Ⅹ アリスとエリア (5)

 「その後もリアナ様はサーファルドとしての生活を、文化を、礼儀を強いられておりました。そうして十数年が経ち、国王陛下の逝去と同時にサードレアン様が王となり、同時に婚約の儀を終え王妃となられたのです」

 「そう、だったんだ」


 エリアは生まれて初めてリアナという女性について触れられた気がした。今までリアナは恐怖の対象であり、もっとも苦手とする人物であった。しかし今の話を聞いて、少なくとも共感出来る部分があるのかもしれない、と思った。


 「でも、それとアリスとどんな関係が?」


 エリアは尋ねる。するとバルドは天井を見上げた。


 「リアナ様の目的は、サーファルドに復讐することだったのです」

 「え?」


 思わずエリアは声を上げた。


 「リアナ様はかつて自分から全てを奪ったサーファルドから全てを奪おうと、していたのです。国も、民も……」


 エリアは、だからリアナが裏の組織に手をまわしてまで自分を殺そうとしたのかが分かった気がした。自分がサードレアンの血を受け継ぐ「サーファルドの人間」だったからだ。復讐のためリアナはエリアが確実に死んだという証拠を掴むには、どんな手を使ってでも死体が必要だったのだろう。恐らく城でエリアを突き落としたのはリアナの手が掛かった城のメイドか兵士か、誰かは分からないがそこで死体が見つからないことがリアナを恐れさせたのだろう。

 元々、病気に侵されていたサードレアンも長くはないと分かっていたはずだ。だから待つことを選んだのだろう。

 しかし、そうすると一つの疑問が湧き上がってくる。エリアはバルドに尋ねた。


 「アリスは?アリスもお父様の血を受け継いでいることになるのでは?」


 その問いに対し、バルドはゆっくり首を横に振った。


 「リアナ様は、サードレアン様と寝室を共にされたことは、無かったそうです」

 「……それは、どういうこと?」


 エリアはまさか、と思った。そしてそれは次のバルドの言葉で確信に変わる。

 「アリス様はサーファルドの血を引いておりません。リアナ様と、サードレアン様ではない誰かの娘になります」

 「アリスが、私の姉じゃないということ?」


 バルドは頷いた。


 「もっと言うなら、エリア様とは血の繋がりが無いということになります」

 「アリスが……」


 エリアは呆然とした、今まで信じていたものが崩れ落ちるような、そんな感覚に陥った。しかし、それはむしろアリスの方が大きかったのだろう、とも思った。


 「でも、どうしてバルドがそんなことを?」


 純粋な疑問として聞いたはずだが、バルドは妙に焦って返答した。


 「誤解はしないでいただきたいのですが、エリア様。今までの話はアリス様より聞いたものでございます」

 「アリスから?」


 当のアリスがどうしてそんなことを知っているのだろうか、と疑問を抱いたが、すぐにバルドが答えてくれた。


 「サードレアン様亡き後、政治に明け暮れていたアリス様は、リアナ様に相談に赴いたそうです。そしてその場所でリアナ様からその話を聞いたのだとか」

 「そう、か」


 リアナにとっては全ての目標は達成したのだ。残るのは自分の遺伝子を持った、フィクテスの新たなる正統の後継者、だとリアナは考えていたのだろう。


 「でも、リアナさんはアリスに追放されたと聞いたけれど」


 エリアの問いに、バルドは少し難しい顔をした。


 「どうして、なのかは正直アリス様も分かっていないようでした。その真実を知ってからすぐに、アリス様はリアナ様を追放し、圧政を敷くようになったのです」


 そうしてバルドは考え込むように顔を伏せた。


 「裏切られた、というのがアリス様の心の中にあるのかもしれません」

 「裏切り……。それはリアナさんの?」


 バルドは首を振った。


 「信じてきたもの全て、ではないかと」

 「信じてきたもの、か」


 アリスは、ある強い想いをずっと持って日々を送っていたはずだ。父を、サードレアンを尊敬し、父の名に恥じないような立派な王になるという、強い目標を。

 しかし、現実のアリスはリアナによって生み出された、大好きなサーファルドを滅ぼし支配するための道具だった、と思ってしまったのではないだろうか。そうであるならば、今までの全てが一体何だったのか、という絶望を抱いてもおかしくないのかもしれない。


