神が降り立つ市

(あれが、将軍様の庇護者ひごしゃ六角ろっかく定頼さだよりか。特に恐ろしそうな男には見えないが……)


 信長はそう思いつつも、石寺いしでらの市場に集まっている人々の様子を観察する。


 民たちの多くが、領主である定頼に畏敬の眼差しを向け、年老いた老婆などは、


「ありがたや。ありがたや。観音かんのん様、六角様……」


 と、懸命に手を合わせながら涙声でぶつぶつ呟いている。


 定頼に声をかけられた喧嘩中の商人たちも、にこやかな笑みをたたえたまま歩み寄って来る殿様に対してひどく恐縮しているようだった。


(彼らは、まるで、天より舞い降りた御仏みほとけを目撃しているような――)


 勇将として名をせている信長の父・信秀と比べたら、定頼はそれほど威厳のある外見をしているようには見えない。

 だが、信秀が領内の市場を歩いても、これほどまでに民たちが恐れ畏まることは無いだろう。定頼には、領民を自然とひざまずかせるような底知れぬ何かがあるのであろうか……。


「……それで、いったい何を争っておったのじゃ。そなたたちは、たしか枝村えだむら商人と保内ほない商人であったな」


「へ、へへぇ……。私めは保内商人でございまする」


「わ、私は枝村商人です……」


 喧嘩を売られていた側の痩せた男が保内商人と名乗り、彼の店に難癖をつけていた太った男のほうが枝村からやって来た商人だと自己紹介した。


 枝村商人とは、古くから美濃産の紙を取り扱い、京都や近江での専売を行っていた商人たちのことである。

 そして、保内商人は、六角氏の庇護を得て近年のし上がりつつある新興勢力の商人たちだ。同じ近江の商人ではあるが、旧勢力と新興勢力ゆえに、とても仲が悪い。


「わ……我ら枝村商人は、京の宝慈院ほうじいんに紙荷の年貢を納めることで、紙の専売権を認められておりまする。六角様からも、『枝村の者以外が紙の商いを行っていた場合、荷を差し押さえてもよい』という許可を頂いていたはず……。

 それなのに、この男が堂々と紙を売っていたゆえ、文句を言っていたところだったのです」


 枝村商人がそう主張すると、保内商人が「何をぬけぬけと! ここでは、誰が何を売っても自由なはずじゃ!」と反駁はんばくした。


「誰が何を売ってもよいだと⁉ 近江や京の都で紙を取り扱ってもよいのは、我ら枝村商人だけじゃ! 成り上がり者の保内商人は黙っておれ!」


「な、何だと⁉ こいつめぇ~!」


 二人の商人は、再び殴り合いを始めそうになった。それを義賢よしかたが「たわけ! 国主である我が父の前で見苦しいいさかいをいたすな!」と叱りつける。天と地がひっくり返りそうなほどの大怒号に驚き、枝村商人と保内商人は、


「ひ、ひぃーーーッ!」


 と同時に叫びながら、うさぎみたいにピョンと飛び上がった。


「義賢よ、落ち着け。そんなに騒ぐな。耳が痛いわい」


 息子の馬鹿でかい声に苦笑しつつ、定頼はそうたしなめる。そして、ブルブル震えている肥満ぎみの男に、「なあ、枝村商人よ」と、のんびりとした口調で語りかけた。


「先ほど保内商人が申した通りじゃよ。わしが新しく作ったこの石寺の城下町は、誰が何を売ってもとがめられることはない。市場の外の争いやしがらみを持ちこんではならぬ場所じゃ。ここでならば、どこの村から来た商人でも、十楽じゅうらくよろこびを享受きょうじゅすることができ、自由気ままに商売ができる。……ゆえに、『楽市』と呼んでおるのだ」


