佐目村の明智屋敷・後編

 明智屋敷は、他国から流れて来た客分の侍が住まうにしては、そこそこ立派な構えの邸宅だった。外敵の侵入を防ぐために、ささやかながら堀や土塁もある。


 義賢よしかたの話によると、五十年ほど前にこの地に配された明智頼典よりのりは、伊勢の街道から侵入して来る者たちを見張る任務を六角家から与えられていたらしい。土岐源氏の流れをくむ頼典のことを定頼の父である高頼はそれなりに重用ちょうようしていたのだろう。


 だが、ここ数年は家の者によってあまり手入れがなされていないのか、土塁はところどころ崩れかけ、屋敷の門も朽ちるにまかせて今にも傾きそうになっている。


 頼典が大昔に死に、その息子の光国みつくにも亡くなり、屋敷には光国の妻と幼い子供たちしかいないため、家の修繕が行き届かないのだろう。


「御免ッ!」


 義賢は大声でそう怒鳴りながら門をくぐると、振り返って「汚いところだが、まあ遠慮せずに入れ」と信長たちに言った。かすみが頬をぷくぅ~と膨らませながら(私と母上、兄上の屋敷なのに……)とブツブツ言っているが、義賢には聞こえていない。


「おーい! おおーい! 彦太郎の母はおるか! 俺だ、義賢だ!」


「ま……まあ、若殿様。このような粗末な屋敷にどのようなご用で……」


 義賢のごわんごわんと遠くまで響く鐘のような大声に驚き、一人の美しい女が息を切らせて屋敷の奥から出て来た。この左目の下に泣きぼくろがある幸薄そうな女人にょにんが、明智光国の未亡人らしい。


「おう、小夜さよ殿。この池田なにがしというガキを数日の間だけここに泊めてやってくれ。それじゃあな」


「え? え? え?」


 説明が面倒臭いのか、義賢は雑にそう言い捨てると、さっさと屋敷を後にしようとする。


 未亡人の小夜は、さすがに意味が分からず、「あ、あの、お待ちください」と六角の若殿を呼び止めた。


「こ……この方たちはどちら様でしょうか」


 かなり困惑しているようで、小夜はあわあわと口を動かし、気弱そうな表情でそうたずねる。

 夫は他界し、息子の彦太郎も今は不在。年老いた下男ぐらいしか屋敷にいないというのに、見ず知らずの人間を屋敷に入れるのには抵抗があるのだろう。


 弱りきっている未亡人の様子を見て気の毒に思った信長が、「平手のじい。夫人にあいさつを頼む」と政秀に言った。

 織田家の外交官である彼に任せれば、おおかたの交渉ごとは何とかなる。脅すのもなだめるのも得意で、未亡人の警戒心を解くことぐらい造作ないことである。


「こほん……。失礼いたしました、奥方殿。我らは、多賀大社参詣のために尾張国より参った旅の者です。実は、いやはや困った次第で、道中で野盗に遭遇してしまいましてなぁ~……」


 政秀が好々爺然とのんびりした口調でそう言った。

 すると、気の小さい小夜未亡人も、温厚そうな爺さん相手なら安心ができると思ったのか、多少は落ち着きを取り戻したようである。眉を曇らせながら「まあ、それはお気の毒に……」と政秀の話に耳を傾けた。


「たまたま国境の警戒にあたっていた六角の若殿に助けていただき、何とか命拾いをしたのですが、供の者に負傷者が出てしまって難儀しているのです。できれば数日ほど、この屋敷でその怪我人の子供を預かってもらいたいのですが……よろしいでしょうか?」


「そういうことでしたら、お引き受けいたしましょう。……このあたりの街道を往来する不審者を取り締まるのが我が明智家のお役目でしたが、夫が先年に亡くなって以来、そのお役目を果たせていません。あなたがたが野盗に襲われたのは、当家の力不足のせいです。罪滅ぼしと思って、精いっぱいお世話させていただきます」


 政秀の弁舌のおかげで、小夜はすんなりと受け入れてくれた。

 信長と春の方はホッとため息をつき、「何とぞ、よろしくお願いいたします」と母子そろって頭を下げた。


恒興つねおきはそれがしの乳兄弟なのです。どうか、くれぐれもよしなに」


「はい、承知いたしました。……霞、彦太郎の部屋を片付けてきてちょうだい。あそこが一番日当たりの良い部屋なので、そこで休んでもらいましょう」


 母の小夜にそう命じられると、霞は「はぁ~い」と元気に駆けて行き、兄の部屋の掃除を始めた。そして、彦太郎が室内にためこんでいたたくさんのガラクタや紙くずを廊下にポイポイポイッと容赦なく放り出していった。


