津島での出会い・後編
ふんどし一丁の男・滝川一益は、ごろつきたち全員のタマを潰すと、白目を剥いて倒れている彼らの
「チッ、しけてやがるなぁ。こいつら、たったこれだけの銭しか持ってねぇのかよ」
「あ、あの……」
「ああーん? 何か用か?」
一益は自分が助けた子供の存在をすっかり忘れていたのか、猿顔の少年に声をかけられると
「助けていただき、ありがとうございます。あなたは俺の命の恩人です。この
猿顔の少年――藤吉郎がそう言って丁寧に頭を下げる。一益はニタッと笑い、「ああ、そうだったな。てめぇは俺様がいなかったら死んでたぞ。俺様に感謝しろよ、坊主」と恩着せがましいことを言った。
「はい、感謝しています。……ところで、あなたは甲賀の忍びなのですか?」
「俺様が忍びだと? ハン! この威厳あふれる滝川一益様が、こそこそと敵の城に忍びこんで密書を盗んだり敵将の寝首を掻いたりするような、地味ぃ~な仕事をする忍びのわけがないだろう。二度と俺様のことを忍びだと言うなよ。今度言ったら、てめぇのタマも潰すからな」
自分が「甲賀忍法!」とか叫んでいたのに……と思いつつも、藤吉郎は「は、はい……」と大人しく
「では、あなたはいったい何者ですか。いつかお礼にうかがいたいと思うので、住んでいる所を教えていただきたいのですが」
「俺様か? 俺様は、いずれ一国一城の主としてその名を天下に轟かせる予定になっている滝川一益という者だ。
……へーくちょん! ああ~、寒い。津島の港町で一
(物凄い駄目人間だ……)
藤吉郎はなんと言葉を返していいのか分からず、「な、なるほど……」と曖昧に答えることしかできなかった。
「……じ、じゃあ、俺はこれで失礼します」
このお侍(?)はあまり関わらないほうがいい
「坊主。お前さっきさぁ~……。命を助けられた恩は必ず返すって言ったよなぁ?」
「は……はい。ええと……。いつか必ず、お返しします」
「悪いが、今すぐ返してくれないか? 俺様、いま銭が無くて困っているんだよ」
「で、ですが、俺は見ての通りのただの子供です。お侍様にお渡しする銭など持っていません。いつか立派になってから、ちゃんとお礼をさせてください」
「あはははは! 面白いことを言う坊主だなぁ~。銭が無いだって? そこにあるじゃん! そこにあるじゃーん!」
一益は下品に笑いながら、藤吉郎の懐を指差す。藤吉郎は顔を青ざめさせ、「こ……これは主人の
「心配するな。その銭を貸してくれたら、半刻(約一時間)以内にすぐ返す。今から賭博場に戻って、大勝ちして二倍の額に増やす予定だから」
「いやいやいや! あなた、さっき大負けしたって言いましたよね⁉ この銭を渡したら、絶対に戻って来ないに決まっていますよ! 無理、無理! ぜーったいに無理!」
なんてヤクザな武士だ、と藤吉郎は大困惑して逃げようとした。しかし、頭を鷲掴みにされているため、逃げるに逃げられない。
「ケチくせぇことを言うなよ、坊主。何なら三倍に増やして俺様とお前で山分けしようじゃないか。なあ、いいだろう?」
「嫌です! やめてください! そんな馬鹿だから一族から追放されるんでしょうが!」
「ああぁ~ん⁉ 俺様が馬鹿だとぉ~⁉ てめぇ……。こっちが下手に出ていると思って調子に乗りやがって。もう許さねぇ! お前もタマぁ潰してやろうかぁ‼」
「ぴ……ぴぎゃぁーーーッ‼ 誰か助けてぇーーーッ‼」
滝川一益と藤吉郎――後の秀吉。最低最悪の
* * *
「みやぁぁぁ‼ 嫌じぁぁぁ‼ 俺の夢は、お侍になって可愛い嫁さんをもらうことなんじゃぁぁぁ‼ タマを潰すのだけは堪忍してちょうよぉぉぉ‼」
藤吉郎は男の象徴をぶっ潰すと脅された恐怖から、ごろつきたちに暴行されていた時よりも三倍以上の大声で泣き喚いていた。あまりの声の音量に、一益はギョッと驚く。
「う、うるせぇ! 耳の鼓膜が破れるから叫ぶな! ……お前、馬鹿クソ声がでかいな。タマを潰されるのがそんなに嫌なら、さっさと有り金ぜんぶ渡しやがれ」
「そ、それも嫌じゃ‼ 誰か助けてぇーッ‼」
