十四歳の初出陣

 懐かしい姉との再会で気持ちがほぐれた信長は、平手ひらて政秀まさひでら諸将の前で三献さんこんの儀にのぞんだ。


 三献の儀とは、出陣前の縁起かつぎである。この儀式で用意されるのは、


 打鮑うちあわび(アワビを打ち延ばして干したもの)

 勝栗かちぐり(干し栗)

 干昆布(干した昆布)


 である。


 大将はまず打鮑を食して、酒を飲む。次に勝栗を食べ、また酒。最後に干昆布も食い、三献目の酒をグイッと飲み干す。


「敵を打って、勝って、喜ぶ!」


 という縁起かつぎだった。駄洒落である。

 駄洒落好きの信長は、三献の儀を執り行っている間、心の中で何度も(敵を打って、勝って、喜ぶ……。うぷぷっ……。よろこんぶ……)と笑いのツボにはまってしまい、危うく口に含んだ酒を噴き出しそうになってしまった。だが、諸将の士気を上げるための儀式でそんなふざけたことはできないと思い、必死に堪えた。


「お……遅れて申し訳ありませぬぅ~! 佐久間さくま信盛のぶもり、ただいま参上いたしましたぁ~! はひぃ~、はひぃ~!」


 無事に三献の儀が終わっていざ出陣せんと信長たちが腰を浮かせかけたちょうどその時、屋敷内に慌ただしい声が響き渡った。

 何事かと諸将が驚いていると、尾張の有力豪族・佐久間一族の若武者である佐久間半羽介はばのすけ信盛が転げるように駆けこんで来た。


「遅いッ。いったい何をしておったのだ、牛助(佐久間信盛の幼名)。そなたはいくつになっても牛みたいにとろいから困る。もっとしっかりせい!」


 内藤ないとう勝介しょうすけがそう怒鳴ると、皆の前でへたれこんでいる信盛はハァハァ喘ぎながらも、


「よ、幼名で呼ぶのはやめてくだされ。私はもう二十歳の大人です。ちょっと出陣の支度に手間取っただけで、そんなに怒らなくてもいいではありませんか」


 などと、上司に逆切れするゆとり世代の新入社員みたいなことを言った。気性の激しい勝介がさらに怒ったのは言うまでもない。


「一人前の大人として扱われたいのなら、出陣の儀式に遅刻をするな! どうせ朝寝坊をして、慌てて飯をかきこんでやって来たのであろう!」


「えっ、なぜ分かったのです⁉」


「頬に米粒がついておるわ、このたわけがッ!」


 勝介は、血管が千切れるほど激怒して喚き、軍扇で床を乱暴に叩いた。信盛は慌てて頬の米粒をつまみ、「うっかりしてた……」と呟きながら食べる。


(何だ、こいつ……。やる気あるのか?)


 初陣で気負い込んでいる信長は、あまりにも呑気すぎる信盛という男を見て、こいつは俺の直臣にはいらないな……と心の中で呟いていた。

 普段は悪戯やたちの悪い冗談を言うこともある信長だが、本質的には生真面目な性格なので、公私の切り替えが上手くできないだらけた人間は大嫌いなのである。


(父上は「怠け者以外は使い道がある」と言っていたが、こいつはどこをどう見ても怠け者だ。俺が家督を継いだ際、柴田しばた勝家かついえのような真っ直ぐで誠実な男は欲しいが、この佐久間信盛という奴は他の兄弟の家来にくれてやろう)


 そう心に決める信長であった。




            *   *   *




 ついに、信長は精鋭の軍隊を率いて出陣した。


 一番家老のはやし秀貞ひでさだは、今回は留守居の役を信秀に言い渡されている。

 初陣の信長の後見役をつとめているのは、二番家老の平手政秀である。四番家老の内藤勝介は、織田家きっての斬り込み隊長として、軍の前備まえぞなえを率いていた。


 池田いけだ恒興つねおきは本人が信長と共に初陣を飾ることを強く希望していたが、十二歳ではまだ早いだろうと政秀たちに判断され、那古野城に残るように言い渡された。地団駄を踏んで悔しがった恒興の代わりに、側近くで信長を守っているのは、少年時代からの学友の一人である山口やまぐち教吉のりよし鳴海なるみ城主・山口教継のりつぐの子)である。