 楽市――織田信長の専売特許のごとく語られている経済政策だが、史料上で初めて確認できるのは六角定頼の城下町・石寺新市である。


 楽市については、いまだに具体的にどんな政策であったのか曖昧な部分がある。しかし、楽市の「楽」とは、恐らく「十楽」のことをさすと思われる。


「十楽」とは、元は仏教用語で、極楽で味わうことができる十種の悦びのことである。転じて、中世の頃には「自由」という意味で使われるようになっていたらしい。


 つまり、楽市とは、ざっくりと言ってしまうと、


「極楽のように自由な市場」


 という意味になる。


 信長も「楽」の言葉の意味ぐらい分かっていた。しかし、定頼の言葉を聞いて初めて、


(なるほど。桑名の十楽の津と石寺の市場は、商人に大きな自由が認められているということが共通していたのか。だから、二つの市場の雰囲気がよく似ていたのだ)


 と、ようやく気づくことができた。


 自由であることほど、人に活気を与えることはない。俗世の権力やしがらみから解放された市場が大いに賑わうのは当然のことだと言えよう。




 定頼は、楽市について、さらに言葉を続けた。


「そもそも、台頭たいとうしてきた保内商人たちに危機感を抱き、『近江の商人たちがいさかいを起こさずに商売ができる場が欲しいので、十楽の津のごとき市場を城下に作ってくだされ』と申し出てきたのは、そなたたち古参の枝村商人ではないか。儂はそなたらの意見を聞き入れ、石寺に新たな市を築いた。

 ……それなのに、その『聖域』を自ら台無しにするような真似をしてもらったら困る。神聖なる楽市での喧嘩沙汰は実に困るなぁ……」


 定頼は眉をへの字に曲げて、困った、困った、と呟きながら首の後ろをガリガリと掻く。そして、最後に、


「このままでは、繖山きぬがさやまより市を見守ってくださっている観音かんのん様も、きっとお怒りじゃ。観音様にお詫びして、楽市を潰すしかないなぁ……」


 と、枝村商人にポツリと囁いた。定頼の口ぶりは冗談めかしたものであったが、枝村商人の顔はサーッと真っ青になった。


「そ……それは! それだけはお許しを!」


 彼も、楽市を潰されるのは、やはり困るらしい。必死になってそう叫ぶ。相当な慌てぶりである。信長の眼には、異様なほど狼狽うろたえているように見えた。


「定頼殿は笑って言っている。ちょっとした冗談で、なぜあんなにおびえているのやら……」


「それは違うぞ、義弟よ。父上はな、とぼけたじいさんのように見えるが、『やる』と口にしたことは必ず実行に移す人なのだ。『寺を焼く』と言えば、翌日にはその寺は灰燼かいじんに帰する。『町を焼く』と宣言すれば、その地に住む者たちはたちまち家を失う。どんなに峻厳しゅんげんむごい決断でも、眉一つ動かさずにやってのける。その憤怒ふんぬの凄まじさ、まさしく神仏が下す天罰のごとしじゃ。それゆえ、あの商人は怯えておるのさ」


 義賢が、信長にそう耳打ちして教えてくれた。


 目の前のニコニコ笑っている男の風貌からは想像できないと思い、信長は定頼の横顔をじっと見つめた。


「寺を焼いた……というのは山科やましな本願寺ほんがんじのことですか」


「そうだ。十六年も昔のことだが、おぬしも聞いたことぐらいはあるだろう。父上は、天下の政道を乱すやからならば、たとえ御仏に仕える者たちであろうとも容赦はせぬ。そして、その悪しき僧侶どもに味方する民たちもな」


 そう言うと、義賢は、過去に自分の父が京都で行った宗教勢力に対する大弾圧を手短ではあるが信長に語った。




 六角定頼は、畿内きない一帯で暴れ回っていた一向宗の門徒たちを鎮圧するために、山科本願寺を焼き討ちして、寺院をことごとく破却した。――このことは、信長も平手政秀から聞いてすでに知っている。


 そして、その後に起きた天文てんもん法華ほっけの乱でも、定頼は凄まじい一面を見せたという。


 それは、信長がまだ三歳だった頃の話である。

 京都で信者を急激に増やしつつあった法華宗ほっけしゅうが暴発し、比叡山ら各宗教勢力と衝突を繰り返していた。定頼は、法華宗をらしめるため、大軍勢を京都に差し向けたのである。


