Ⅹ アリスとエリア (2)

 シュラはカーレス大陸の野原にエリアを降ろしてくれた。幸いそんなにサーファルドから離れてはいなかったようで、夜のうちに城に入ることが出来そうだった。


 「ありがとう、シュラ」


 エリアがそう言うと、シュラは無言で頷いた。


 「……」


 沈黙が訪れた。何を言えば良いのか、エリアは分からなかった。


 「エリア」


 シュラが口を開いた。エリアは顔を上げてシュラを見つめる。


 「じゃあな」


 そう言って、シュラは翼を広げ飛び立っていった。最後の皇の路を見つけるために、自分の目的のために。


 「……じゃあね、シュラ」


 またね、と言おうとしたが、またの機会なんてないんだとエリアは思いとどまった。もう会う事がないであろう竜が飛び去った先を見て、エリアはポツリと呟いた。


 「ありがとう」


 そして、ごめんね、と付け足した。


 懐かしい、という感情は確かにあった。しかしこの景色を見るのは初めてだ、という気持ちも確かにあった。城を外側から見たことはなかった。よく見慣れたはずの城がまるで絵の中に描かれているかのように実物ではないように見えた。

 門の目の前に来てエリアは違和感に気付いた。どうして国に入るための門に門番がいないのだろうと気になった。門の中の城下町からは人の声が全く聞こえない。以前エリアが父の付き添いで城下に降りた時の喧騒や生活感が全く感じられなかった。


 「門の中に入れば、違うのかな」


 エリアはそう呟いて辺りを見るが、やはり誰もいない。もしかしたら、と思って門に触れると、想像通り鍵など掛かっておらずギィィと音を立ててエリアを迎え入れた。エリアは開いた門からサーファルドの城下町に足を踏み入れた。


 「え、なにこれ……」


 そこはエリアの知っている城下町ではなかった。腐った野菜がそこらに散在し、綺麗に整えられていたはずの庭園は全く手入れされておらず無様に伸びきっており、町の中心にあったはずの湖はすっかり枯れてしまっていた。


 「酷い、こんなの」


 少なくとも記憶の中にあったサーファルドはこんなに酷い有様ではなかった。父の死でここまで国が変わってしまうものなのだろうかとエリアは急に恐ろしくなった。


 「とりあえず、誰か人がいればいいのだけれど」


 エリアはそう言って辺りを見渡したが、民家に明かりはついておらず、人が住んでいる気配はなさそうだった。とりあえず近くにあった民家のドアをノックすることにした。

 ドアをノックすると、中からガタ、と音がした。どうやら人は住んでいるようだが、それ以降反応がなくなった。


 「すみません、誰かいらっしゃいますか?」


 エリアはドアに向かって声を掛けたが、返答はなかった。諦めて他の民家を訪ねてみようと身を翻すと、馬に乗った騎士たちが死んだ目で行進してくるのが見えた。一匹だけ人を載せずに、樽を数個積んでいるのが印象的だった。エリアは民家の陰に隠れて、何故城下に騎士たちがやってきたのかを探ることにした。


 「今日は、この辺りからで良いよな」


 隊長と思しき騎士が後ろに並ぶ騎士たちに声を掛けた。騎士たちは隊長の言葉に力なく「はぁい」とだけ答えていた。


 「じゃあ、やるか」


 そう言って、先程エリアがノックした民家の前にやってきて馬を降りると、強引にドアをこじ開け、中にゾロゾロと入って行った。中から男性の悲鳴が聞こえてくる。


 「うわあぁぁ嫌だぁ」


 そう叫びながら、この家の主と思われる男性が、騎士たちに引きずられ、手には縄を縛られた状態で連行されていった。騎士のうち一人が小さな声でポツリと呟いた。


 「好きでやってるわけじゃねえんだよこっちだって」


 そして男性はそのまま馬に載せられ、騎士たちは城に向かって戻っていった。騎士の一人が馬に積んでいた樽をそこらにドンと、数個置いて立ち去っていく。気配が消えたことを確認して、エリアは姿を現した。


 「今のは一体、なんだったんだろう」


 不思議に思うエリアだったが、考えても答えは出ないだろうな、と思った。ふと、後ろの方でガサッという音が聞こえたので、振り向いた。

 そこには少年がいた。他の民家に忍び込んで食料を調達し、戻るところだった。すばしっこい動きで少年は路地裏の方に駆けて行った。


 「もしかして、人がいるのかもしれない」


 エリアはそう言うと、少年の跡を辿ってみることにした。

 予想は的中し、路地裏には頬がこけた少年の母親らしき女性が、少年の盗んできた乾パンを手に取り嬉しそうに頬張っていた。


 (こんなところに人が、住んでいるの?)


