第3話 嘘つき

『嘘つき』

 

わたしは、まんまと騙された。 

彼と出会って三年半。付き合って二年。今まで、彼は私に嘘をついたことが無かった。女の私は嘘を見破るのも得意だと思っていた。特に一番近い距離にいる、翔吾しょうごに対しては。

でも、騙されてしまった。"灯台下暗し"ってやつだ......。

向日葵ひまわりは、うつむき加減でとぼとぼと、まるで、親猫を見失った子猫が、路頭に迷い雑踏の中で、親猫を探しながら、空腹を満たすための餌を探し求め歩くように、見るからに、落ち込んでいるのがすぐに分かる歩き方だった。


「だから、俺はそういうの興味ないから。分かってくれよ。」

「だから、去年は我慢したじゃん!今年は一緒に祝ってくれてもいいんじゃん!」


翔吾と向日葵はもめていた。それは、向日葵の誕生日を、一緒にお祝いするかしないかで、もめていたのだ。

そもそも、翔吾と付き合う前から知っていたことだが、翔吾はイベント、祝い事、記念日に一切、関心も興味も無かった。

恋人たちには大切なイベントと言ってもいい"クリスマス"。翔吾にとっては、小学校三年生の時に、親が隠していたプレゼントを発見してしまい"サンタクロースなんていないんだ"と子供にとっては結構ショッキングな出来事以来、クリスマスには全く関心が無くなった。それは、大人になり、恋人たちのクリスマスという事に対しても、"どれだけイベントがあれば気が済むんだ"と思うくらい、まったく興味が無かった。

誕生日に関しても、他人ひとの誕生日はもちろん、自分の誕生日にも全く興味がなく、ひどい年は、自分の誕生日の二日後に、自分が一歳、歳をとったと気が付いたくらいだ。翔吾からしてみれば、なぜ、産まれてからしばらく経っても、毎年毎年、自分の誕生日を祝わなければならないのかを、小学生の時から考えていて、反抗期を迎えた中学時代に、親にキレながら、

「誕生日だからって、なぜ、毎年バカみたいに祝うんだ?もう、止めてくれねえかな。」

と言い放って以来、誕生日を祝うという行為を一切してこなかった。

翔吾には、向日葵と付き合うまでに、過去に、二人ほど交際した女性が居たが、クリスマスも誕生日も、そして、バレンタインも例外なく、興味を示さず淡々と毎日を送る翔吾に嫌気がさして、翔吾は二回とも、彼女の方から別れを告げられていた。

まさしく、向日葵も被害にあっていた。

去年までは、そういうイベント事に全く関心が無かった、翔吾の気持ちを尊重し、

"これも、彼の個性"

と自分に言い聞かせていたが、向日葵も本音はさみしかった。

さみしさにふたをして、閉じ込めていたが、もはや、蓋をガンガン音を立てながら叩かれ、例えるならば、ブラスバンドの演奏が佳境を迎え、スネアドラム、バスドラム、ティンバニ、マリンバ、シンバルといった打楽器が一斉に激しく音を奏で始め、ひときわ大きなゴング(銅鑼)が、今か今かと、叩くタイミングを伺っているような、まさに向日葵の我慢も限界に近づいていた。


向日葵からしてみれば、誕生日も祝ってくれず、逆に翔吾の誕生日を祝う事も拒絶され、クリスマスも去年は、街をただ単に歩いて、ファミレスで食事をしただけ。

プレゼントの交換などは、のような話だった。

バレンタインだって、義理も含め、唯一の手作りチョコだった。

向日葵なりに気合を入れて作り、ラッピングまで他の義理たちとは一線を画するラッピングで渡したのに、"腹が減った"とおもむろにラッピングを破り、ボリボリと向日葵の目の前で食べ始め、

「うん。旨いよ。」

この一言で終わりだった。


なぜ......。なんで、こんな男と向日葵は付き合ってしまったのか......。


理由はふたつ。

まず一つは、翔吾はイケメンだった。しかも、相当なイケメンで、キレのある二重に程よくやさしく垂れた目、すっと一本の筋が通るような少しだけ高めの鼻、余計な物はすべて、削り取られかのような、シュッと尖った顎で、女性も羨むような小顔。そして、決してくど過ぎず、淡白過ぎず、爽やかという表現がしっくりくるような、いわゆるする、かなり端正な面持ちだった。身長も180センチと高く、体型もすらっと細マッチョな体系で、スーツも見事なくらいの着こなしで、正直モテる。今まで、向日葵を含め交際した女性は3人。

