第2話【叛旗を翻す】
僕たちふたりは渡り廊下のところまでやって来ていた。
実に妙な具合だ。僕は中学時代『早く宿題出してよね』とか、女子とは極めて事務的な会話しかしていない。そんな調子であっという間に中学時代が過ぎ去って行った。そんな調子だから高校時代も似たようなものになるのだろうと半ば諦観していたが、今日だけは例外な一日であるらしい。
ただ、傍目からは実に妙に見えるだろう。
なんで男子と女子がふたりして首からカメラをぶら下げて渡り廊下の所に立っているものか。
「写真部入る?」
単刀直入、そうその女子に訊かれた。
「入ろう、と思えば入れる……とは思う」
入った後どんな目に遭うか知れたものじゃないけど……
「で、入るの?」
なんだか目が険しいような。顔だけは整いすぎるくらい整っているがちょっとだけキツイかな——
「入っても嫌がらせをされるだろうな、だからたぶん入らない」それを言った直後、
「わたしも入らない」とこの女子も即行言い切った。なんとなく同調してくれたとかそんなんじゃない。最初からそう言ってやるつもりだったと決めていた風だ。
「でも写真部、入りたいんだよね?」僕は念を押すかのように逆に訊いた。
「そう。だけど入らない。雰囲気悪そうだから」
「じゃあ帰宅部になるってこと?」
「それも嫌」
「じゃあどうするの?」
「ね、もう一つ、わたし達で写真部造らない?」
同じ部活を同じ学校にもうひとつ?
「そんなことができるとは思えない」
「なんで?」
「野球部だってだってサッカー部だって一つしかないじゃないか」
「そおかな? この高校には無いけど野球部には硬式と軟式がある。この高校のサッカー部には男子のサッカー部とは別に女子サッカー部がある」
「女子写真部?」
「そんなの造ったらあなたはどうなるの?」
そんなんだったらお呼びでないのは明らかだ。しかし『どうなるの?』ってことは……
「でもどうして?」僕は訊くしかない。
「どうしてって、なに?」
「なんでその……僕の心配というか……新しい部活を、その……なんで僕といっしょに?」
「あなたもあの写真部に合わなさそうだから」
「なんで分かるの?」
「わたし、あなたとあの部長さんとのやり取りの一部始終を聞いてたから」
「聞いてたの⁉」
「いや、正確には聞いてたじゃなくて聞こえたきた、かな? とにかく知っちゃったの。だから、あの写真部が合わないという点でわたしと同じじゃないかな、と思って」
聞かれてたのかぁ。みっともない……
「それよりわたしと協力する? しない?」
その女子は核心的なことを核心的に訊いてきた。あまりにストレートに。
じっ、と目を見つめられる。
これはチャンスだ。チャンスであることが明確になった。なんだか分からないけど僕は女子に誘われてしまった。女子と一緒になにかをする。女子と協力してふたりでなにかをやる。そう、協力したかった。そんなことできないと思っていたのに。答えはもう決まってる——
「やるだけやってみる」
「そう来なくっちゃ!」
その女子は満面の笑みを浮かべ僕の目を見ていた。初めて笑顔を見た。笑顔を見てしまうとまたすぐに人の印象など変わるものだ。第一印象は微修正だ。キツイかもしれないけどキツイばかりじゃない。いいじゃないか。芯が強そうで優しそうで。
「わたしは〝みやはら・ひかり〟、よろしくね」
そう言ってその〝みやはら〟さんは右手を出してきた。
握手?
反射的にその右手を握る。そして〝みやはら〟さんは握り合った右手を上下に振る。
やっぱり握手で間違いなかった。なんだろ、女子の手を握っているというのにこの妙に醒めた感情は。『ビジネスライク』ということばが頭に浮かんできた。
「ちょっと生徒手帳貸してくれる?」
また〝みやはら〟さんが妙なことを言う。言われるがまま自分の生徒手帳を渡す。〝みやはら〟さんは僕に渡された生徒手帳を開くといかにも女子が持つようなカワイイ感じの水性ボールペンを取り出し僕の手帳のページ上を滑らせていく。
そして何かを書き終わるとそれを渡された。すぐに目を落とす。
そこには『宮原 日光』とあった。
これで『みやはら・ひかり』と読ませるらしい。
「〝にっこう〟ね……」
思わず口の端に乗せてしまった。頭の中に東照宮が浮かんでいたのは間違いない。
「じゃあわたしのことは『にっこうちゃん』と呼ぶことにしてね」
「『みやはらさん』じゃなくていいの?」
「それは写真部をもう一つ造るのに失敗しちゃったらそう呼んで」
なんだか微妙に駆け引きされているような気がする。
「じゃああなたもこれに書いてね」
そう言われ、宮原さん、じゃない、にっこーちゃんの生徒手帳と水性ボールペンを手渡された。
そこに書いた。
『一年四組 品川 富士彦』と書いた。
クラスまで書いたのはささやかな自己アッピールってやつだ。ちなみに、にっこーちゃんはクラスまでは書いてくれてはいない。むろん名前の読みには捻りも何もない。そのまんま『しながわ・ふじひこ』と読ませる。それを渡す。
