最初槍の勇者

 少し時間をさかのぼる。


 御宿みしゅく虎七郎とらしちろうが、千秋せんしゅう季忠すえただ池田いけだ恒興つねおき佐久間さくま信盛のぶもりらを圧倒的な強さで軽くあしらっていた頃。

 北への退路を塞ぐ野盗たち(こちらは本物の野盗)と戦っていた内藤ないとう勝介しょうすけの先鋒隊は、思いもかけない援軍によって助けられていた。


「織田造酒丞さけのじょう信房のぶふさ、参上ッ。内藤殿、遅くなって申し訳ない。助けに参ったぞ」


「おお、最初槍はなやりの勇者! 信秀様が援軍を送ってくださったのか!」


 北の方角から現れた造酒丞の騎馬隊は、うまけむりを立てて突撃し、野盗集団を容赦なくもみくちゃにした。

 いきなり背後から襲われた野盗たちは、もともと寄せ集めのごろつきどもだったこともあり、あっと言う間に戦意を失って大混乱に陥った。さらに、援軍の到着によって元気づいた勝介隊にも猛攻を加えられた。


「これはいかん。命あっての物種よ。逃げろ、逃げろ」


 仲間の大半を討ち取られた野盗たちは、算を乱して逃げて行った。


 兵たちが勢いづいて追撃しようとしたが、勝介は「待て、追っても無駄だ。草深いこの地形で身を隠されたら、容易に見つけられぬ。それよりも、信長様をお救いするのが先だ」と叱り、押しとどめた。


「内藤殿。信長様の救援は拙者に任せてくれ。貴殿の兵たちは連戦続きで疲れているだろう」


「そういうわけにはいかぬ。俺は信長様の家老なのだ。たとえ両手両足が使い物にならないほどボロボロになっても、俺は這ってでも信長様の危機に駆けつけねばならぬ」


「相変わらずの熱血漢だな、貴殿は。……ならば、拙者の騎兵の後に続いてくれ。賊どもを蹴散らしつつ、信長様の元へ駆けつけよう」


「おう。だが、油断はするなよ。信長様の部隊を襲っている奴らは野盗の姿をしているが、恐らくその正体はどこかの武士の一党だ。さっきの賊どもとは、大人と赤子ほどの力量の差がある」


「フン……賊兵何するものぞ。敵が何者であろうが、正体を隠して襲撃するような卑怯者など、その実力はたかが知れている。拙者に任せておけ」


 造酒丞はそう言うと、敵味方入り乱れて戦っている狭隘の道を騎馬で疾走しだした。


「どけ、どけーい! 敵も味方も、我に道を譲れッ! ぼうっと突っ立っていたら、馬で蹴り殺すぞッ!」


 造酒丞は馬上で槍をブンブンと器用に振り回し、行く手を遮る者たちに対して威嚇をした。馬で蹴り殺すというのは本気らしく、風をぶっちぎって神速果敢に突き進む。信長の元へとたどり着くまで、いっさい立ち止まる気はなかった。


 進軍を開始したら、目的地まで、人も馬も血を吐いて倒れるぎりぎりの全速力で前進する。そして、初撃で敵に甚大な被害を与える。――これこそが、最初槍はなやりの勇者の捨て身戦法である。仲間の武将の誰も真似をしようとしない、非常に危険な戦い方だった。


「う、うわっ⁉ に……逃げろ!」


 野盗に扮した虎七郎の部下たちだけでなく、織田兵も慌てふためき、戦闘を中断して左右に散開する。紙一重で間に合い、造酒丞の騎馬隊がズドドドと大地を震撼させて通り過ぎて行った。


 織田兵たちが安堵のため息をついた後、さっきまで刃を交えていた敵たちの姿を探すと、なんとことごとくが口から血を流してたおれていた。造酒丞と麾下の騎馬武者たちが、電光石火の速さで通過したほんの一瞬の間に、虎七郎の部下たちを槍で突き殺していたのである。


「これぞまさしく、神業だな……。やれやれ。血の気が多いこの俺でも、さすがにあんな乱暴な戦い方はできんぞ」


 勝介は苦笑しつつ、敵を一掃しながら爆走する造酒丞の騎馬隊の後をついて行くのであった。




            *   *   *




 造酒丞は、敵を蹴散らしつつ驀進ばくしんを続ける。


 やがて、敵の頭目らしき長身痩躯の男と対峙している信長を発見した。敵の頭目は、今にも信長に斬りかかろうとしている。


(これは、間に合わぬ)


 造酒丞はそう直感すると、迷わずに槍を力いっぱいぶん投げていた。


 敵の頭目――虎七郎は造酒丞の殺気に気づいたのか、野生の獣のごとき俊敏さで飛び下がる。投擲した槍は、虎七郎の鼻先を傷つけただけであった。


(なるほど。あの身のこなし、本当にただの賊ではないようだな。……ならば、これでどうだ!)


