Ⅹ アリスとエリア (3)
城門のすぐ下まで辿り着いて城を見上げる。外観は見覚えのある城のままだった。確かあの部屋はエリアの部屋だった。今はどうなっているのだろうか、などと他愛もないことを考えては、脳裏からそれを弾き出し、門番の待つ城門の前に歩みを進めた。
そこには二人の門番が目の下にクマを作って、すぐにでも眠りに落ちそうな程辛そうにしているのが見えた。エリアは静かに門に近付いて行く。すると二人の門番が持っていた槍を互い違いに交差させてエリアの行く道を阻んだ。
「ここから先へは行かせん」
「国王陛下謁見の許可はあるのだろうな」
二人の門番は、流石にその道に携わるものなのだろう。眠気には負けずに凛とした態度でエリアに尋ねた。
「あなた方はいつも、こうやって門を守っているの?」
エリアが尋ねると、二人は少し怪訝な表情をした。
「何が言いたい」
門番が不機嫌そうに尋ねると、エリアは答えた。
「睡眠の時間を削ってここに立って……人を通さないようにしているの?」
エリアがそう尋ねると、二人の門番の目が少し見開かれた。そして一人が口を開いた。
「そうしないと、クビになっちまうからな」
もう一人が咎めるような視線を送るが、もうエリアの耳には入ってしまっている。エリアはもう一人の門番に尋ねた。
「どういうことなの?」
門番は覚悟したようにため息を吐くと、小さな声で話し始めた。
「半月ほど前、私と共に門番をしていたのは、今のコイツではなかった」
今のコイツ、というのは「クビになってしまう」と言った門番だろう。
「その当時俺と組んでいた門番は、前日酒盛りをしていて、少し眠そうな状態で任務に就いていた。そして案の定暇な時間帯で、丁度昼過ぎの眠い頃に、ウトウトとしちまったんだ」
語る門番は視線をエリアではなく遠くに向けていた。
「そして、そいつがちょっとだけうたた寝をしている時に、間違って一人の子どもが城に入っちまったんだ。その子どもが城の中で何をしたわけでもない、すぐに見つかって城下に戻されたんだ。触ったものもないし、誰かの話を盗み聞きしたわけでもない」
「でも、何かがあった?」
エリアが尋ねると、門番はコクリと頷いた。
「アリス国王陛下は……それはもうお怒りになられた。自分の仕事を全うすることも出来ないのかと、激しい剣幕でいらっしゃった」
「アリスが……!」
エリアは思わず「アリス」と呼び捨てにしてしまった。二人の門番が慌ててエリアを見る。そしてその時、二人は息を呑んだ。
「ま、まさかとは思いますが」
言葉の続きを聞かずにエリアは、いつしか槍を下ろしていた二人の門番の間を通り抜けようとしていた。
「お待ちください」
通り抜けたエリアを門番は呼び止めたが、振り向いた彼女は少しだけ微笑んで、そのまま城の中に進んで行った。門番たちは呆然と歩くエリアを見ているだけだった。
城の中の装飾は変わっていないな、というのがエリアの感想だった。城下町はあれほど荒れ切っているのに、この城の中は見慣れた景色から何も変わってはいない。変わっていないはずなのに、何か不思議な感覚を覚えた。
(いつも見ていたはずなのに、何でだろう)
そしてエリアは気付いた。今までは俯いて歩き、視界の端に映るだけだった絵画や装飾を、自分自身の目でしっかりと見ているからだ。何故か新鮮に感じるのはそのためだろう。こうして見ると、実はこの城に飾られているものは、最初から美しかったのかもしれない、と思った。
「あ、あの」
おずおずと一人のメイドが話しかけてきた。エリアは声の主に振り向く。
「あまりそういったお召し物で城内を歩かれますと……」
少し困った表情を見せながらメイドは恭しくエリアに話しかける。考えてみれば旅の服のままでこの城に戻ってきたのだ。ある程度川を見つけては洗濯していたつもりだが、それでもあまり清潔であるとは言えないだろう。
「その、お着替えを用意いたします。汚れが城の床に付きでもすると、とても困りますので」
困るのはきっとこのメイドなのであろう。怯えを含む表情から伝わってくる。そして誰に対して怯えているのか、エリアは察していた。
「……」
ふと、メイドを見るとエリアの顔を凝視していた。視線が交差することで気付いた。エリアはこのメイドの顔を知っている。
「エリア様、エリア様ですよね」