藤吉郎は右手で懐の銭をかばい、左手で股間をおさえ、あらん限りの声で助けを求めた。寺の鐘よりも遠くへ響くのではないかと思わせるほどの
このとんでもない大声のおかげで、町の中を走り回っていた信長一行も騒動が起きている正確な位置を把握できたようである。藤吉郎が泣き喚き始めてすぐに、
「そこのふんどし一丁のお前! 子供相手に何をしておる!」
と、駆けつけることができた。
「ああーん? 誰だ、てめぇらは。今は取り込み中なんだよ。邪魔すんじゃねぇ」
博打で大損したせいか、一益は非常に機嫌が悪い。ひと目見れば身分ある若様とその家来たちだと分かる信長一行に
「取り込み中じゃと……? こんな暗がりに
取り込み中と聞いてあらぬ誤解をした
「べ、別にこんな猿顔のガキのケツになんて用はねぇよ。変な誤解をするな。俺はただ、そこでおねんねしているごろつきどもに殺されかけていたこのガキを助けてやっただけなんだ。俺はこのガキの命の恩人なんだよ」
一益が
「……なるほど。お前がその童を助けたのは分かった。だが、それなのになぜその童はそんなにもお前に怯えているのだ」
「俺様に怯えているだぁ~? そんなことねぇよ。なぁ、藤吉郎」
「怯えています! 怯えています! 助けてください、お侍様がた! この人、助けた礼に銭を渡さないと俺のタマを潰すと言うんです!」
藤吉郎はここぞとばかりに必死になって助けを求めた。
それを聞いた信長は、呆れた表情で勝介や
「童から金銭をゆするとは、とんだ駄目人間だな」
「な、何だとぉ~⁉ おい! てめぇ! いずれは天下一の名将となる予定のこの俺様に対して、その無礼な物言いは何だ! 名を名乗りやがれッ!」
一益は顔を真っ赤にして怒り、藤吉郎をポイッと地面に投げ捨てると、信長に吠えかかった。
「俺か? 俺の名は、おだ……」
「うりゃぁぁぁ‼ 甲賀忍法、乱れタマ潰しぃぃぃ‼」
自分から名を名乗れと言ったくせに、頭に血がのぼっている一益は問答無用で襲いかかってきた。
「は、速い! こいつ、忍びか⁉」
教吉は、ふんどし男の凄まじい脚力に驚嘆し、そう叫んだ。主人である信長を
「
信長の供の中で一益の疾風の攻撃に唯一反応することができたのは、歴戦の
さすがの一益も、いきなり笄が顔面めがけて飛んで来ると、「の、のわ⁉」と叫んで慌てて首をひねり回避した。
その瞬間、信長の至近距離まで迫っていた一益の動きが鈍った。
勝介が不埒者の攻撃を妨害してくれるであろうと信じて悠然と構えていた信長は、その隙を逃すことなく抜刀、刃を一閃させた。
切ったのは、一益のふんどしである。
一益の大事な部分を隠していた布きれはパサリと落ち、一益は正真正銘の全裸になってしまった。
「い……いやぁ~ん! なんてことをしやがる! 恥ずかしいだろうがッ!」
「子供から銭を奪おうとした駄目人間が、今さら恥を語るな。命だけは助けてやるから、とっとと失せろ」
「む、むむむ……」
一益はぐうの音も出ず、両手で股間を隠しながら後ずさりをする。さすがに男根を見せつけながら戦うのは恥ずかしいらしい。
「お……覚えていやがれ! 俺様は、この尾張国の覇者である織田信秀様のご嫡男の信長様に仕官して大出世する予定なんだ! 俺様が城持ちの武将になったら、てめぇなんぞぶっ殺してやる!」
「どんな予定だ、それは。俺には、お前を家来に召し抱える予定はないぞ」
「お前じゃねぇ! 織田信長様だと言っているだろうが! ばーか! ばーか! 次に会う時まで覚えていやがれ!」
涙目で一益は信長に罵詈雑言を浴びせると、すたこらさっさと逃げて行った。
* * *
「何だったのでしょうか、あの男は……」
一益が逃亡した後、山口教吉が呆然としながらそう呟いた。信長は「さあな。いずれにしても、あのような輩が仕官してきても俺は雇わん」と言い、刀を鞘におさめる。
「虎若。あの童、見たところ体中怪我をしているようだ。やっかいな傷を負っていないか、少し見てやれ」
「へい!」
信長に命令された虎若は藤吉郎に近づき、「おい、坊主。大丈夫か?
