第12話 逆転娼館

 リィはチラリと自分の姿を見やった。うなじで縛った髪、体型を誤魔化すチュニックに、上衣。少年以上に見られないのが切ないが支度はできた。3階建ての店、1階は飲み屋も兼ねている。「ありのまま」という異国語らしいのだがどうしても覚えられない音で、リィは夢幻館と称していた。とても変わっているからだ。

 客は男装した女性。もてなし、奉仕するのは女装した男だ。それも美しく綺麗な男。リィは一夜の慰めというより傷や疲労を癒やす目的で贔屓にしている。その力を持った者がいる。負傷している事実をおおっぴらにしたくない時に重宝していた。

 今宵は度重なる強行で蓄積した霊体の傷を癒やすが為、久しぶりに訪れた。戸を開ければ食事と酒と花の匂いが混ざった匂いがむあっと押し寄せて、華やいだ声が出迎える。


 「いらっしゃいませ」

 「まぁ、久しぶりだこと」

 「シルク! リイヤ様よ!」


 ふわりと強まる花の夜露の香り。後ろから長い指が頬の両側に触れ、仰向けば豊かな金髪が視界を滑り落ちていく。落ち着いた灰緑の瞳。が細められる。地味で嫌いだと“彼女“は言うけれどリィはその落ち着いた色が好きだった。



 「シルク」

 「ご無沙汰でしたね、リイヤ様。もう、髪は縛らない方がお似合いと言いましたのに」

 「好きだろう? シルクは私の髪を解くのが」


 こぼれ落ちそうなほど目を見開き、シルクは頬を染めて笑んだ。そして、髪を結わえる紐を優しく解いて乱れを梳く。


 「えぇ、私の手で更に魅力を増すリイヤ様が大好きです。ほら、やっぱり髪も自由な貴方がいい」

 「指名して大丈夫?」

 「勿論」


 指を絡めシルクは上へ誘う。仲睦まじい様子に声を上げる他の“女性”に手は振らない。シルクが嫉妬するから。この一夜はシルクだけのリイヤだ。『僕』の『彼女』



 知り合いに連れ込まれたが最初はかなり抵抗があった。こういう店に足を踏み入れるのは。男装女装、尚且つ生殖機能をなくした者しかいないと言われても男女が睦み合うのは事実。ここで保障されているのは妊娠しないということだけだ。人前で、ただひとりの前であったとしても肌を見せるのも、まして肌を重ねて眠るなど。

……彼らを否定しているんじゃない。自分が誰かと触れ合うのが怖かったのだ。

 だから頑なに拒み、食事のみをしていた。そんなある日、熱を出して倒れてしまった。乗じて関係を持ってしまおうと近寄る仲間から庇ってくれたのがシルクだった。

 看病で恩を着せることもなく、真摯に何度も「貴方が気になるのだ」と囁く熱意に負けて指名した。シルクは抵抗がなくなるまで辛抱強く寄り添ってくれたから、ゆっくりと身を許すことができたのだ。


 しゅるりと布が滑り落ちる音が耳につく。リィは薄衣をまといベッドの上でシルクを待つ。天蓋付きのベッドは大きく、周囲を囲む布は柔らかく揺れる。外が見えそうで見えない半透明。銀白色の幻想的な秘密の箱庭。

 不思議な心地になる。服を脱げば性別は誤魔化せないのに、あくまで今宵の自分は男で、触れるのは女性なのだ。許可を与えるのはリィで、シルクはそれに従う。男とか、女とかそういった境界が曖昧になって、溶けて、安らぐ。そう、安らぐのだ。性とは何であろう。ここに来るたびに考える。


 「お待たせいたしました、リイヤ様」

 「……緑の薄衣も似合うな、エルフのようだ」

 「そんな気高いものと一緒にしたら罰が当たりますよ」

 「いいや、シルクは気高く美しい」

 「触れても良いですか?」

 「許す」


 たおやかな手が髪に触れ、頬、首筋、肩と動いていき、胸の中央で止まる。恐れるように。やがて痛まし気に目を伏せた。


 「また、こんなに傷が……」

 「ああ、だから、ここに来た。生きるために」

 「リイヤ様……」

 「シルクは私を修復する。まだ私を生かす気はあるか」

 「ええ、もちろん」


 即答だった。霊体に、魂に刻まれた傷に心を痛めていた優しい『女』は、表情を引き締め挑むようにリィと向き合う。そう、この目だ。強く、優しく、揺るぎない灰緑の緑が濃くなったような瞳。惹かれる。『彼女』になら『僕』をくれてやろうと思うのだ。両肩から滑り落とす薄衣。素肌をさらし、傲然と言い放つ。


