第2話 釣り~森釣り編
池の点在する原っぱの奥に森がある。要はその森に向かって釣り竿を振ると先に説明された原理で何かが釣れるらしい。リィは釣り竿を肩に担ぐようにして人気のない道を選んで森釣りの場所を目指していた。ぽてぽてとうなだれるように歩いている。ガイムの家のご飯はとても美味しかった。よく眠れたし、皆親切だし問題なし。落ち込んでいるのはプライドの問題だった。この町の人がリィから見れば揃いも揃って大きい種だというのはわかっている。わかっているが……何度目かのため息をついて自分の姿を見下ろす。
黄が強いクリーム色のカットソー、厚手の淡い色の上着、幅広のコーラルピンクのズボン。借り物だ。ガイムの末娘の。彼女は4歳。7歳と10歳の服は大きくて末っ子の服がぴったりだったのだ。幼く見られるのは常のこととはいえ、これはショックだった。この町で自分の本当の齢は絶対に言えない。周囲の反応に打ちのめされる気しかしない。今だって余計なことを突っ込まれたくないから裏道を通っているのだ。
「っぃしょっと」
草に覆われた道のない急な斜面をリィは身軽に駆け上がりポンッと平地に着地した。ちょうど森釣り受付の真横だ。これまた強面の大男が突然現れた珍客を凝視している。ぎょろりとした目、不機嫌そうな表情、客商売に難ありな御仁だ。
リィはじーっと見返して停止する。暫くして大男は唸るような低い声で問うた。餌は持っているか。初めてか。生き物釣りたいか。対してリィは2つに頷き、最後の問いに首を振る。
「13歩先まで行って、投げろ」
黙って頷き13歩。一応振り向けば重々しく大男は頷いた。周辺に客がいなくて様子を窺えないのが心許ないがリィは先日の教えを思い浮かべて竿を振る。ヒュッと良い音がした。落ちた音は聞こえず先は見えない。木々がざわめく音を聴きながらどれくらい待っていたか。釣り糸がビィーンと振動し始めた。
「引け」
後ろから聞こえた声に大きく頷いてリィは思い切り両腕を振り上げた。グンッと腕に負荷がかかるのに対抗心を燃やして全身を使って引く。一瞬体が上に引かれ数歩よろけずれた立ち位置。そこを掠めるように……
ドンッ!!
地響きがするほどの重量が落ちてきた。リィは硬直したまま、視線だけを横にずらす。琥珀色が美しい超巨大な葡萄が一房。実ひとつでリィの頭より大きいかもしれない。とても良い香りがする。花のような、紅茶のような。
「酒が好きなら話つけるぞ」
「え?」
「あんた、ちっこいけど酒飲める人、だと思うが……違うか?」
「! ちがくない! 飲める! お酒好き!」
リィの顔がわかりやすく喜びに満ちる。酒が好きなのは勿論、この強面の大男が見た目で子ども扱いせず大人だと判断してくれたのがうれしかったのだ。感激し過ぎて片言になっている。大男はのっそり頷き、淡々と獲物の説明をした。
コラルの実。通称酒の実。果汁がそのまま上等かつ高価な酒になるという。ギルドに依頼される程度に入手がしずらく人気がある。森釣りは一般人が唯一入手する可能性がある手段らしい。金策にするも良し。お酒が好きなら欲しい分だけ自分のものにして良い。
「手配はお任せしても良い?」
「何本いる」
「……7本、だと多いかな」
「2つ分だ。残りは」
「あげる」
「誰に」
「貴方」
僅かに眉が動いた。驚いたのだろうか。リィは何か言われる前に釣りを再開した。もの言いたげな沈黙と視線を背に感じながらどう出るかと気にしていれば、ふぅとため息が聞こえ大男が房を持ち上げ受付に戻っていくのがわかった。とりあえずは切り抜けたとホッとして釣りに集中する。
程なく釣り糸が振動を始めリィは足を前後に開いて身を捻るようにして後ろ足に重心をかけた。ザッと音がして視界が翳る。反射的に斜めに転げ大きく距離をとった。
ザザンッ ドザァッ……!!