藤吉郎は、身なりからして身分の高そうな信長や勝介、教吉には若干気後れしている様子だったが、ただの足軽にすぎない虎若には気を遣わずに普通に会話ができると思ったのかハキハキと答えた。
「俺は大丈夫だ。人に殴られるのは慣れっこだから」
「ずいぶんと痛めつけられたようだが……慣れっこということはしょっちゅうこうやって
「俺はおじさんと会うのは初めてだよ」
「俺はおじさんじゃねぇ。まだ二十代…………ああーっ! その猿っぽい顔、思い出したぞ!」
虎若が大声を出したため、藤吉郎は「ひっ」と小さな悲鳴を上げて後ずさった。勝介が「どうした、虎若。その童を知っておるのか」と問うと、虎若は振り返り、
「内藤様! この子、
と、興奮しながら藤吉郎の猿顔を指差した。
虎若は、四年前の美濃攻めで戦死した足軽・弥右衛門とはお互いに侍になる夢を語り合った仲であり、弥右衛門の妻・なかとその子供たちに「行方不明になった長男の藤吉郎を必ず見つけ出す」と約束していたのである。
「む……。言われてみたら、弥右衛門と瓜二つじゃな。童よ、お前の父の名は何という」
勝介はそう言いながら藤吉郎に歩み寄る。
片足の自由がきかなくなった弥右衛門を本人が志願したとはいえ戦場に連れて行ったのは自分である、奴とその遺族には可哀想なことをした、とこの情け深い武人は前々から思っていた。
だから、雑兵のことなのでいつも気にかけていたわけではないが、時おりはふと思い出して「あの弥右衛門が賢い子供だと自慢していた、父親そっくりの猿顔の息子は今どうしているだろうか」と考えることもあったのだった。
一方、そんな勝介の気持ちを知るはずもない藤吉郎は大いに困惑していた。
(な……なんでこんな髭をたくわえた立派そうなお侍様が俺の親父の名前を知っているんだ? も、もしかして、親父の奴、生前にこのお武家様に対して何か無礼なことでもやらかしたのか? こんな偉そうな人にまで借金をしていたんじゃないだろうな⁉)
父親の弥右衛門は、戦の傷が原因で片足が動かなくなると農作業もできず、借金を抱えてばかりいた。
銭を貸した男たちが何度となく母のなかの元に訪れ、「お前の亭主が作った借金だぞ。銭が払えないのなら、身売りしてでも返せ」と脅してきたことを藤吉郎は覚えている。家を出奔して津島の港町で働くようになってからも、弥右衛門の息子だとばれると借金取りに追いかけ回されたことが数回あった。
お前は弥右衛門の子供だな、と言われてろくな目にあったことがない。他人の口から父親の名前が出ると、条件反射で逃げる癖までついていた。だから、今回も、
「知りません知りません! 俺は尾張中村の百姓の弥右衛門なんて男、ぜんぜん知りません! こ……これにて失礼いたします!」
と喚きながら、一目散に走って逃げてしまったのであった。
「あっ、おい! なぜ逃げる⁉ 弥右衛門さんが中村の百姓だなんて一言も言ってないのに、知っているじゃねぇかよ!」
虎若は追いかけようとしたが、気絶中のごろつきの体を踏んでしまい、転倒した。その間に藤吉郎は闇の彼方へと消えていった。
「勝介。あの童は、そなたの見知った者の息子だったのか」
「は……はい。あの猿顔は間違いなく、織田軍を
「ふぅ~む。今宵はおかしな奴とよく遭遇するな。夜の町には面白い者たちがいる」
信長はそう呟くと、まん丸な月を見上げた。
そういえば自分もあの猿顔をどこかで見たような気がするな、と思ったが、思い出せない。あんな印象的な顔ならば普通は覚えているはずだが……。
<ふんどしについての余談>
この時代の布はとても貴重だったので、ふんどしでさえもそれなりに身分がある人じゃないと身につけられなかったとか(^_^;)
だから、戦死者がふんどしを着けているか否かでその人の身分を見わけていたそうです。
このエピソードを書きながら「一益さん、こんな荒れた生活していたらふんどしをたとえ持っていたとしても途中で賭博のために手放していそうだな……」とか考えたのですが、さすがにフル〇ンで登場させるのはまずいかなと思って全裸は諦めました。
そのつもりだったのに、やっぱり最後に全裸になったけど……(白目)
※次回の更新は、3月22日(日)午後8時台の予定です。
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