Ⅺ 最後の戦い (4)

 鋭い風を受けながらエリアとシュラは屋上に辿り着いた。そこにはのっそりとアリスに向かって歩く邪竜と、腰が抜けてしまい、ゆっくりと後ずさるしかないアリスの姿があった。


 「アリス!」


 エリアは叫んで、シュラの背中から飛び降りてアリスに近付いて駆けた。


 「エリア、どうして」


 さっき落ちたはずなのに、という不可解な現象にアリスは混乱の表情をエリアに向けた。その瞬間だった。

 邪竜の胸の辺りから黒い触手のようなものが数十本伸びてアリスの腕や足、身体を掴む。一瞬の出来事にアリスは呆然としている。エリアは必死にアリスに手を伸ばした。


 「アリス!お願い掴まって!」


 エリアは精一杯左腕を伸ばした。アリスもそのエリアの声に導かれるかのように左腕をゆっくりとエリアに向けて伸ばした。しかしその二人の手のひらが重なることはなかった。

 アリスの身体は触手に引っ張られ邪竜に近付いていく。アリスの身体はぐるりと回転させられ、そのまま邪竜の中心部に投げつけられる。そして邪竜の身体から黒い塊が浮き上がりアリスの身体と融合を始めた。


 「い、嫌ぁ」


 アリスは首をぶんぶんと振るが邪竜との融合は止められそうになかった。


 「アリス!どうして……」


 飛び出そうとするエリアをシュラが腕を引っ張って止めた。


 「離して!シュラ、あのままだとアリスが」

 「死ぬことは、ない……はずだ」


 エリアは、「え?」と漏らした。シュラの発言の意味がよく分からなかった。


 「あの邪竜はアリスを養分として生まれた存在だ。つまり、アリスは邪竜の母親ってことになる。おそらく母親を求めているだけだから、命までは脅かさないはずだ」

 「母親、ね」


 エリアは胸がチクリと痛んだ。自分の中にもいたはずなのに、自分の命は脅かすというのか、と嫌な感じがした。


 「だが、アリスの命を奪うのが邪竜ではない、というだけだ」


 エリアはシュラの顔を見た。


 「どういう、こと?」


 シュラは重い口を開く。


 「邪竜を野放しにするわけにはいかない、親父の意志を継いで俺が今回の邪竜を絶対に倒してみせる。だがそうすると今、邪竜と融合しかかっているアリスの命は……」


 エリアは目を大きく見開かせた。


 「アリスを、殺すかもしれない、ってこと?」


 シュラはエリアの手を離した。


 「そうなる可能性が高いってことだよ」


 エリアは邪竜に視線を移した。


 「そんなこと、駄目だよ……」


 そして、シュラに視線を戻した。


 「シュラ」

 「……どうしたい?エリア」


 シュラの問いかけに、エリアは確かな決心を持って答えた。


 「私もシュラと共に戦う。そして、邪竜からアリスを引き剥がしてみせる」


 エリアの決断に、シュラは笑った。


 「面白れぇ。良いぜ、やろうじゃないか!」


 シュラが身を屈めると、エリアはそのまま勢いよくシュラの背中に飛び乗った。

 邪竜もアリスを胸に融合させたまま、シュラを睨んだ。そして視線を外すと上空に凄い速さで飛び上がる。


 「行くぜ、エリア。振り落とされるなよ」


 シュラがそう叫ぶと、先程屋上に来るまでよりもさらに速いスピードで空に駆けあがっていく。エリアは僅かに目を細めた。

 竜と竜は、上空で対峙する。



 「キィィィアルゥゥ!」 


 この世のものとは思えない鳴き声を上げながら邪竜は黒い腕を伸ばして、シュラの身体に巻き付けた。そして、そのまま投げ飛ばそうとグルグルと大きな円を描くように回そうとする。