「……うわぁ……」
身を起こしてリィは思わず声をあげた。普通に木が1本と呼べるサイズの一枝。白樺に似た真珠色の枝に、青緑の透き通った葉がサラシャラと涼やかな音を立てている。とても綺麗だ。
「マドの木だ」
「マドの木?」
「窓にはめる透明な板の原料になるから、そう呼ばれている」
「へぇ……」
硝子の原料ってことかと内心で変換する。でも、町では透明な布のようなものを張っていたような。疑問が顔に出たらしい。
「中級以上じゃないと使っていない」
「偉い人専用?」
「……産出が少ない。領主様がいずれ町中に支給するつもりとは聞いた」
「これ、賄える?」
「わからん。…………また、とらない気か」
「旅の途中で荷物増やしたくないし、金策間に合っているし、専門技術必要なものはプロにやった方がいいと思うのだけど」
「杖はどうだ」
「杖?」
「葉しか使わない」
枝は需要が少ないということらしい。改めて観察して触れてみる。綺麗だし、撫でた感じの触り心地もすべやかで気持ちが良い。杖が旅にあると役に立つアイテムなのは確かだ。
「いるなら話をつける」
「お願いします」
頷いて大男は無造作に枝を掴んで引きずっていく。力持ちである。
残る餌はあとひとつ。胡乱な視線でためつすがめつ石を眺める。やはり見た目で何かわかるものではない。とはいえ、大きいものばかり連続で釣り上げていることを考えるとこれだって油断できない。心の準備をしてリィは釣り竿を振る。
なかなか今度は反応がない。涼しい風にさざめく葉擦れの音が眠気を誘う。うつらうつらしているとふわっと浮遊感がして慌てて目を開けた。釣り糸は真上、上空に伸びている。その先に人が乗れるバランスボール大の球体が浮いていた。薄紫と萌葱色のグラデ-ションが美しい風船のような。青空に映えて綺麗だなと暢気に眺めていられたのはそこまでだった。地面から足が離れている。その不安定なところに突風が吹き荒れた。その刹那にリィの体は森の上空に浚われる。
「…………マジですか」
リィは命綱と化した釣り竿を握り直しながら小さく呟く。そう長くは自分の身を支えられないことはわかっている。ざわめきだした声に視線を向けて予想より高いことに呻いた。
さて、どうしたものか。この世界で魔法が使えるのかわからない。仮に使えたとしてどの系統なら扱えるのか。それに――――リィは球体に目をやった――――これが何かわからなければ対処ができない。無害なら手を離して自身の身だけを守ればいい。でもそうじゃない可能性を思えば迂闊なことはできない。問題は現状手を離さない限り浮遊状態が回避されないということだ。これじゃ風任せ……リィが何か思いついたように微かに笑った。
「友よ。我が身に宿りし属性よ。応えてくれ――――
風が挨拶をするように髪や服をはためかせ、森の木へと球体を誘う。これは魔法じゃない。誰もが身に宿す属性の加護を意識的に願うもの。知ってさえいれば誰でも使える。リィのいちばん強い属性は風だった。これなら風向きが偶然良い方に行ったとしか見えない。
届いた枝葉を足で引き寄せ、片手を大ぶりの枝に伸ばして身を引き下ろす。竿を慎重に枝に巻き付け、自分はどうにか座れそうな幅のある枝に腰を下ろした。
「さて、ひとまずは墜落死は避けられたってところか。はて、ここはどこだー?」
見渡してわかれば苦労しない。大きな風船がゆらゆらしてるのが目印になればいいなと長期戦を覚悟してリィはまとわりつく風に手を触れるようにする。髪を揺らし、木々を揺らし、視界を閉ざせばはっきりと風が包んでいるのがわかる。自然と表情が緩む。風は自由の象徴、リィは空気が動かない場所は嫌いだ。風が吹く場所はホッとする。
「あら、あっちも予定より早く着いたか」
空間が歪んだのを察知して小さく笑う。移動の誤差は困ることも多いが今回は好都合だ。あれはサーチを使えるからすぐに此方の現状には気付くはず。きっと程なく適当に騒いで救援を寄越してくれるだろう。宙に浮かぶ不思議な球体を眺め、これは一体何だろうと思いを馳せる。危機感はない。直感を信じるなら。何よりリィは自分の直感を信じていた。
「近しいところで植物っぽいんだけどな、これ」
