Ⅺ 最後の戦い (3)

 エリアはただ真っ直ぐにアリスだけを見つめていた。もう彼女が弦を引いている指を離せば、この国は炎に包まれてしまう。それだけは何としても避けなくてはならない。エリアは強引に身体を前のめりにし、足で屋上の床を蹴ってアリスに向かって飛び込んだ。

 

 次にエリアが見たものは、目の前に矢をつがえていないアリスの姿。そして城下に目を向けると、火の点いた矢が美しいとすら言える軌道を描いて一つの地点に落ちた。

 そして、身体の痛みを感じた。黒い何かが自分の身体をミシミシと圧迫している。それはまるで何かがエリアを握りつぶそうとしているかのようだった。どうしてもうめき声が喉から零れてしまう。

 後ろから聞こえる爆音が、アリスの計画が成功したことを物語っている。アリスの放った矢は見事爆薬の樽を直撃したのであろう。しかし、目の前にいるアリスは歓喜の表情など上げてはいない。むしろ怯えた表情すら見せる。

 ぎこちない動きでアリスの視線は自分の背後に移っていく。そこには確かに「それ」がいた。

 深い黒を纏い、身体のあちこちがモゾモゾとうごめいており、非常に巨大でエリアの五倍くらいはあろうかという竜がいた。その目は真っ赤に光っており、瞳のようなものは確認出来なかった。


 「なに、これ」


 アリスは呆然と「それ」を見つめている。異形の存在に思わず腰を抜かし、地面にペタリと座り込んでしまう。

 禍々しいオーラを纏った「それ」が一体何者なのか、エリアは確信した。これこそが自分の負の感情を増幅させ、激しい怒りで支配しようとすらしていた、人間の悪意の権化。

 邪竜。それがついに具現化してしまったものである。エリアはその邪竜に身体を握られていた。


 「ルル……ガ、ウル……」


 鳴き声を発そうとして、ぎこちない声が邪竜の口から零れた。エピタスの話を思い出す。恐らくこの邪竜はエリアとアリスの悪意を養分に具現化した存在なのだろう。しかし、今やっとその姿を現すことが出来るようになったということは、まだ力が完全ではない幼体なのだろう。鳴き声が安定しないのがその証拠だった。


「ア……、ガァァガ」


 とはいえ、流石に竜の姿を象っているだけはある、と言うべきだろうか。物凄い力を秘めている。少しずつエリアを掴む拳の力が強くなっている。ミシミシと嫌な音を上げる身体の痛みに、エリアは苦しそうにうめき声を上げる。


 「エリア!」


 アリスの心配そうな声が聞こえる。エリアは必死の力でアリスに視線を向けた。そこには怯えながらも気丈に邪竜を見つめる姉の姿があった。


 「エリアを、放しなさい!」


 やはり、アリスはアリスだとエリアは内心思った。あれほどまでに憎いと言っていた人間に対しても、命の危機には慈愛を向けることが出来る。それがエリアの知っているアリスという人間だ。


 「グォォウ」


 しかし、邪竜はそんなアリスの声などまるで聞こえないかのようにエリアに視線を向けている。そうしてさらにエリアを握る手が強くなった。


 「ぐぁっ……」


 ビキッと嫌な音がする。骨の一本が折れたか、もしくはひびが入ったか。エリアはハァハァと息を荒げながら、必死に痛みに耐える。


 「この……化け物!」


 アリスは立ち上がり、持っていた弓に、予備で持っていた矢を添えて邪竜に向かって放つ。アリスの放った矢は邪竜の腹に刺さりはしたが、全く意に介しておらず、気付けば刺さっているはずの矢がドンドン溶けていく。


 「そんな……」


 アリスは絶望的な事態に、ペタリと尻もちをついてしまう。邪竜は変わらずエリアを睨んでいた。


 「あぐっ……」


 苦しそうに声をあげるエリアをジッと見ていたかと思うと、突然邪竜は腕を僅かに後ろに引いた。そして突然前方に向かってグンと、文字通り腕を「伸ばした」。


 「エリアぁ!」


 嫌な音を立てながら邪竜の腕は伸びていき、気付けばエリアの足の下には、はるか下に見える地面しかなかった。


 「……!」


 エリアの顔が恐怖に歪む。ジタバタともがくも、下に足を着けるものなど存在せずただ空を切るだけだった。かつて、リアナの陰謀で命を狙われた時の事が脳裏をよぎる。


 「な、何をするつもりなの」


 アリスは肩で息をしながらその光景を、まるでこの世のものではないかのように眺めている。現実味が一切ないこの空間を、アリスは嘘であって欲しいと願っているくらいであった。


