の小夜がつかむ。そして、小声で「お客人に無礼でしょう。何らかの理由があって身分を隠して旅をなさっているのでしょうから、あえてそれをあばこうとするのはおやめなさい」といさめた。


 小夜も武家の妻なので、尾張から来たという三郎一行がただ者ではないことぐらいは薄々察していた。

 しかし、彼らの正体について六角義賢が何も言わなかったため、六角家の家臣である明智家はただ黙って尾張から来た客人をもてなしておいたほうが賢明だと考えていたのである。


「し……しかし、母上。私は……私は……」


 彦太郎は興奮ぎみにそう言ったが、小夜に腕をギュッと強く握られると、少し冷静さを取り戻し、後を追うことをようやく諦めた。


 自分は三郎を追いかけてどうしようと思ったのだろうか。鉄砲の問答で言い負かされて悔しくて、何か言い返してやろうとでも考えていたのか。それとも、三郎ともっと鉄砲について語り合いたかったのか……。冷静になった今となっては、ついさっきまで己の胸臆きょうおくで渦巻いていたものの正体が分からない。


 彦太郎はこの日、自分の「運命そのもの」と邂逅かいこうしてしまったために、いつになく激しく心がさざ波だったのだが――現時点での彦太郎がそんなことを知り得るはずもない。ただただ、去りゆく三郎の背中を凝視していた。


「彦太郎。縁があったら、また会おうぞ」


 背を向けたまま、三郎が捨て台詞を残していく。


 織田信長と明智光秀。

 二人の再会が実現するのは、およそ二十年近い歳月を要することになる。信長は側室となっていた霞(御ツマキ)を介して光秀と再び相見あいまえるのだが、その再会は信長にとってほとんど初対面と言っていいものとなった。

 あの日に佐目村で出会った明るい少年とは別人ではないかと思うほど、光秀は変貌を遂げていたからである――。








※次回の更新は、7月19日(日)午後8時台の予定です。

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