「姐さん!」
若い男の声が地上から響いて下を見るとどれだけ騒いだのか大勢の男達を引き連れて此方に走ってくる青年が見えた。リィの待ち合わせの相手であり、いつかの旅の途中で知り合い姐と慕うようになった弟分。軽く手を振れば安堵したような笑みが浮かんだ。お人好しが滲み出ているような優しげな顔。背は170ほどか。会うのは半年ぶりだ。
「久しいな、トーヤ」
「姐さん! リィさん! ご無事ですか?」
「問題ないよ。ただ、これが何かわからないから放置できないだけで」
「降りられるか?」
ぶっきらぼうな声が割り込む。森釣りの番人だ。他の男衆が目をむく。トーヤは意外そうに、リィは満足げに口角を上げた。あの大男だけがリィを過小評価していない。
「これ放置したままでいいの?」
「ああ」
「着地だけ補助をお願いします」
「わかった」
リィは躊躇うことなく枝から滑り降りた。途中の枝にステップを踏み、ある程度の高さまで降りると宙に身を躍らせる。大男が差し伸べた手に両手を揃え勢いを消すと地面にふわりと着地した。おお、と驚きの声を上げる周辺に駆けつけてくれたことの礼と弟分が騒ぎすぎたことを詫びる。
「姐さん」
「大げさだ。ちょっと飛ばされたくらいで」
「充分大事でしょう!」
周囲の反応は弟分に賛成のようだ。大男がのそりと膝をついて視線を合わせてきた。そして、全身に目を走らせて改めて目を合わせる。
「怪我はないよ?」
「ああ。でも、すまなかった。こういうことを防ぐ為にいるのに危険な目に遭わせてしまった」
「ちょっとした事故だよ。私も寝ていたし、あんな突風誰が防げますか。気にしないで。獲物の采配だけは頼みますね?」
「……ああ」
「ところで、あれは何?」
互いに納得したところで指をさせば周囲の視線も自然と上に向く。木の上には相変わらず風船もどきが揺れていた。
「
「雅な名前だね」
「あれを割ると花が咲き乱れる」
「はい?」
「ご説明致しますと!」
突然甲高い声が割り込んできた。男衆に紛れていたと思われるがこの町には珍しくリィよりも小柄で小さな老爺だった。周辺の男達が一瞬顔を引きつらせたのを目敏く気付いたトーヤがさり気なくリィと老爺の間に入る。
「これは大変珍しゅうもので! 聞いておられますかな!?」
「……ええ、勿論」
「時折、旅芸のマジシャンが使うこともありますが生息地は謎でありまして……噂によると妖精界にのみあるとされる春の精の魔法ともいわれておるのです!!」
「さようですか」
「さらに! これを手にできるのは――――異世界人ともいわれておるのですよ」
ぎろりと吟味するような目がリィを睨めつける。トーヤが素早くリィを背に庇い顔を険しくする。リィはため息をついてトーヤを押しよけた。
「確かにそう言い換えてもいいかもしれませんね。我らは旅人ですから」
「ぬ!?」
「旅をすればわかりますが所変われば文化も生息する動植物も恐ろしく違うんですよ。貴方、旅は?」
「わしは研究者だ!」
「なるほど。さぞかし高名な方でありましょう。集まる知識をまとめておられるのでしょうね。ご自分で旅をされないということは弟子も大層いるのでしょう?」
「そ、それは少しくらいなら……!」
「噂話を鵜呑みにすると恥をかきますよ」
「!」
ニコリとリィが微笑む。だが、周囲は誰もが気付いていた。目は全く笑っていないことに。その冷たい目がトーヤを睨む。
「みっともない。これしきで騒げばいらない誤解を生むと思わないの?」
「す、すいません、姐さん……」
「守ろうとしてくれたことだけは、感謝するわ」
素っ頓狂な悲鳴が上がった。見れば大男が人騒がせな老爺を摘まみ上げていた。文字通り猫の子を持つように。ジタバタ暴れるも屈強な大男は意に介さず歩き出した。あっけにとられていると低い声が耳に届いた。
「旅人を怪しいものに仕立て上げるのはいい加減にしろ」
「研究の為にやっておるのだ!」
「今度騒ぎを起こせば領主が捕らえろと言っていた」
「なんじゃと!?」
「花見に邪魔だ。……ちょっと、待っていてくれ」
「え? ああ、はい」