 「……ィィ……レィェ」


 まるで、「死ね」と言っているようにエリアは聞こえた。そして、痛みは去った。

 ただ、自分の身体が支配から逃れたような気がして、そして。

 落ちるのが分かった。



 「エリアァァァ!」


 アリスの叫ぶ声が聞こえるが、ドンドン遠ざかっていく。エリアの見えている景色が凄い速さで昇っていく。世界がまるで逆転しているように思えた。


 (まるで)


 エリアは周りの世界とは違うスピードで脳が動いているような感覚を抱いた。地面に視線を移すと、サーファルドの城下が炎に包まれていた。


 (走馬灯っていうやつか、な)


 あの時はあっという間に落ちていった。落ちているという事に気付くのが遅れるくらい、あっさりと落ちて行った。だが今回は自分が落ちているという認識がある。周りの景色が速いのに、何故か一コマ一コマ見えているようにすら思えた。


 (死ぬ?)


 エリアはその結論に行き着いた。きっとそうなってしまうのだろう。


 (結局、私)


 何か出来たのだろうか、それだけが気になった。この国を、アリスを守ると決めて踏み出したこの一歩は意味があったのだろうか。


 (死んだら、どこへ行くんだろう)


 ふと、そんなことを考えて目を閉じた。死にたくない、やり遂げたい。悔しいという気持ちが胸にあふれてきた。


 「うぁああああ!」


 そうして、エリアはふっと、何かに包まれた。


 (暖かくて、そしてどこか)


 懐かしい、と感じた。ここは天国だろうか。今まで真っ直ぐ地面に向かって落下していたのに、何かに乗っている感覚がある。死の世界の案内の最中だろうか、などとおかしなことをエリアは考えた。


 (でも、どうして)


 懐かしいと、思うのだろうか。それだけが不思議だった。だが、確かにこの感覚は、この背中は覚えがあるのだ。まるで、そう。昨日までずっと一緒だった彼のようだ。


 「シュラ……」


 思わず、エリアは呟いた。もうこの世ではないと思ったから呟いた。もう会えない友の名を。まるで彼の背にいるような暖かさに包まれていたから。


 「なんだよ、エリア」


 その声は、間違えようもない。シュラのものだった。


 「……え?」


 エリアは慌てて目を開きガバッと身体を起こす。そこには鱗に覆われた紅蓮の竜の背中が見えた。エリアが起きると同時に、シュラはエリアに顔を向ける。


 「よう」

 「……どうして?」


 エリアは信じられない、という顔をシュラに見せた。


 「地図を読むってのは難しいな。不服だが、ニーシュの馬鹿に教えてもらっといて良かったぜ」


 あとは必死で探した、とシュラは言った。エリアは呆然とシュラを見ていたが、ハッとなって下を見た。


 「城下の人は……」


 シュラの背中から顔を出して下を見ると、さっきまで確かにゴオゴオと音を立てて燃えていたはずの炎が跡形もなく消え去っている。エリアは自分の目を疑った。


 「火の竜だからな。炎は好物だぜ」


 そう言うと、シュラはポン、と自分の腹を叩いた。


 「胃もたれするかもしれないけどな」


 エリアは呆気にとられたようにシュラの顔を見つめている。


 「どうして、ここに……?まさか」


 そうエリアが言うと、シュラは頷いた。


 「第六の竜の話を隠しやがって、ちゃんと言ってくれれば良かったのに」


 シュラは不服そうに背中のエリアに声を掛けた。


 「どうして、私を助けになんて?皇の路は……」


 エリアがそう言うと、シュラは空を見上げた。


 「あと一つ、最後の親父が残したものがどこにあるのかは見つけたんだ」

 「なら!」


 エリアが声を上げると、シュラは首をエリアに向けて言った。


 「大切な友達一人救えなくて皇なんて名乗れると思うか?」


 シュラはそう言い放ったあとに、恥ずかしそうに笑った。


 「そんなことしたら親父にどやされちまう」


 シュラの言葉に、エリアは微かに微笑んだ。


 「で、エリア。とりあえず上には第六の竜がいるんだな?」

 「うん、第六の竜……邪竜がいるよ」


 エリアがそう言うと、シュラは息を吐くと、自分の頬を軽く叩いた。


 「じゃあ、自然界の危機ってやつだな。食い止めないといけねえ」


 シュラはそう言うとエリアに声を掛けた。


 「降りるか?ここからは危険になると思うぜ」


 シュラの瞳から、これから邪竜との激しい戦いが始まることを警告しているのが伝わった。しかしエリアは首を横に振る。


 「私も上に行く。アリスを助けなくちゃ」

 「お前の姉さんだっけか?」


 エリアは頷いた。そしてシュラに端的に事情を説明する。


 「しょうがねえか。とりあえず……振り落とされるなよ?」


 シュラが悪戯っぽく言うと、思わずエリアは噴き出した。


 「今更誰に言っているの?」

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