第32話【興津川橋梁の決闘】
僕たちは興津川左岸に場所を移していた。
ついさっき、にっこーちゃんの『流し撮り』に関する造詣の深さに感心したのだが、場所を移してみて正直『マズイ』と思った。
「撮りにくいんじゃないの?」率直に思ったことをにっこーちゃんに訊いた。
「かもね」と短くにっこーちゃんが言った。
「だけどそれだけ勝負がつきやすいってことじゃねえのか?」写真部長がカメラのファインダーを覗きながら言っていた。会話は拾われていた。
それはこういうことだ。『流し撮り』は列車の動きに合わせてカメラを振って撮るのだが、列車の動きに合わせるにはシャッターを切るより前に列車をファインダーの中で捉えていなければならない。これが大前提だ。つまり早くから列車が見える視界の広い場所の方がカメラを振る準備を整えやすい。
ここで撮るのはもちろん手前側のレールの上を走る下り列車だ。だが下りはブラインドになる。視界が悪い。見通しが悪い。要するに建物の影から急に列車が飛び出して来る場所だ。タイミングを計るのが難しそうだ。しかも普通のレンズを選択していたら車両の一両も画面に収まらない。広角レンズじゃないと一両入らないんじゃないか? しかしそのレンズの選択は流し撮りのセオリーから外れている。
僕もカメラバッグからカメラを取りだし試しに鉄橋に向けて構えてみる。
こんな場所だと意外に鉄道写真で勝負がつけられるのかもしれない……
ふいに、
「オイ」と声が掛かった。
「カメラみせろ」写真部長が言った。
「なんでです?」と僕は言ったが写真部長は既に勝手にカメラを確認していた。すわっ、機材自慢か、と思ったがそうではなかった。
「おんなじカメラを持ってこられちゃどっちが撮ったか分からなくなるからな」
とことん用心深いヤツのようで。
「じゃあとっとと始めようぜ」写真部長が言った。「分かった」とにっこーちゃんが答えた。
いよいよ鐵道写真部長VS写真部長の、『向日町さんを賭けた決闘』が始まった。
まず一本目の列車。313系だ。カカカカカカッ カカカカカカッと一斉に鳴り響く二台のカメラのシャッター音。列車が鉄橋を渡っていく轟音。
二人とも連写だったな——
やっぱり保険は必要だからそうなるよなあ。しかし二台のカメラが同時に発する連写音には迫力がある。校舎の屋上でも聞いているのにどういうことか。緊張感が違うからか?
にっこーちゃんと写真部長はそれぞれ今さっき撮った画像を液晶画面で確認中——
列車が来てみて初めて分かることがある。この場所がブラインド気味だという点についてはある程度対処できそうだということ。
というのも右手から風に乗り僅かに踏切の警報音が聞こえてくる。下り列車の接近は事前に分かる。準備ができるならこういう場所でもなんとかなりそうだ。
にっこーちゃんと写真部長は二人とも黙り込んでいた。無駄口は一切きかない。
二本目、三本目と下り列車が過ぎていき二人とも黙々と鉄道写真を撮っている。撮った後は二人とも無言で液晶画面を確認している。
不意に嫌な予感がした。写真部長の罠に落ちたんじゃないかという気がしてきた。〝流し撮り〟で勝負するというのは写真部長が言いだしたことだ。昨日の夕方か今日の早朝か、どこかで練習していないか?
いやいやっ、と考え直す。
これは『この一本』、という列車をどちらが上手く撮るかという勝負をしているわけではなく、何本も列車を撮ったうちのたった一枚の写真での勝負だ。これだけ列車を何本も撮ればそれ自体が練習となる。たとえにっこーちゃんが〝流し撮り〟をこれまでやったことがなかったとしても、今日ここで練習さえできればそれなりには撮れるはず。何本も何本も列車を流し撮りし、その撮った全てが失敗ということはあり得ない。
今度は別の不安が頭をもたげてきた。
これでどっちが上手い。どっちが下手とかはっきりと分かるものだろうか?
まして——しかし——
もし勝負がつかなかったら?
カメラ、というかレンズには当然手ブレ補正装置が付いている。今どき手ブレ補正が付いていないのは焦点距離の短い単レンズくらいだ。そしてにっこーちゃんも写真部長も装着しているレンズはズームである。
カメラ、というかレンズのカタログには手ブレ補正装置の働きにより『流し撮りが簡単に決まる』と謳ってある。『流し撮り』の典型的な失敗はシャッターボタンを押し込んだ時に起こる縦ブレだという。だが手ブレ補正を効かせると縦ブレだけをレンズが感知しこれを補正してしまう。
つまり、こうした機材を使う以上縦ブレによる失敗はまずあり得ない。
この勝負『引き分け』の可能性が高いのでは? 引き分けだったらどうなる? どっちの写真も似たような写真になるなら勝負にならない。だけど向日町さんが写真部か鐵道写真部かどちらの『部』に所属するかは決まってしまう。
引き分けにされたら向日町さんは写真部? あるいはどちらの部にも所属できず帰宅部になる? いずれにせよ鐵道写真部に引っ張るという道は無さそうだ。まさか——これを企てていたのか? 写真部長は。
もはやこの場に会話は無くなっている。
カカカカカカッ
カカカカカカッ
轟音と共に鉄橋を渡っていく列車。
ふたりの部長はただ黙々と列車に向かってシャッターを切り続けている。
カカカカカカッ
カカカカカカッ
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