義賢と信長

「ああ、くそッ! 逃げられた! もう少しで奴を八つ裂きにしてやれたのに!」


 あと一歩というところで小六ころくを取り逃がしてしまった信清のぶきよは、悔しがって地団駄を踏み、天に向かって獣のように吠えた。


 信長は、荒れる信清の肩にそっと手を置き、「おぬしはよくやってくれた」と慰める。


「頼りにすべきは、やはり従兄弟いとこのおぬしだ。さすがは、尾張の兵たちを美濃から逃がすために奮戦して亡くなった信康のぶやす叔父上の血を受け継ぐ男だ」


「……よせ。俺に気安く触るなと前にも申したであろう」


 信清はムスッとした表情でそう言い放ち、信長の手を乱暴に振り払った。


 信清の父・信康は、一門の棟梁とうりょうである兄・信秀を救うために、戦場で捨て駒となった。そのことを信清はずっと恨みに思っている。だから、信秀の子である信長の口から亡き父の名前を聞くのが嫌なのだ。


 しかし、従兄弟のそんな屈折した思いに気づいていない信長は、素直ではない性格の信清が照れているだけなのだろうと解釈し、穏やかに微笑んだ。


(お人好しな信長め。相変わらず、俺のどす黒い心の内を全く分かっていやがらない……)


 信清は心の中でそう呟き、チッと舌打ちした。


 こちらが敵意を剥き出しにしているというのに、信長は全く気づいていない。従兄弟である信清を信じ切っているのだろう。信長のそういう身内に対して甘っちょろい部分が、信清にとってはたびたび苛立ちの種となるのであった。




「……お取込み中、失礼いたす。織田信秀殿のご嫡男、三郎信長殿とお見受けいたしました。拙者は六角ろっかく定頼さだより様の密命を受け、織田殿ご一行の護衛に参りました伊賀崎いがのさき道順どうじゅんと申しまする。これより先の道は、我ら伊賀衆があなたがたをお守りしますのでご安心くだされ」


 信長と信清の会話が途切れるのを待っていたのだろう。音もなく信長の背後に立った道順が、ひざまずきながら信長にそう名乗った。


 おおかた六角の手の者であろうと推測していた信長は、特に驚いた様子も見せずに振り返りながら「デアルカ」と言い、


「あの丘の上から矢を放ち、我らを助けてくれたのもそなたたちの仲間か」


 と、問うた。小六の手下たちを一瞬でほふった神がかり的な妙技に驚き、できることならその弓の遣い手の顔を見てみたいと思ったのである。


 だが、道順は「いえ、あれは我ら伊賀者ではなく……」と言いよどみ、チラリと草むらの方角を見た。その噂の「弓の遣い手」が近づいて来る気配を感じたからである。


「矢を射たのはこの俺だ、織田三郎信長」


 傲然たる声とともに、一人の男が草むらから現れた。


 猛牛のごとくたくましい肉体。

 黒々と日焼けた肌。

 カッと大きく見開いたどんぐりまなこ

 父親の定頼よりもさらに野性味溢れた風貌である。これで立派な髭でも生やしていたら、いにしえ西楚せいそ覇王・項羽こううのごとき王の威厳が備わるだろう。


 突如出現した容貌ようぼう魁偉かいいの男に驚いた春の方や侍女たちは、新手の敵かと勘違いしたようである。ビクリと体を震わせ、緊張した面持ちで身構えた。


 彼女たちがおびえていることに気づいた彼――六角義賢よしかたは、


女人にょにんたちよ、案ずるな。我は六角定頼が嫡男、四郎義賢じゃ。あなたがたの味方だ」


 と、さっきよりも幾分穏やかな声音でそう言った。


 その名を聞き、信長と平手政秀は、顔を見合わせて驚いた。六角家の世継ぎがわざわざ出向いて来るとは、さすがに予想していなかったからである。


「これはこれは……お会いできて光栄です。織田信秀が嫡男、三郎信長でござる。恐るべき弓の腕前、感服いたしました」


 信長がわずかに焦りながらも礼儀作法にのっとってあいさつをすると、義賢はニヤッと口の端を釣り上げ、「おう、存分に恐れ入るがいいぞ」と横柄な口調で言った。


吉田よしだ一鷗いちおうから伝授を受けた日置流へきりゅうの奥義は、つまらぬ人間を助けるためには使わぬのが俺の信条だ。

 しかし、おぬしは見殺しにするのには惜しい男だと考えたゆえ、秘伝の技を使った。こんなことはなかなか無い。名誉なことだと思えよ?」


 まるで、年の離れた幼い弟に物の道理を教えてやっているような言い草である。織田家の家臣である池田いけだ恒興つねおき堀場ほりば氏兼うじかねらは、


(の……信長様に対してなんと無礼な……)


 と気色ばんで、義賢に文句を言おうとした。


 だが、平手政秀が(やめぬか!)と目で強く制したため、渋々引き下がった。


 六角義賢が信長に対して上から目線なのは、当然のことなのである。

 六角家は近江国の支配を室町幕府から任されている守護大名。織田弾正忠だんじょうのちゅう家は、尾張守護の家臣の家臣に過ぎず、六角家から見たら数段下の身分なのだ。義賢が目下の信長を丁重に扱ういわれなど全く無いのである。


