第11話 忙しい現実世界
「大丈夫、ですか……?」
凪は自分の目の前でテーブルに突っ伏している璃衣夜に声をかけた。ひらりと返事代わりに手が揺れる。それは璃衣夜が職場から帰ってきてからかれこれ30分繰り返されているやり取りだ。ちらりとしか見ていないが目の下の隈が化粧じゃ隠しようもなく浮き上がっていた。疲労が限界に近付くとそうなることは理解している。つまり、これ以上は無理をさせられない。
この疲労困憊には凪も巻き込まれているが異世界を渡ることのない分、あとは単純に体力の差か支障をきたすことは無かった。糸の国と称した異世界はこちらとは時差もあったようだ。それも疲労を深めた原因だろう。
半分以上眠っていると判断した凪はそっとタオルケットを被せた。払い除けられなかったことにホッとする。最初の頃は他人が干渉することに対してずいぶん緊張していた。こういう時に少し縮まった距離を実感する。
「お疲れさまでした」
斜向かいの椅子に腰を下ろし、寝息へと変化していく様子を見守る。改めて大変な1日だった。無自覚の能力者を見つけたと昨夜の19時頃に部屋から飛び出してきた。
「早いところ手を打たないと、帰る場所がなくなってしまうかもしれない。凪、力を貸して」
初めて直接助けを求められた。相手のフルネームと年齢、意識を失う前の記憶、意識を失ったであろう日付手掛かりにコミュニティの医者へ連絡、一般の質問掲示板に原因不明の意識不明をキーワードに一斉検索した。
絞り込んだ情報を受け取った璃衣夜は夜行の交通機関を利用して移動。朝一で病院へ行って本人を確認。ちょうど週休だったということで見舞い客を装い、状況把握。夜に帰ってきてすぐに異世界干渉。無事に戻ったと報告してきたのは明け方。1時間眠ったか眠らないかで出勤。そういう日に限って残業があったらしい。体調が悪いと断って帰ってくればいいのにと凪は思う。でも、そうしないのが彼女だとわかってもいるから結局はため息ひとつ。
璃衣夜が身じろぎして身を起こし、滑り落ちかけたタオルケットを反射的につかまえた。ぼんやりと瞬き2回。
「あー、かけてくれたんだ。ありがとう、凪」
「いいえ、少し顔色が戻りましたね。さっきは真っ白でした」
「そうだろうね。さすがに今回の強行軍はきつかった……私も若くないからねー。疲れた」
「今宵はちゃんと眠れそうですか?」
「寝るよ。じゃないと、明日仕事中に倒れそうだ」
「無理は、しないでください」
「ん、努力はしてる。……寝る。晩ご飯はいらない」
ふらりと璃衣夜は立ち上がった。本当は何か胃に入れたほうが良いんだろうけど1分1秒でも眠りたいという鬼気迫るものがあったので黙って頷いた。数歩進んで、くるりと向き直られて驚く。
「今回のこと、本当にありがとう。凪がいたから、救えた」
深く頭を下げられて慌てる。凪としては自分ができることをしただけだ。風斗を失ったような悲しい思いを増やさないためにという信念を胸に。あたふたとする凪を見て璃衣夜はただ優しく微笑った。
「おやすみ」
「……あ、おやすみ、なさい」
今度こそ璃衣夜は真っ直ぐ部屋に帰っていった。見送っていた凪は姿が見えなくなった途端、顔を伏せた。コミュニティを創って良かった。これからも具体的な案が浮かぶわけではないが多くの救いになれるようにしていきたい。そう思いながら凪は気付いていなかった。大半を璃衣夜の情報に頼っていることに。決して悪いことではないが欠けているものに気付くのはいつだってことが起きてからなのだ。
* *
「つっかれた……」
璃衣夜は自分の部屋に戻って施錠するとそのままベッドに身を投げた。服を着替えるのも、シャワーを浴びるのも何もかもが面倒くさい。意識が遠のきそうになるのを感じて毛布を手繰り寄せて被せる。眠ると体温が下がる。何も掛けていなければ風邪をひく危険がある。どこで生きるにせよ最低限の自己防衛は必要だ。
こんなフル活動はいつぶりか。怠さを紛らわすように緩慢に寝返りをうって仰向けになる。天井の電気が眩しくて視線を逸らした。明るさ調整のリモコンを探すのも億劫とため息をついた。
異世界干渉をすればその分、生命エネルギーは消費されているし、能力を使う世界に行けば感覚も狂いが出るし、力を使えば肉体への馴染みが遅くなる。肉体的には眠っているが、ちゃんとした休息にはならない。だからこそ普段は異世界でも休むようにしたり、肉体に戻ってから馴染む時間が取れるように調整する。けれど、今回はできなかった。沙良が無事に戻れたことに後悔はない。とはいえ、体がしんどいのはまた別問題。明日が来なければいいのに。ずっと眠っていたい。久しぶりにそう思った。
「?」
バイブの振動が意識を浮上させる。手探りでスマートフォンを掴み着信を確認して眉間にしわを寄せた。目を閉じて数秒、深呼吸して口角を上げ、電話に出る。聞き慣れたハスキーボイスが聞こえてきた。職場の上司である。
「はい、暁です」
『あー、暁ちゃん。遅くにごめんねー』
「大丈夫ですよー。何かありました?」
『黒ちゃんが風邪ひいたって連絡が着てね、明日のフォローを探していたの』
「黒ちゃん……ああ、黒峯さん? 夜OKの人少ないでしょう」
『そうなのよー』
「私の明日の予定なら入れる人多い?」
『……交換してもらってもいい?』
「いいですよ」
『助かるわー! ……でも、暁ちゃん、大丈夫?』
「何がです?」
『今日事務所に戻ってきたとき、すごく顔色が悪かったから』
「出番まで思い切り眠るので大丈夫です。ちょっと寝不足だったんです。すいません、心配かけて」
『そう? じゃあ、お願いするわね。しっかり休んで、もし無理なら連絡するのよー?』
「はーい、じゃあ、また明日。お疲れさまでした」
通話を切った瞬間に手からスマートフォンが滑り落ち、表情は僅かに苦痛に歪む。装うのも疲れていれば苦痛なのは道理だが、あのやたら勘のいい上司相手だと余計に気を遣う。勤務の融通を利かせてくれる良い職場なのだけど。
璃衣夜の勤めているのは子ども相手限定のサポート派遣会社だ。保育所、幼稚園、小中学校、高校、社会に出るまでは対象ということでなぜか大学生もサービス範囲に入っている。依頼がないと街の見回り、炊き出しのようなこともする。ただ、ひたすら迷える子ども達の味方であろうという経営方針に賛同して入社して8年。年齢不詳おネエ口調のワイルドイケメンに率いられている社員はのびのびと働いていて居心地も良く璃衣夜は気に入っていた。
出勤が夜になったということはその分休めるが、緊張度は高めの仕事だ。どうしたものかと思案して――
「異世界へ行こう。……凪、異世界で休んでくるね」
聞こえないであろうが律義に璃衣夜は凪に予定変更を宣言した。ちゃんと寝ると言ったが、異世界でしっかり休むへ。中毒になりそうでめったに行かないようにしているが、あるのだ。魂を癒してくれる場所が。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます