4.変質

「失せなさい」

凛と張った声が見積巌を消し去り、その背後に具現化しかけていた男、アールラボ主任研究者、空名木嵐の師、嵐を庇ってジャームと成り果てた故人、土御門つちみかど鉄人かねとをも消し去った。

「姑息よ」

震える声には怒気が混じっていた。消えゆく恩師を見る目は内心を隠さず細められていた。

「嵐…さん?」

梟は呆然と白衣の女を見ていた。ふと我に返る。自分は何を言っていたか。何をしていたか。冷静に振り返る。


「このテの嫌がらせは何度か味わってきた。だから振り切れたんだけどね。この場所、嘘がつけないみたい。逃げたいと思っているものや、嫌なものが現れる」

逃げたいと、恐れるほどに人は無意識にそれを深く刻み込んでしまうから。

「そうしてため込んだ感情は、眠るときに悪夢として処理される」

「ここが夢の中だといいたいんですか?」

「似たようなもんね」

続けて現れた女、“虹の魔女”を嵐は一声で消し去りながら前進する。

「中心にあるのが誰だか何だかわからないけど、そいつをぶん殴って霧を晴らす。じゃなきゃ私の気が晴れない」

「待ってください。千佐希は…眠木さんはどこへ」

「その質問より先にすべき詰問があるでしょ」

にっこりと微笑み、嵐は挑発する。

「私とあなたがどちらも正常?」

「………ああ、そうですね。あなたが本当に嵐さんである保証も、あなたの前にいる僕が見積梟である保証もない、と」

「あいにくなことに合言葉の類は役に立たないわ。もしお互い夢の虚像だとしても、記憶は本物だもの」


「では、お互いが知らないことを話すべきでしょう」

「たとえば?」

「僕は千佐希にキスしました」

嵐がむせた。盛大にむせた。

「もし僕が幻影であるなら、嵐さんが生み出した存在であるなら、そんなこと言わないでしょう。僕は僕だ。見積梟だ」

「げほっげほっ。ああ、そこまでいったのね」

「それから、手をつないだり、一緒に食事したり、約束したりしました」

「順番が違うけどね、うん、OK」

「あなたは本物ですか?」

「さあ」

嵐ははぐらかす。ふざけている、というわけではないのは顔つきでわかった。

「嵐さん、僕は必要とあらばあなたでも攻撃しますよ」

「って言われてもね、私が本物である確信なんて誰にもないのよ」


元アールラボ研究員、造反者、歪んだコンプレックスの塊、オーヴァード―――宿敵、北畠智紀きたばたけとものりを道連れにした嵐の自爆は、ウロボロスである両者の影を癒着させ、漂着した特異点「泥根村どろねむら」でより大きな特異現象を引き起こした。その末に、嵐に癒着した北畠は葬られ、嵐もまた観察処分を受けている。

「眠木支部長のお墨付きで、私の中には別の誰かが混じってる。だから私は、こんな霧の中でなくとも、私は私だと叫べない。私は変わったの」

自嘲を込めて、嵐は、梟が知りえない事実、嵐は本物の嵐である証拠を述べた。

「それに対する腹案があるってんでここにきてるんだけどなー」

「なんとなく察しましたが…僕と千佐希は巻き込まれるいわれはありませんね」

「こっちに気にせず事態収拾にあたればいいわよ。この場所に関しては私より経験あるんだから」

自信持ちなさいよ。

嵐の声が記憶の奥からリフレインする。初見のときからそうだった。鼻持ちならない態度をとりつつも、この人は自身のポテンシャルとの比較ではなく、梟のポテンシャルで絶対評価を下す。見積の後継者でもなく、攻撃能力に疎いオーヴァードでもなく、一人の少女として梟を見た最初の人。

「憧れてたな」

「ん?何が?」

「いえ、なんでも。となれば、こういう場に慣れているであろう支部長より、千佐希を探すべきですね。嵐さんどうやって私を見つけたんですか?」

「知らないわ。歩いたらあなたがいたのよ」

「手掛かりなしですか…」

「ま、適当にふらつけばどっちか見つかるでしょ。この空間が多層構造になってることは想像できるけど、どうやら要所要所で層が交差してるみたいだし、いざとなれば一時離脱してそとに目印でもつけて連絡とれば…」

「いえ、悠長なことは言ってられません」

梟は断固として立った。

「風に潜む古の力秘めたる精霊達よ 魔に汚れし空を払え!」

霧の中に強風のトンネルが生じる。

「私は行きます。後で会いましょう」

「………変わったのはお互い様か。グッドラック」

嵐は霧の中にふらっと立ち消え、梟は澄んだ道を歩みだす。

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KNHT DX3rd @kunihata

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