第5話 魔法の国(2)

  意識に触れたのは衣擦れの音だったか。静かな人の気配にセイはゆっくりと目を開けて光に目を慣らすように瞬きをする。淡い緑のカーテンが目に入る。保健室のようだと認識したところで布が揺れて、控えめに顔が覗いた。1番最初に話をしてくれたおばさんだった。その顔が安堵したように緩み、そのままでというように手のひらを動かす。


 「魔力に充てられたのよ。魔力を得たばかりだとね、体も心も慣れていないから負荷がかかってしまうの。ただでさえ……宝珠2人に関わったのなら」

 「宝珠?」

 「えぇ、ラピス様はたいていそんな失敗はなさらないけれど、ふふ、怒っていたのでしょう? 不肖の息子のとばっちりを受けさせてしまってごめんなさいね」

 「え、じゃあ、さっきの……」

 「サイラートは私の息子なのよ。まったく、リイヤさんにも学院時代から迷惑をかけ通しで申し訳ないったら」

 「あの、ラピスラズリ様とリイヤ……さん、は同一人物なんですか?」


 おばさんはぱちくりと目を瞬かせて、うっかりしていたと微笑った。断って傍らの椅子に腰かけて思案するように天井を見上げ、ひとつ頷く。


 「同一人物よ。ラピスラズリというのは役職名のようなものかしら。宝珠というのが総称でね。アンバー様もそのおひとり。この世界において凄まじい能力で功績をあげた者、人を護る者が讃えられて“宝珠”として名を刻んでいるわ」

 「とんでもない方じゃないですか⁉ 僕、普通に話しちゃいましたけど!」

 「ふふ、大丈夫よ。リイヤさんはそういうのが嫌いで宝珠というのを隠してよく動いているの。だから今日も受付だったでしょう? よっぽどじゃない限りラピスラズリとしては動かないわ。でも……サイラートのために使ってくれたのね。犠牲が出るのを承知で……」


 おばさんは沈鬱の表情で目を伏せた。セイは意味が分からないまでも辛そうな様子に思わず身を起こして手を伸ばした。すんなり起きられて内心ホッとする。おばさんはそれに気付いて苦笑して背中にクッションを当て、横の台にあった飲み物を器に注いで渡してくれた。一口含めば爽やかな甘みが広がる。


 「あなたは優しい子ね。……アンバー様は……とてもお強いの。力を行使することに何の躊躇いもない。役に立たないと判断したら容赦もないから……リイヤさんが代案を出してくれなかったらサイラートの命はなかったでしょう」

 「えぇ!? そんな、そんなことって!」

 「あるの。アンバー様を怒らせたら大変なことになる。あなたも覚えておいて」

 「誰も……誰も、罰しないんですか?」

 「宝珠の方々数人が諫めているわ。……リイヤさんが宝珠になったのはね、アンバー様を止めたからよ。止められたアンバー様もリイヤさんを気に入って強制的に宝珠にした。宝珠になってくれたら少しは短慮を抑えると言って」

 

 セイはぽかんと口を開けて固まった。どんだけわがままなんだという憤りと自分の生きてきていた世界では想像できない不条理に言葉が出なくなったのだ。


 「母性と似たようなものかも、なんて言っていたけど……面倒事を背負い込んでばかりで心配になるわ」

 「…………へ?」

 「リイヤさん、私と2つ違いなのよ」


 1度聞き流した言葉に引っかかり思わずセイはおばさんの顔を凝視してしまった。どう見てもリイヤさんは大学生ぐらいだった。おばさんは中年と括れる外見。然りとおばさんは頷いた。


 「気持ち、わかるわ。見えないでしょう? 成長止まっちゃったみたいなんですよねって言っていたわ」

 「え、でも、息子さんと同期って……」

 「学院は年齢関係ないわ。学びたい者が入学するから。ふふ、リイヤさん楽しそうだったわー。学生生活を満喫していたんじゃないかしら。私も最初は保護者として接していたわ。本当にあのバカ息子が面倒ばっかりかけてねぇ……」

 「ララさん、あまり色々ばらさないでください」


 ため息交じりの声がして、顔を向けるとカーテンの隙間から彼女が項垂れているのが見えた。おばさんは悪戯がバレた子どものように口元に手を当てて肩を竦めて微笑った。


 「もう、ララさんはお話好きだから」

 「いつも悪いわね、リイヤさん」

 「サイラートは私を怒らす天才だね……たまには激怒の前に気付いてほしい。無理だろうけど」

 「それでも毎回あの子をを助けてくれて、ありがとう」

 「資格取ったら倍返ししてもらうから」

 「えぇ、もちろん」


終始にこにことしているララにリイヤはため息ひとつ。セイは2人は仲良しなんだなぁ……とほのぼの眺めていた。確かに見た目だけでは超偉い人だなんて思えない。でも、パチリと目が合ってしまえばセイは思わず居住まいを正さずにはいられない。


