旅人は異世界を渡り歩く。

よだか

第1話 釣り~水源編

 最初に耳につくのは水音。涼しい風と少し埃っぽさがたまに混ざる。何度か訪れたことがある町だ。ただ、いつもと違う場所に出てしまったらしい。風景が違う。石積みの家。磨かれた色とりどりの石の道。張り巡らされた水路。いつも入る街道と繋がっている場所じゃない。恐らく真逆な場所の気がする。記憶と照らし合わせて小さく頷く。

 待ち合わせの場所と日時が記されたメモを胸ポケットから出し、小さく唸った。うっかり2日前に来てしまった。どうしたものかと思案に暮れていると背後から何度も呼びかける声がした。


 「そこの嬢ちゃん! そうそう、君だよ!」

 私だったらしい。正直なところ嬢ちゃんという年はとっくの昔に越えているのだけど外見の幼さとこの町の平均的な長身長を思えば仕方がないと思える。おかっぱより少し長い黒髪。細い体。……胸も残念ながらあまりない。敵意を感じない声にひょこひょこ近づけば首が痛いくらい仰向けなければまともに目が合わない。自分が幼子になったような心地さえする。


 「旅の途中かい?」

 「そう。待ち合わせしてる」

 「釣りしたことあるか?」

 「…………ない」


 そういえばここ、シェルトラインと呼ばれる町は一風変わった釣りが観光資源と聞いている。立ち寄ったなら1度はやるべきだと力説している人が多かった。周辺を見やればぽっかり丸い池が点在しているのに気付く。そして、男の近くに大量の釣り竿とキラキラ光る六角錐の石のようなものが大きな木箱から溢れ出さんばかりに存在を主張していた。


 「時間があるならちょいとやっていかねぇか?」

 「……やる。……できるかな?」

 「大丈夫。この釣りに必要なのは運と縁だ!」

 「?」


 話を聞いてみれば餌はなんと六角錐の石だという。そりゃあ、虫を付けるより抵抗はないけれど石でどうやって釣れるのだろう? 

 男は慣れた調子で説明をする。餌の見た目は一緒だが、籠められた力が違うらしい。そして、点在する池は色々な水源に繋がっていて何が食いつくかはお楽しみというもの。くじ引きっぽくて面白い。ちょっと楽しくなってきた。餌の石はちょうど親指と人差し指いっぱいに開いたくらいの大きさ。ピシッと濃い青の釣り竿を選び、男の言う「びゅーん、ひょい」と竿を振る。ぽちゃんと可愛い音がして池に波紋が広がっていく。


 両手で釣り竿を支えながら他の釣り人の様子を伺う。獲物は大きさも色も形もてんでバラバラ。獲物がどういったものかを聞きに行く人、何か目的があるのか首を振って獲物をまた池に返している人、黙々と同じ魚を釣り上げている人etc

 これ、釣れない人いるんだろうか。というか、釣れなかったらどうしようと一抹の不安に眉を寄せた途端ぐんっと引かれた感触に慌てて足を踏ん張って握りしめる拳に力を入れた。釣り竿は大きくしなり、バシャバシャ跳ねる水飛沫は大きく、動き回る力の強いこと。ずずっと足が滑る。


 「だ、誰かっ!」

 「うお、嬢ちゃん! 踏ん張れ、今助けに行く!!」


 後ろから抱き込むようにして池に落ちるギリギリのところで支えられる。男の力が加わっても楽観できない。舌打ちした男の腕にぼこりと筋肉が盛り上がった。ふんぬーっと声を上げ、私は男と一緒に背中から倒れた。勿論、男の体で庇われて痛みはない。見上げた空に釣り上げられた大きな……魚というのに抵抗がある長い体が飛んでいた。どしゃっと大きな音がしてそいつが原っぱに落っこちる。


 「嬢ちゃん、怪我ないか!?」


 半ば抱き上げるようにして安否を気遣う男に大丈夫と頷き、改めて釣れたものに目をやる。白くて1メートルくらいあるだろうか。ひらひらと揺らめくエラやヒレは薄青緑で優美だ。

 

