Ⅺ 最後の戦い (6)

 邪竜はひたすらに身体を暴れさせながらもがいていた。核としていたアリスが離れたからであろうか、実体を掴むことが可能になったシュラだったが、邪竜との戦いで大分ダメージを負っているため、もがく邪竜の動きを抑えつけるのは容易ではなかった。


 「こんにゃろう!」


 そう言って更に力を込めるが、その痛みに邪竜はさらに暴れまわり、シュラの腕を弾いた。そのまま口に黒い炎を溜めて放とうとするが、シュラが左腕を伸ばし、邪竜の口を強引に塞いだ。


 「暴れてんじゃねぇぞ!」


 シュラは声を荒げながら再び右腕で邪竜の頭を掴んだ。そしてそのまま地面に向かって急降下を続ける。下を見ると、城の下にある町の中に、近くに建物のない噴水広場のような場所があった。シュラはそこに向かって邪竜を叩きつけるつもりでいるのだ。


 「頼むから出てくんなよ、人間!」


 シュラはそう叫びながら邪竜の頭に爪を突きたてる。痛みに邪竜はこの世のものとは思えない絶叫をあげた。


 「こいつで、最後だァァァ!」


 シュラはそう叫びながら、更にスピードを上げながら、落下していく。地面との距離はぐんぐんと近付いて行く。もうすぐ、地面と衝突する。

 激しい音と砂ぼこりが起きた。その音に釣られてか、今までいなかったはずの人間が、建物の影や上からでは死角となっている場所からゾロゾロと現れた。


 「い、今のって……」


 人間の一人が呟いた。それに釣られるように他の人間たちも次々に声を上げていく。


 「竜と、竜の戦いだったの?」

 「で、でもエリア様があそこにいる赤い竜に乗っていたはずだろう」

 「そもそもエリア様って死んだんじゃ……」


 色々な声が町を包む中、シュラは倒れている邪竜をジッと見つめていた。邪竜は起き上がろうと何度か身体をよじらせたが、完全に息を引き取った。

 シュラが邪竜の亡骸に近寄ろうとしたが、邪竜は完全に身体を灰として、風に流されて消えていった。これで新たな邪竜が自然界を脅かす脅威はなくなったはずだ。だが、それはシュラの火皇としての長い戦いの始まりでもあるように思えた。


 「人の悪意、か」


 これからも人間がいる限り邪竜との戦いは続いていくのだろう、とシュラは思った。だが、それであるなら人間と竜の関わりを変えて行けばいい。何故なら人間と竜が共に歩んでいた頃には邪竜は存在しなかったからだ。

 何をする必要があるのか、どうすれば良いのか、考えることは山のようにある気がした。しかしシュラは自分が一人ではないことも良く知っている。


 「あの竜は一体」


 議論を重ねる人間たちは最終的にシュラに視線を預けていた。しかしシュラはそんな視線をものとものせずに、空を見上げて大きく口を開けた。


 「ウオォォォォォォォォ!」


 天まで響くその咆哮に、サーファルドの民は腰を抜かしていた。


 姉妹は十分以上も互いに抱き合いながら涙を流していた。そしてお互いの涙が引いてくると、顔を見合わせてクスクスと笑い出した。


 「姉さん、変な顔」

 「エリアには言われたくないわよ。とても国民には見せられないわ」


 そんな言葉を交わしながら二人は立ち上がる。ふと眩しい方角を見つめると、夕焼けが真っ赤に燃えて美しかった。


 「綺麗、だね」


 エリアがそう言うとアリスは頷いた。二人はもっと近くで見ようと屋上のギリギリまで足を進める。

 夕陽が更に近くなり、一瞬掴めるのではないかという幻想を抱いて、エリアは腕を伸ばす。そんな妹の姿にアリスはクスクスと笑う。


 「エリア様!」


 そうしていると、城下より声が聞こえてきた。それも一つや二つではない。全てエリアを呼ぶ声だ。


 「エリア様ぁ、ありがとうございます!」

 「サーファルドの救世主、いえ、新たな王にふさわしいお方です!」

 「エリア様、エリア様!」


 突然名前を複数の人間に叫ばれ、しかも何故か異常なまでに尊敬と信頼を集めている様子にエリアは面食らっているようだった。


 「当たり前でしょ。死んだと思っていた第二王女が、暴走した第一王女によって荒らされた国を、伝説でしか知らない竜にまたがって颯爽と救いにくればそれは英雄になるわ」


 アリスはそう言うと、ふと顔を背けた。


 「だから、この国の王にはやっぱりエリアが相応しいのだと思う」

 「姉さん?」


 言葉を発したアリスにエリアは違和感を覚えた。するとアリスはニッコリと笑う。


 「エリア、私はこの国を去るわ」


 アリスの突然の言葉に、エリアは「え」と声を返した。


 「どうしてよ。姉さん……もう姉さんを縛るものは、苦しめるものはなくなったのに」


 エリアがそう言うと、アリスは首をフルフルと横に振った。


 「私は、少なからず自分自身が抱いた負の感情に勝てずに、結局愛する国を、国民を傷つけてしまったの。仮に私がここで城下に出て行こうものなら、恐怖の目で見られることでしょうね」


