第7話 糸の国・1
あれから何日経ったんだろう?
沙良はだらしなく椅子に身を預けた。生粋の日本人。38歳。肩の上で切り揃えた髪は染めてオレンジ色だけど、瞳は黒いし170cmを超えた身長は女性としては長身。適度に出るところは出ている普通の会社員、だったはずなのだけど。最後にお酒をずいぶん飲んだことは覚えているものの、ここはどう考えたって日本じゃないし……というか、人間界といえるのかも怪しい。
気が付いたら見知らぬ人達に囲まれて、見た目こそ、そう違いはなかったけど発せられる声が2重に響く奇怪さに悲鳴をあげていた。あれよあれよと兵士のような揃いの服を着た人達に両脇を抱えられて偉そうな人の前に連れ出され、大きな建物から離れた場所に建つ塔に突っ込まれた。部屋は2階に当たる場所にしかなく、下にあるのは階段だけ。意外にも生活に困らないよう調度品はすべて揃えられていて、お風呂もあったのは驚いた。食事も温かいものが届く。ただ、出られないだけ。
最初こそパニックになって出せと叫んではみたけれど、一応そこそこ人生経験がある身としては無駄だな、と諦めにも似たヘンな落ち着きを得るに至る。周囲を木々に囲まれたこの場所は人が訪ねて来ると鳥達が逃げるからすぐわかる。夜に来ることは今のところないようだ。つまり、鳥が逃げない限りは惰眠をむさぼろうが、だらしない格好でいようが問題なし。半ば自棄気味に過ごす日々。
「?」
沙良は椅子に預けていた体を起こした。騒がしさが近付いてくる。いつもは逃げる鳥達がはしゃぐようにさえずっている。鳥が逃げない客人? 知らず知らず緊張して椅子から立ち上がり唯一の入り口の扉を見つめていた。止めようとしている男の声と、未だかつてないほど重なって響く女と思われる声。
「彼女はこの世界の人間ではありません、ですから!」
「この国に来たものは例外なく糸の力を持つ。例外はない。王に、伝えるか?」
「そ、それは!」
「さっさと開けよ。ただの中級貴族が
なんだかすごい会話だと思っている内に扉は開いて、悔しさに顔色をどす黒く変えた男が客人と、ついでに沙良を睨んで階段を下りて行った。客人は2人。どちらも女性だ。真っ白い髪は沙良と同じくらい。ただし瞳は紅く白目は少ない。高校生くらいだろうか。後ろに控えている方は金色の髪と青い目。うなじで緩く縛っている。此方も年若く見える。紅い瞳の女性がうっすら微笑う。
「ごきげんよう、異邦人」
「!」
幾重にも重なる形容しがたい声の響きに沙良は思わず仰け反った。くすっと小さい笑い声に我に返ると青い目の方が笑っている。紅い瞳の女性が咎めるように振り返っても堪えられない様子。少しだけ重なっている朗らかな声。
「だって、わかる。わかり過ぎる反応なんですもの。お師匠様の声は断トツで重なって、しかも響くから一気にとんでもないところに来たーって思いますって」
「この笑い上戸」
「すいません……くくっ……」
処置なしというように肩を竦めた紅い目が此方を向く頃には沙良はだいぶ落ち着いていた。少なくとも此方を害する気はなさそうだし、2人のやり取りは気安く明るかったし、少し気が抜けた。
「私は 。異邦人には発音ができないだろうからライレーリアとでも呼ぶがいい。こっちはリイヤだ」
「はい。ええと……朝風沙良です。38歳です」
「うむ、我らは糸紡ぎを教えに来た」
「糸、紡ぎ……?」
ライレーリアの話をまとめると、この世界は糸魔法が宿る国であり、糸とはその者の願いや想い、魂で顕現させ様々な事象を起こすという。ありとあらゆる者の糸は王都に収められ、必要とあればその力を国のために使う。そして、王はその代わり民を守るのだそう。それは異邦人にも当てはまり、2人は沙良の糸を回収するために来たという。
「まぁ、そう言われてもイメージはわかぬよな。盗み見する者の排除ついでに実演するとしよう」
ライレーリアが緩く指を曲げた手のひらを自らの前に軽く上げる。ちょうど見えないボールを手に持っているように。次の瞬間、淡い光が生じた。それから1本の糸が生まれ、そして、
「えぇぇぇぇぇ!?」
高速で回る糸が球体に育っていく。糸玉がどんどん大きく膨れていき、赤ちゃんの頭くらいまで育った球体をぽん、と軽く上に投げた。しゅるるるるる……と微かな音を立てて糸が部屋に、部屋の外に張り巡らされていき、途中ライレーリアが言った通り盗み見していたらしい人間の悲鳴が聞こえ、ものの数分で淡い月光色の糸の空間が出来上がっていただのだった。満足げに頷いたライレーリアがおもむろに「許可する」と告げた。
「はーい」
何事と視線を向ければ悪戯っぽい笑顔でウインクした。両手を肘で曲げて顔の横でひらひらと泳がせる。
「
「……嘘……」
ぱらりと軽い音がしてまずは金色の糸がほつれるように月光色の床に落ちていく。ついで青い色、銀色。そして、おかっぱより少し長い黒髪。細い体。黒い瞳が現れた。こほんと咳払いして発せられた声は。
「改めまして、
重なって響かない普通の声。自分と、同じ。しゃがみ込んで年甲斐もなく泣き出した沙良を璃衣夜は優しく抱きしめた。とん、とん、と優しい手が背を叩く。それがうれしくて、安心して涙はなかなか止まらなかった。
こんなわけのわからない場所に来て怖かった。不安だった。ここがどういう場所なのか、元の場所に帰れるのかもわからずにただ閉じ込められているしかなかった無力な自分。そこで会えた同郷の人間はまさしく大きな救いだったのだ。
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