年齢も27で、もっと多くても良さそうだが、ルックスの割に少な目だった。

なぜか、それが2つ目の理由でもあるのだが、

翔吾は"美容師"だった。いわゆるカリスマ美容師の一人で、技量もトークも申し分ない。指名の予約も常に入っていて、中々指名の出来ないほどの人気美容師だった。モテる条件はすべて満たしているのに、三人しか付き合った女性が居ないのは、翔吾の性格の問題ではなく。彼は多忙だった。

高校卒業と同時に美容師の卵として入社して約十年。淡白過ぎるプライベートとは真逆に、仕事に対しては一切の妥協を許さず、新人時代、誰よりも早く店に来て、少しでも早く一人前になる為に時間を惜しんで愚直に勉強した。閉店後のトレーニングも誰よりも遅くまでとことんやり、技術指導係の先輩美容師ばかりか、店のオーナーにまで「もう、今日はいいんじゃない。」と言わせた、唯一の人物だった。

その姿勢は、"カリスマ"と呼ばれるようになった、今現在でも変わることなく、プライベートそっちのけで、技術向上の為のトレーニングに没頭している。

そんな、翔吾と向日葵が知り合うきっかけになったのは、美容雑誌のライターを務めている向日葵が、翔吾を取材したのがきっかけだった。

美容師という仕事への何処までも誠実な姿勢と、自分を指名してくれるお客への半端ない感謝の姿勢。

向日葵はどんどん翔吾の魅力に魅了され、気が付けば

仕事に全力なうえ多忙の身、これだけプライベートが淡白なものになっても仕方がないし、覚悟の上で、告白したはずなのに......。


心は正直で、強いようで、でも脆弱さと隣り合わせで。

誰もが陥る、恋の落とし穴である。好きになって、どうしようもないほど好きになってしまうと、心に"○○でもいい"という『覚悟』という名の『麻酔』がかかってしまう。麻酔がかかってしまえば、当然、なんだって魔法のように乗り越えてしまう。

しかし、麻酔はあくまでも麻酔。麻酔が醒めてしまう時が訪れるのだ。

男女問わず例外なく。大切なのは、本当の恋というのはそこからが始まりであり、そこをどう乗り越えるかが、実は恋愛の醍醐味である。

簡単に諦めていては、恋に成長はなく、恋は恋で終わるのだ。

つまり、本当の意味のという事にはならないのだ。


向日葵もまさしく麻酔が醒め、翔吾がかまってくれない寂しさに打ちひしがれていた。翔吾の忙しさ、プライベートは淡白。

分かってる。分かってるよ。分かってる!


"でも、私の誕生日くらい祝ってくれたっていいじゃん!!"


最近はさらに会う機会も減り、LINEも減り、電話に関しては皆無で、増えた事といえば、翔吾のハンドクリームの使用量だけ。美容師は何かと手先が大事な割に、ブリーチや、パーマ液などの劇薬を扱うために、手が荒れやすい。翔吾がハンドクリームを使用するのは日常の事であったが、最近は、美容師のコンテストが近く開催される為、練習量が増え、それに伴いハンドクリームの使用量も増えていたのだ。

「ふん、増えたのは、ハンドクリームだけ。」

そう呟くと、自然と向日葵の目に涙が浮かんできた。

"私、翔吾の何なのかな...もう、別れようかな......。"

覚悟を決めて、翔吾と付き合い始めたのに、麻酔が醒めた反動は、確実に向日葵の心に、"寂しさと孤独感"を根付かせ始めていた。


さみしい気持ちのまま、向日葵は家についた。

部屋の鍵を開け、部屋に入った。

まるで、今の向日葵の心境を物語るかのように、冷たく"バタン"と音を立て無感情な扉が閉まり、明かりもつけていない部屋は、外からの街灯の光が少し差し込む程度で、そのな暗さが、向日葵のさみしい心にさらに拍車をかけた。

