第十一章 アリス・イアソ・サーファルド

Ⅺ 最後の戦い (1)

 はるか遠い過去のような気がする。あの時確かにエリアとアリスは二人で遊んでいた。



 「ねえ、エリア」


 まだ幼いアリスはエリアに声を掛ける。まだ髪の毛が短く、片目を覆う程ではなかった。


 「なあに、アリス」


 逆に当時のエリアは髪の毛が長く、肩までかかって、なお余る程であった。


 「エリアは大人になるってどういうことだと思う?」

 「え、なに急に」

 「良いから、どう思う?」


 アリスは強引にエリアに聞いた。


 「ううん、分からないよ。身近にいる大人っていってもお父様とお母様、あとバルドくらいしかいないもの」


 エリアは困った顔でそう返した。


 「あ、でもお父様が他の兵士たちをまとめているところとか、凄く大人の人だなぁって感じがするよね」


 エリアがそう言うと、満足そうにアリスが頷いた。


 「やっぱりそう思うよね」

 「でも、どうしてそんなことを聞いたの?」


 エリアが尋ねると、アリスは優しく微笑んだ。


 「私ね、早く大人になりたいなぁって」

 「どうして?」

 「早く大人になって、政治の事とかしっかり覚えて、国の人の名前とかちゃんと覚えて、それで、お父様のお手伝いをしたいなぁって」


 アリスはとても嬉しそうな顔で言った。エリアは少しだけ、不思議な気持ちになった。


 「アリスは、お父様が大好きなんだね」

 「そりゃ、勿論」


 アリスはフン、と鼻息を荒くした。


 「私にとって、お父様は憧れの人だし、ああなりたいという目標だし、何よりも」


 アリスはエリアの目をしっかりと見た。


 「大好きなお父様だもの!」



 階段を駆け上がる時に、ふとそんな過去の光景が頭をよぎった。今思えばどれほど皮肉な話であったであろうか。あれほどまでに民に慕われ、能力を買われ、父を愛していたアリスが、サーファルドの血を引く者ではなく、忌み子、娼婦の娘と陰で呼ばれ続けてきたエリアこそが先代国王であるサードレアンの実の娘なのだから。


 「アリス……!」


 彼女は国を滅ぼすなんてことをしてはならない。何故なら彼女はこの国を確かに愛していたからだ。邪竜に負けてはならない、彼女は本当に父を敬愛していたからだ。


 「長いなぁ、階段!」


 エリアは長く続く螺旋階段に怒りをぶつけた。アリスはこの国を焼き尽くそうとしている。しかも駆け出したエリアの背中を追うようにバルドが発した言葉によれば、今日実行に移そうとしているらしい。タイムリミットはもうすぐそこまで迫っているはずだ。


 「アリスはどこにいるの」


 息を切らしながらエリアが螺旋階段を上りきると、まずは玉座の間の扉を開いた。


 「いない、誰も」


 アリスがいないことは残念だったが、他の兵士がいないことは好都合と言えた。しかし、それではアリスはどこへ行ったというのか。エリアはすぐに外へ飛び出した。


 「っ!」


 外へ飛び出した途端、兵士たちが部屋の通路を駆けているのが見えた。兵士たちはそれぞれ大声で怒鳴っている。


 「アリス様はどちらにいるのだ!」「エリア様が脱走したとのこと!」「火を点けるって本当かよ!まだ町に家族が残っているんだぜ?」


 それぞれ別々の思惑を叫んでいるため、詳しくは聞き取れなかったが、自分が牢から脱走したという事実は知れ渡っているようだ。見つかるわけにはいかない、とエリアは思った。


 (バルドが無事ならいいけれど)


 エリアはそんなことを考えながら、ドタドタと、所せましとばかりに通路を走る兵士たちの間を拭い、向かいの部屋に向かった。


 「えい!」


 エリアは転がり込むように向かいの部屋の扉を開けると、中に入り込んでは鍵を閉めて、外との繋がりをシャットダウンした。


 「とりあえず、今は外には出られないけど……」


 こうしている暇はない、ということは分かっていた。しかし、今ここで捕まってはバルドの想いが水の泡になってしまう。そんなことにするわけにはいかない、とエリアは思っていた。


 (でも、アリスは一体どこにいるのだろう)


 てっきり玉座にいるものだと思っていたがアテが外れてしまった。しかし、それなら彼女はこの国に火を点けるにあたって、どこに向かうのだろうか。


 「でも、今は考えていても仕方はない、かな」


 エリアは大きくため息を吐いた。ドッと疲れがこみ上げてきた。人の目を逃れて階段まで辿り着き、全力で階段を駆け上がる。それだけのことではあったが、心臓が破裂しそうな程痛い。


 「少し、休憩しよう」


 とにかくエリアはこの部屋が誰の部屋なのかを確かめる必要があると思った。恥ずかしいことだが半年も城を離れていると間取りを忘れてしまうものだ。果たしてこの半年の間に自分の部屋はもう片付けられてしまったであろうか、と考えながら明かりを探した。


 「ここに、火を灯せば」


 部屋の真ん中の書斎にランタンがあった。近くに小さい火を灯すことの出来そうな細枝が置いてある。それをこすって小さな火をくべた。


 「ここって……」


 エリアは火の点いたランタンで辺りを照らすと、この部屋の全景が見えた。本に囲まれているかと思えば、豪華なドレスや数多くの化粧品と香水が置かれているドレッサーが見えた。