 「あれ、何?」

 「こ、これは……っ」

 「そこのレディ! そいつを買い取らしてくれ!!」


 男が驚愕に目を見開いて何かを言おうとするのを遮るように誰かが滑り込んできた。走ってきた勢いで風が起きる。獲物を池に戻していた釣り人だ。周囲と服装は同じようなもの。胸あきのシャツにベスト。ポケットが多めのズボン。がっしりとした靴。だけど、仕立てが違う。明らかに上質のものだ。


 「あげるよ? 私、旅の途中だし、荷物になるのは困るし、時間潰しにやってただけだから」

 「レディ、そいつは、とんでもなく価値があるものだ。釣り上げられるだけの運が味方をしているという事実を蔑ろにするわけにはいかないんだよ、レディ」

 「……リィ」

 「ん?」

 「名前。お嬢ちゃんとかレディとか連呼されるのは、ちょっと」



 とりあえずの通り名ではあるけれど、基本旅の時はそう名乗っている。どこに行ってもこれくらい短い音なら呼びずらいということもない。


 「それは承諾と言うことだな、リィ?」

 「ん」

 「じゃあ、これを。もし不足だったら言ってくれ! この恩は忘れないぞ」


 ぐいっと小切手のようなものを渡され、あっという間に魚(?)を従者らしき人が持ってきた水桶に入れるとその人は去って行った。リィは肩を竦める。


 「言ってくれって、名乗ってないじゃないか」

 「あれは、領主様ですよ」

 「……は?」


 小切手を見ればなんかとんでもなく数字の数が多い。何度か訪れてはいるけれどお金の勘定は苦手である。この町の単位とか相場ってどうだっけ? 聞いた方が早いと顔を引きつらしている男に見せてみる。


 「ね、これ、金額どれくらい?」

 「500000レル。……あー、でっかい城が3つ整備できるくらいって言えばわかるか? この規模の町だったら買えるかもな」

 「!?!? ……ちょっと、ちょっと待って。私、一体何を釣り上げたの?」

 「ありゃ水神様だな」

 「え?」

 「どっかの水を司る眷属」

 「それ、釣れちゃダメでしょ? そこの守りはどうなるの?」

 「そこまで俺にはわかんねぇよ、お嬢……リィ」


 リィの顔が泣き出しそうに歪む。自分が釣り上げたが為に何処かが困るかもしれない。水は何処でも大切だ。ぐりぐりと大きな手が頭を撫で、目の高さを合わせるように男がしゃがんだ。


 「領主……シンア様は良いお方だよ。思慮深い方だ。間違っても自分の目的の為に何処かに犠牲を求めることはしない」

 「本当?」

 「確かめたいなら領主館まで送るぞ。ついでに預け所も教えてやる。その様子じゃわからないんだろ? それの扱い」

 「なんでそんなに親切なの?」

 「そりゃ、領主様が良い人だからさ」


 誇らしげに断言する男につられるようにリィは笑った。

 男は釣り守のガイムと名乗った。ガイムは女の子3人の父親でちっこい女性には特に甘くなるらしい。……リィは子どもではないが。とりあえず店じまいまで待とうと釣りを再開する。1回の料金で餌にあたる石は5個もらえる。


 ぽちゃん。グイッ!!


 「ガイっっ」

 さっきよりも大きい引きに慌てて助けを呼ぼうとしたが、ガボッと池に引きずり込まれてしまう。慌てた声と駆け寄るたくさんの気配。揺らぐ水と気泡の中心に大きな、とても大きな半透明の……自分が知るもので言えばタコがこっちを睨んでいた。釣り竿からはとっくに手を離した。にもかかわらず体が浮かないのは右足に巻き付いたタコの触手が原因だ。

 腰から短剣を手探りで抜いて出せるだけの力で振り下ろす。切れ味には自信があるアイテム。スパッと気持ちが良いほど寸断された。足首から剥がすのは後と浮上を開始する背後怒り狂う咆哮が響いた気がする。もう少しで水面というところで力強い手が手首をつかんで引き上げた。


