第8話 糸の国・2
「話の続き、いいか」
「はい。すいません、こんな泣いてしまって」
「いや、泣くでしょ。目覚めたら異世界ってラノベかって思うよ」
「なんだそのラノベというのは」
「正確にはライトノベルっていうんですけど、本のジャンル、種類みたいなものです。うっかり異世界に行っちゃったとか、転生しちゃったとか、そういうの結構人気なんですよ」
「ほぉ……今度土産に持ってこい」
「んな、無茶な。世界渡る時に物を持ち込むのって簡単じゃないんですよ?」
「我は本が好きだ」
「あー……善処します。お師匠様」
「よし」
じゃれ合う2人を沙良はぼんやり見ていた。ずいぶんと馴染んでいる。そんなに長くいるんだろうか。やはり帰れないんだろうか。いや、今次の土産にラノベを持ち込めとか言っていた気がする。どういうことなのか。僅かに不安が滲んだ表情に気が付いたかライレーリアが璃衣夜を指差した。
「これは、常連でな。異世界に落ちるのが趣味なんじゃないかと思っている」
「ちょっと、お師匠様! 趣味じゃないし! 体質だし!」
「ああ、もう煩いな。じゃあ、熟練」
「確かに渡り過ぎて多少じゃ動じないけど」
とりあえず黙ることにした璃衣夜に頷き、ライレーリアは沙良に向き直った。
「これいわく、異世界に干渉してしまう人間は一定数はいるらしい。もとからの素質、偶然、何かの拍子に繋がってしまうのだろう。これは霊体を離脱させて異界へ接触して実体をもって世界を渡る能力タイプ。肉体のまま異世界を渡れる者もいるらしい」
「沙良さんは、私と一緒だと思う」
「霊体か」
「あの、本当にそんなことが?」
「……あのさ、この期に及んで現実逃避するなら死ぬよ」
沙良にとって異世界にいるという事実以上に、それこそラノベでしかないような特殊能力持ちだと言われた方が現実感に乏しく、ましてやそういったものは絵空事としか認識していなかった類のことでつい疑ってしまったのだが、返された言葉は冷たく乾いていて、さっきまでの笑みも消え失せていた。
「さっさと受け入れないでどうすんの? これは現実なんだから。少なくともそうすることで私は生き残ってきているけどね」
「ごめん、なさい……」
璃衣夜はふいっと背を向けた。沙良はその背に手を伸ばそうとして俯いた。おそらく彼女はたくさんの体験をしてきているのだろう。そして、たぶん良いものだけではないのだと察せられた。
気まずい空気を意に介さずライレーリアは、いつの間にか作った小さな糸玉を璃衣夜にぶっつけた。
「おい、バカ弟子。糸作れ」
「バカ弟子って」
「これは、ひとつだけ私より秀でた種類の糸を紡げてな」
「無視ですか、お師匠様」
「私の行いが良いのだろうな。王都に気付かれる前に妾の前に降ってきた。なので、我のサポートをする代わりに、姿を変えてやることにしたのよ。ここは異邦人を利用したがる輩が多い故。国になど渡さん。私の地位安泰に仕えさせる。小動物のようで気に入っている」
「お師匠様!」
「それ以上に、これの心意気を買っておる」
「! ……褒め殺しですか」
「事実だが」
頬を赤く染めた璃衣夜は物言いたげにライレーリアを睨み、その場にやや乱暴に片膝をついた。祈るように両手の指を絡ませ目を閉じる。ぽっと青い光が組んだ手の上に浮かんだ。ラピスラズリのような深い青。それはライレーリアの時と同じように大きな糸玉へと転じていき――
「彼の者の糸が衣となるように師匠である我が力を交えよう」
青い糸玉が爆発するように沙良に伸びた。庇うように体の前で掲げた腕に糸が絡む。恐怖に閉じていた目をゆっくりと開く。まったく締め付けられないし、痛みもない。でも、全身は青い糸で顔以外余すことなく覆われていたのだった。
「これは……」
「痛いか?」
「いえ、やわらかくて、あったかくて、なんだか安心します」
「これは祈りの糸を紡げる。出会ったものが息災であるように、害する者から身を守れるように強く祈って、護りに変えることができる」
沙良の目から涙が落ちた。あきれさせることを言ってしまったのにこの身を糸は優しく、強く包んでいることが伝わってくる。申し訳なくて、ありがたくて、自分が包まれていていいのか不安になったから。
「これは素直じゃないのだ。でも、糸は素直だ。のぅ、リイヤ」
「……年下相手に、いつまでも怒らないし」