 エリアはそう思って親子に近付き、声を掛けた。


 「少しだけ、よろしいですか」


 その声に少年の母親はビクッと声を震わせた。


 「わ、渡しませんよ。この乾パンだけは」

 「あ、いえ……そうではなくて」


 エリアは困ったな、と思った。どうやって話を切り出そうかと迷っていると、少年がエリアを指差して言った。


 「ねえ、お母さん。この人どこかで見たことがあるような気がするよぉ」


 そう息子が言ったからか、「失礼」と言いながら母親はエリアの顔をまじまじと見つめてきた。そうしているうちに少しずつ、信じられないとでも言いたげな顔に変わっていった。


 「そ、そんなことがあるはずがないわ」


 母親は、両手を口元に添えてワナワナと震えていた。少年はそんな母親とエリアを交互に見つめていた。


 「だって、エリア様はもう亡くなられているはずなのよ、でも、それにしてはあまりにもよく似ていらっしゃる」


 エリアは、その言葉を聞いて、ニッコリと微笑んだ。


 「貴女が今見ているのは幻でも幽霊でもありません。私の名前は」


 エリアは母親の目をしっかりと見つめながら言った。


 「エリア・カアラ・サーファルド」


 エリアは母親と目線を合わせるために、地面に腰を下ろしていた。母親は王族と目線を合わせていいものかとオロオロしていたが、エリアは優しく諭した。


 「でも、どうしてこんな惨状になってしまったの?」


 エリアが聞くと、母親はゆっくりと口を開いた。


 「二か月前にサードレアン前国王が亡くなられて、サーファルドは悲しみに暮れました。それは勿論私たちだけではなく、アリス現国王もです」

 「アリスなら、そうだろうね」

 「そしてアリス現国王は、正式にサーファルドの王となられ、精神的に疲弊していた国民たちの指標となるべく、日々尽力しておられました。母君リアナ様も献身的にアリス現国王の助けとなるべく、二人で国の心配事をなくそうとされていました」


 母親は少しだけ表情を明るくさせた。


 「安心だ、と思った者も少なくないと思います。アリス様はとても素晴らしい王になられると、確信しておりました。それほどまでに慕われる方でしたので」


 そこまで言うと、急に母親の顔は暗いものに変わっていった。


 「しかし、ひと月程前でしょうか。アリス様はすっかり人が変わったかのように暴走されたのです。最初に行ったことは母君であるリアナ様をヤクト大陸に追放したことでした」

 「アリスが、お義母様を?」


 エリアは信じられない、と思った。何故アリスがそんなことをしたのだろうか。いくら邪竜に取りつかれていたとしても、行動が普段のアリスからは考えられなかった。


 「そして、いきなり成人男性を城内の労働力として使うという名目で、何人も町から連れ出しては、城の牢に送り込んでいると言います。それを騎士たちに命令し、嫌がる騎士がいればそれもまた投獄するという、もはや異常とも言える圧政を強いております」


 道理で、町が荒れているわけだと思った。整備する人間もいなければ、売る人間も買う人間も、ことごとくあの城に幽閉されているということなのだ。


 「その感じだと、国税も上がったんだよね」


 エリアが尋ねると、母親は頷いた。


 「ひと月で五割も上がりました。男手がなく、収入もない家ばかりなのに、奪ってばかりいく。そしてそれでも六日に一回、国が税を納めろと言ってきます。そうなれば家を手放すしか方法はなくて」


 だから、路地裏に住むということになるのか、とエリアは思った。話を聞いていると、同じような生活をしている人がまだ沢山いるみたいだった。


 「悪夢としか言いようがありません。どうしてあのサーファルドがこんなことに」


 母親は涙を流した。少年は母親が泣く姿にどうしていいか分からずに、エリアを眺めている。

 エリアは話を聞き終えると、スッと立ち上がった。


 「どちらへ行かれるのですか?」


 顔を上げた母親は、エリアの視線の先を見て、驚きの声を上げた。


 「ま、まさか城に?でも、貴方は死んだことになっております。大きな混乱を招きますし、少なくとも今は避けた方が」


 そう母親は言ったが、エリアは笑って答えた。


 「姉に会いに行くのに時期を測る必要はないでしょう」

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