 「大丈夫、かな?」

 「はい!」

 「気のせいでなければ大まかな説明はララさんが終わらせているかな」

 「今後のお話はしていないわよ」

 「わかりました。えぇと、セイさ」

 「呼び捨てがいいです!」

 「そう? じゃあ、セイ。予定が狂ってしまったわけだけど、滞在予定などは大丈夫だろうか」

 「しばらくはここで過ごしたいと思っています。あ、でも宿とか、十分な路銀も……」

 「ふむ。じゃあ、こうしよう。迷惑料代わりにそこは私が持つ」

 「えぇ!?」

 「案ずるな、ここはもとより宿泊施設も備えているから。逆に言えばここに泊まれば魔法知識には事欠かないぞ?」

 「お願いします! あ、いや」

 

思わず誘惑に負けて頭を下げてしまい慌てふためく。その様子に2人は楽し気な笑い声を立てた。稀にみる素直さと純粋さだと言われ真っ赤になって俯いた。人間界でも頭がファンタジーだ、お子様だと散々からかわれていたから失敗してしまった心地で泣きそうになる。


 「これは化けるね」

 「ええ、純粋に魔法を信じられる子は強いわ。楽しみね、リイヤさん」

 「ん。学院に欲しいね」

 「……え?」

 「よく言うでしょう? 信じる力が一番強いって。セイは過去最高レベルで才能を持っているよ。つい手を貸したくなる」

 「近頃は純粋に魔法を使ってみたいという人は減っているの。せっかく属性が判っても望むものと違えば使うことを放棄する人までいるのよ。その点、あなたはどんなことでも知りたくて、できることは片っ端からやってみたいという気持ちを持っている……違う?」


 セイは涙腺が緩んでいくのを感じていた。否定されない。もっと言えば期待をされていることがうれしくて。夢見ていたのだ。魔法の国に行けばありのままの自分で生きられるんじゃないかと。想像よりもずっとうれしい言葉に心の震えが止まらない。


 「僕、ずっと、ばかに、されてて……っ」

 「そいつらはこの国では不届き者。逆に君は大切なマジック・シードだよ」

 「マジック、シード?」

 「魔法を宿す生まれたての種。可能性がいっぱいの種が花を咲かせる日まで守り育て、花となったら共に咲き誇り、散りゆくその日その後まで語り継がん。魔法学院の校訓」

 「学院の校訓だけど、この国の在り方という気がするわ。……辿り着けて、良かったわね」


 セイは涙をぐいぐい拭いながら大きく何度も頷いた。それを温かく見つめながらララは隣にいたリイヤを肘で突っついた。


 「それで? 解放の言葉は?」

 「それ、広げたのララさん?」

 「ううん、息子」

 「へぇ……訓練所教官に思い切りしごけと言っておくよ。大丈夫。死なない程度にするから」

 「心配しないわ。それくらいの方が少しは懲りるんじゃないかしら」

 「あ、の……解放の言葉って?」

 「リイヤさん、成長に必要な言葉が的確なの」

 「ララさん!」

 「僕には、くれないですか……? やっぱり欲しいなって思うのは甘え、でしょうか……」


 見るからに項垂れて凹む様子にリイヤは顔を引き攣らせた。それを心なしか責めるように見るララ。「1度しか言わない」ぶっきらぼうに聞こえる声が投げつけられた。顔をあげれば機嫌の悪そうな顔が見下ろしている。


 「定説に囚われるな。水が得意なら火が苦手ということはない。持てる属性がひとつとも限らない。可能性は無限。己で限界を決めるな。……以上」

 「はい! ありがとうございます! 僕、色んな事を知りたいです」


 突如パァ……と天井が光って、ふよふよとシャボン玉のようなものが下りてきた。中には豪奢な金の飾りと赤い封蝋の封筒が浮いている。セイは興味津々で凝視した。封蝋の模様は横になった楕円の中に花が浮いているように見える。ララが「まぁ」と小さく口を動かし、リイヤは「やっぱり」と肩を竦めた。


 「今度は何になって視ているんだか」

 「?」

 「これね、君の魔法学院の入学許可書」

 「……はい!?」

 「ついでに学長直々の特別便。なんか随分と分厚いけど」

 「えぇ、なんで!? そりゃ、そりゃあ許されるなら入って色んな事知りたいって思っていたけど」

 「あの人、そういうの好きなんだよ。可能性がいっぱいのピュアな子? 確かに私も学院に欲しいって言ったけどさ……事務スキルで中身見せてもらうか。どうせ手続き私がやることになりそうだし」


 リイヤは球体に手を翳して目を細めた。おろおろしながらも魔法を使う様子が気になって仕方がないセイを見てララはくすくすと笑った。


 「リイヤさんね、ちょくちょく魔法学院にも不定期講師として行くの。どうせなら教えがいのある子が欲しいじゃない。学長もそういう子は最優先で入れたいのよ」

 「よっぽど欲しいんだね……学費補助、寮への推薦状まで付いている。魔法の国オリエンテーション参加申し込み……そんなツアーあったけ」

 「えぇ、初めて入国した人限定で街を巡るのと学院巡るのがあるはずよ」

 「うん、両方入っている。……で、どうする?」


 返事は聞かなくてもわかったみたいだ。自分でも頬が上気して目がキラキラしているだろうことはわかっている。誰かに期待してもらえること、魔法にどっぷり嵌まれること、学びの場が与えられること。セイにどれをとっても断るという選択肢はない。リイヤは指先で球体を突いて割って分厚い封筒を差し出した。


 「ようこそ、魔法学院へ。君を歓迎する。クロノ・セイ」


 

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