 「させっかよぉ!」


 シュラは僅かに自由の利く右手の爪を邪竜の腕に突き立てた。痛みに僅かに出来た隙間を見逃さず、そこにもう一方の腕を挟み込んでそのまま邪竜の腕を引き千切った。


 「キギャァァァ!」


 邪竜は苦しそうに奇声を上げる。千切られた腕は空中で灰となって消えてしまった。


 「今度はこっちから行くぜ!」


 シュラはそう叫ぶと、グン、と身体を逸らして溜め込んだ炎を口から発射した。邪竜はその燃え盛る炎をすんでのところで避けると、千切れた腕を再生させた。そして自らも口から黒い煙を出した。


 「こいつも、炎を吐き出すつもりか……」


 邪竜はそのまま激しい咆哮とともに黒い炎を口から吐き出す。シュラも呼応するようにもう一度炎を吐き出した。竜が放った二つの炎は激突し、押し合いが始まる。シュラの炎の方が僅かに優勢で、そのまま邪竜の炎を打ち破り、邪竜の身体に直撃した。


 「ァァァアア!」


 業火に灼かれて邪竜は苦痛の声を上げた。しかしその声が止んだかと思うと、邪竜は更に身体を巨大化させた。


 「な、に……?」


 邪竜はまだ幼体であったということは、まだ成長するということでもある。そんなことは分かっていたつもりであったが、まさかここまで成長速度が速いとは思わなかった。シュラは邪竜が更に凶暴になるのを感じた。


 「ゴォォォォ!」


 邪竜は漆黒の翼を広げると、シュラに向かって飛び込んできた。そのスピードはさっき邪竜が飛び上がった時のものとは全く違っていた。シュラは全力でその邪竜の体当たりから避ける。

 避ける際に背中にエリアがいることを考慮しきれずに、全力で避けたため、エリアのシュラを掴む手が一瞬離れそうになってしまった。即座にシュラの翼を掴んだため落ちることはなかったが、その瞬間地面が、城下が見えた。

 そこにはさっきまで隠れていたと思われる城下の人々がいた。姿こそ見分けられなかったが、あの親子もいるはずだ。エリアは良く目を凝らすと、城下の人々がこちらを見て何かを叫んでいるように見えた。

 耳を澄ましてみると、いくつもの声が聞こえてきた。



 「あの赤い竜にまたがっているのはエリア様なのか?」

 「まさか、生きてらっしゃって、そして今国の危機に立ち上がってくださるとは」

 「あの黒い不気味な竜は悪い奴だよな、そうだよな?」

 「それなら、私たちに出来ることは……」



 エリアは耳を疑った。今城下の人々が叫んでいる言葉はエリアが想像もしたことがないものだった。


 「……私を、応援している?」


 聞こえてくるのは、「エリア様負けないで」「我らをお救いくださいエリア様」「サーファルドをお守りください、エリア様」という声だった。今、エリアは城下の人々の命を預かっているのだ。


 「エリア、大丈夫か?」


 シュラの心配そうな声が聞こえてくる。エリアはコクリと頷いた。


 「大丈夫だよ。負けられない理由があるから!」


 

 激しい攻防は続いた。シュラの方が機動力に優れているため、決定打を喰らう事はなく、邪竜の攻撃を避けては少しずつ爪や牙を突き立てた。しかし邪竜の身体はまるで闇で出来ているのかとばかりに特殊で、シュラの攻撃はすり抜けられてしまっていた。


 「畜生、厄介だな」


 シュラも大分疲弊しているようで、肩で息をしていた。シュラの背に乗るエリアには、その脈動がよく分かる。対して邪竜の方は不気味としか言いようがなかった。目は真っ直ぐしか見つめておらず、口は不用心に開けたままだが、呼吸を必要としていないのかと思ってしまう程、あれだけの攻防を繰り広げた割には静かだった。


 「……!」


 しかし、それは邪竜に限ってのことだ。身体に取り込まれているアリスはそんなわけにはいくはずがない。現に今のアリスはぐったりと身体を倒し、意識がどこかへ飛んでしまっているかのようだった。