 この時、六角軍は、数千人にのぼる法華衆徒を殺し尽くした。

 そして、見せしめだと言わんばかりに京の町に火を放ち、下京しもぎょう(京都の南側)の全てと上京かみぎょう(京都の北側)の三分の一を焼き払ったのである。これには後奈良ごなら帝も仰天したという。


 天下の人々は、定頼の苛烈さに震え上がりつつも、この二つの事件をきっかけに、


 ――六角定頼よりこそ、天下を背負う器を持った者だ。


 と、一目置くようになった。


 一向宗や法華宗ら坊主たちが暴走していても、室町幕府は手をこまねいているだけだったのだから、定頼の武威に注目が集まるのは自然な流れだったのである。


 近江の領民たちは、天下の人々が畏れ敬う武将を主君として仰いでいる。

 過去に京都の町を炎上させたことがある彼に「市場を潰す」などと言われたら、このお方ならば実際にやりかねないと枝村商人が怯えてしまうのは仕方のないことであった。


 もちろん、六角氏の城下町を大いに潤す楽市を定頼がそんな簡単に潰すはずがないし、自国の領民たちの家々を焼き払うわけがないのだが、それだけ彼の言葉には重みがあったのだ。




「……楽市が無くなるのは嫌か?」


「はい! それはもう! はい!」


「では、商人同士仲良くいたせ。楽市である石寺以外では、枝村商人の紙の専売を保障してやっておるのだ。それで納得できるな? うん?」


「ぎ……御意ぎょいにござりまする……! せ、聖なる市場を汚すような真似をして、まことに申し訳ありませぬ! 私は罰当たり者です……!」


「いやぁ、よかった。納得してもらえてよかった。儂も楽市が無くなったら困るからなぁ~。アハハハハハ」


 定頼はニコニコ微笑みながら、枝村商人の肩をポンポンと叩いた。枝村商人はひたいにびっしょりと汗をかいている。危うく自分のせいで商人たちの自由な市場を失うところであったと思い、冷や汗をかいたのだろう。


 保内商人は、商売敵の無様ぶざまな姿を見てニヤニヤ笑っていたが、「あっ、そうそう。保内の商人よ。お前にも話がある」と定頼に声をかけられると、びくりと肩を震わせた。


「は、はい……。何でございましょうか」


「そなたたち保内商人の仲間も、近頃あちこちで他の商人に喧嘩を吹っかけていると聞く。いくら我が六角家がそなたら保内商人を手厚く保護しているといっても、あまりおごり高ぶってはならぬ。よいな?」


「は、ははぁ……。申しわけありませぬ」


 保内商人もかしこまり、定頼にこうべれた。


 二人の商人が定頼の意向に大人しく従うと、定頼はウムウムと満足そうにうなずく。そして、


「楽市に集いしあきなびとたちよ。よく聞いてくれ」


 と、市の人々に語りかけた。


 のほほんとしていた定頼の口調が急に威厳あるものに変じ、町衆たちは何事かと緊張して城主の言葉に耳を傾ける。


「……平安朝の時代より、市場とは虹が立った場所に置かれるものであった。虹の梯子はしごを伝って天から人間界に降り立たれた神々をおまつりする場として、いにしえの人々は市を開いたのじゃ。いわば、市場は、神仏よりたまわった聖域であり、市で売り買いされる品物は神への捧げ物と言ってよい。

 この石寺の楽市も、観音様が鎮座する聖山のふもとに開かれた市場である。けっして醜いいさかいを起こしてよい場所ではない。ましてや、神への供物くもつである品物の専売権をめぐって殴り合いをするなど言語道断だ。神聖なる市を汚す愚かな行為じゃ。他の市では許されても、ここ楽市では絶対に許されぬ。

 儂には、観音様のご加護のもとで聖なる楽市を開いた城主としての責任がある。何人なんぴとたりとも、この聖域で他者の商売の自由を阻害してはならぬ。我が命に背く者は――御仏に成り代わり、この六角定頼が厳罰に処することとする。そのことをしっかりと心に留め置いてもらいたい」