 信長がいる中央の隊列――本備えには、他にも、武闘派神職の千秋せんしゅう季忠すえただなど若武者たちが美々しい甲冑を身にまとって従軍している。その中には佐久間信盛も混ざっていたが、流行遅れの古臭い甲冑と二十歳とは思えない老け顔のせいで、一人だけかなり浮いていた。


「フン……。皆は世継ぎである信長の大事な初陣だと思っているようだが、この俺もいちおう初陣なのだがな。しょせん、本家の嫡男と分家の子では扱いが違うというわけか。……いや、そもそもこの俺に人徳というものが欠けているからか」


 後ろのほうの隊列には、従兄弟の織田信清のぶきよ(信長の姉・お里の夫)もいた。

 妻のお里は「どうか無理をして手柄を立てようとはせず、一つの怪我もすることなくご無事でお戻りくださいませ」と言って送り出してくれたが、織田家の重臣たちからは何一つ声をかけられていない。

 気難しくて粗暴な性格の信清に近寄りたがらない者が多いことは知っているが、これでは織田一族の人間としてあまりにも惨めである。いずれは信秀や信長から離反して独立勢力を築こうと企んでいるというのに、このような人望の無さでは先行きが不安だ……などと信清は暗澹たる気持ちにとらわれていた。




「平手のじい。大浜の領主が岡崎城に出向いているという情報を、父上はいったいどうやって入手したのだ?」


 那古野城を出立してしばらくしてから、信長は疑問に思っていたことを政秀にたずねた。政秀は、それは何でもないことだ、とばかりにこう答えた。


「信秀様は、西三河に攻め込む前に、あらかじめ各城に内通者を作っておりました。大浜の長田おさだ重元しげもとが留守であるという情報も、大浜領内の内通者からもたらされたものでござる」


「なるほど。事前に敵国に工作をしておいて、敵の内情がこちらに筒抜けになるようにしたのだな」


「左様。何の工作もせずにいきなり敵地に攻め込むのは、下の下の策です。内応工作こそがいくさの基本。戦う前に勝てる状況を作っておくのです。

 ……っと、急に行軍が止まりましたな。前方で何かあったのでしょうか」


「勝介の怒鳴り声が聞こえる。何者かが我が軍の行く手を遮ったようだ。行ってみよう」


 信長はそう言うや否や、馬の尻に鞭を当てた。驚いた政秀が「あっ、いけませぬ、信長様!」と言いながら追いかける。護衛役の山口教継と千秋季忠も慌てて後を追った。


 隊列の先頭に行ってみると、勝介が一人の若い農夫を叱りつけていた。この男が軍隊の行軍を邪魔したらしい。


(む? あの農夫、隻眼せきがんのようだな。戦で左目を失ったのか?)


 どうやら、ただの農夫ではないようだ。好奇心旺盛な信長は、


「おい、その男は何だ。勝介の知り合いか?」


 と、勝介に問うていた。




            *   *   *




「あっ、信長様。お騒がせして申し訳ありませぬ。この不埒な百姓が、急に木陰から飛び出して我が軍の行進を止めたため、叱りつけていたところです。……成敗いたしましょうか?」


「や、やめてくれよぉ、内藤様ぁ! 俺ですよ、俺、俺! 三年前の美濃攻めで内藤様の部隊に従軍していた足軽の虎若とらわかですってば!」


 浅黒い肌のニキビ顔の男――虎若は、甲斐なまりで必死にそう訴えた。どうやら、甲斐国から欠落かけおちしてきた百姓らしい。


「虎若……? そんな奴、いたような、いなかったような……?」


 勝介はすぐには思い出せず、首をひねる。

 麾下の兵たちに情け深く、誰がどこの村の出身かなどもよく覚えているこの男でも、他国から脱走してきた雇われ兵の名前までいちいち記憶にとどめていられるわけがなかった。


「猿顔の弥右衛門やえもんという人と行動を共にしていて、美濃軍の伏兵に襲われ、重傷を負っちまったんです。弥右衛門さんは味方に敵の存在を知らせるために鉄放をぶっ放した後、死んじまって……。

 俺は命からがらその場から逃げたのですが、傷がひどくて、美濃兵に襲われないようにしばらく隠れていました。」


「何だ、弥右衛門の知り合いであったか。あいつには可哀想なことをしてしまった……。

 しかし、三年も姿を消していて今さら戻って来たのか。別に尾張の民ではないのだから、よその国の足軽になってもよかっただろうに」


「へ、へへへ……。お小夜っていう遊び女に拾われて、しばらくそいつに養われていたんですが、今年の初めにあっさり捨てられちまいましてね。体も元気になったことだし、金払いのいい織田様の下でもう一度足軽稼業を始めようかと思いまして……」