 「あのままじゃ、アリスの体力がもたない……」


 エリアは意を決したように、懐からペンダントを取り出してギュッと握った。


 「それは確か……エリアの親父がエリアに渡したやつ、だったか?」


 シュラが尋ねると、エリアは首を横に振った。


 「ううん、違うよ。これはね」


 エリアはペンダントを手に持ち、アリスが見えるようにスッと前に出した。


 「これは、アリスのもの」


 不思議そうな顔をするシュラに対してエリアは顔を近付けて耳打ちをする。


 「……本気か?エリア」


 シュラは目を見開かせながらエリアを見つめる。エリアは大きく頷いた。


 「全く、やっぱお前そういうとこあるよな」


 呆れたようにシュラはそう言ったが、すぐに声色を変えてエリアに告げた。


 「タイミングは一瞬だぞ」

 「分かってるよ」


 エリアのその言葉を合図とするかのようにシュラは大きく吠えた。そして翼を全開に広げて風の流れを読み、トップスピードで邪竜に向かって突撃する。


 「キォオォ!」


 邪竜は吠えながら、身体から黒く鋭い触手を何本も伸ばし、シュラを襲う。その触手一本一本の軌道をシュラは読み切りながら、激しい旋回でかわしていった。


 「つっ」


 僅かにシュラの右腕に邪竜の触手が掠る。シュラの皮膚から血が流れた。


 「シュラ!」

 「俺の事は構うな、エリア。お前は振り落とされないように構えとけ!」


 その言葉を発しているうちにも、次の攻撃が待ち構えている。シュラは伸びてくる触手に再び腕を取られたが、もう一方の腕でそれを引き千切り、そのまま炎で燃やすと邪竜に向かって投げつけた。


 「フィィ!」


 邪竜はその燃えた触手を掴むとそのまま口へ運ぶ。そうして咀嚼を始め、そのまま黒い炎を吐き出した。


 「なめんなよ!」


 シュラも負けじと業火を口から放つ。成長を遂げた邪竜と威力はほぼ互角となっていたが、その巨体から織りなす炎の方が、長い時間吐き続ける事が出来そうだった。


 「流石に分が悪いか」


 シュラは炎を吐き出すのをやめると、一度上空に避けて邪竜の炎の軌道から逃げた。


 「悪いエリア。正攻法で奴に近付くのは難しいかもしれねぇ」


 シュラがそう言うと、エリアは少し考えてから尋ねた。


 「正攻法以外、だと?」


 シュラはあまり言いたくなさそうだった。


 「危険な方法になっちまうぞ。いや、元から危険なんだが」

 「構わないよ。教えて」


 エリアがそう言うと、待ってましたとばかりにシュラはニヤッと笑う。


 「落ちる」


 エリアはその言葉の意味を考える。そして辿り着いた答えに思わず笑みが零れた。


 「シュラらしいね」

 「どうするよ?」


 エリアは微笑みながら言った。

 「やるよ」

 「だと思った」


 シュラはそう言うと、身体を下にいる邪竜に向ける。そしてそのまま、まるで流れ星とでも言わんばかりに垂直に邪竜目掛けて降下、いや、落下していった。


 「くぅぅ!」


 激しい風に耐えながらエリアはシュラの身体を掴んでいた。タイミングは一瞬しかない。その瞬間を見逃すわけには行かなかった。

 少しずつ邪竜に身体を近付けていく。邪竜は落下するシュラとエリアに照準を定め、触手を放つ準備をしていた。


 「ウォォォォォォォォ!」


 シュラは叫びながら邪竜目掛けて落下していく。途中、邪竜が触手を放つも、全て激しい動きで躱したり、滑らかな動きで触手同士を絡ませたりしていた。

 そうしている間に、邪竜も触手たちを束ねて大きな一本の槍のようにした。それをそのままシュラ目掛けて放つつもりだろう。


 「……エリア!」

 「うん!」


 邪竜がその槍を放つと、エリアはシュラの身体から勢いよく飛び降りた。槍状の触手の軌道から外れ、激しい風に目を瞑りそうになるが、気力で目を開けたまま邪竜の身体を目指した。


 「うわああああ!」


 エリアはそう叫びながら邪竜の胸の近くに腕を伸ばし、なんとかその身体を掴むことが出来た。そうしてズキズキと痛む身体を必死に伸ばしながら少しずつ、邪竜の胸付近で捕らわれているアリスのもとに辿り着こうとしていた。

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