第14話 幾度目かの死と見えなかったリアル

 身を痙攣させるようにして目覚めた。心臓が早鐘のように打ち、震える体は冷えている。忙しく視線を動かし調度品を確かめた。枕元に置いた紙を震える声で読み上げる。


 「ここは日本。自分は暁 璃衣夜。この世界の璃衣夜は生きている」


 そろりと毛布を捲って自身の足を覗き込む。ごくりと唾を呑んで手を伸ばした。慎重に右足をなぞる。何度も何度も。いまいち触っている実感が得られず璃衣夜はベッドから降りて、転んだ。派手に床を転がり、それでも鈍い感覚に怯えた顔して右足を荷物のように引きずって部屋を出る。


 「っ」


 居間に向かう途中で足が縺れて、その場にしゃがみ込んだ。床についた指先が赤い。身を抱きしめた時に爪が食い込んでいたらしい。見れば上腕数か所が爪の形に出血していた。璃衣夜は途方に暮れた。ひたすら寒いだけで、痛みを感じない自身が心許ない。目覚めた時に五体を確認する意図で露出個所を多めにしているのが裏目に出た。


 「璃衣夜さん? 血が!」


 顔を覗かせた凪が声をあげて、足早に距離を詰めた。明らかに様子のおかしい璃衣夜を支えてソファーに座らせ、救急箱を取りに行く。近寄れば膝がうっすら赤くなっていて凪が目を覚ました音は転んだ音かと合点した。

 

 「湿布、貼ります?」


 そっと患部を確かめるべく足に触れ、その冷たさに驚く。顔をあげてもっと驚いた。璃衣夜は目を見開いてぽろぽろ涙を零していた。こんなに無造作に女性の足に触ってはいけなかったかと慌てふためいて離れようとしたパジャマの裾がギュッと掴まれてつんのめる。とさっと璃衣夜の頭が胸に当たった。冷たい。


 「……璃衣夜さん?」

 「ごめん、寒、くて。凪の手、あったかいね」

 「璃衣夜さんが冷え過ぎているだけだと思いますよ?」

 「そっか。そっか……どうしよう、止まらない……」


 微かに口角が上がった。そこで漸く泣いていることに気が付くも涙はあとからあとから零れて両手で目を覆っても止まる気配もない。

 凪はとりあえず1度離れ、毛布をとってきて璃衣夜を包んだ。温かい飲み物でも作ろうかと、それとも傍にいた方が良いのか悩む。実は1度も彼女がいたことのない凪にとって泣いている女性の扱いは荷が重すぎる。


 ピンポンピンポンピンポン!


 突然玄関チャイムが連打される音が響いてびくりと身を震わせた。午前3時。警戒しながらドアホンを起動させ、凪は目を丸くした。いつぞやの璃衣夜の女友達だ。くせのある短い髪を明るい茶色に染めた猫目が印象的な……今は目を見開いた狐のように目が吊り上がっているが。

 開錠すると勢い良くドアが開け放たれ、凪を押し避けるように室内に飛び込んでいった天月あまつき 柚野ゆのは璃衣夜を見つけて一喝した。


 「なんで電話に出ないのよ‼」

 「あ、ごめん……部屋に、置きっぱなし……。でも、柚野さん、なんでここに?」

 「……痛くて、寒かったでしょ。死ぬのは……キツいでしょ」

 「どうして、それを……」

 「裏サイトに安否確認依頼が出ていたよ」

 「安否確認依頼?」

 「件名、どうか無事でいてくれますように。通り名はリィ、学生に見える外見で細くて白い。テイン居住区トウランにて戦闘。右膝貫通失血死。別の世界で再び繋がる縁を信じている。彼女を見かけたら教えてほしいって。……死んでんじゃ、ないよ……」

「平気、だよ。これが初めてじゃないから」

「バカ‼ ……死ぬのが怖くないわけ、ないでしょ。ずっと、ずっと残るでしょ⁉ 二度と会えない人達がいるでしょう‼」


 凪は『死』の一言に凍り付いた。誰よりも知っている。彼方での死が此方での死を意味することもある。風斗のように。今、彼女はなんと言った? 初めてじゃ、ない……?

 静かに涙を零したまま微笑んだ。まるで、それが当たり前のように。顔を歪めて叫んだ柚野に璃衣夜は片手を差し伸べた。


 「なんで、来るかなぁ……」


 柚野は璃衣夜の腕をぐいと引っ張って立たせると強く抱きしめた。「こんなに冷たくなって」と呻くような声が漏れる。そろりと腕をあげて抱き返した璃衣夜は何かを堪えるように目を閉じた。


 「足の感覚が、わからなくてね、転んだのに、わからないって悪夢だよ。……自分のものじゃないみたいで、全然、うまく、動かせなくて。自分の身体なのに心許ないったらないよ」


 ぼやくように紡がれる震える声に柚野は璃衣夜をしっかりと抱きしめたまま、合いの手を入れるように背を優しく叩いて言葉に耳を傾けた。

 柚野は肉体ごと異世界を渡る能力者だが、璃衣夜のように霊体で異世界に接触してそれぞれの世界で肉体を得るデメリットを理解していた。

 色々な世界で死んでも人間界が無事なら問題がないと思われがちだ。でも、死ねばその世界には2度と接触できない。都合の良いリセットなんかじゃない。何より何度も死ぬ感覚を味わうのはどんな思いか。悪ければ連動して肉体がショック死することもあるし、精神を病んでしまったり、肉体に障害が出ることだってある。とんでもないリスクだ。