 「ここは、確か」


 エリアは思い出した。一度アリスと二人で入ったことのある部屋だ。そして部屋の主に見つかって、エリアは怒られたことがあったはずだ。

 リアナの部屋だった。

 そういえば、リアナの部屋に入るのはその一度だったかもしれない、とエリアは思いながら少し部屋の中を見てみることにした。特に大きく目立つものは書斎棚だった。


 「えっと」


 綺麗に本の大きさごとに揃えられており、リアナがいかに几帳面で神経質だったがが分かる。身の回りのことをほとんどメイドにやらせていたにも関わらず、確か部屋の清掃だけはさせなかったという。恐らく部屋に入ったことがあるのはアリスと父サードレアン、それとバルドくらいではないだろうか。


 「あれ、この本……」


 よく読み込まれているようで他の本よりもボロボロになっている本が一冊だけあった。思わずエリアはそれを手に取りタイトルを確かめる。


 「暗殺の本?」


 リアナがどうしてこんなものを読み込むのだろうか、と思って中を開くと、エリアが想像していたこととは内容が違っていた。暗殺の仕方についての本ではなく、暗殺者集団についての記述だった。依頼の仕方や実績などをまとめた本だ。

 悪趣味な本もあるものだと思ったが、これでエリアは納得した。おそらく屋上から自分を突き落とすも死体が見つからず、世間的には死亡を公表したもののもしかしたら、という思いで暗殺者を雇おうと思ったときにこの本を参考にしたのだろう。


 「あるいは、いつか使うつもりでずっとこの本を読み漁っていたか……」


 しかしこれは推測でしかない。今となってはリアナが本当はどう思っていたのかなんて誰も分かりはしないのだから。


 「……あれ?」


 エリアは本を取り出した隙間に光るものを見つけた。腕を伸ばして「それ」を引っ張ると中からは宝石を埋め込んだペンダントが見つかった。


 「これって、私のと同じ?」


 エリアは慌てて自分の胸にあるペンダントを取り出して見比べた。確かに同じものだ。国宝石であるセレビアが美しく輝いている。


 「セレビアのペンダント……でも二つあったなんて」


 エリアは不思議に思った。それもどうしてこんなところにあったのだろう、わざわざ隠すように……。


 「もしかしたら、この部屋に何かあるかもしれない」


 フィクテスからこのサーファルドに嫁いでくるという話があった時点でこの国の文化は教わっているはずだし、バルドの話が確かならば、サーファルドについてはサードレアンの前王に嫌というほど教え込まれているはずだ。それならば、と思って書斎を漁ると毒の調合や毒草の見分け方なんて本もあるなかで、目当ての本が見つかった。


 「あった、セレビアの本!」


 この宝石が何故サーファルドの国宝石となっているのか、何を意味したものなのか。エリアが手に取った本には事細かに書かれていた。原石の採掘地や光沢を持たせるための方法など、しかし、エリアが欲しい情報は本の後ろの方にしか書かれていなかった。


 「あった」


 そこにはセレビアに込められた意味が書かれている。宝石占いでは「本当の愛」を示していると書かれており、サーファルドでは数百年前から国宝石として扱われている、と記述がある。その次にはセレビアをペンダントに埋め込み、それを次代の王に渡すことを王家の相続の儀として扱っている、と書かれていた。


 「これが、王家の……王の証ってこと?」


 エリアは胸につけているペンダントをじっと見つめた。そんな話は聞いていなかったので、なんだか不思議な気持ちになった。父からの愛情と共に、本当に期待されていたのだな、と思う。嬉しいやら情けないやら、と笑った。


 「でも、どうしてこれが二つあるんだろう」


 しかも、リアナの部屋にある理由。全く見当もつかず、エリアは「うーん」と唸る。


 (そういえば以前どこかでセレビアの話をしたような)


 エリアはそれがどこだったのかを思い出した。あれは錬金術師ローラが言った言葉だったはずだ。確か彼女は優しい王様なのね、と言った。


 「どうして、優しいと分かったんだろう」


 そして、エリアは一つの考えに行き着いた。それはあまりにも美しすぎて、哀しい理由だった。


 「もし、そうだとしたら」


 やはり自分はアリスと会わなくてはならない、と覚悟を新たにしてエリアは扉に向かう。外から喧騒は聞こえない。どうやら兵士たちを撒くことには成功したみたいだ。


 (でも、アリスはどこにいる?)


 もう一度そこから考える必要がある。一体彼女はどこにいるのだろうか。


 「……アリスは城下を火に包もうとしている、ということはそれを見ることが出来る場所にいるということ?」


 今のアリスの心情を考えると、滅ぼすものを目に焼き付けようとするはずだ。彼女は今、邪竜によって破壊衝動と、自虐を含んだ暴力性に飲み込まれているのだから。


 「だとすると、そこは」


 半年前、最後にエリアがこの城にいた場所。エリアの旅の始まりを告げる出来事があった場所。城下を見渡すことの出来る、エリアの一番好きな場所……。

 屋上だ、そこにアリスはいる。きっと、一人で。

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