第23話【青春って、楽しく笑ってるだけってことはないっ!】

 線路沿いに走る道路。近頃は背丈を超える高いフェンスで仕切られていることも多いその境界線、しかしここでのそれは赤茶色をした低い鉄製の柵。

 その柵に寄りかかりながらにっこーちゃんは言った。


「青春ってさ、楽しく笑っているだけじゃないと思うんだよね」


 へ? せいしゅん?


 なんと言ってよいか分からずにっこーちゃんの横顔を見る。ふざけて言ってる様子は一切感じない。


 〝青春〟。

 ことばとしては知っていても会話の端に乗せることはまずは無い。つまりそんなことばを音声として聞くことなどあり得ない。だって、口にするのは恥ずかしいから。

 だけどそんなことが〝あり得た〟。それもたった今。


 突然にっこーちゃんはこちらを向いた。

「なんか言ってよ。〝青春〟なんて普通ことばに出さないよ」

「そぉ、そうだよね」

 一応その自覚はあったんだ。

「富士彦くんは嫌なこととか悩んでいることとかあるでしょ?」

 え?

「あ……、ある……ね」

 下手な嘘はつけず思わず言ってしまった。

「だよね」

「ってことはにっこーちゃんも?」

「もちろん」

「けどそういう人をむやみに撮ろうとしない方が……」

「どうして⁉ 青春には蔭がつきものでしょ?」

 かげ、って……

「そういうのを無いことにするの⁉」とさらに問い詰められる。

「いや、無いことにはできないけど……」

「ならそういうものも形にするべきでしょ?」

「それってあの部長に〝リアリズム〟がどうとか言われてたやつ?」

「聞こえてたんだ」

「あっ、いやその、ごめん」

「別に謝ることはないよ、わたしも地獄耳だし。そう。なのにあの写真部の部長さんの撮る写真ときたらどれもこれも同じようなものばっかでまるで作り物……ううん、人の写真がどうこうじゃない。わたしはみんなの本物の表情を撮りたい!」

「向日町さんがそんな表情してたっけ?」

「してたよ! 『鐵道写真部』に懸ける思いを語ってたあの表情は」

 はあっ、とひとつ、にっこーちゃんは溜め息をついた。

「でもカメラを向けたら一瞬で消えちゃった。今ではあの表情はわたしの記憶の中に残っているだけ……」

「いや、普通に誰でもカメラを向けられたら——」

「被写体と撮影者の歳が同じくらいだから撮れる写真があると思ったのになぁ……」


 どうしよう。なんと言えばいいのかもう分からなくなってる。


「富士彦くん」

「はいっ?」

「なんか言って」

「なんて言ったらいいのか……」

 思ってることそのまま口に出してどうする⁉

「だよねー、こんなこと言われてもね」


 はは……は……



「そういえばさ、富士彦くんはどんな写真が撮りたいの?」


 ⁈ ⁉ ⁈ ⁉

 なんてヤバい質問するんだ! 返答次第では思いっきり軽蔑される!

 しかしにっこーちゃんの目は既に僕の目をロックオン。逃げられない。


「えーと、その、写真の上手い人といっしょにというか、近くにいれば、どこが違っているか解るから、だから自分も写真が上手くなるかなー、なんて」

 なんで僕は思ったことをバカ正直に言ってるんだ!

「それは〝技術〟のことだよね? でも〝感性〟だけは人とは同じにはならないと思うけど」


 あちゃー! やっちゃった!


「そう! 今の!」と突然にっこーちゃん!

 はい?

 にっこーちゃんはカメラバッグのロックを外しカメラを取りだしレンズキャップを外し——

「あぁ、間に合わなかった」

「ひょっとして僕を撮ろうとしてた?」

「うん、まさしく〝青春の蔭〟だった」

「……」


「あの、なんとか言って」

「いや……撮りたい写真が分からないってのが〝蔭〟っていうのもなんか微妙というか……」

「どうして⁉ 蔭は蔭だよ」

 なんでこんな話しに?

「蔭なんて本来無い方がいいものだし……」

 ここまで来ると僕はとっさに嘘をついてしまっていたことを自覚していた。ホントはにっこーちゃんが口にしたこと、それを聞いて〝にっこーちゃんになんて思われたか〟ってのが顔に出ちゃったんだ——

「でも蔭も無いなんて薄っぺらくない?」


 !っ


 その、——ことば。

 揺れた。心が揺れた。震えた。心が震えた。

 たぶんにっこーちゃんは気づいていない。自分の顔は見えないけれどにっこーちゃんのひと言に動揺してたこの顔はどんなだったろう。その顔は危うく撮られるところだった。

「——そういうのを撮るのなら、あらかじめカメラをバッグの中から取りだしておいてキャップも外しておいた方がいいかも。あとそれから〝許可〟は撮った後でとればいいんじゃないかな。まったくの他人にやったらトラブルの種だけど部内ならなんとか」と僕の口は喋りだしていた。少し早口だったかも。

「うん、そうする!」

 にっこーちゃんを励ましたつもりも入っていたけどその勢いあふれる返事で急に不安が頭をもたげてくる。

「でも〝鉄道写真〟をすっかり忘れて向日町さんだけをバシャバシャ撮らない方が——」

「そ、そうね」


「——ここぞというワンショットを撮ればいいんだね」とにっこーちゃんは付け足した。


 一応僕は言うべきことは言ったと思う。


「それとさ、富士彦くん——」

 まだなにかあるのか?

「撮りたい写真はこれから見つければいいんじゃない?」


 運命がにっこーちゃんと巡り合わせてくれたことを感謝したい————




 しかし……あまりに順風過ぎる。僕のこれまで、こんな風は吹いたことがない。あまりに順風過ぎて気味が悪くなるほどに。

 何か悪いことでも起こる予兆じゃないのか、漠然とした不安が押し寄せてくる……

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