「ふぅん、そうか。だが、不採用だ」


「え? ええーっ⁉ そんな殺生な……」


 虎若が今にも泣き出しそうな声で叫ぶと、勝介は「当たり前ではないか」と言った。


「身元がハッキリとしている尾張の百姓ならともかく、出陣直後にひょっこりと現れた他国の民を信長様の部隊に飛び入り参加させられるか。物凄く怪しいし、不自然だ。敵が放った間者やも知れぬ」


「ま、前もほとんど飛び入り同然で足軽部隊に加わったのに……」


「前は前、今は今。織田家の嫡男たる信長様の初陣にもしものことがあったら、我ら重臣はそろって切腹せねばならぬ」


 万が一にも、武家の世継ぎの初陣が惨憺たる負け戦になどなってしまったら、「あの世継ぎでは、次期当主として頼りないのでは?」という声が出てくる可能性もある。信長の初陣は、無難に、なるべく本格的な戦闘を避け、大過なく終わらせる必要があった。部隊に飛び入り参加したいなどと言う異郷出身の足軽が行軍中に現れても、敵の間者である可能性もあるため、気軽に「じゃあ、隊列に加われ」と言えるはずがなかったのである。


「……おい、お前。その首にかけている袋は何だ?」


 虎若がガックリと肩を落としていると、馬上の信長が声をかけた。虎若の首には、ボロボロな衣服には似合わない美麗な守り袋がかかっていたのである。しかも、よく見ると、織田家の家紋である五つ木瓜紋もっこうもんが刺繍されていた。


「え? これですか? 今朝、熱田神宮近くの街道脇で眠りこけていたら、空からこの袋が降って来て、俺の頭に当たったんです。中身を見ると護符と火打石ひうちいしが入っていて、何だか縁起がよさそうだったので持ち歩いていました」


「守り袋に火打石ですと⁉ おおー、日本武尊やまとたけるのみことの伝説ですな! 日本武尊ゆかりの我が神宮でそんなものが空から落ちてくるとは、確かに縁起がいい!」


 熱田神宮の大宮司だいぐうじである千秋季忠が、興奮ぎみに声を張り上げてそう喜ぶ。そばにいた山口教継は、季忠の無駄に大きい声に眉をひそめて片耳を塞いだが、季忠はそんなことは気にもせず大声で続ける。


「信長様! これぞ神の思し召し! こたびの戦は勝ったも同然です! おお、日本武尊よ! 我らを守り給えッ!」


「うん、分かった。うるさいから黙れ。あと、暑苦しいから顔を寄せるな」


 信長はピシャリと言って熱血神官を黙らせると、「虎若とやら」と隻眼の足軽にもう一度声をかけた。


「その守り袋には、我が織田家の家紋が刺繍されている。恐らく、熱田の神々がそなたを通して俺に贈ってくださった守り袋なのだろう。それを譲ってくれたら、俺の軍に加えてやってもいいぞ」


「えっ⁉ いいのですか⁉ 譲ります、譲ります!」


 虎若は愛嬌のある笑顔で大喜びして、守り袋を信長にあっさりと差し出した。守り袋など持っていてもお腹は膨れないので、当然の判断である。


「よろしいのですか、信長様?」


 心配して勝介がたずねると、信長は守り袋を懐に入れながらニッと笑った。


「兵たちも、さっきの我らのやり取りを見ているからな。熱田神宮の神々からの贈り物である守り袋を俺に届けに来た男を軍隊に加えたら、兵の士気も上がるだろう」


「あっ、なるほど……。そこまでお考えでしたか」


 大将たちが三献の儀などで縁起をかつぎたがるように、兵たちも出陣時に幸先のよいことが起きると士気が上がるものだ。信長は、まだ若年だというのに、そんな兵たちの心理をよく理解しているようである。


(ふぅ~む……。あの守り袋、どこかで見たような?)


 平手政秀は、女人が掛守かけまもりとして使っていそうな華麗な刺繍の錦布を見つめ、しきりに首をひねっていた。

 もしかして、あれは春の方様の物では……と思ったが、春の方様の大事なお守りが空から降って来るはずがない。季忠が言うように、これは戦の前の吉兆なのだろうか……?


