第10話【『撮り鉄』的良い写真】

「それについてはもう自覚があるから大丈夫。『鉄道写真』についてならもうわたしなりに理解してるから」にっこーちゃんは即答した。


 わたしなり? 理解しているのかどうか少し怪しい。


「理解してても実践が伴うかどうかだから」僕はにっこーちゃんに念を押すように言った。

「本気で鉄道写真を撮ろうとしてるかどうか簡単に見破られるなんてそんなの言いがかりだよ。簡単に蹴散らせるよ。わたし写真の腕にちょっとは覚えがあるんだ」さらに自信たっぷりににっこーちゃんは言った。

「いいや。前に〝『写真』と『鉄道写真』って、撮る人かぶってないような気がする〟って言ってたよね?」

「うっ、突っ込むね、富士彦くんは」と、にっこーちゃん。

「薄々でも気づいているならここは『撮り鉄基準の写真撮るからね』って言って欲しいところだけど」

「要は列車の先頭から一番最後まで一枚の写真に収まるよう撮るってことでしょ? 話しを聞いていたんだから分かってるって!」

「そんな写真、見てないんだけど」

「だけどわたしの撮ったデモ写真も鉄道写真だからね。だって鉄道撮ってるもの」

 にっこーちゃん的に譲れないらしい。決まり事など感性の前ではどこぞ放り出してしまうタイプだ。根っからの写真的自由主義者だな。


 でもあの一枚くらいならともかく『あのデモ写真みたいのばっか』だったら〝国家安康君臣豊楽〟レベルの難癖つけられる。生徒会の方々に『他のも見せて』と言われる可能性はある。あの写真部長なら絶対にそこに目を付け入れ知恵するに決まってる。


「これしか撮ってこないわけないでしょ」とにっこーちゃん。

「でも〝列車の先頭から一番最後まで一枚の写真に収まるように〟ってのは最低限の基本で、それだけで『撮り鉄的良い写真』とは見なされないんだけど」と言うと即座に返ってきた返事が、

「でも写真に『決まった撮り方』があるわけない。写真は本来自由なんだから」と来たもんだ。


 うん、やっぱりにっこーちゃんだ。自由に任せておくと本気で鉄道写真じゃない別種の写真ばかりを量産してしまいそうだ。


「そりゃ写真部的には間違ってはいないと思うけど、それとは別に他の写真、『撮り鉄』っぽく撮ったの? そういうのを押さえてあるかどうかだから。理不尽に聞こえるけど必ずしも『良い写真』が『良い鉄道写真』にはならないよ」

「自分で言っちゃうのもなんだけど、わたしはいつでも本気だよ」


 マトモに答えてくれない……


「ところで今日はカメラは……?」

「持ってきたかったけど、勝手に校内に持ち込むと怒られるから仕方なく……」

「そう」

「なんで訊いたの?」

「いや、カメラの中に写真が残っていたらいろいろ言えたかなって」

「なに富士彦くん、わたしの写真の論評? ずいぶん腕に自信があるみたい」

 ことばだけを聞けばきっついことばだが、顔は怒ってない。むしろ顔に笑み。にっこーちゃんこそよほど自分の腕に自信があるみたいだ。

「そんなわけないでしょ」と謙遜する。事実そんなわけないと思う。僕の写真の腕がたいしたことないと分かってしまったら扱いは軽くなってしまうんだろうか。

「でもそうね。その『良い鉄道写真』とやらってのについて聞いておくのもいいかもね。後学のために。それも富士彦くんが調べたんでしょ?」

「そうだけど」

「じゃあ言ってみて」

「じゃあ言うけど……『良い鉄道写真』とは、定められた決まり事を全てクリアした突っ込みどころのない写真のこと」

「列車を最初から最後まで入れる以上になにがあるっての?」

「それは最低限。他にも細かい決まり事がいろいろある。フリーダムとは対極の写真」

「でも本来感性の赴くまま撮るのが写真でしょ」とにっこーちゃん。自説を曲げないというかまさに何かを言わねば気が済まない性格というか、あの写真部長とやり合っていたあの日と同じノリ。

