蝮、牙をむく
種明かしをすると、
ただし、自ら「薬」を飲んでわざと体調を悪化させていたのだ。
その「薬」というのは、毒薬ではない。毒薬を使って
利政が使った「薬」というのは、帰蝶に飲ませていたあの「胸の苦しみを癒す薬」だった。
利政は、娘の帰蝶と同じく、この薬を服用すると高熱と激しい咳の症状が副作用として出てしまう体質だったのだ。
(皆を上手く
その頃はまだ小見は嫁いで来ていないし、頼明のジジイもそんな大昔のことを覚えていないだろうさ)
守護館に向かう道すがら、六人担ぎの
病と偽り、
帰蝶にぞっこんでお人好しな頼純は、帰蝶の病気の一件以来、
だが、利政のことを大昔からよく知っている人々――小見の方や明智頼明、その他の美濃の武将たちは、利政が倒れたと聞いても真っ先に「仮病なのでは?」と疑うに決まっている。
明智一族だけではなく、
「あの
また、たとえ発熱しても、頼明老人のように「服用している薬が毒物なのではないか? あいつなら、仮病のために自分で毒を飲みかねない」と疑う者も現れるだろう。
だから、自分にとっては害だが他の者には良薬となる
「帰蝶の看病をしていた時からこっそりと薬を飲んでいたが……げほっ、ごほっ。あと二、三日飲み続けていたら本当に死にかけていたな。頭がくらくらするし、咳が止まらぬわい。カッカッカッ……ごほっ、がはっ!」
「父上。そのようなお体で本当に自ら出陣なさるのですか? お辛いようでしたら、この
馬上の喜平次が心配してそう言うと、利政は「阿呆。憎っくき頼純を討つのだ。戦の経験が不足しておるお前に任せられるか」と荒々しく吠えた。
「頼純め……。美濃国内に織田・朝倉連合軍を引き入れてこの俺を苦しめた報いを今こそ受けてもらうぞ」
暗闇に利政の獰猛な眼光が妖しく光る。とうとう、美濃の蝮が毒牙をむいたのだ。
* * *
手勢を従えた利政が守護館に入ろうとすると、門前で森可行と息子の可成が立ちはだかり、血相を変えて詰め寄って来た。
「守護代殿! この騒ぎは何事でござるか!
「さては、
「攻めの
しかし、可成はそれを素早くかわして槍の柄をつかみ、力任せに引っ張って喜平次を馬から引きずり下ろした。喜平次は「ひ、ひやぁー⁉」と情けない声を上げて落馬し、地面と
「騒ぐな、馬鹿者どもッ。俺は守護様に拝謁するために参ったのだ。どけ!
「馬鹿はお前のほうだろう、蝮。頼純様は土岐家の嫡流筋であり、お前の娘の夫なのだぞ。それを討とうとするお前は、臣下としても親としても最悪な腐れ外道ではないかッ。恥を知れ、恥をッ!」
「ええい……。ただの荒武者かと思ったら、なかなか口の達者な奴め。黙れ、黙れ! さもなくば、お前の父の首が飛ぶぞ!」
利政が采配をサッと横に振ると、槍兵たち数人が可行に槍を突き出した。
「し……しまった! む、息子よ……」
「父上ッ。おのれ……どこまで卑怯な奴なのだ」
父親を人質にとられた可成は、歯噛みして悔しがりながらも、利政に襲いかかりたい衝動を必死に抑えた。
「フン、青二才め。そこで大人しくしているがいい」
利政はケラケラと嘲笑うと、門をくぐって館内に入るのであった。
* * *
利政は、横着にも輿に乗ったまま、頼芸の居室前の廊下まで上がりこんだ。もちろん、謁見の許可など取っていない。
「な、なななな何だ? いったい何の騒ぎじゃ? そなたは病だったのではないのか?」
さっきから外が軍馬の音で騒がしくて何事かとビクビク怯えていた頼芸は、声をひきつらせてそう言った。重病だった利政がついに死んで化けて出たのではと思ったらしい。
利政は
「頼芸様。お迎えに上がりました。頼純を血祭りに上げるため、共に出陣いたしましょう」
「頼純を血祭り……。こ、殺すということか?」
「左様。頼純を除くことが頼芸様の念願だったはず。その時が来たのです」
「う、うむ……いや、いやいや。ちょっと待って。頼純をこの国から追い出せとは言ったが、
頼芸が
「わ……儂は出陣などしとうない! ましてや、お……甥殺しの罪を犯すのは嫌じゃ! 和議を結んで一年足らずで何の過失も犯していない頼純を謀殺などしてみろ。儂は美濃の民たちの信望を失い、天道に見放されてしまう! や……やりたいのなら、お前一人でやれ!」
「ハハハハ。勝手なことを仰らないでください。俺とあなたは一蓮托生。俺だけが主家筋の者を殺した極悪人と
土岐家の嫡流である頼純を殺せば、利政の悪名が美濃国内でさらに増すのは避けられない。
もしも利政単独で頼純殺しを実行した場合、人々の心はただの
そのような可能性を潰すために、利政は、頼芸を強引な手段を使ってでも頼純討伐に同行させるつもりだった。
頼純討伐軍の総大将は守護・土岐頼芸であり、守護代の利政はあくまでもその命令を実行したに過ぎない……。
そういうことにしてしまえば、甥殺しの汚名を頼芸も着てしまい、美濃国内の悪評が利政と頼芸に分散される。上手く情報を操作すれば、頼芸だけを悪者にすることも可能だろう。
かくのごとき腹黒い算段があり、利政は主君である頼芸を戦場へ引きずり出そうとしていたのである。
「喜平次。あらかじめ命じていた通り、城や城下町の各出入り口に手練れの忍びたちを配置しておいたか」
「はい、手はずは整っておりまする。小見の方様や頼純に同情的な
喜平次が、落馬した時に打ってヒリヒリと痛む鼻をおさえながら、そう答える。利政はその報告を聞くと、満足げに「よし……」と呟いた。
「者共、出陣じゃ! 明日の昼頃には、頼純はこの俺を見舞うためにのこのこと居城を出て、長良川を渡河するだろう。我らは人目につかぬ夜の内に川の南岸近くに潜み、奴が川を渡った直後を狙って襲いかかる! 失敗は許されんぞ!」
利政は声を張り上げ、将兵たちを鼓舞する。
知らぬ間に、あれだけしつこかった咳がおさまっていた。美濃の蝮にとって戦の高揚感こそが、最高の良薬なのだろう。
※次回の更新は、12月15日(日)午後8時台の予定です。
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