 アリスは空を見つめた。


 「私は、もうこの国にはいられないわ。苦しめてきた人が多すぎるもの。私はどこか他の場所で人知れず過ごしていくべきだと思うの」


 アリスがそう言うと、エリアに背を向けた。エリアが引き留めようと口を開こうとした、その時だった。


 「アリス様、それは少し甘すぎますぞ」


 その声は、老練なる執事、バルドのものだった。老体に鞭打たせてあの階段を上ってきたのだろう。そしてそのままアリスに向かって歩いた。


 「バルド……」

 「アリス様、確かに貴方は決して褒められはしないことを行ってきました。罪もない人々を牢に閉じ込め、自らと親の代の因縁に囚われ、あろうことか、愛国に火を点けようとした」


 バルドの声はとても厳しいものだった。アリスは黙ってその言葉の一つ一つを受け止めている。


 「しかし、だからといってこの国を離れればそれは贖罪でしょうか?いいえ、それは逃げでございます。それも、貴方がもっとも安易に、そしてもっとも長く苦しむための術です」


 アリスはバルドの言葉に、何も返せずにいた。それは彼女自身が心の奥でそう思っていたからに他ならない。


 「アリス様が今すべきは、サーファルドから逃げないことです。今までの圧政で失った活気を取り戻し、それ以上により良い国に変えていくことです」


 バルドはそこまで言うと、微笑みながら髭を弄って、言った。


 「零してしまったものを真に取り戻すためには、それ以上に拾わねばなりますまい。これは貴方の父君が私に伝えてくれた言葉です」

 「……お父様の」


 アリスは目を丸くした。そして少しだけ表情を和らげた。


 「結構厳しいよね、バルド」


 バルドは何も言わずに微笑んでいた。


 「姉さん」


 後ろから聞こえたエリアの声に、アリスは振り向いた。


 「私は、国交とか内政とか、よく分からないんだ。お金のことも、正直あまり詳しくないし」


 かつてお金を稼ぐことがこんなにも大変なのか、と思ったことはあるが、とエリアは心の中で呟いた。


 「民たちの望む声もあるし、私はきっとこの国に残って、この民たちを導くことが使命なのかな、って思う。それはきっと王様になるってことだと思うんだ」


 エリアはそう言うと、恥ずかしそうに頬を掻きながら言った。


 「でも、さっき言ったように、私一人で国を治めるのは多分無理だと思う。だから」


 エリアはアリスに手を差し伸べる。


 「一緒にやろう。姉さん……ううん」


 エリアは首を横に振って、ニッコリと笑ってアリスに言った。


 「私の支えになって。姉さん」


 エリアの言葉に、アリスは呆然としていたが、すぐに表情を崩した。


 「勝手で、そして意外と厳しいのね」


 差し伸べられたその手をアリスは受け取った。

 

 夕焼けの中、巨大な影が下から現れた。赤いその姿は、逆光のせいで細部までは見えなかった。それはそのままズン、と屋上に足を下ろした。


 「終わったな、エリア」


 シュラはそう言ってエリアに微笑んだ。エリアもその言葉に微かに微笑む。二人の間ではこれでコミュニケーションが成立していた。


 「こ、これはなんとも……」


 バルドの声にエリアが振り向くと、すっかり腰を抜かして驚くバルドと、呆然と立ち竦むアリスの姿が見えた。


 「あ、改めて見ると……」


 すっかり驚いている二人の姿が何故か可愛くてエリアはこっそり微笑んだ。


 「なあ、エリア」


 シュラがエリアに向かって声を掛けた。


 「決めたのか」


 シュラがそう尋ねると、エリアはコクリと頷いた。


 「ここが、きっと私の帰るべき場所だったんだよ」


 エリアは迷いのない目でそう言っている。シュラは満足気に笑った。


 「そうか。それなら良かったよ」


 

 シュラが翼を広げて飛び立とうとすると、エリアがシュラの背中に触れた。


 「ありがとう、シュラ。凄く大切な旅だった」


 エリアの言葉を受け、シュラは笑って返した。


 「色々なことがあったけど、お前で良かったと思うよ」


 二人はそうして数秒間、何も言わずに、ただ触れ合っていた。そしてシュラが少しずつ翼をはためかせ、空に浮き上がる。

 シュラはエリアを見て、エリアはシュラを見上げていた。


 「なあ、エリア。次にお前と会う時は」

 「シュラ、次に私たちが会う時には、私は」


 ――立派な――


 「皇になる」

 「王になってみせるよ」


 そう言うと、シュラは空の彼方に向かって飛んで行った。エリアはシュラの姿が見えなくなるまで眺め、シュラの姿が見えなくなったあとも、そのまま城の屋上で風を感じていた。

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