メイドは興奮気味に顔を近付けてきた。そうだ、このメイドはエリアがこの城を出る一日前に入ったばかりのメイドで、エリアに挨拶をしてきたメイドだったはずだ。
「……うん、私はエリアだよ」
少し声のボリュームを落とすようにメイドに言うと、メイドは口を真一文字に結んだ。
「聞きたいことがあるの」
エリアが尋ねると、メイドは何度も頷いた。それは何でも聞いてくれというジェスチャーのようだった。
「アリスは、玉座の間にいるのかな?」
エリアがそう尋ねると、メイドは大きく一回頷いた。
「分かった。ありがとう」
そう言って、階段に向かって走ろうとするエリアの服を、メイドはギュッと掴んでいた。
「どうしたの?」
エリアが不思議そうに尋ねると、メイドはニッコリと笑って言った。
「お声、とても可愛らしいですね」
エリアは少しだけ顔を赤くして、微笑んだ。
「ありがとう」
玉座の間を目の前にして、エリアはスゥ、と深呼吸をした。この扉を開けばそこには真実が、ある。覚悟を決める時だ、と自分に言い聞かせるように扉を開いた。
そこには無数の兵士たちがズラリと並んでおり、扉の開く音に反応して一斉に視線をエリアに集めた。
「何者だ!」
部屋に一人の兵士の怒声が響く。エリアは一歩前に踏み出て、部屋にいる全員に聞こえるように言った。
「私はエリア・カアラ・サーファルド。……アリス・イアソ・サーファルド国王陛下に謁見に伺いました」
その言葉を聞いて、玉座の間はザワザワと喧騒が広がる。「エリアとはあのエリア王女のことか?」「偽物だろう」「しかし、あれは間違いなく」などと、色々な声が続々と上がり、収拾がつかなくなるかと思われたその時、一人の女性の声が響いた。
「安心して良いわよ、貴方たち。そこにはいるのは他でもない」
声の主は玉座からスッと立ち上がった。
「私の妹よ。ねぇ?エリア」
アリスが、玉座からエリアを見下ろしていた。
「アリス……」
久しぶりに見る姉の姿は、外見こそ変わりはない。しかし、明らかに目が虚ろなのにも関わらず、妙にギラギラと輝いている。これはまともではない、とエリアは一目見て思った。
「生きていたのね。嬉しいわ」
玉座から降りてきて、エリアの前に立つと、右手を上げエリアの頬に添えた。
「雰囲気が変わったわね」
「アリスほどじゃないよ」
即座にそう返すと、不意打ちを喰らったとばかりにアリスは驚いた顔を見せた。
「本当に、変わったわね」
妙に嬉しそうに、しかし怪しくどこか妖艶な笑みを見せる。今のアリスが何を考えているのか、エリアには全く分からなかった。
「でも、どうして今になって姿を見せるなんて……?生きていたのなら顔を見せれば良かったのに」
アリスがそう言うと、エリアは首を横に振る。
「色々あったんだよ」
「色々って?」
アリスが尋ねる。それは興味本位から、ではなさそうだった。妙に力のこもった眼差しを、エリアは目を逸らすことなく受け止める。
「悪い人たちに襲われたり、島に漂流したりね」
アリスは「へえ」とだけ言ったが、それは信じている表情ではなかった。エリアの言葉の真偽を確かめようとすらしていた。
「死んだことにまでして、やらなければならないことがあった?」
エリアは答えなかった。しかしアリスは言葉を続ける。
「半年近くも、ずっと死んだことにして?」
アリスの言葉に違和感を覚えたエリアは問い返した。
「半年?私が、死んだことになってから?」
エリアがそう尋ねると、呆れたような顔でアリスはエリアを見た。
「ええ、半年前に貴方はこの城の屋上から飛び降りて、あるいは何かの原因による事故で、この世を去った。そう聞いているわ」
「リアナお義母様から?」
アリスはコクリと頷いた。
エリアは思わず、おかしい、と思った。サーファルドの中では自分は半年前に死んだと公表されている。なのに裏では自分を殺そうとリアナは画策していたということになるが、何故そこまで……。
「死体が見つからなかったから、葬式だけは行ったけれど。こんなことになるとは思わなかったわ。まあ、勿論良かったんだけれど」
アリスは長い髪を掻き上げながら言う。エリアは死体が見つからなかった、という点が妙に引っ掛かった。
(もしかして、それが理由でリアナは私が生きているかもしれないと判断したというの?)