「さあ、出発だ。いざ、三河へ」


 信長が号令を下すと、行軍が再び開始された。虎若は嬉々として凛々しい若殿様の後に付き従っていく。



 そんな信長軍の様子を少し離れた小高い丘から見下ろしている、編み笠を被った怪しげな男たちがいた。


「……織田信長が出陣したようだな」


 男たちの頭目らしき長身痩躯の侍が、ぼそりと呟く。

 傍らにいた部下が「すでに、岡崎城の長田重元には忍びを遣わして危機を知らせています。貴殿の領地・大浜が、内通者の手引きによって、織田軍に襲われようとしていると――」と駿河訛りで報告した。


 長身痩躯の侍は、獰猛な犬のような鋭い眼で信長軍を睨みつつ、静かに頷く。


「それでよい。長田重元は、急ぎ自らの領地に帰還して信長を迎え撃とうとするであろう。大浜領内の織田軍への内通者はすでに我らが始末した。この事態を、信長軍は知ることはできない。……全ては、寿桂尼じゅけいに様のご計画通りだ」







<作中における現時点(1547年)での信長軍編成>

信長軍が結成され、新キャラもちょくちょく出て来たので、初陣の信長に付き従っている武将たちをここでまとめておきたいと思います。

ただし、史実における信長の初陣で従軍していた武将たちは平手政秀以外は分かっていないので、あくまで「この物語における1547年時点での信長軍」と思ってください。(佐久間信盛などが信長に仕え始めた正確な時期は不明です)



〇総大将


・織田信長

14歳。将来性S。作中でお姉ちゃん子なのは、作者がお姉ちゃん大好き人間(ただし一人っ子)だからである。そして、信長の姉たち(とお里)に出番が多いのも、作者がお姉ちゃん大好き人間(ただし一人っ子)だからである。



〇家老たち


・林秀貞

35歳。一番家老だが、今回はお留守番(史実で何をしていたかは不明)。

本人は頼りないが、家中最大の派閥を率いる林家の当主なので人脈S。


・平手政秀

56歳。二番家老。平手の爺。信長の初陣において後見役をつとめる。

部下にしたい有能なおっさんランキングで20年連続1位(尾張の織田信秀さん調べ)。


・内藤勝介

年齢不詳。作中ではだいたい40代ぐらいの設定。四番家老。

KOEIのゲーム風に言うと、武力は90超えしているはず。スキル「突撃」で敵を蹴散らすぜ!(ただし本人は高確率で負傷する!)



〇若武者たち


・織田信清

年齢不詳。作中では信長とほぼ同年代。お嫁さんが清楚系の姉キャラとか殺すぞてめぇ!

離反する気満々。RPGのゲーム風に言うと、パーティーからの離脱イベントが必ずあるので、貴重な武器は持たせてはいけません。


・佐久間信盛

20歳。突然前触れもなく登場した織田家有名武将。ゆとり脳S。

後年のことだが、家来たちが自分の指示に従わなくてブチ切れお説教をしていた信長に対して、泣きながら「でも、僕たちめっちゃ有能な家臣じゃん!」と逆切れしたというエピソードがあるので、あまり空気が読めない人だったのかも知れない。


・池田恒興

12歳。幼馴染属性S。おかんが大殿とアーン♡な関係と知って、ちょっと複雑な心境。今回はまだ年少という理由でお留守番……?


・山口教吉

年齢不詳。作中では信長よりも数歳年上ぐらい。

太田牛一著の『信長公記』(一般に流布している陽明本のテキスト)によると、「信長が19歳の時に、教吉は20歳」とある。しかし、微妙に内容が異なる天理本テキストの『信長公記』には「信長が19歳の時に、教吉は23歳」となっている。結局よくわからんらんなので、年齢は曖昧なままにしておく。

お人好し度S。史実では信長の側近だったという記録はないのだが、今後の物語の盛り上がりのためにオリジナル設定を加えた。


・千秋季忠

14歳。神官のくせして回復系スキルが使えない、武闘派神職。熱血&暑苦しさS。

でも、頭を使って海賊を懐柔したりしているらしいので、(ゲーム風に言うと)知力は70台ぐらいあったのかも……?



〇その他


・虎若

生きとったんかいわれーッ! ていうか読者のみなさん覚えてる?(^_^;)

20代前半の脱走農民。もちろん物語のオリジナルキャラ。NHK人形劇三国志で言うところの、紳々と竜々みたいな狂言回しにしたいと思って生み出された。

そういうキャラクターの立場上、殺しても死なない。生命力S。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る