 定頼が諭すようにそう語り終えた直後、さっきまで天を覆っていた雨雲が急に消え去り、定頼が背に負っている青空に淡い虹がかかった。


「おおっ、観音様のご降臨じゃ……!」


 そんな声があちこちで湧き起こり、町民たちは一斉にひざまずいて「へへぇー!」と近江の国主を伏し拝む。虹が出たのはただの偶然にしても、強烈なまでに神々しい光景である。


 信長は、天にかかる虹を眩しそうに見上げながら、百年の眠りから目覚めたかのような思いで「市とは神が舞い降りる聖域……か」と呟いていた。


(そういう古い信仰が、商いをする者たちの間で受け継がれていたのだな。だから、極楽の「楽」の字を冠した楽市が、俗世とのしがらみから切り離された市場として商人たちに受け入れられているのだ。その彼らの信仰を定頼は巧みに利用し、楽市で城下町を潤している……というわけか)


「ここは商いが自由な市場だ」と城主が頭ごなしに言っただけでは、商品の専売権を主張する者たちが大人しく従うとは限らない。

 だが、「楽市とは、昔の人々が神を祀っていたいにしえの市場のごとき神聖な場所だ」と言われれば、信心深い商人たちは楽市のおきてを守ろうとするだろう。


 枝村商人たちが十楽の津のような市を作ってくれと申し出てきた、と定頼は言っていたが、もしかしたら市場の伝統や慣習を知っていた彼がそうなるように巧妙に誘導したのかも知れない……。信長は密かにそう考えるのであった。


(定頼は、古き慣習から生まれ出でた新しき市場を我が物にした。なかなか面白いことを考える英雄ではないか。……この男からは、もっと多くのことを学ぶことができるやも知れぬ)


 信長の心の中で、六角定頼という武将がだんだんと大きな存在に変わりつつあった。








<六角氏の楽市について>


 本編でも書きましたが、六角定頼が石寺に布いていた楽市が現在史料上で確認できる最古のものです。


 その楽市「最古」の史料というのが、天文十八年(一五四九)十二月に枝村商人が六角氏の奉行から受け取った以下の文書になります。




紙商売の事。石寺新市の儀は、為楽市条、是非に及ぶべからず。濃州・当国中の儀、座人の外商売せしむるにおいては、見相みあいに荷物を押さえ置き、注進いたすべし。一段仰せ付けらるべく候由なり。よって執達くだんのごとし。


[意訳]

紙商売のことについて。石寺新市は楽市なのだから(枝村商人が専売権を主張できないのは)仕方がない。

石寺以外の美濃や当国(近江)の市場において、座人(枝村商人)ではない者が紙を商っていた場合には、見つけ次第品物を差し押さえし、六角家に報告するようにとの重ねての仰せである。命令は以上の通りである。




 どうも本編で描いたような枝村商人VS保内商人の紙の販売をめぐる争いが実際にあり、六角家の奉行が「石寺は楽市だから、専売権うんぬん言うたらあかん。でも、他の市場で枝村商人の紙の専売権を無視している奴がいたら、そいつの商品を差し押さえしてもええよ」と通達していたようです。


 この文書こそが、「楽市」の初見史料になります。

 ただ、「楽市令を定める!」みたいな法令の文書ではないので、この楽市が具体的にどんな内容だったのか(たとえば、後年の楽市令にあるような諸役免除の沙汰は含まれていたのかなど)は分かりません。というか、いったい何年ごろから石寺の城下町で楽市が布かれていたのかも不明です……(^_^;)


 また、あくまでも「現在確認されている」楽市最古の史料であり、史料が見つかっていないだけで六角定頼よりも先に楽市令を出していた人物がいる可能性ももちろんあります。




 なお、楽市については、長澤伸樹氏著『中世から近世へシリーズ 楽市楽座はあったのか』(平凡社刊)を主に参考にして執筆しました。

「古来、虹が立った場所に市を開いた」「六角氏の石寺の楽市は、新興の保内商人に対抗するため、枝村ら古参商人たちが独自に生み出した市での商売のあり方が楽市だったのではないか?」などなど興味深いことがたくさん書かれているので、おすすめです。








※次回の更新は、6月28日(日)午後8時台の予定です。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る