「お客さん、ちょっと待っていてくださいね! すぐに片づけちゃうので! ……兄上ったら、またこんなにも散らかしちゃってぇ~。使い道がよく分からない玩具おもちゃばっかりだわ」


「お……おい。よいのか? 兄の物を勝手に廊下に投げ捨てたりして……」


 信長は、木の枝で作られたその「玩具たち」をいくつか拾いながら、そう言った。しかし、霞は「いいんです、いいんです。いつものことなので」と気にしていない様子である。


「それにしてもたくさんあるな。何だ、この棒状の物は。振り回して遊ぶのだろうか。…………うん? これはよく見ると、棒ではないぞ。明国渡来の鉄放に似て……いや、違うな。近頃噂に聞く南蛮鉄砲というやつだ」


 木の枝で作られた「玩具」の正体が分かり、信長はホホウと驚いていた。


 最初は中国式の鉄放を模した玩具かと思ったが、少し形状が違う。これは、姉のから聞いた南蛮鉄砲の特徴によく似ている。


 そばにいたもそのことに気づいたのだろう。廊下に転がっていた紙くずを拾うと、「ああ、やっぱり。信長殿、これをご覧なさい」と、その紙に描かれている絵を信長に見せた。


「間違いなく南蛮鉄砲ですね。火薬を詰める火皿、火皿を覆う火蓋、的を狙い定める目当(照星)……。鉄砲の各部分の名称もびっしりと書かれている。絵といい、各部所の説明書きといい、まるでその目で見てきたかのごとき詳細な鉄砲絵図だ。

 ……霞よ。そなたの兄は南蛮鉄砲を見物するために国友村へ旅立ったと聞いたが、彦太郎とやらは何度も国友村に足を運んで鉄砲を見聞しておるのか?」


「いいえ。実際には見たことがありません。国友村から来たという方に会い、鉄砲の特徴や形を根掘り葉掘り聞いて、その玩具を作ったり、絵を描いたりしたのです。多賀様たちと旅立つ前、『ようやく本物の鉄砲をこの目で見ることができる』とはしゃいでいました」


「ふむ……そうか。他人からの又聞きだけで、ここまで精緻な鉄砲の絵図を描けるとは、たいしたものだ。そなたの兄は、よほど頭のいい奴に違いない」


「頭はいいですが、部屋が汚くて困ります。興味を持った物は、この鉄砲みたいに何でも自分で作りたがり、勉強するためにあれこれと書物をかき集めてくるのです。『これは全部必要な物だから、捨てないでくれ』と言うのです。妹の私が月に一、二度は強制的にお掃除をしてあげなければ、書物やガラクタに埋もれて死にかねません」


 霞はプンスカ怒りながら、兄の私物を廊下にどんどん放り投げていく。そのガラクタの中には、大陸渡来の兵法書に載っている明国の兵器の模型らしきものもあった。


 信長はほんの少しだけ彦太郎の部屋をのぞいたが、たしかに汚い。現代風に言うと、いわゆる汚部屋というやつで、足を踏み入れる隙間が一切無いようだ。霞が片づけてくれなければ、恒興が部屋で横たわることすらできないだろう。彦太郎はこんな部屋でどうやって寝起きしているのだろうか。


「ほ……ほどほどにな。さすがにこの鉄砲の玩具と絵図は捨てないでやってくれ。たぶん、泣くと思うぞ?」


 信長は、頭脳明晰だが汚部屋が凄まじい彦太郎という少年に興味を抱きつつあった。


 数日後、恒興を迎えに来る時に、彦太郎が国友村から帰って来ていたら会えるのだが……。








<明智光秀の幼名について>

光秀の幼名については、『続群書類従』 明智系図に「彦太郎」とあるのでこれをいちおう採用しました。ピコタロウじゃないよ! ヒコタロウだよ!


あと、余談ですが、光秀の母の名前「小夜」は本作のオリジナルです。




※次回の更新は、6月21日(日)午後8時台の予定です。

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