「普通の写真ならそれでいいけど、ここではあくまで『鉄道写真』だから。取り敢えず最後まで聞いてから——」となだめる。にっこーちゃんと『写真論』で言い合いなんてそんなのしたくもない。にっこーちゃんは微妙に複雑な表情をしながらも引き下がってくれた。

「じゃあ他の〝るーる〟ってのを言ってみて」


 『ルール』と口に出すところに多少の棘を感じる。


「順光は勝利」僕は言った。

「はい?」

「良い鉄道写真とは順光で撮ること」

 〝順光〟とはもちろん、撮影者が太陽を背にしてカメラを構える撮り方である。

「なにそれ? 人物写真や風景写真は逆光の方が逆に良いんだよ」にっこーちゃんからそう戻ってきた。

 〝逆光〟とはもちろん、撮影者が太陽の方を向きカメラを構える撮り方である。

「いや、もちろんシルエットにするとか逆光の鉄道写真もアリっていえばアリなんだけど、普通に撮ろうとすると逆光だと色がよくでないでしょ? 鉄道車両の色をよくだすにはどうしても順光で撮ることになる」

 ついさっきまでは笑っていたのに今のにっこーちゃんはぶすくれた顔をしている。

「でもさ、そんなに順光が良いなら、なんでそれが〝最低限の基本〟になってないの?」

 そういう顔で訊かないで欲しいんだけど……

「それは簡単なことで、列車の走る時刻、あるいは向きによっては順光で撮ることが不可能な場合がある。人物写真じゃないから指示出しで被写体の向きを変え光源の方向を自由にコントロールすることはできない。だから最低限の基本は『列車の最初から最後までを入れて撮る』だけとなる」

「ふーん」

「あの……この話しやめようか……?」

「やめなくていい」

「でも重箱の隅をつつくような感じだし」

「じゃあその〝重箱の隅〟、わたしが当ててみせる」

 そう言ってにっこーちゃんは少しだけ考え————

「——どうせ背景なんでしょ? 見通しのいいすっきりした場所じゃないとダメとか?」

「背景については良ければこしたことは無いって感じかな。都市部しか走らない列車とかあるし。細かいことってのは例えば電気機関車を撮るときに俗に『串パン』ってのを避けるとか、そういう細かいルールのこと」

「なんなの? その『パン』っての? 菓子パンとか食パンとかを串に刺すの?」

「なわけないでしょ」


「——冗談よ。冗談」

 え、じょうだん————? しかしお顔が……



「んー、やっぱりつまらなかった?」と僕から視線を逸らしにっこーちゃんは言った。

「いや、そういうことは……」

「ごめん、せっかく一生懸命調べてくれたのに……」


 なんて言っていいのかわからなくなっている。


「——なんかわたしさ、〝決まり事〟ってのが苦手なんだよね。なににつけても。だからそういう話しになると顔がね、勝手に厳しくなっちゃってるのかもしれないし……だから……」

「……いや、見るのは初めてってわけじゃないし……」

「そうかー」と言ってにっこーちゃんはうなだれた。


「やっぱ、あの時〝そーゆー顔〟だったんだね?」

 それは確実に写真部長とにっこーちゃんがやり合っていたあの時のことだろう。

「まあ……」

「なんかさ、あの写真部には『楽しそうな写真じゃないとダメ』みたいな暗黙のルールみたいのがかなりハッキリあるでしょ? それ以外は認めないっていう。だから別の写真にも価値があるって噛み付いちゃった……」

「……いや、自分のやりたいようにやる——は悪くはないと思うよ」

「ありがと」と言い————にっこーちゃんは僕に視線を合わせ——


「——さっきの、カメラを振ることと関係ある?」と訊いてきた。

 えーと、確かにカメラを振ることを『パンする』という。あっ、そうか『串パン』の話しだった。

「——そうじゃなくて、『パン』ってのは『パンタグラフ』の『パン』」僕は極めて真面目に言うだけだった。

「ぱんたぐらふ?」

「電気機関車が電線から電気を取るためにさ、なんて言ったらいいかな。線路の真上の架線……いや電線の方が解りやすいか、それになんかくっつけて、それで走ってるでしょ? くの字型のやつ」

