佐目村の明智屋敷・前編

 明智光秀の生涯を記した軍記物として有名なのは、元禄げんろく元年(一六八八)~元禄十五年(一七〇二)の間に成立したとされる『明智軍記』である。


 だが、『明智軍記』の成立よりも少し前に編纂された書物で、


 ――明智光秀は近江出身だった。


 と記しているものがあることはあまり知られていない。


 その書物というのが、貞享じょうきょう年間(一六八四~一六八八)にまとめられた近江国の地理誌『淡海おうみ温故おんころく』である。


 この書にいわく、



 ――近江多賀たが佐目さめに、明智十郎左衛門じゅうろうざえもんなる者がいた。彼は美濃の出だったが、主君の土岐とき成頼しげよりに背き、近江へ落ち延びた。その後、近江守護の六角ろっかく高頼たかよりに仕官し、佐目の地にて暮らした。その二、三代後の子孫として生まれたのが明智十兵衛じゅうべえ光秀である。



 この記述が真実か否かは、『淡海温故録』が注目されるようになったのがごく最近のことなので、筆者にもよく分からない。


 だが、明智光秀が本能寺の変で信長を討った際に、多賀たが新左衛門しんざえもん久徳きゅうとく六左衛門ろくざえもんら近江多賀の地侍が山崎合戦に明智方として馳せ参じたらしい。光秀と多賀の武士たちには昔から何らかの繋がりがあった可能性はある。

 また、滋賀県多賀町佐目には見津けんつという珍しい苗字を持つ人々がいるが、伝承によると明智光秀から名を賜ったのだという(けんつ→みつ→みつひで?)。


 現在でもこのような言い伝えが現地で語り継がれていることから考えて、「明智十郎左衛門」なる侍が美濃から近江に流れて来たという伝説を完全に否定することはできないだろう。


 そして、この明智十郎左衛門という男こそが明智頼典よりのり――帰蝶きちょう姫と土岐とき頼純よりずみをめぐる悲劇の物語で登場した頼明よりあき老人の兄、戦闘狂・明智定明さだあきの伯父にあたる人物である。頼明老人が行方を探し求めている「近江にいるはずの兄者の孫」とは、十兵衛光秀のことだったのだ。


 信長と春の方の一行は、そんな明智家の事情など露知らぬまま、六角ろっかく義賢よしかたの道案内で明智屋敷がある佐目村を訪れていた。




            *   *   *




十二相じゅうにそう神社の鎮守の森が見えてきたな。あともう少しで明智の屋敷じゃ」


 犬上川沿いに点在する村々を通り過ぎ、信長たちは佐目村にたどり着いた。


 同道していた伊賀崎いがのさき道順どうじゅんら伊賀の忍びたちは、いつの間にか姿を消している。義賢いわく、見えないだけですぐ近くから信長たちを見守っているらしい。


 恒興は、しばらくの間は何とか自力で歩いていたが、だんだんと尻の痛みが酷くなってきたため、堀場ほりば氏兼うじかねに背負われている。小六に殴られて気絶した藤吉郎は、早々と復活し、頭にできたたんこぶを痛そうに撫でながら信長にぴったりと付き従っていた。


「のどかな村ですねぇ……」


 信長に手を取られて歩いている春の方が、佐目村の美しい田園風景をうっとりと眺めながらそう呟く。


 村内には石仏や石造りの供養塔などが多くあり、農夫たちは路傍ろぼうの仏様に供え物を捧げていた。

 四本の大きな杉の木に囲まれている十二相神社の社殿の前では、幼い子供たちが無邪気に遊び戯れているようである。とてもゆったりとした時間が流れている村であった。


(ここの民たちは、静寂と信仰の中で平穏な日々を過ごし、心穏やかに生きているのだろう。こんな良い場所で生まれ育った子供たちは、のんびりとした者が多いのであろうな)


 と、信長は何気なくそう思い、世の全ての村がこの佐目村のようになれば、人の心も穏やかになり、天下は泰平になるかも知れない、と感じていた。


「おう、かすみではないか。兄の彦太郎ひこたろうは屋敷におるか」


 神社の境内で走り回っていた子供たちの中に知っている顔を見かけた義賢が、一人の少女に声をかけた。


 若殿様に名を呼ばれたその六、七歳ぐらいの女の子は、泥だらけの顔を手の甲でぐいぐいぬぐいながら駆けて来て、


「いないよ! ……じゃなかった、いません!」


 と、快活な声でそう答えた。


 幼いながらも、非常に整った容姿である。


 霞という名の少女の愛らしい顔を見た途端、信長と恒興、藤吉郎は(誰かに似ている)と思い、三人は顔を見合わせた。


「恒興様。あの子、誰かに……」


「うん。似ているな。あの姫様に。生駒いこま家の――」


かえでにそっくりだ。楓を六、七歳ほど幼くしたら、きっとあんな顔になるだろう。驚いたな、瓜二つだ」


 そう呟く信長の顔は、ちょっと切なそうだった。尾張に残してきた恋人のことを想い、ふいに感傷的な気持ちになっていたのだ。


 楓はおしとやかそうな外見とは裏腹に、とてもお転婆てんばな性格である。しかし、病弱なせいで、ほとんど屋敷の外に出られない。ちょっとでも無理をしたら、すぐに風邪を引いてしまう。