仮にそうだとしたら、どこまでも自分を憎んでいたようだ、とエリアは思わず自嘲的に笑った。するとアリスが不愉快そうにエリアを睨みつける。
「笑う要素、あった?」
エリアは出来るだけ表情を殺して首を横に振った。
「まあ、良いわ。折角帰ってきたのだし何か催しでもしますか」
アリスはそう言うと、周りを見渡した。すると、そこにいたサーファルド姉妹を除く全員が美しいまでにビシッと体勢を整えた。
「十分で宴の準備をしなさい」
鋭い声が部屋に響き渡る。沈黙が訪れたあと、誰かの「え?」という声だけが印象強く響いた。
「今、なんて」
そう言ったのは若い兵士だった。アリスはその兵士を睨む。
「俺たち全員で分担したとしても、いくら何でも今から十分で宴の準備なんて」
そうアリスに声を掛けるが、アリスは冷たい視線をその兵士に向け、淡々と声を発した。
「それは口答えかしら?」
「ち、違います陛下。俺は!」
声を荒げようとしたが、妙に弱弱しい声だった。察してしまったのだろう。もう救いがないことを。どんどん兵士の顔が歪んでいき、涙が零れそうだった。
「今のは口答えね」
アリスは鋭くピシャリと言った。もう、兵士の顔は青ざめてすらいた。
「投獄なさい」
そう言うと、そこにいた「全員」がその兵士を取り押さえようとする。あまりにも異常な光景にエリアは呆然と立ち尽くしていた。
兵士は連れ去れる間も謝罪の言葉と「嫌だ」「助けてくれ」だけを連呼していた。しかしその声に耳を傾けるものは誰もおらず、エリアとアリスを除く部屋に残されていた者たちは俯いているだけだった。
「このままじゃ、牢の拡大も考えなくてはならないわね」
アリスは物騒な発言をいとも簡単に言ってのけた。部屋にいる人間たちが皆、恐怖で肩を震わせる。
「三分増やしてあげる。十三分よ、早く宴の準備をなさい」
「それは無理だよ」
アリスが、誰が声を発したのかを確かめるように振り返る。視線の先にはエリアがいる。
「……なんて?」
アリスはそれだけ呟いた。
「十三分で宴の用意なんて無理だよ。無理難題にもほどがある」
エリアはアリスに向かって一歩歩み寄った。
「さっき城下を見てきた。飢えに苦しむ人がいた。理不尽に投獄される人がいた。私はそんなに国の事とか政治の事とか詳しくないし分からないけれど」
エリアは真っ直ぐにアリスを見つめた。
「間違っているよ。誰も幸せにならない」
そのエリアの言葉に、部屋にいる全ての人間がざわめいた。アリスに対して意見を言えばどうなるのか、たった今見たばかりのはずなのに、かつて「忌み子」と呼ばれ下に見ていたはずの第二王女は凛としてアリスに意見をしているのだ。
「宴の準備は中止よ」
アリスは部屋の人間に言い放った。
「どうやら、もう一人牢屋に入れる必要があるみたいだから」
アリスは怒りの形相でエリアを睨みつけている。
「アリス、こんなことしたって誰も着いてこないよ!」
アリスに飛び掛かろうとしたエリアだが、兵士たちに押さえつけられ、腕を取られて身動きが取れなくなる。一度地面に突っ伏したかと思うとすぐに立たされ、歩くように指示される。
エリアは目の前にいる姉を睨みつけた。
「アリス、貴方はまるで、何かに囚われているよう、だね」
エリアはその答えが邪竜であることは知っているが、それは口にはしなかった。アリスはそれを知るはずもないが、ふっと笑ってエリアに言った。
「この半年で貴方が変わるのなら、私も変わるわよ」
エリアは兵士たちに連れられて部屋の外まで引きずられて行く。最後の力を振り絞って兵士たちに抵抗し、アリスに向かって叫んだ。
「こんなことを続けていたら、サーファルドは滅びてしまう!」
その言葉を聞くと、アリスは口角を上げて、狂気を孕んだ笑みを見せた。
「滅びてしまえば良いわ。こんな国」
エリアはその言葉に驚いたが、それが本心であることも感じ取れた。だから何も言えなかった。狂気を帯びたアリスの表情のどこまでが邪竜によるものなのか、分からなかった。
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