「あーあーあーあー、あれね。電車にもついてる。分かる分かる」

「それがパンタグラフ。でさ、電線があるってことはそれを支える架線柱……いや、電柱があるよね。線路沿いにずっと等間隔で並んでる」

「電柱とパンタグラフと何の関係があるの?」

「写真撮った時パンタグラフの向こう側に電柱があるのはダメらしい」

「……」

「パンタグラフに電柱が串のように刺さってるように写るから俗に『串パン』」

「……電柱が手前にあるなら邪魔だからってことになるけど向こう側なんでしょ? それ、誰が決めたの?」

「分からなかった」

「なんか、変よね。その『串パン』とかいう写真にならないように撮ったら電柱の影はどうなるの?」

「鋭い」

「当たり前でしょ。ものに光が当たれば当然影はできるのよ」

「それを俗に『影落ち』というらしい」

「また『俗に』?」

「だってそう言うらしいんだから」

「それで串パンと影落ちはどっちが優先するの?」

「当然列車の前面に影が落ちるのはアウトってことで」

「だよね」

「なんか『串パン』って割とどうでもよくない?」

「まあ撮った本人の自己満足なのかもしれない。だけどネットにupする場合、『自称・鉄道写真評論家』からのツッコミが入る場合がある。他人の撮った写真にケチをつける方向の〝呟き〟を何度か見た」

「ああ〜、そういうことか。どの分野の写真でもそういうのわりといるよね」とにっこーちゃん。


「あの、さらにもう少しあるんだけど……」

「まだあるの?」

「そういう感じで尚かつ珍しい被写体を撮らないと『価値ある鉄道写真』とは見なされない……」

「……」


 たぶん生まれて初めて撮った鉄道写真があの全紙大の写真で、ああいう写真が好みならいわゆる『撮り鉄』には向かない性格だ。



「なんか熱が無くなってきた?」

「そう見える?」

「そう」

「まさか、無くなるわけないでしょ。ああっ、でもだけど鉄道写真ってなんかすっごい窮屈」

「けどそれ言っちゃうともう一つの写真部を作るため嘘も方便で『鉄道写真を撮ることにした』っていう空気が見えちゃうけど」

「そうなんだよね」

「『そうなんだよね』なんて言って、企みを読まれたら確実に失敗するよ」

「だって」

「だっても何もない。そういう熱の無さってどういうわけか伝わっちゃうんだよ、他の人には。申請者その人に熱を感じられないんじゃ許可なんて下りるわけがない」

「芝居をしろっての?」

「できれば」

「う〜ん。芝居かぁ……」

 その声調子にも覇気が無い。にっこーちゃんには芝居などできそうにない。ネガティブな話しをしたせいで嫌になっちゃったんだろうか? しかしこれが『鉄道写真』なんだ。『自由に撮っていい』だなんてテキトーな嘘はつけない。


 さて、さっきから僕はずっと撮り鉄の代弁者と化しているかのようだ。なぜ僕は心情的に『撮り鉄側』に立っているのだろうな? 鉄道写真は趣味じゃないのにな。


 僕は自分が調べた鉄道写真話をひたすらにっこーちゃんにしてきた。ここは実は重要じゃない。僕が話しをしてにっこーちゃんがことばを返してくれる。ここが重要!


 にっこーちゃんが何か言うたびにその表情がくるくると変わる。警戒心が強ければ表情は固いままのはず。

 そして『冗談』なんだ。

 何より僕に冗談を言ってくれた! おもしろいとかつまらんとか二の次! それが『串にパン』。

 生まれて初めて女子に冗談を言われた。だけどその冗談に対しもうちょっと上手い返し方はなかったものか……

 それでも、でも確信した。会話時間なんだ。もはや誰かから聞いた受け売りじゃない。自分のこの経験からそう言える! 会話時間は長ければ長いほどいい。そして距離は縮まっていくんだ。

 確実に言えるのは鉄道写真部立ち上げが失敗した場合、僕とにっこーちゃんの会話の接点などそこで切れてしまうということ。


 そんなの嫌だ。


 そうならないためには『鉄道写真』についてポジティブなことを語らなければならない。それもにっこーちゃん好みのチョイスを。

 何のためにあの日々、ネット漬けになってひたすら『鉄道写真』を調べたのか! なにか語れるネタがあるはずだと記憶を丸ごとひっくり返し頭の中を家捜しする————

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