 「お嬢ちゃん! リィ! 無事か!?」


 激しく咳き込みながら頷けば安堵したように表情を緩め、ちょっと失礼と断ってリィの体を抱き上げた。そして、周囲に合図する。


 「全員で撃ち込め!!」


 ボシュン! と何処かとぼけた音が立て続けに響いた。池を取り囲む男達が肩に担ぐようにして撃ち込んでいる弾は着弾して数瞬の間をおいてバキメキバキと音を立てて池を氷に変えていく。冷気が流れ始めぶるりと身を震わせる。あっという間に池は氷に閉ざされてしまった。


 「氷耐性は、ないみたいだな。それなら後で氷を割って回収できる。しかし、一体何を捕まえたんだ?」

 「知、らな、いよ……兎に角、寒、い」

 「やべぇ、誰か!」


  騒ぎを聞きつけて集まってきた人達からひとり走り出てきた。毛布を持った女の人だ。素早く包むと女の人はそのまま抱き上げた。リィは震えながら苦笑する。この町だと女の人にも運ばれちゃうんだなぁ……と。


 近くの家に運ばれたリィはお湯で身を温め、医者にまで診てもらった。「うちの人がごめんね」という言葉からするとガイムの奥さんだろうか。足首に巻き付いていた触手は水饅頭のように変わっていて、むちっと剥がれた。ますます謎だ。


 「旅人殿!」

 「は、はいぃ!?」


 どこから現れたという疑問が頭を巡るも至近距離に詰め寄る、頭の禿げた痩せた金縁眼鏡の役人風の男から少しでも逃げようとベッドの上で後ずさる。興奮しているのか血走った目、荒い鼻息。普通に怖い。


 「何やってるんですか、貴方は!!」

 「いや、これは善は急げと」

 「訳わからないこと言ってないで離れなさい! どんな理由があろうと女性の休んでいる場所に入り込むなんて言語道断です!!」

 「待たれよ、奥方!」

 「そんな呼ばれ方をする身分じゃございません!」

 「私はっ職務の全うを!」

 「それが理由になりますか!!」


 うん、女の人って強いな。ああいう人になりたいよなーとリィは暢気に思っていた。身の危険さえ去れば冷静な質だ。いつまでも続く口論を聞いている内にどうやらまたしても自分が釣り上げたものが問題らしいとわかり大きなため息。今度は一体何を釣ったんだ、自分。


 程なくしてガイムが仲介に入って事が落ち着いた。あの半透明な巨大タコは死ぬとゼラチン質に変化して、味は淡泊ながら上品、美容にも良い高級食材。あの役人は高級かつ珍しい食材中心に管理する局に在籍しており、他の料理人、貴族に買われる前に是非自分が管理したいと使命に燃えてやってきた、ということだ。

 もみ合って若干くたびれた役人は潤んだ目で食い入るようにこっちを見ている。おじいちゃんにウルウルされてもなーとげんなりしたい気持ちを抑え、リィはベッドの上で深呼吸して向き直った。


 「お話はわかりました。ご承知の通り私は旅の途中です。あんな大きなものは手に余るし、ましてや管理などできようはずもありません。全権委譲という形でお願いしたい。そして、私に支払われようとしている報酬はこの町へ」

 「お嬢ちゃん!?」

 「私ね、ここ好きなんですよ。名物の釣りは今回初めてやったけど何回か訪れている。その度に嫌な思い1個もしたことがない。あったかい人達がこんなにいる町って珍しいよ。恩返し。報酬はついさっきの領主様からのでお腹いっぱいだよ」

 「幼いのに、なんて、なんて心の広いお方か……っ、私は、私は、感激です! 報いる為にはどうしたら……!?」


 だから、いらんと。更に私は幼女じゃないから!

