息づく桜花

2-1

 電球が青い光を灯し、闇の中で白い桜が浮かび上がる。

 いつか見た夜桜の景色。それを今、舞台上に見ている。姿はただの女性なはずだけど……人と桜がだぶって見えるのは初めてだ。

 劇が開始してまだ一分も経っていないと思う。女性はセリフを吐いていない。私を含む数人が感嘆のため息を吐いただけだ。周りの顔など見ないし、見る余裕もないけれど、きっと口を開けたままのお人形になっている。かくいう私もそうだが。

 それから一、二分経ったが、女性は動かない。青いスポットライトが照らす舞台のへそに、根をはるような正座のままだ。体は全くぶれない。女性が呼吸をしているのかさえ、分からない。肌が逆立っていく。

 何よりも恐ろしいのが目だった。

 黒目だけが揺れ動いている。風になびく花のように、不規則に、不安定に。自発的な動きには感じられない。その頼りなさが、散り際の花びらと重なる。女性の視線は斜め上にあった。その格好は、空に縋る花そのものだ。夜空を塗り替える太陽を待つ花の目だ。私は今にも泣き出しそうだった。

 涙が落ちるか落ちないかの瀬戸際、一気に照明が明るく塗り替わっていく。その先は、眩しすぎて覚えていない。


○●○●○


ふらりと鼻に舞い込む桜花の香りを、彼女はとうとう拝むことなく春を終えた。まだ四月の下旬ではあるが、桜の終わりが春の終わりと決まっている。彼女の中では。

彼女は昨日まで気胸を患って入院していた。その間に春休みは終わり、桜は散り、所属する部活――演劇部は臨時の公演が決まり、彼女はあらゆるものから置いてきぼりをくらっていた。

 生き生きと緑が待ち構える並木道を、彼女は力なく歩いている。生まれはじめた新緑の息吹をふき飛ばすように、ときどきため息を吐きながら。

季節の移ろいを目に染みるぐらい浴びた彼女は、コンタクトを忘れたことを幸運とさえ思った。

葉桜なんかぼやけるぐらいで丁度いい。

「今日は裸眼でも問題なかったかも」

 独り言にはなり切れなかった。隣を歩く演劇部の後輩、羽賀がそれに反応したからだ。

「……分かってましたけど。やっぱり興味ないんですね、先輩」

 羽賀はそう言うと目を伏せた。

場違いなほど暖かい風が二人の隙間を通り抜ける。

「ハガちゃんは新緑が好きなん?」

 二人、ハッとした。羽賀は話題を勘違いしたこと、そして、自分自身のとあるこだわりに気が付いた。しかし羽賀は何かに気付いても言葉にする性分ではなかった。意志の強そうな瞳とは裏腹に怖がりで、きっかけがなければ本音も伝えられない。現に羽賀は、隣の彼女に対して尊敬に加え、年の壁をすり抜けた友情を自覚しているにも関わらず、一番言いたいことは胸の中で腐らせていた。そんな自分を嫌っている。

一方、彼女は注意していた西の方のなまりが出てしまったことに気付いた。羽賀はきれいな標準語を話すので、なまりが気になってしまうが、他の人との会話ではまるで気にしていない。無意識だが、彼女は羽賀に対してだけは緊張感と尊敬を併せ持ち、会話していた。

「間違えました」

 とだけ、羽賀は答えた。

「え、何を?」

 相変わらず西のなまりだった。

 羽賀は朝の東の空を睨んだ。

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