Ⅺ 最後の戦い (5)

 「……う」


 アリスは長く眠っていたような気がした。確か自分は邪竜に身体を奪われて、エリアと大きな赤い竜との戦いに巻き込まれていたはずだ。しかし、あまりの動きの激しさに気が遠くなり、そこからフッと記憶が飛んでいる。


 「わた、し」


 もう、これで終わりなのだろう、とアリスは思った。思えば情けなく無駄で、愛情というものを知ることがない人生であった、と思う。家族の中にあった愛情は偽物で、とても優しいけれど、ちょっと頼りなくて面倒を見なくてはと思っていた妹とも、本当は繋がりがなかった。そして唯一の繋がりを持っていた母親は、自分自身の感情のために城から追放した。そうして自分には何もないのだと言い聞かせた。


 「わたし、は」


 人を幸せに出来ない人間だ。お父様のように誰かの役に立てる人間ではなかったのだ。ずっと憧れた父の血を引いているからあんなふうになれる、という幻想に甘えていた愚かな操り人形だったのだ。


 「わたしはぁ……」


 涙が溢れてくる。さっきまでの怒りは嘘のように消えてしまった。残っているのは虚しさと情けなさ。自分は何かを成し遂げることも出来ない未熟な人間でしかなかったのだ。


 「私は……」

 「あなたは」


 不意に誰かの声が聞こえた。アリスは涙でよく見えないが、目の前にいると思われるその声の主を見つめた。そこにいたのは、面倒を見なくてはと思っていた妹だった。


 「あなたは、アリス・イアソ・サーファルドだよ。これまでも、これからも」



 エリアは邪竜の身体にしがみついてアリスの前に姿を現した。


 「エリア、なにを」


 アリスは理解出来ない、という表情を浮かべている。エリアは懐から一つの物を取り出した。


 「アリス、これ」


 アリスの目の前に差し出したものは、セレビアのペンダントだった。


 「セレビアのペンダント……確かエリアがお父様に貰ったもの」


 エリアは首を横に振った。


 「これは、私のじゃないよ」


 エリアはそう言って懐にペンダントを戻すと、そのままアリスを捕えている黒い触手を引き剥がし始めた。


 「エリア、一体何をしようとしているの!」


 異変に気付いた邪竜が自らの胸の辺りに触手を集中させる。そのままエリアは身体を掴まれてしまい、もがくが竜の力には勝てそうになかった。


 「くっ」


 しかしエリアがもがいていると、突然邪竜の力が抜けて空中に投げられる。そのまま身体を反らして何とかもう一度アリスの近くに腕を伸ばした。

 どうやらシュラの援護が効いているらしい。エリアを相手すればシュラに狙われてしまう。それを理解した邪竜はシュラにのみ意識を向けた。


 「こんな危険な真似をおかしてまで、一体何がしたいのよ!」


 アリスが叫ぶと、エリアは静かな声で言った。


 「セレビアに、込められた意味って知ってる?」


 アリスは困惑した表情を見せた。


 「何でそんなことを……」

 「良いから、答えてよ」


 エリアは必死の形相で、再びアリスを捕えている触手を引き千切り始めた。アリスは少し考えてから言葉を発する。


 「……王の証、でしょう。だからお父様はエリアにそれを授けた」


 スッとアリスの顔が暗くなる。言葉にしたことで真実が見えてきた気がしたのだ。やはり自分は……。そう思ったとき、エリアは叫んだ。


 「そっちじゃないよ!」

 「え……」


 エリアは激しい声とともに、アリスを捕えている胸の辺りの触手を千切った。


 「私が、言っているのは……宝石言葉の方だよ」

 「宝石言葉?」


 エリアは肩で息をしながらアリスに言った。


 「これは、リアナさんの部屋で見つけたものなんだ。それも誰かから隠しているかのような場所にあった」

 「お母様の部屋に……何で」

 「……本当の持ち主に渡さないため、だよ。これが本当の持ち主に渡ってしまったら、その人がサーファルドであることを認めてしまうから」

 「……持ち主」


 アリスは呆然とエリアを見つめていた。


 「……アリスだよ。これは最初から一つの石を二つに割って、私とアリスに渡されるものだったんだ」


 アリスは驚いたように声を上げた。


 「私に……も?」


 エリアは手を休めずに、コクリと頷いた。


 「セレビアの宝石言葉は、真実の愛」


 エリアはアリスの身体をギュッと掴んだ。


 「自分の娘ではない事を知っていて、それでも、それをアリスに渡そうとしていたんだよ」


 アリスは言葉を発することが出来ずに、ただエリアを見つめていた。


 「姉さんに渡そうとしていたんだよ……!」


 アリスをしっかりと抱きかかえると、エリアは足で邪竜を思いっきり蹴ってアリスを引き剥がした。その勢いでエリアとアリスは互いに身体を抱き合わせたまま落下していく。


