2.濃霧

「私は仕事できたんじゃないんですけどー?」

両手を白衣のポケットに突っ込み、躓いたら頭から転がっていく危うさで嵐は境内への石段を登る。

「僕もですし、千佐希もそうです」

嵐に答える梟の口調は軽い。元より頼られることに幸福を覚えるなのだ。

「放っておくわけにもいかないでしょう」

梟と千佐希はこの神社に端を発した事件で死にかけ、(片方は実際に死にまくり)、困難を経て距離を縮めた。そういう話であればただのつり橋効果なのではないかと嵐は勘ぐったが、互いの“性”に対する悩み、自信、コンプレックスを踏まえれば今の関係性もそこまで不思議ではないと思えた。梟をここへ派遣したのは霧谷きりたに雄吾ゆうご日本支部長の采配だ。ここまで彼が読んでいたわけではないとおもうが。

そういう背景を鑑みれば、支部長である果子はもとより、梟も千佐希もこの地の異変に敏感になるのは当然である。

「この地にはEXジャームが封印されています。先の事件でもこの封印が解かれたというわけではないのだけれど、警戒するに越したことはありません」

「ふーん」

果子の説明も馬耳東風といった様子で、嵐は石段上で振り返る。この町は短い間に何度もジャームの襲撃を受けた。それが嘘のように、人々は穏やかな平和を享受して日々を営んでいる。

悪夢が現実を侵して街を破壊しても、林檎が時間をループさせて惨劇を繰り返しても、あの燃えるような一夜、"虹の魔女”と対峙した、それよりずっと前からこの町は上っ面で微睡んでいる。それがUGNの働きであり、果子ら現地エージェントの功績であることは疑いようもない。

ゆえに、不平不満を不完全燃焼ガスのように口から吐き出す嵐も、この地への同行を強く拒むことはなかった。腐ってもエージェントの端くれであり、果子らの働きに何も思わぬわけではない。


「………あの、果子サン?」

一番乗りで石段を登り終えた嵐は、冗談だろと眉と口元を歪めて果子を呼んだ。

「これは、一体…?」

続いた千佐希は警戒し、忍ばせてきた銃器をいつでも取り出せるように握る。

「風が、遮られている」

古き風のまじないを用いる梟は、風による干渉を試み、観察する。

「そう、林檎のせいでもなければ、誰かがジャームになって何か企んでるわけでもなく、この地に眠るアイツの仕業でもない何か」

四人は境内一面に広がる濃霧と相まみえた。

「中に入るのは危険だけど、外からじゃあらゆる干渉を跳ね除けてしまう」

つんつんと指を突っ込んでみた嵐は、マジ?と表情で訴える。

「チャフの類と思われます」

梟は冷静に風を読んでいた。風で煽れば霧は散る。木々をなぎ倒すほどの風を吹かせれば、あるいは安全な侵入経路を確保できるかもしれないが、それは最終手段であろう。

「千佐希の銃弾も、中で歪曲して弾かれるか」

「散れ」

嵐は声にレネゲイトを滲ませて命じる。彼女の声はそれ自身が力を持つソラリスのエフェクトであるが、これも霧をわずかに撹拌させるに留まった。

「ど、どうしてこんなことに」

千佐希は身を縮こまらせた。自分が仕出かしてしまったことの後遺症ではないかと己を苛んでいる。梟はそれに即応し、千佐希の手を握る。

「あの林檎は僕と眠木支部長が万全の態勢で封じた。アレが原因ではないよ」

「でも、だとしたら、なんでここで?」

「うだうだ言っててもわからないものはわからないままでしょーね」

嵐は踏み出し、半身を霧へ埋めた。

「先行ってるわ。で、果子さん、私をここに呼んだってことは」

「ええ、あなたの現状を打破するカギがあると、私は考えている」

「心当たりアリってことね、OK」

「嵐さん!?」

千佐希の驚愕をよそに嵐は完全に霧の中へ飲み込まれた。

「―――行こう」

梟は千佐希の手を引き、次いで一歩踏み出す。

「悪い空気ではない、善いものでもないけれど」

梟、手を引かれて千佐希が嵐に続く。

果子は彼らを追って侵入する。


「………似ているのよ、この霧は、あの終わらない悪夢と」

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