 信長も、それぐらいのことは心得ているため、義賢の傲岸不遜な態度に嫌悪感を示すようなことはしなかった。


 むしろ、義賢が言動の節々から醸し出しているおのれに対する揺るぎなき自信と気高い誇りを感じ取り、


(敵が恐れおののき、家臣や民衆から頼られる大将とは、こういう人物のことか。俺も見習いたいものだ)


 と、密かに好感を抱いていたぐらいである。


 だから、信長は義賢の言葉に素直にうなずき、「はい。光栄に思いましょう」と答えていた。


 義賢は、なかなか可愛げのある奴め、と思ったのか、破顔一笑はがんいっしょうし、


「よく言った。信長よ、今日からお前を俺の弟分にしてやる。何か困ったことがあったら、兄である俺を頼るがいい」


 そう言いながら信長の肩を二度ほど強く叩くのであった。


 六角義賢、二十八歳。

 織田信長、十五歳。

 これが、天下静謐せいひつのために共闘し、やがて対立していくことになる二人の奇妙な友情の始まりだった。




            *   *   *




 義賢の話によると、六角家の当主である定頼は織田家の使者が近江に来ることを早い時期から察知し、美濃のまむしの始末について織田家と相談をしたがっているという。

 嫡子の義賢をわざわざ近江の国境まで遣わし、信長たちを出迎えさせたのも、斎藤さいとう利政としまさ道三どうさん)の刺客を警戒してのことだった。


「我らが迎えに来てやったからには、もう安心だ。蝮の野郎が放った刺客がどれだけ現れても、この俺と伊賀衆がそなたたちを守ってやろう」


 取るに足らないやからたちだと判断したら見殺すつもりだった、とさっき白状したくせに、義賢はぬけぬけとそう豪語した。あふれんばかりの自信を胸に秘めたこの男は、過去の自分の行動に何かしらの問題があっても、さっさと忘れてしまうのである。


「有り難いお言葉に存じまする。されど、供の者に怪我人が出てしまったようで……。このような路傍ろぼうに置いていくのも可哀想ですし、いかがいたしましょう」


 まだ義賢のことを微妙に恐がっている春の方が、こわごわとそうたずねた。


 義賢は「怪我人?」と首を傾げ、斬られた尻を痛そうに両手でおさえている恒興をチラリと見た。そして、クヒヒと悪そうに笑ったかと思うと、出し抜けに弓の先端で恒興の肛門こうもんをズブッと突いた。


「アッーーーーーー⁉」


「ガハハハハ。ちょと悪戯いたずらされただけで、大げさな小僧め。それだけ元気に飛び跳ねることができるのならば、薬を塗っておけばすぐに治るだろう。この近くの佐目さめ村に、美濃から流れて来た土岐とき源氏げんじの末裔の屋敷がある。この小僧は、その屋敷で預かっておいてやろう」


「美濃から流れて来た……土岐源氏の侍ですか? 何者でしょうか」


 敵国である美濃の武士がこの近くに住んでいると聞き、信長はわずかに眉をひそめてそう問うた。斎藤利政とゆかりのある者では、と警戒したのである。


 義賢は、大ざっぱで他者の気持ちなどあまり顧みない性格だと家中の者たちからも思われがちだが、意外と人の心を機敏に読み取る眼を持っている。信長が何を心配しているのかすぐに察し、「案ずるな」と言って手を振った。


「その武士……明智あけち頼典よりのりが近江に流れて来たのは、もう五十年近く前のことだ。美濃の蝮とは何の繋がりも無い。頼典はとうの昔に死に、その息子の光国みつくにもつい最近病死した。今は光国の妻と二人の子が慎ましく暮らしておる。子供たちもまだ幼いゆえ、織田家の者に害を加えることなど有り得ぬ」


「……なるほど。それをうかがい、安堵いたしました。では、申しわけありませぬが、それがしの乳兄弟を数日ほどその屋敷にて預かってもらえるようお取り計らいください」


 信長が慇懃いんげんに頭を下げると、義賢は「よいぞ。こっちだ、ついて来い」と言い、佐目村へと案内してくれた。




 伊勢国から鈴鹿山脈を越えた先にある近江多賀たがの佐目村――現在の滋賀県犬上郡多賀町佐目。

 ここには、現地の人々に今もなお「十兵衛じゅうべえ屋敷跡」と口伝くでんされている場所がある。十兵衛とは、すなわち、


 明智十兵衛光秀


 のことである。


 信長は、近年になって「明智光秀出生地」の新たな候補に上がりつつあるこの地に、足を踏み入れようとしていた――。








<明智光秀の父親の名前について>

明智光秀の父親の名前は、史料によって「明智光綱」「明智光圀(光国)」「明智光隆」など諸説あり、はっきり分かりません。(この物語ではいちおう「光国」を採用)。

また、光秀とその父(光綱? 光国? 光隆?)は名前に「光」の字を使っており、「頼」の字(美濃土岐氏の通字でもある)を多く用いている美濃明智氏とはちょっと異質なものを感じます。

ちなみに、光秀との詳細な関係は不明ですが、室町幕府の奉公衆(官僚)に明智一族がおり、この奉公衆の明智には名前に「光」の字を用いている者が多くいるようです。

謎が多い光秀の父親ですが、これから研究が進めば、どういう人だったのか少しは分かってくるかも……?(^_^;)





※次回の更新は、6月14日(日)午後8時台です。

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