 リィは目を逸らして10秒数える。感情を高ぶらせたら碌な事はない。これは全く受け取らないでは済まないだろう。


 「……じゃあ、その高級食材、一口ずつで良いから今回の一件に関わった人と食べたい」

 「本当に欲のないお嬢さんじゃ。お安い御用です」


 役人は好々爺然した笑みを浮かべ頷いた。孫を見るようなその顔が素なのかもしれない。祖父を持たないからわからないけれど、ちょっとくすぐったいようなあったかさを感じた。

 その後、氷を割って回収する作業が行われた。役人は第一印象は兎も角良い人だったらしく、料理人を呼びつけ高級食材を白玉のようにたくさん入れた温かい汁を作り町中に振る舞ってくれた。それで巨大タコの足1本て、どれほど大きかったのか。恐ろしい。


 ちょっとした祭りのような体でたき火が作る明暗が美しい。リィは池を眺める原っぱに直に座って凪いだ水面に映る星を見ていた。足音がして振り向くと、奥方……シュナさんが金属のプレートを差し出してきた。その横にはガイム。首を傾げると役人と口論していた時と打って変わったおっとりとした口調で説明してくれる。


 「預かり所の身分証明よ。ごめんなさいね、濡れ鼠の貴女の服を脱がした時にとんでもない額の引換券が出てきたものだから、一緒に落っこちてきた身分証明書を使って口座を作ってきたの。リイヤ・アカツキ、さん?」

 「!」

 「それでリィなんだな。この町の連中は皆気が良いけれど、突拍子もない額を見たら魔が差すとも限らねぇ。シュナを責めないでくれ。このとおり」


 どこまで善人なんだと寧ろ恐れすら抱いてリィは思わず黙り込む。頭を下げてそのまま動かない2人を見ていた。くすねられたかもなんて疑念すら浮かばない。よって、責める理由もない。


 「責める箇所、あります? お礼言っても言っても返しきれないじゃないですか。もう! ……ありがとうございます。私はどうしてもお金を扱うのは苦手だからありがたいです」


 ホッとした空気が流れる。そこへ軽やかな足音が近づいてくる。ガイムの娘達だ。キャッキャと声を上げて勢い任せに転びかけるのを両親に抱き留められ、またうれしげに笑う。


 「あ、強運の釣り人アラクシス・フェイター!」

 「……はい?」

 「ああ、強運の釣り人って意味だよ。まれにとんでもないものばっかり釣り当てる釣り人、旅人を指す名称。リィは町じゃ有名人だな!」


 基本、目立ちたくないのにどんどん注目されていくのは何故だ。リィは遠い目をして曖昧に微笑んだ。その目の前に封筒が突き出されて数歩下がる。


 「お手紙だよ!」

 「領主様から!」

 「アラクシス・フェイターに!」

 「…………ありがとう」

 「超特急便だって!」


 すぐ目を通した方が良いらしいと判断して了解を取って手紙を開封する。力強く並ぶ文字は人柄を感じさせるものだ。明るくて、豪快で、あたたかみのある。目で追えば改めて譲ってくれたお礼と名乗らなかった非礼を詫びるところから始まり、リィが気掛かりだったことが説明されていた。

 今、この町は雨が不足していること。深刻な被害が出る前に雨を呼ぶ為に水の眷属を探していたこと。此方に水が満ちるまで本来の場の守護を保持する魔道具を使うこと。水神にもそれを認めてもらった上で力を借りるつもりであることが書かれている。最後に説明不足で不安を与えてしまう至らなさに気付くのが遅れたことを重ねて詫び、また町を訪れて欲しいと〆られていた。



 「本当に、良いお方なんだね。領主様」

 「訪ねる必要はなくなったか?」

 「うん、安心した」


 心の荷がおりたところで宿を探そうと暇を告げればあっさりと家に泊まればいいと提案され、歓声を上げた子ども達に押し切られる形で決定となる。いっそ待ち合わせのギリギリまで居ればいいとガイムはにっかり笑った。言葉に甘える以前に遠慮させてくれない空気に白旗を揚げた気分で一言。


 「じゃあ……お世話になります」

 「おう!」

 「あ、これ返していいですか?」


 差し出したのは釣りの餌、まだ3つ余っている。2回ともとんでもないものが釣れたのだ。精神的によろしくない。溺れたくないしと苦笑すればガイムはそうだよなぁ……と頷いた。


 「じゃあ、森釣りはどうだ? 同じ餌で釣れるぞ」


 はい? 待って、森釣りって、何!?

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