第3話 異世界紡ぐ現実世界
数日ぶりに彼女を見た。一見幼いがその年齢は母より年上と知っている。眠たそうに台所に佇んでいたので気を利かせて白湯をカップに入れて差し出せば、小さく礼を言ってすぐ隣スペースのソファーに腰を下ろした。カップを手で包むようにして熱を手に移し人心地ついた面が上がる。
「おはよう、
「おはようございます、
「1週間後、市で冬弥に会うよ。改めて」
異世界ではリィと名乗る女は言葉の含みを聞き逃さずに表情を硬くした神経質そうな青年を宥めるように軽く手を振った。
「用心しただけだ。異世界人とバレかけてね」
「!」
「シェルトライン周辺にそういう認識がある場所があるらしい。冬弥もいたから念には念を入れて仕切り直すことにした」
「それは……油断できませんね」
「町は相変わらず平和で良いところだけどねぇ……今回は収穫多めだよ。データはもうあげてある」
「そうですか。……平和ですか?」
「うん。和む。あ、でも釣りはもうやらない」
「?」
璃衣夜が報告は終わったというように立ち上がる。いつの間にか白湯を入れたカップは空だった。凪は咎めるように視線を投げる。恐らく禄に食べていないはずだ。病的に白い面が少し面倒そうに顰められた。
「純粋に眠ったら食べる」
「温め直してすぐ食べられるものを作っておきます。……無理は、しないでくささい」
「しないよ」
そっけなく返事をして璃衣夜は部屋に戻っていった。凪は空になったカップを手に台所に足を向ける。カップを流しに置いて、冷蔵庫を開けて物色する。璃衣夜は茶碗蒸しが好きだ。基本的に温かくて食べやすいものを好んでいる。きちんと胃にものを入れさえすれば空腹を意識して食べるようになると今は知っているから凪は好物を中心に作るようにしていた。幸い、料理は嫌いじゃない。
凪は具材を切りながら璃衣夜との出会いと双子の弟のことを思い出していた。もう彼女と出会って10年が経つ。いや、実際に顔を合わせたのは――――弟の葬儀のあった2年前。
弟、風斗は璃衣夜と同じ異能者だった。霊体を離脱させて異界へ接触して実体をもって世界を渡る能力。凪はその力は持っていないが風斗が体験してきた記憶を見せてもらうことだけはできる。物心ついた時から夢物語のような記憶を共に楽しんでいた。風斗は心臓が少し弱かったが無理をしない限り命が危ぶまれるようなことはないという程度。凪は危なっかしくも天真爛漫な弟のお目付け役。ずっと一緒だった。
高校生になった頃、風斗があるサイトを見つけた。『異世界紡ぎ』というファンタジー小説が書き連ねてある。羊皮紙色の背景に、ブルーブラックの文字。シンプルこの上ないページ。ハンドルネームに至っては作者とだけ。
「凪、この人、僕と同じだ」
「あ?」
「僕、ここの世界に行ったことがある」
「小説だろ?」
「んー、暫く追ってみる」
半年追い続け確信を得た風斗は作者にメールを送った。同じ世界を知る者にしかわからない、ある問いかけを。答えと共に返ってきた問いかけに嬉々として返信する。探るように繰り返されるメール。よほど警戒されていたのだろうが風斗はとても人懐っこい性格をしていたし、めげないし……3か月後に作者は明言した。異世界の体験を書き連ねていると。
そして、わかる人にはわかる内容だから同じように接触してくる人間もいるが応対が苦手なので悩んでいることを話してくれたのだった。初めてリアルで見つけた仲間に興奮してサポートをすると叫びだした風斗を宥め、凪は交渉した。
風斗が迷惑をかけないようにするから繋がりを絶たないでいてほしいと。凪は心臓が弱く、無邪気な性格から周囲にちょっかいを出されやすい風斗を庇い、守り、立ち回ってきた。パソコンの扱いや交渉や仲介は得意で役に立つはずだと。
作者はよほどオンラインのやり取りが苦手だったのだろう。お試しとして対応を数回見た段階で凪の提案を受け入れた。凪にサイトのサポートを頼む代わりに、異世界に渡る際に風斗がかち合えば助けるように手を回す。
作者は話すのは苦手と言いながらも世話焼きだった。凪達が知らなかった気を付けなければいけないこと、役立てられることもたくさん教えてもらった。それ以外のプライベートな相談にも随分のってくれて顔を合わせる機会はなかったけれど凪も懐いた。そのうちオフ会みたいなことをしてメンバーをゆっくり増やして楽しむようになるだろうか。その前に作者と直接話したいな。社会人になって2人暮らしをして、そんな夢を語っていた矢先—―風斗が死んだ。心臓発作で。
何が起きたのかわからなかった。いつもと同じようにおやすみとそれぞれの部屋に戻って、真夜中叫び声がした。駆け付けた凪が見たのは恐怖に目を見開き、目を潤ませた面のまま呼吸を止めた風斗の姿だった。
葬儀は予想以上にたくさんの人が来た。驚いたけど明るい性格だったから好かれていたのだろうと納得もして、唇を噛みしめている父と泣き濡れる母を横目に凪はぼんやりと機械的に頭を下げ続けていた。ふと外のテントの陰に意識が向く。