「たった2つではないか」
「年下には変わりないでしょう」
「40、歳?」
「そうよ。悪い?」
ふくれっつらで璃衣夜はその場に胡坐をかいた。ライレーリアは自分より低い位置にきた頭を宥めるように撫ぜる。
「ほら、最後までおやり」
「……沙良が、守られますように。私はそれを望む」
青い光が一際強くなって眩しさに目を閉じた。再び目を開いた時には触り心地はそのままに深い青のチャイナドレスが沙良の身を覆っている。驚きに目を見開き、声にならない声で2人を見た。
「似合うからいいでしょ」
「素直に上手くいったと喜べばよいものを。ないものねだりをするよりはそっちの方が良いぞ、リイヤ」
「わかってます。けど、たまにどうしようもなく幼い自分が嫌なんです」
「そう思えるならちゃんと心は誰よりも大人だ。それはいつまでも成長したい気持ちの表れであり、それがないものはそこまでだ。若作りが天然でいいではないか。リイヤは自慢のバカ弟子だ」
「……バカは余計です」
照れ隠しにむくれている璃衣夜を誇らしげな笑みを浮かべて撫ぜるライレーリアは見た目こそ年若いが若輩者を労わる重鎮の雰囲気が醸し出されていた。そして、糸を紡いで願いを口にした璃衣夜もまた強い意志を秘めた年長者の顔をしていたのだった。もう、沙良は2人が自分よりも年下だとは思わない。
「ありがとうございます。自分にはもったいないような綺麗なドレス。うれしいです、璃衣夜さん。ライレーリア……様もありがとうございます」
優しく目を細めてライレーリアは頷いた。頭を撫ぜられたままの璃衣夜もまた少しだけ照れたようなぎこちない、でもうれしそうな笑みを浮かべてくれたのだった。
疲れたから休むと沙良のベッドで寝始めたライレーリアを待つ形で、月光色の空間での語らいは今しばらく続いた。何故異世界人が狙われやすいのかも聞かされた。この世界の偉い人は異世界に関わりたいのだ。領地を広げたいという者から、異世界からここにはない技術を得て成功したい者、強大な力を得られると信じている者さまざまだ。そして、突如現れた異世界人は元の世界に帰りたいと強く願い、成就の際に道が開くと考えられている。自分を捕らえたものは沙良と一緒に人間界に行こうと考えている。
「そう簡単に行き来できるものなんですか?」
「素質や適性がなきゃ行けるわけないじゃん」
「やはりそういうものですか」
「ん。仮に渡れても属性や性質が変わることもあるわけで、場合によっちゃそれで死ぬね」
「それ、伝えたら少しは」
「嫌よ。そうしたら私も異世界人ってバレるし、そもそも身の程知らずをやろうとするんだから報いを受ければいい。身の丈に合った生き方ができない奴は、滅ぶの。それがわからないバカは救う価値がない」
璃衣夜はかなりの毒舌だった。沙良はそれに少し慄きながらも納得して頷く。確かに大切な人ならともかく、自分にも、人間界にも害を与えかねない相手のために労力を使うのは嫌だ。自分だってすでに囚われの身、そんな余裕はない。
「あのさ、沙良さん」
「はい」
「霊体でって話、したよね。どれくらいこっちにいる?」
「ちゃんと数えてはいませんけど……1週間以上は経っている気がします」
璃衣夜は遠い目をして項垂れた。
「え、何故!?」
「聞いたことないかな。幽体離脱してあの世を見てきた話」
「ああ、よく聞きますね。死にかけて生還したってや、つ……え?」
「あー、気付いたかな? 今それと近い状態なのよ。様子を見る限り、意識的にこっちに来たわけじゃないでしょ?」
「あ、の、でも、その、璃衣夜さんは」
「私はお師匠様の言う通り熟練なわけで、数日異世界滞在でも肉体の留守頼める相手いるし、適当なタイミングで数分でも肉体に戻って状態が悪くならないようにしているの」
「何もしていない、私は……?」
何とも言えない顔で璃衣夜は虚空を見上げた。言いたくないと顔に書いてある。でも沙良の視線に折れる形で口を開いた。
「良くて意識不明。悪いと仮死状態。最悪……肉体が死んで一生異世界。つまり、そうなると人間界には戻れる可能性がなくなる」
恐怖に塗り潰された絶叫が響き渡った。沙良が自分が発していると気付いたと同時に視界は真っ暗に変わった。慌てた声を聴いた気がした。
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