 この霞という少女のように、泥だらけになって走り回れるだけの健康な体があれば、楓もきっと幸せだったろうに。俺と一緒に野原を馬で自由に駆け回ることもできただろう――そんな考えが急にわき、自分の恋人が可哀想に思えたのである。


 そんな信長の複雑な心境を彼の表情から察することができたのは、楓を知っている恒興と藤吉郎ぐらいで、春の方や、平手政秀たちは義賢と霞の会話に耳を傾けていた。


「いないだと? 彦太郎の奴は、どこに行ったのだ」


国友くにとも村です。多賀様と久徳様が『南蛮から伝わった鉄砲という武器を見に行く』とおっしゃったので、お二人について行きました」


「ふぅ~ん。今、国友村では将軍様の命令で鉄砲を製造しているそうだからな。フン、珍しい物が好きなあの小僧らしいわい。

 ……当主の彦太郎がいないのなら、仕方がない。霞よ、屋敷まで案内してそなたの母者に会わせろ。数日の間、預かっていてもらいたい者がおるのだ」


「分かりました!」


 霞はペコリと可愛らしく頭を下げると、信長たちの先頭に立って駆けだした。落ち着きがない性格なのだろう、ピョンピョンと飛び跳ねるように走っている。


「待て。そんなに慌てて走ったら、転んでしまうぞ」


 危なっかしい子供だと思った信長がそう注意した矢先に、小石にけつまずいて派手に転びそうになった。


 背後にいた信長は素早く腕を伸ばし、霞の小さな体を抱きとめる。


「大丈夫か?」と優しい声音でたずねながら立たせてやると、霞は、


「わ、わ、わ……。あ、ありがとう……ございます」


 と赤面しながら礼を言い、気恥ずかしそうに顔をうつむかせた。


 田舎の村では見たことがないような信長の美貌に少女は驚き、まだ幼いながらも心がとろけるような感覚に襲われていたのだった。


 あれが初恋というものであったのか、と霞が気づくのは思春期の年齢になった数年後のことである。


 そして、この彦太郎(明智光秀)の妹が、


 ――信長一段ノキヨシ也(信長の特別のお気に入り)。


 と呼ばれる御ツマキ(御妻木おつまき殿)という女性に成長するのだが、それはもっともっとはるか後年のこととなる。








<明智光秀の妹(?)の御ツマキについて>


近年、明智光秀の縁者とされる御ツマキという女性が歴史家たちの間で注目されつつあります。

彼女は本能寺の変の前年に亡くなっており、その際に多聞院たもんいん英俊えいしゅん(奈良興福寺の僧)が『多聞院日記』に天正九年八月二十一日の条でこう書き記しています。


 ――惟任これとう(明智光秀)ノ妹ノツマキ死了しにおわんぬ、信長一段ノキヨシ也、向州こうしゅう日向守ひゅうがのかみ。つまり、光秀のこと)比類ひるい無く力落ちからおとしなり


 つまり、「光秀の妹の御ツマキが死んだ。彼女は信長の特別のお気に入りだった。妹の死に光秀は大変気落ちしているようだ」ということです。


 御ツマキについてはまだまだよく分からないことだらけなのですが、『多聞院日記』の「信長一段ノキヨシ也」という文言を「信長の一段の気好し也」と解釈して、「彼女は信長の側室だったのでは?」と見る歴史家も多いです。

(ただし、はっきりと「側室」と書かれているわけではない……(^_^;))


 谷口研語氏は『明智光秀 浪人出身の外様大名の実像』(洋泉社刊)で「安土城の奥向きを束ねるような地位にいたのかもしれない」としています。


 また、他にも、



・御ツマキ(妻木)という呼び名から、「光秀の実妹ではなく、妻である妻木煕子ひろこの妹――つまり、義妹だったのではないか」という説。


・そもそも光秀の本姓が土岐明智氏ではなく、土岐妻木氏だったのではないかという説。(前掲の谷口氏の著作より)


・「姉」と記されている史料もあるけど……? という謎(たぶん、誤記か?)


・「信長一段ノキヨシ」は「儀よし」と読み、彼女は信長の「儀」(意向全般)に通じる女性だった。光秀にとって御ツマキは信長との間をとりなしてくれる重要な存在で、パイプ役である彼女を失ったことで光秀は大きな不安を感じるようになった。織田家中の風当たりも強くなっていった……という説。(早島大祐氏著 NHK出版新書刊 『明智光秀 牢人医師はなぜ謀反人となったか』より)



 などなど、諸説が入り乱れている状況です。彼女の死が本能寺の変の遠因だったとしたら、歴史的にもかなり重要なキーパーソンと言えるでしょう。彼女についてはこれからも研究が進んでいくと思いますので、楽しみです。


 大河ドラマ『麒麟がくる』で御ツマキが登場するかは分かりませんが、もしも登場するのなら彼女がどう描かれのるかちょっと興味ありますね(*^^*)



 ちなみに、「霞」という名は本作品でのオリジナルの名前で、御ツマキの本名は不明です。あしからずご了承ください。

(いちおう命名の由来としては、兄の光秀や妹の御ツマキの生涯が霞がかかったかのように謎が多いことからつけました)

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