 「慣れない、ねぇ……」

 「慣れるわけないでしょ」

 「そうかもしれない、でも、甘やかさないでよ。確かに、今は柚野さんがいる。助かってる。そこは、認める」

 「頼ればいいじゃない」

 「……耐えれるわけがないでしょ」


 不意に冷たく響いた声音に柚野は思わず身を放して璃衣夜の顔を見た。潤んだ目で微笑っていた。なのにその瞳はどこか冷たく全てを拒んでいて身が強張るのを感じる。冷たい手が軽く柚野の胸を押した。


 「異世界を人間界に持ち込んではいけない。日常は異世界で死んでもやってくる。仕事もあるし、生活もある。異世界を優先した時点で私は人間界で生きる権利を失う」

 「それでも同じ世界を知る者同士なら」


 思わず口を挟んだ凪に璃衣夜は感情を爆発させた。


 「近しい人間が何度も異世界で死んで! そのショックに苦しむ姿を見て心を病まずにいられるか⁉ 何かが起きた時に死んでしまうかもしれないと絶えず心配して疲弊しないか⁉ 凪! あんたは風斗の死を知ってそれをリアルに感じてるはずだ。私に執着をするな! 踏み込み過ぎるな! お前は能力者じゃないっ、柚野さんだって、誰だって耐えられるわけがない。特に優しい人間は。自分を案じる人間が壊れるところなんて、見たくない……‼」


 静まり返る空気に居た堪れなくなったように苦い顔をして視線を逸らした。振り切るように部屋に帰ろうとした璃衣夜の腕を柚野が掴んで一緒にソファーに倒れ込むようにして捕らえる。驚いてもがく璃衣夜の首を後ろから腕を回して緩く締めていく。押し殺したような怒りの声に璃衣夜の目が見開かれた。


 「—―嫌になったら殺してやる」

 「柚、野……さ」

 「だから、おとなしく、しろ!」


 璃衣夜の腕が力なく落ちた。叩きつけられた言葉に、予想を超えた柚野の行動に金縛りにあったように動けずにいる凪の前で柚野はそっと腕を外し、ずり落ちる体を引き上げる。顔の前に手を翳し僅かに表情を緩めた。


 「殺すわけないでしょ。落とし技だよ」

 「あ、はい。そうですよね」

 「殺すけどね」

 「え⁉」

 「殺されないように、生きればいいんだ」

 「天月さん……」

 「私、泊まるから。いいでしょ?」

 「あ、どうぞ」


 否といえるわけがない。何も考えられず、半ば呆然と璃衣夜と同じソファーに陣取り始めた柚野を見つめる。璃衣夜を腕に抱き込んで寝転がる。何度か頬を突いて反応がないことを確かめると柚野は目だけを動かして凪を見た。


 「あんたさ、どの程度理解してんの?」

 「え?」

 「能力者のこと」

 「えっと……霊体で異世界に接触して肉体を得、時によって変化を起こしながら干渉する。肉体ごと渡る人もいる。渡る世界は選べないことが多いが、干渉度が高い場所に優先的に落ちる傾向ということは」

 「……死んだら2度とその世界に関われないことは?」

 「知っています。その世界での人生が……終わる。それは……こっちの現実の体や心にも影響する」

 「そう楽しいだけの世界なんてない。……あんた、一緒に暮らして何の救いになってないんじゃないの」

 「!」

 「璃衣夜さんは優しいからさ。そんなことないって言うし、実際そう思っているだろうし。でもね、私は風斗と同じ顔で璃衣夜さんを利用しているように見えるあんたが嫌い」

 「……っ、なんで、貴女にそこまで言われなきゃいけないんですか。僕達は風斗と同じ人を増やしたくなくて」

 「私は璃衣夜さんが好きだから、負担を増やす人間は皆嫌い」


 凪は何も言えなくなって俯いた。女の人が女の人を好きという意味だと伝わるも意外なほど忌避感はなかった。今宵の出来事が衝撃過ぎて麻痺しているだけかもしれないけれど。柚野は璃衣夜の頭を撫ぜながら誰に聞かせるでもなく話し続ける。


 「タイプに限らず彼方此方行っているってことは、その数だけ人生を歩んでいるんだ。やっぱり悩んだり、落ち込んだりしながらさ。璃衣夜さん、可愛いよねぇ……色んな場所で子ども扱いされて凹んでいて。年上とは思えない。でも強い」

 「物静かに、見えるんですけどね」

 「見た目に騙されちゃダメなタイプだね。……霊体って、いわば魂みたいなもんじゃない。たくさんの世界を生きるのってすごく力を使うんじゃないかな。この白過ぎる肌も……供給が間に合わなくて貧血なんじゃないかって。命を削っているような気がしてるんだ」

 「そん、な……」

 「眠ると自動的に異世界に行ってしまうことが多いんだって。眠って異世界、起きて人間界。いつ休むんだって聞きたいよ。死んだショックで疲弊して、異世界を全力で拒んだときにしか眠れないって言った奴もいるよ。璃衣夜さんは、もう少しうまくやっているみたいだけど、本当のところはどうだか。……そういうさ、深いところまで考えてくんないかな。風斗と同じ人を増やしたくないって言うけど、そこに璃衣夜さんも入れてる? 悪いけれどそうは見えないんだ」

 「すいま、せん……部屋に戻ります。ここは好きに使っていいので」


 完全なる逃亡だったが制止はされなかった。部屋の扉を閉めて膝が崩れる。至らなさに気が狂いそうだ。救っている気になっていた。涙すら出ない。自分に腹が立って仕方がなかった。柚野の言葉は正しい。


 「一体、今まで何を見ていたんだ……っっ」


 璃衣夜の吐き出した悲痛な現実。全身全霊でぶつかっていった柚野。足元にも及ばない。自己嫌悪がじわじわと心を苛む。深い悔恨に凪は頭を抱えて目を伏せた。

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