女がいる。学生に見えた。制服ではなく喪服を着ているから大学生だろうか。笑顔の風斗の遺影を見つめ体の横で拳を握り締めて、その白い頬に絶えない涙を零していた。どこかで見たようなと思案し、気が付いた瞬間凪は走っていた。慌てて身を翻した女も足が速かったが、どうにか追いついて細い手首を掴んで引き留める。
「貴女、見たことが、ある。あいつの記憶でっ」
びくりと震え、女はゆっくりと振り向いた。涙を止めようと片手で強く擦りながら戦慄く唇が開く。
「本当に、同じ顔なのね。……殴って、いいよ」
「え?」
「契約違反……、助けるって約束した」
「⁉ サイトの、作者さん? え、ちょっと待てよ。それ、どういう意味ですか⁉ 風斗はただの病死じゃないんですか⁉」
真っ白い面が悔恨に歪む。手首を掴んだままだった凪の手に温かい液体が伝い、その色に瞠目した。赤かった。彼女の喪服は濡れていた。内側から。「大丈夫ですか」なんて間抜けな問いかけをした凪の手を静かに外して背を向ける。
「気にしなくていいの。敵は、絶対に討つ」
「待てよ! 権利あるだろ⁉ 俺には聞く権利が‼ 作者さん‼」
「……殺されたの」
「…………え?」
「異世界で、風斗は何者かに追い回されて、嬲り殺されたのよ‼ 心臓が弱かったあの子にはっ……例え霊体でもショックに耐えきれなかった。今際の際に私は傍にいた。あのバカ、お人好し‼ 他人の心配してんじゃないよ! 本体が死んだこと気付いて絶望的なのに、笑うバカが、どこに……」
作者さんは崩れるように座り込んだ。夜を切り裂くような声が響き渡った。まるでこの世の終わりのような泣き声が。凪は悟った。彼女にとってもまた風斗はとても大切だったのだと。ゆっくりと歩み寄ってぎこちなく腕を伸ばす。自らの嘆きで砕け散ってしまいそうで怖かった。抱き寄せてみれば胸にすっぽり抱え込めるほどの小さな体は氷のように冷たくて必死で抱きしめる。
どれくらいそうしていただろう。作者さんの友達らしい男女が駆けつけてきて女の人が思い切りビンタした。叩いた方が痛そうな顔をして泣いていたからだろうか。作者さんは小さく謝罪して2人に連れられて帰っていった。必ず改めて連絡すると約束して。
半月後、再会を果たした。
あの日の怪我は何だったのかは未だに聞いていない。ただ、現れた男女は肉体ごと世界を渡っている能力者でリアルにこちらの世界で会ったのは初めてと苦笑した。凪は色々と察して小さく笑う。風斗は持ち前の明るさで周囲を巻き込んで、人と人を繋いでいたのだろう。その絆があの壊れてしまいそうだった彼女を救ったと確信していた。
本名を名乗り彼女、璃衣夜は改めて風斗の敵を討つと誓った。凪もまた再会までの時間に様々なことを考えていた。提案があると凪が全てを話した後、璃衣夜は承諾の代わりにこう言った。
「梃子でも動かないんでしょ」
* *
蒸し器のお湯が沸騰する音に我に返る。いつの間にか手が止まっていた。容器に手早く漉した卵液を流し入れ作業を再開する。和洋折衷だが具沢山の洋風スープも作った。あとはゆっくり煮込むだけ。凪は待ち時間にタブレットを起動した。あげてあると言っていたデータ、物語を読むために。
時折思わず噴き出しながら凪は真剣に目を通す。異世界の情報、璃衣夜の感じた危険。何一つ見落とさぬよう。何度か読み返し、すっかり内容を頭に入れて裏サイトに情報を書き加える。異世界干渉の能力者が情報を共有できるようするためだ。
風斗の死は干渉者の間では知る人ぞ知る案件だったらしく、かなりの衝撃となった。関心が高まった機を逃さず凪はコミュニティを創った。サイトに接触してきた相手を慎重に吟味し、引き入れ異世界の情報を求める。警告を発し、助言し、能力を最適に扱えるように今も力を尽くしている。璃衣夜は情報収集、発信を担う。表ではあくまで物語としての発信に拘っている。書き手は既に数十人に増えているが渡る世界の数では璃衣夜がダントツだ。寄せられる質問の大半が解答できるといっても過言ではない。いつの間にか研究者や医者も加わり結構な大所帯になっていた。今はまだ基本オンラインでのやり取りだがどうなっていくか。
異世界干渉はただ楽しい夢物語なんかじゃない。
能力者にとって紛れもないリアルであり、危険もある。凪は能力者ではないが誰よりもそのことを理解していた。璃衣夜は幾度も異世界へ身を投じる。そして、物語を紡ぎ続ける。弟がいなくなって寂しいとずるいことを言って呼び寄せて同居して1年。秘密主義の璃衣夜は謎に満ちている。
暁 璃衣夜(40)
九重 凪 (27)
九重 風斗(享年25)によって結び付いた2人。
裏サイトアクセスを知らせるライトが点滅を始めた。暗い画面に瞬く光は星のよう。こうしている今も誰かが異世界に渡っている。凪は祈る。誰一人死ぬな、と。
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