堪らなくなった向日葵は


「今日は、私の誕生日なんだよおっ!一緒に祝ってくれてもいいじゃんっ!!」


叫んでいた。自然に心の声が出てしまっていた。そして、浮かぶ程度でこらえていた涙が、向日葵には止める事が出来なくなった。

明かりも点けず、しばらくその場にしゃがみ込み泣いていた。

その姿は、小さな子供の向日葵に戻ってしまったかのような、「うわーあ」と声を上げ、これまで我慢してきたものが、どうしようもないほど溢れ出し、親だったら我が子を抱きしめずにはいられないような、悲壮漂う可哀そうすぎる痛々しい姿だった。

それから、三、四分思いのたけ泣き、少し落ち着いた向日葵は、明かりを点け、靴を脱ぎ、重い足取りで部屋に入った。

しーんと静まりかえる室内は、いつもは、全く気にならない静けさで、むしろ家に帰って来た安心感に満たされ、1日の中でも最も落ち着く時間の筈なのに、今日は寂しさばかりが募り、虚しさも感じ始め、彼氏が居るのになんで、私は誕生日も一緒に喜んで貰えないのかと、思考は降下の一途だった。

手を洗い、着替えを済ませ、とりあえず、水を飲もうと向日葵は冷蔵庫を開けた。

生まれてきてくれてありがとう

それは、突然向日葵の目に、矢のごとく飛び込んで来た。あまりに、突然すぎて、向日葵はもう一度落ち着いて、その一文にアンダーラインを引くように、読み返した。

『生まれて来てくれてありがとう』

その貼り紙に大きく書かれていた。紛れもない翔吾からのメッセージだった。

向日葵は、何度もその一文を読み返した。

今まで、誰にも、親にすら言われた記憶がない。『生まれてきてくれてありがとう』

そして、その奥には、可愛くゴージャスな小さな箱があった。翔吾の務める美容院の近くにあるピエール・エルメのケーキだった。感極まって立ち尽くす向日葵。その時、まるで頃合いを見計らったように、翔吾から長文のLINEが届いた。


"一緒に祝えなくてごめん。コンテストが終わったら、一緒にお祝いさせてほしい。

今日は、これしかしてあげられないけど......向日葵が生まれてきてくれたから、僕は向日葵に出会えた。我慢ばかりさせてごめん。いつもありがとう。"


翔吾は誕生日に興味がない事に変わりは無かったが、向日葵の事が大好きだった。

自分の性格の問題で、これまで泣かせてきた人達の事も翔吾の頭の中にはあった。


今まで生きてきた中で、一番好きになった向日葵。

自分の意見、考えをいつも笑顔で聞き入れてくれた向日葵。

仕事で会う時間が削られても、いつも笑顔で応援してくれる向日葵。

"向日葵の心から喜ぶ顔がみたい"


翔吾は自分が少しづつ変わるきっかけを求めた。それが、向日葵の誕生日だった。

翔吾は合鍵を使って、こっそりと向日葵の部屋を訪れていたのだった。

翔吾のお店は青山。向日葵の家までは一時間近くかかる。翔吾はオーナーに断りをいれ、昼休みを長めにとり、昼食もとらず向日葵の部屋を訪れ、一言メッセージとケーキだけ置いて、今の自分が出来る精一杯の"プレゼント"を向日葵に残したのだった。

向日葵は震え、肩を上下にゆらし、先程よりも多くの涙を流し、むせび泣き出した。

翔吾の不器用で、でも、向日葵にとっては翔吾と付き合って以来初めての、あまりにも嬉しいサプライズだった。


「ずるいよ......ずるいよ翔吾。もっと好きになちゃうじゃん......。」

向日葵の"別れようかな"という想いは何処かに吹き飛び、大雨だった心は、急激に晴れはじめ、翔吾と向日葵の恋がに進化を遂げ、交際二年で恋愛の一歩を踏み出した。


『嘘つき』

翔吾の嘘を見破れなかった。でも、見破れなくてよかった。



恋が恋愛に進化をとげるのに、大事なのはスピードではない。早さなど関係ない。

いかに恋を噛みしめ、恋を楽しみ、苦しくても乗り越えるすべを身につけ、二人の信頼関係を育むか。それが大切だとは思いませんか?今、麻酔から醒めて苦しんでいるあなたも、試されてるだけだと思いますよ。落ち込むのはいいと思います。でも、焦らないで。

成長する恋を。

恋愛を。

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