2-2

 それから気まずさがのしかかった二人は、めいめい脳内会話を繰り広げ歩いていた。

いつものことだが、彼女は舞台上の羽賀のことばかり考えている。初めて羽賀の演技を見た日のこと、演技中の威圧感あふれる目つき、真っ直ぐな針が通っているかのような背筋、よく通る低い声……どれも繰り返し思い出す。思い出してイメージしていく。羽賀が最も輝くための劇を。それを脚本として造形するのが使命とさえ、彼女は思っている。

しかし、今日の公演では羽賀は役者としては出ない。羽賀は脚本・演出をすることになっている。入院中、見舞いついでに部員の武田からそれを知らされた彼女は、ひどくショックを受けた。

「ハガちゃんの演技見れんの……」

「脚本の才能もあると思うけどな。たまにはいいじゃん」

 と、武田に唾を飛ばされながら宥められて彼女は呆れかえった。唾をぬぐった指を不快そうに見つめる。

「役者としては天才よ。あの子に脚本とか何考えとん?」

「いや、やるって言い出したのは羽賀さんだし……」


控え室に向かおうとする羽賀に、「ハガちゃん、なんで」と彼女は言いかけたが、続けた言葉は「さっき間違えましたって言った意味、教えてくれん……ないの?」

彼女の無理した標準語は、そこらの留学生よりもぎこちない。

「教えてほしいなんて言いました?」

「ゆった」

 彼女が続けたかったのは、なぜ役者をやらないのか、ということだった。

彼女は僅かながら感じ取っていた。羽賀の脚本への、もしくは別の何かに対する強い覚悟を。その威圧が彼女をすんでの所で堰き止めて、羽賀へ踏み込むことを許さなかった。羽賀が毒をまとっている気さえした。

そういえば桜には毒があったんだっけ。彼女は羽賀の名前が、「さくら」だったことを思い出した。

羽賀が控え室に消えていくと、入れ替わるように武田が近づいてきた。彼のふにゃふにゃ手を振る仕草を彼女は嫌っている。武田の大雑把な性格がにじみ出ている気がしてならない。

「退院おめでとう」

「どうもー」

「お前、相変わらずおれにだけ冷たいよな」

「あんたがハガちゃんを差し置いて役者なんてやってるから」

 またその話かよ、とヘラヘラ笑う。彼女は嫌味のつもりで言ったが、武田はほぼ全ての事象を好意的に捉える性分であった。それは彼女も十分理解しているが、良く思っていない。

「あんたって何もわかってない」

「何を?」

「ハガちゃんの才能とか、色々」

 お次はクックッ、と堪えるように笑う。武田は面白くて仕方がない時、左の耳たぶを揉む。今もそうして、千切れそうなくらい揉んでいる。彼女はどうして武田がこんなにも笑うのか、全くもって理解が出来なかった。彼女の表情は、怒りの念にとらわれはじめていた。

「今更だけど、なんで臨時で公演やるって決めたん? 私に相談もせずに」

「いや、急な話だったからさ。常連のクジラおじさん、いるだろ? クジラさんの頼みらしいよ。顧問の鈴木センセが言ってた」

 じゃあ仕方ないか、と顔をゆるめる。

 クジラさんとは、よく彼女たちの演劇を観に来る図体がバカでかい人で、部内で密かにそう呼んでいる。彼女が付けたあだ名だ。去年の秋頃から欠かさず来てくれている。

「ま、クジラさん細かく感想とか送ってくれるし、良い機会やね」

「そういや、パンフレット渡しに来たんだった」

 忙しくバッグを漁って取り出したのは、変な方向に線が入りまくったぐしゃぐしゃの紙。彼女は眉間にしわを寄せて受け取る。

「なんだその顔。この紙そっくりじゃん」

「誰のせいよ」

「あー、そろそろ準備あるから、行くわ」

 走り去っていくだらしない背中を、彼女は憎らし気に見つめる。

 ほんと、何も分かってない。

 未だに羽賀が脚本になったことを、彼女は納得していない。ある種、武田は八つ当たりされていた。

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