 「このまま、だと……」


 エリアは目を瞑った。このままだと城の屋上に落下してしまうからだ。そのままずっと身体が落ちていく感覚があった。だが、突然何かに抱き留められたのだ。


 「本当に無茶するよな、お前は」


 シュラだった。シュラの背中の上に、エリアとアリスは横たわっていた。


 「シュラ!」

 「とりあえず、城の屋上まで降ろしとくぜ。あとは決着をつけるだけだ」


 そう言うと、シュラは手早く城まで降りて、二人を下ろすと、再び邪竜目掛けて飛んで行った。


 「……生き、てる」


 アリスは信じられない、といった様子で座りながら自分の両手を眺めていた。すると、エリアがその目の前でアリスに視線を向けた。


 「エリア……」

 「私も、話したいことがあるよ」


 エリアは覚悟を決めたというように、険しい表情をしていた。

 

 シュラは上空で邪竜と対峙している。しかし邪竜は先程までとは全く違う奇声を上げながら身体を維持しようと必死だった。


 「アリスが引き剥がされたから、か」


 よく見れば巨大化していた身体も収縮し、元のサイズよりも小さく見えた。アリスを核として生物としての進化を行っていたためだろうか、もう一度身体のバランスを保つのが難しいみたいだった。


 「やるなら、今しかねぇな」


 シュラは大きく翼を広げて、邪竜に突進する。邪竜もシュラの存在を認知したようで、再び無数の鋭く尖った触手を伸ばしてきた。

 シュラは激しい動きで触手を全て避けると、右腕に力を込めて邪竜の頭を掴んだ。


 「これで、終わりだからな」


 そして、そのまま地面に向かって急激に降下していく。


 「最後まで付き合えよぉ!」


 「話って……私に?」


 アリスは不思議そうな顔をしたあとに、諦めたかのような表情に変わった。


 「どんな罵倒でも受けるわよ。あまりにも非道なことをしてきたもの。今更言い訳なんかしないわ」


 例え今の自分からは考えられない行動だったとしても、とアリスは付け加えた。しかしエリアは首を横に振った。


 「そうじゃないよ」

 「じゃあ、一体……」


 エリアは涙目でアリスを見た。


 「これからするのは、私の話」


 そう言うと、エリアは息を吸って、吐いた。


 「私が、さっきの……もう一つのセレビアのペンダントを見つけた時、どう思ったと思う?」


 エリアの問いに、アリスは首を横に振った。


 「……私は、ね。羨ましいって思ったんだよ」

 「羨ましい……?」


 アリスは驚いた様子を見せた。エリアの言葉の意味が理解出来ていない様子だった。


 「だって、お父様からは真実の愛を貰って、リアナさんからはそれを隠したくなるほどの愛情を受けていたんだな、って思ったから」


 アリスは口を挟まずにエリアの言葉に耳を傾けた。


 「私は、リアナさんから愛情を向けられたことなんてなかったから」


 エリアは鼻を啜ると、次の言葉に繋いだ。


 「ずっと、アリスが羨ましいと思ってた。家族四人でご飯を食べるときも中心はアリスだったから。勉強も何でも、アリスの方がずっと出来が良かったし、そんな時アリスを見ているリアナさんも、お父様も嬉しそうだったから」


 エリアは一度、咳をしてから言葉を続ける。


 「ここから離れて、居場所を見つけたいと思った。多分アリスがいる限りこの国で、この城で自分は必要とされないだろうなって、心の中で思ってた」


 アリスはエリアの独白をひたすら聞き続けていた。


 「でも、この国の危機だって知って、アリスが辛い思いをしているって知って、助けたいって思って……。でも、でもね」


 エリアは顔を上げた。


 「もう一つのペンダントを見て、分かったんだよ。アリスは愛されていた。確かに愛されていたんだ、って。そんな強い愛も受けて、私よりずっと頭も良くて民衆にも優しさを持てて……。私も、アリスみたいになれたらって……」


 エリアの言葉に、アリスも自然に涙を浮かべ始めた。


 「悔しいときもあって、情けないときもあって。でもさっきアリスが苦しんでいる時に、助けてあげられる言葉も掛けてあげられなくって」


 エリアの声が上ずっていく。鼻を啜る回数も増えた。


 「でも嫌いになんてなれなかった、だって……だって」


 エリアはアリスに抱き着いた。


 「家族だもの!アリスは……姉さんは、私にとっての家族だもの」


 アリスはその言葉に、衝撃を受け、そして弾かれたように泣き崩れた。


 「もう、たった、一人の……」


 エリアはその言葉を最後に、ひたすらアリスに縋って泣いた。アリスもエリアの背に腕を回して抱きしめながら、二人で互いの名を呼びながら涙を流した

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