 馬腹を蹴り、速度が緩みつつあった愛馬に活を入れる。そして、そのまま虎七郎に体当たりを喰らわせようとした。


 ここで余談だが――武士もののふたちは古来より、太くたくましい肉体を持った荒馬こそが名馬だと考えていたようである。

 鎌倉時代ごろの話になるが、馬術の名人である乗り手を二十数度も振り落とす馬や、十二人もの武者たちが綱で引っ張ってようやく制御できる馬など、ほとんど悍馬かんばと言っていい馬たちこそが戦場で活躍する馬だとされてきた。そして、そんな荒々しい馬を乗りこなせる者こそが真の勇士だったのである。


 だから、造酒丞も、人を三人ほど蹴り殺したことがある気性の激しい馬を好んで騎乗している。主人に腹を蹴られた造酒丞の馬は、「てめぇ、疲れているのに何しやがる!」と言わんばかりに怒り狂って猛然と突っ走った。この悍馬に蹴られたら、一瞬であの世行きだろう。


 だが、これもまた、虎七郎はすれすれで何とか回避した。恐るべき身体能力だ、と造酒丞は感心した。


「さっきから邪魔ばかりしおって……。何者だ、おぬしは」


 虎七郎が怒気をはらんだ声で造酒丞に問う。


 造酒丞は荒れ狂っている愛馬を巧妙な馬術で大人しくさせ、自分が投げた槍を拾うために下馬した。


「拙者は、織田家中において最初槍はなやりの造酒丞と呼ばれている者だ。我が殿の命により、嫡男の信長様の救援に参った。痴れ者どもよ、我が槍の餌食とならぬうちに降参するがいい」


最初槍はなやりの造酒丞……。織田造酒丞信房か」


 虎七郎はそう呟き、思わぬ難敵の出現に眉をしかめた。


 織田造酒丞といえば、数多の戦場で一番槍の軍功を上げたことによって「最初槍はなやりの勇者」と渾名あだなされている尾張国きっての勇将である。

 鍛え抜かれた少数の精鋭兵しかついて来られないような捨て身の戦い方ばかりするため、主君の信秀はせいぜい百五十人程度の部隊しか造酒丞に与えていないそうだが、臣下の身でありながら織田姓を名乗ることを許されている。

 彼の祖父の岸蔵坊も「無双の勇士」として勇名を馳せていたらしいが、造酒丞はその偉大な祖父をも超える一騎当千の武者であるともっぱらの評判だった。その武名は、遠く駿河国にまで伝わっていた。


「……立ちはだかる敵が何者であれ、俺は俺の目的を果たさねばならぬ。最初槍はなやりの勇者よ、俺の邪魔をするのならば、おぬしにはここで死んでもらうぞ」


「笑止。賊ごときが、我が忠義の槍に勝てるものか。信長様には指一本触れさせぬ」


 造酒丞は、鳳凰ほうおうの眼のごとくまなじりの深い両眼を細め、槍を右前に構えた。ここまで来る間にたくさんの敵の血を吸ったため、槍の穂先は赤く血塗られて輝いている。


(そんな槍、真っ二つに叩き切ってやるわッ!)


 虎七郎は臆することなく最初槍はなやりの勇者の懐へと飛び込み、槍の柄を切ろうとした。長物の武器を持った敵と戦う時の虎七郎の常套手段である。


「でりゃぁ!」


 白刃一閃。しかし、虎七郎の刀が切り裂いたのは、何もないくうだった。


 虎七郎の思惑を歴戦の武者の感で瞬時に察した造酒丞は、虎七郎が飛ぶと同時に、素早く後ろに飛び下がっていたのである。そして、着地した直後には反撃の体勢を整えていた。


 攻撃が不発に終わってわずかに体勢が崩れかけていた虎七郎の胴体めがけて、強烈な槍の一突きが飛ぶ。虎七郎は舌打ちをしながら、それを何とかかわした。


「まだまだぁ!」


 初撃が避けられることは予測済みだったらしい。造酒丞は攻撃の手を休めず、槍をブーンとしならせ、虎七郎の刀を豪快に叩き落とした。


「お、おのれ……!」


 慌てた虎七郎はバッと横に飛び、近くで斃れていた織田兵の遺体から刀を奪い取る。だが、次の瞬間には、槍の刃が今度は右足に飛んで来た。刀を拾うことに気を取られていた虎七郎はかわしきれず、足に浅からぬ傷を負ってしまった。