 「分かんない」


 エリアは顔を伏せてポツリと呟いた。ずっと凄い存在だと、憧れの感情を抱くことすらあった姉の存在が、ここまで崩れてしまう。今のアリスは邪竜に取り込まれ。進む道を見失った一人の女の子ではないか。


 「まるで、私みたい」

 「エリア様?」


 思わず口を出た言葉にバルドは反応するが、エリアは優しく微笑んだ。


 「でも、どうしてリアナさんはアリスにそれを伝えたんだろう。それを伝えなくても、アリスが王になって目的は達成されたのに」


 バルドは、エリアのその言葉に、言葉を探しているようだった。


 「それは、恐らくですが」


 バルドは真っ直ぐにエリアを見つめて口を開く。


 「リアナ様がアリス様を愛していたからではないでしょうか。きっと、リアナ様はいつしか復讐のために産んで王に仕向けようとしたアリス様に、実の娘に愛情を抱いたのではないかと」

 「愛情……」


 エリアの知っているリアナにはもっとも遠い言葉のように思えた。


 「そうでなければ、サードレアン様の跡を継ぎ、全力で駆けまわるアリス様をあそこまで甲斐甲斐しく助けることはないかと、思います」


 エリアは胸が痛んだ。


 「そんなに、優しかったの?リアナさん」


 バルドは大きく頷いた。


 「まるで、聖母かと思う程に」

 「そっか」


 エリアはフッと笑った。最後まで、エリアはリアナの中に存在出来なかったのだな、と少しだけ寂しさを覚えた。



 「本題に入らねばなりませんな」


 バルドはそう言うと、ゴソゴソと自分のポケットをまさぐり、鍵を取り出した。


 「エリア様、今お助けします」


 バルドは牢の鍵を差し込み回すと、ガチャと音を立てて牢が開く。


 「バルド……良いの?」


 エリアが尋ねたのは、こんなことをしてアリスに目をつけられないのか、という意味だった。しかしバルドはニッコリと笑う。


 「エリア様をお助け出来るのであれば」

 「バルド……」


 すると突然、バルドは表情を険しいものにして声を低くし、エリアに言った。


 「今日、アリス様はサーファルドの城下に火を点けようとしています」

 「え?」


 エリアが驚きの声を上げた。


 「城下の人を牢に投獄したのは、この町を焼き尽くすときの被害を最大まで少なくするためだったのでしょう。今のアリス様はこのサーファルドを完全に滅ぼそうとしているのです」

 「……アリスはそこまで」


 追い詰められている。今の彼女はただ破壊衝動に駆られている。自分の信じてきた全てが信じられずに、壊れてしまえば良いと思っている。それで傷つくのが自分であると知っている上で……。


 「バルドはどうしてそれを?」


 「先ほどのリアナ様との会談の話を聞いた時に、でございます。その時アリス様はこうも仰いました」


 ――バルドは逃げて――


 「アリス様は人の命を出来るだけ奪わずに、サーファルドを壊そうとしています。優しい気持ちが完全に消えたわけではないのです。消えたのであれば、私に逃げてなどと、言いません」


 バルドは目に涙を浮かべて言った。


 「だから、エリア様に伝えました。確かにここにいれば火の脅威には、脅かされないでしょう。ですが、これ以上アリス様と関わることはエリア様にとって良い方向に向かいません。この国を一刻も早く離れて、どこかで生き延びて頂きたいのです」


 その言葉を聞いたエリアはバルドをギュッと抱きしめた。


 「ありがとう、バルド」

 「エリア様」


 しかし、身体を離したエリアはニッコリと笑って言った。


 「でも、私は逃げることが出来ないんだ」


 バルドは目を大きく見開いた。


 「ま、まさかとは思いますが」


 エリアはバルドの横をすり抜けて階段の方に歩いていく。バルドの計らいか、看守たちは外しているようだった。


 「アリスを止めに行く。まだ城下には残っている人もいるし、少なからず被害が出てしまうから」

 「エリア様。今のアリス様と顔を会わせるのは」


 エリアは振り向いて笑った。


 「分かっているよ。でもね、この国の危機に立ち上がらないわけにはいかないんだ」


 エリアは、階段に視線を戻し、駆け出した。

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