「あっ、わたしクラスまでは書いてない。もう一度貸して」とにっこーちゃんに生徒手帳をせがまれる。
にっこーちゃんは僕の生徒手帳を受け取りながら、
「『しながわ・ふじひこ』くんでいいんだよね?」と訊いてきた。
「そうだけど」
「じゃあ〝ふじひこくん〟でいいよね?」
超展開と言っていい。
高校入学直後、いきなり女子、それも並以上の女子と互いを名前で呼び合う仲となった。むろん並だろうと並以下だろうとこれまでにそんなことは起こったことは無い。しかしこれには『なにかウラがある』とも思ってしまうのが悲しいところ。
「でも、どうして『部活動』にこだわるの?」
「学校の中にカメラを持ち込むには写真部に籍を置かないといけないから」
「持ち込んで何を撮るの?」
「人間生徒」
「むやみやたらに人にカメラを向けると今の時代うるさいんじゃないかな」
「許可くらいは事前にとるから」
つまり写真というのはやっぱりコミュ力がどうしても必要になるわけか……
「なんか疑ってない? だいたいこんなカメラみたいなカメラでさりげなく人が撮れるわけないでしょ」そう言ってにっこーちゃんは自分のカメラをひょいと片手で持ち上げた。
N社のD三桁、しかも下二桁はゼロゼロ——いかにも〝カメラですっ〟というカメラだ。今さらながらに気づいたがバッテリーグリップまで装着し異様に底厚のカメラになってる。これ、重そうだよな。けっこう腕力があるのかな。
にっこーちゃんは続けて喋っていた。
「むしろ無許可での撮影ならスマホの方に分があるでしょ。盗撮とかよくスマホを使ってない? スマホにカメラが付いているのにそっちの方は誰でも学校に持ち込めてるのに写真部に籍を置かないとカメラは持ち込めないのよ!」
「つまり、ルポ的な何かを撮りたいってこと?」
「そう、さすが富士彦くんね。例えばどこかの部活に一年密着して撮るとか」
いったいどこの部活が許可を出すのだろうか? とは言え写真部に籍を置いていたら交渉次第で、つまりコミュ力次……………第でなんとかなりそうだが、僕には辛い。
しかし、待てよ……
「さっそくわたしが〝企画〟を考えて生徒会に持ち込むから明日の放課後この渡り廊下でね」そう言ってにっこーちゃんは小走りで駆けていってしまった。
そして一人になった。ついさっきある疑問がぷかっと浮かんできた。
あの『にっこーちゃん』という女子にはコミュ力があるだろう。なぜなら僕になど平然と話しかけてこられるからだ。
あのコミュ力ならどこかの部活と個別契約してしまうかもしれない。例えばマネージャーの肩書きでどこかの部活に入り込み、活動記録と称してカメラを持ち込んでしまえるかもしれない。もしそれが可能だったら、写真部じゃなくてもカメラを学校に持ち込める〝ウラ道〟があったら、僕など要らないではないか……
そう頭に思い浮かんだらいてもたってもいられなくなっていた。職員室に向かって身体が動き出していた。
職員室に突入する。これまでの僕にしてはあり得ない行動。誰に訊こうか、写真部の顧問か。いや、生活指導部長の肩書きを持つ教師のところに行っていた。
「なぜ学校にカメラを持ってきてはダメかだって?」
その教師は『呆れた』という表情をしながら僕の顔を眺め回していた。
「持ってきたかったら写真部に入部すればいい」期待しない答えをさらに追加で返してきた。
「部活とか関係なくて個人的に持ってきてはいけない理由です。例えばその……『盗撮防止』のためだとか」
「カメラならスマートフォンに付いている。本気で盗撮防止云々するならスマホは持ち込み禁止にしてる」
「じゃあカメラを持ってきて良いってことになりませんか?」
「品川君とかいったか」
「はい」
「何でカメラなど学校に持って来たいか知らないが、もしそれが盗難したら誰の責任になる?」
「あ……」
「つまりはそういうことだ。学校は勉強するところでカメラを持ち込むところではない」
理由は簡単で高価なカメラを持ち込まれて盗難事件でも起こったらコトだから持ち込むなという学校の規則だった。極めてマトモな理由だった。
「分かりました」
「ならいい」
これで目的は達した。要するにカメラを公然と校内に持ち込むには写真部という部活に籍を置いていなくてはダメだということ。
これでにっこーちゃんがどこかの部活に入ってルポ的に写真を撮りまくるという可能性が消えた。
ホッとする。
なんか良いことが始まりそうな感じの高校生活のスタートだ————が、冷静になって考えてみると普通の生徒ならまずしないであろう極めて不穏なことをやろうとしている。
同じ部活をもうひとつ、同じ学校に造るなんていったいどの学校が許可するというんだろうか?
こんなこと口に出して要求するだけでどう思われることか。
〝反旗を翻す〟という行為を僕らはやろうとしている————
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