「さっきから飛んだり跳ねたり、踊っている場合ではないぞ。少しは反撃をしてみろッ」


「ぐ、ぐぬぬぅ……。最初槍はなやりの勇者という異名は伊達ではないということか……」


 造酒丞は、目まぐるしい槍さばきで、虎七郎をどんどん追いつめていった。


 その神速の槍は、まるで凶暴な蛇が飛びかかって喰らいつくように、敵の頭目の肩や腕、足を傷つけていく。


 戦いを見守っている信長の目には、次々と繰り出される造酒丞の槍が同時に八本あるように見え、変幻自在の槍筋は完全に予測不能だった。八つの首を巧みに動かす八岐大蛇やまたのおろちのようだ、と信長は息を呑んだ。


「お前の仲間は、我が部隊と内藤殿の部隊があらかた片づけた。そろそろ降参して、ばくにつけ。お前がどこの家に仕える武士か、尋問させてもらうぞ」


「な……何だと?」


 造酒丞の言葉に驚いた虎七郎が周囲を見回すと、いつの間にか虎七郎の部下たちの多くが勝介隊と造酒丞隊によって討たれ、夕暮れにむくろをさらしていた。


 しかも、造酒丞との戦いに気を取られている間に、自分が完全に包囲されていることにも気づいた。


 千秋せんしゅう季忠すえただ池田いけだ恒興つねおき佐久間さくま信盛のぶもり、そして虎若とらわから足軽たちが、白刃を煌めかせて虎七郎の背後に立っていたのである。


「や、やい! よくも私のぷるんぷるんのお尻を傷つけてくれたな! 痛い目にあう前にとっとと降参しろ! さもないと、この佐久間信盛様が叩き斬るぞ!」


 圧倒的に有利な状況のためか、信盛が珍しく強気に出て虎七郎を罵った。だが、斬られた尻が痛いのか、内股で下半身はプルプルと震えている。


「チッ……。こうなってしまっては万事休すか。やむを得ぬ、逃げさせてもらう」


 虎七郎はそう呟くと、一番弱そうな信盛めがけて猛然と駆けだした。造酒丞にやられた右足に激痛が走るが、ここで立ち止まったら死あるのみである。うわぁぁぁ、と雄叫びを上げ、刀を大きく振り上げた。


「ひ、ひいぃぃぃ‼」


「あっ! 馬鹿、逃がすな!」


 信長がそう叫んだが、もう遅い。敵の威嚇に怯えて硬直してしまった信盛は、虎七郎に突き飛ばされ、ズデーンとずっこけた。虎七郎はその勢いのまま鬱蒼と生い茂る草地へと飛び込み、


最初槍はなやりの勇者よ、覚えておれ!」


 捨て台詞だけを残して夕闇に行方をくらましてしまったのである。


「追え、追え! 絶対に捕えろ!」


 信長に怒鳴られて季忠たちはしばらく周辺を捜索したが、もう遠くへと逃げたのだろう。恐るべき剣術遣いの姿は見つからなかった。


 賊の手下たちも、虎七郎が逃げたのを見ると、まだ生き残っていた者たちは散り散りに逃げ、捕まりかかった者は自ら首を刎ねて死んだ。


「ただの野盗が、捕縛されそうになって自害するはずがない。やはり、どこぞの武家の回し者でしょう」


 賊の掃討を終えた後、勝介が信長にそう報告した。


 デアルカと呟くと、信長は敵の頭目が姿をくらました草むらの方角をじっと睨み、しばらくの間難しい顔をしていた。


(あの男は、俺の兵を大勢殺した。次に会ったら、必ず報復してやる)








<7月の投稿について>

前にも書きましたが、7~8月は児童小説賞応募用の新作を執筆するため、いつもより投稿できるエピソードが減る予定です。

7月は毎週日曜日に1~2エピソードずつ投稿予定。7月中に「尾張青雲編三章 乱世の下の青春」が終了し、8月は児童小説執筆に全力傾注するために連載お休み。9月から新章の執筆を始めたいと思います(ただ、9月締め切りの児童小説賞が他にあるので、そこにも応募することになったら連載再開が遅れるかも……(^_^;))


いや、実は角川つばさ文庫に応募するための小説がまだ1行も書けていない! 執筆開始すらできていない状況……! がんばれ、アキラ! 締め切りは待ってくれないぞ!!


というわけで、角川つばさ文庫小説賞7度目の挑戦! 連載がスタートしたら、ぜひぜひ読んでください!!(ジャンピング土下座)


ちなみに、昨年の角川つばさ文庫小説賞の応募作の『オレは殿さま!』(https://kakuyomu.jp/works/1177354054886370889)と『彼女(?)はトップシークレット!』(https://kakuyomu.jp/works/1177354054886513829)もよろしく!!


『オレは殿さま!』は、アキラの地元の三重県に実在した殿様が主人公だったり……( ̄▽ ̄)

この作品の執筆のために昨年のひと夏を費やしたと言ってもいい大作(自画自賛)です! 商業作家のS氏からも☆3を頂戴したので、面白さは保証付き♡ まだ読んでいない人はぜひご覧あれ!!m(__)m

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