 「私を抱け、シルク」

 「仰せのままに」


 本当にシルクのようだと思う。すべてを癒すように慎重に、丁寧に触れられ、一切の苦痛がないように触れる所作も、触れ合って初めてぬくもりを溶かし合うような低めの体温も。視界を覆い、体に広がる金糸のような髪すらも滑やかで心地良い。やがて、傷を癒すようにあちらこちらに熱が灯り、その安堵と快楽に意識を失う。そうして目を覚ましたリィが見るのは気遣わしげな優しい灰緑の瞳だ。安心させるように片手を伸ばし、シルクの頬に触れる。


 「おはよう、シルク」

 「おはようございます。お加減は如何です?」

 「いいよ。すごくいい。ねぇ、シルク、一緒にもうひと眠りしよう。君にも休息が必要、だろう? 一緒に眠ればお金も落ちるし、私達も元気で一石二鳥だ」

 「まぁ、リイヤ様ったら」


 うれしそうに笑うシルクの後頭部に手を伸ばし、ぐいっと引き寄せる。さらさらと広がる金の糸を弄んでいつもながら美しいとリィはため息をついた。手首に絡めてみてもすぐに解け滑り落ちる。シルクは髪の毛でさえもリィを拘束するものにならない。


 「どうやったらそんなに綺麗なるんだろうな」

 「貴方のせいですよ。私は貴方が来るのをいつも恋焦がれています。来てくれたらその思いが爆発してこの身を彩るのです。ずっと貴方の心に刻まれたいから」


 客になら誰にでも言うのだろうとは言えなかった。あまりにも真摯な目をしていたから。これが極上の女というんだろうとリィは目を逸らす。不評を買ったかと微かに強張った気配に愛しさが増していく。


 「他の……」

 「え?」

 「他の男に買われるなよ」

 

 大きく見開かれる瞳に笑んだ。本当に悪い『男』だ。なかなか訪れない身でありながら自分だけの『女』でいろと言ってしまったのだから。酷いことを言ったのにシルクの目からは水晶のように煌めく涙が零れ落ちて、初めて見る綺麗な笑顔が咲いた。手を引き寄せられシルクの胸に導かれる。


 「私の心は一生リイヤ様のものです。他の誰にも渡しません。どんなに待ち焦がれてもいい。どんな傷でも抱いてみせます。だから……だから、リイヤ様。絶対に私のもとへ帰ってきてくださいませ」


 それは誓いで、強い強い祈りだった。

 生計を立てるための仕事である限り客はとらないわけにはいかないだろう。それでもひとりだけを愛すると。リィは息をのむ。自分はそれに報いてやれるのか。受け止め切れるのか。迷いを見透かしたように重なる手の力が強まる。


 「……逃げないでください」

 「っ……何も、返してやれないかもしれない」

 「貴方が来てくれるだけでいい」

 「裏切るかもしれない」

 「それでも」

 「どう、して」

 「貴方を、愛してしまったから。会えるのが年1回でも私はその1回のために思い続けていたい。それは……とても、とても、しあわせなのですよ」

 「……バカな、『女』だな。こんな甲斐性なしな『男』に捉まるなんて」

 「ええ」


 包み込むように抱きしめられた。黙って自分の腕の中にいてくださいと雄弁に語る抱き方だった。苦しいくらいの静かに熱い想いを撥ね退けることはできなかった。こんなに強い女見たことがない。悔しいなと口だけで呟き、身を預ける。


 日が高く上がった頃、身支度を整えて店を出る。見送るシルクはいつも少し寂しそうで、それがまた心が痛む原因だと数歩進んでUターンした。


 「何か忘れ物でも? っ」


 背伸びをして、腕を伸ばして引き寄せて少しだけ乱暴に唇を奪う。ちょうど支払いが多過ぎることに気付いて店を出てきた元締めの女が「まぁ!」と口の形で叫び、得心しましたという表情を浮かべる。


 「シルクを宜しく頼む」

 「うちの子を泣かせたら許しませんが、その覚悟があっての言葉ですか?」

 「無論」


 試すように睨みつける元締めにシルクが慌てて割って入ろうとしたが、それよりも早く即答して見返す。暫しの睨み合いの末、ゆっくりと元締めの顔に笑みが浮かんだ。


 「……お早いお戻りを、『旦那様』」


 何とか元締めのお眼鏡に適ったようだ。無事にただの客から、シルクの愛しい『男』に昇格できたことが呼び方でわかる。目を潤ませているシルクに今度こそ手を振って背を向けた。「またもっと綺麗になっていろよ」と言い放って。あの花が咲いたような笑顔で頷いていると確信できるから振り向かない。


 ――不確かでも、世界が違っても、いじらしくもリィを待つ君のもとに『僕』は帰ると決めたから。

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