最後は此方に言われたと気付き返事をして遠ざかる背を見送る。一体何者かと呆けていると男衆が一斉に話し始めた内容で答えを得た。なんとあの大男、領主の片腕を担う護衛隊の長らしい。とはいえ、長く平和が続いていることもあり有事が起きない限り趣味の森釣りをするついでに番人をしているという。但し、あの強面のせいで客が滅多に寄りつかないらしい。さもありなん。
ついでに言えばあの迷惑な老人は自称研究者でちょっと変わった話を聞けば鵜呑みにして周囲の迷惑も考えずに独走する迷惑な老人でかつてどこからか流れてきて居着いた成れの果てということだ。
その後は大男が戻るまでは言い負かしたリィの見た目とのギャップを褒められ、姐さん思いの弟分をからかわれつつ雑談して過ごした。大勢の足音と話し声に振り向いてリィもトーヤも目を丸くした。
「待たせた」
「お嬢ちゃん……リィ、またすごいもん釣ったって?」
「ガイム」
「隊長が伝達してきたから町中総出だ」
「何故?」
「花見さ。領主様達は館からご覧になるそうだ」
「珍しく、綺麗なものは皆で見た方が良い」
「隊長は顔は怖いが優しいんだ」
「ああ、うん。ガイムも護衛隊?」
「おう」
どうやら護衛隊は町中に散らばり普通の生活を営みながら平和を守っている。リィは理想であるが領主の有能さに軽く恐怖した。警戒心を限りなく持たせず万全の守りを敷く。なかなかできるものではない。それだけ相手を信じることは。
「やるぞ」
大男、護衛隊長がいつの間にか大ぶりのナイフを持っていた。軽く投げただけに見えたのにナイフは真っ直ぐ揺れ動く球体へ吸い込まれていく。
パァンッ
大きな音がして、リィは思わず耳を塞いで身を竦ませた。トーヤも素早くリィを腕の中に庇う。歓声が上がっておそるおそる周囲を見渡し2人もまた歓声を上げた。色とりどりの花が視界に溢れていた。花の香りが風に乗る。足下も木々は勿論、風に舞う花で空中にも咲き乱れていた。
「綺麗……」
「すごい」
「まさしく、花宴だろう」
何処か得意げな声に熱に浮かされたようにぼんやりと頷く。こんなにたくさんの花を見たのは初めてだった。春がまとめて芽吹いたらこんな感じだろうか。とても美しいがだいたい一晩で消えてしまうらしい。確かに生態系を無視した乱れ咲き、夢か現かくらいがちょうど良いのだろう。周囲は花を摘んだり、花輪を編んだり、花の地面を転がって遊ぶ子ども等に、酒盛りやピクニックを始める者と様々。でも、皆とても良い笑顔をしている。パサッと頭に軽い感触、トーヤが満足げに笑っていた。
淡い色の花を編み込んだ花冠。形が歪むこともなく綺麗なリング。この年でと思うもたまには良いかと礼を言う。夢のような宴は夜まで続いた。
リィとトーヤはガイムの家に世話になり、護衛隊長が届けてくれたコラル酒でお礼を兼ねた別れの会を設けた。お酒の濃度はかなりのものだったがリィは酒が強くまた周囲を驚かせた。楽しい時間はあっという間に過ぎ2人は次の日早くに惜しまれながら旅立った。また訪れる約束をして。
街道に出た2人の手には真っ白い杖がある。気を利かせた護衛隊長がトーヤの分も作ってくれたのだ。穏やかな顔して歩く旅人がさり気なく道を逸れる。人の気配からだいぶ離れてリィが立ち止まって伸びをした。
「はぁ……焦ったねぇ……」
「本当に」
「でもあんなに顔に出すんじゃないよ?」
「精進します!」
直立不動で顔を引き締めるトーヤを見てリィは苦笑を浮かべた。
あの自称研究者の言葉は当たっていたのだ。2人はこの世界の人間じゃない。異世界に渡り、干渉できる力を持つ異能者なのだ。渡り方も、干渉の仕方も個人差はあれど異世界人というのは確か。追われたり、迫害される危険もある以上1度離脱して仕切り直した方がいいだろう。
「やっぱり、仕切り直しですか?」
「そんな捨てられた子犬みたいな目をするんじゃないの。……1週間後に市で会おう」
「はい! ……次に逢う日までご無事で」
「ああ。じゃあ、また」
トーヤの目の前でリィの姿が空間に溶けるようにして消えた。それを見送ったトーヤもまた次の瞬間にはその場から消えていたのだった。
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