第十章 リアナ・ティアラ・フィクテス
Ⅹ アリスとエリア (1)
エリアは、エピタスから告げられた事実で頭がいっぱいであった。
「どうして」
風にかき消されたその呟きは、空の向こうにいる姉に向けたものであったが、それが届くはずがないことは良く分かっていた。
「おい、エリア」
シュラの声にエリアはハッとなった。今、エリアはシュラの背に乗って海の上を渡っている。エピタスのもとを離れてから二日経つが、頭の中にはアリスとサーファルドのことだけが埋め尽くされていた。
「気になるのは、分かるけれど」
シュラはエリアの気持ちを察してかそう言った。あの後、エリアはすぐにシュラにエピタスから聞いた内容をそのまま告げた。シュラはアリスのことを知らないのでどう反応して良いのか分からないと言ってはいたが、冷静になるようにとエリアに言った。
少し冷静になってから考えることは、「何故アリスが」ということと、「今更自分に何が出来るのか」という二つの事であった。それだけを考えていた。
シュラには邪竜の事は伝えなかった。今のシュラは皇の路を辿り、早く火皇になるという強い目標にのみ突き動かされている。下手な心配事を増やしたくないと思った。
「エリア、さっきの俺の話聞いていたのか?」
シュラが背中のエリアに尋ねるが、エリアはキョトンとしていた。
「気持ちは分かるけどよ」
ため息交じりにシュラは言った。エリアは「ごめん」と唇だけで言った。
「俺たちの旅ももう終わりを告げるんだぜ」
シュラはどこか遠い目をしながらそう言った。
「終わり……?」
エリアは最初その言葉の意味が分からなかった。少ししてから、皇の路を辿り終えようとしているということだと気付く。
「それが終わったら、シュラは皇になるの?」
エリアが聞くと、シュラは首を傾げた。
「どうなんだろうなぁ。資格は得るけど、他にも儀礼的なこととかあるんじゃないのか?もしかしたら他の竜皇たちに顔を会わせたりとかもするのかもしれないしさ」
シュラは少し声が弾んでいた。目標としていたものが終わるという事の達成感と、喜びを感じているようだった。とはいえ、まだ終わったわけではないので気を引き締めようという意識もしっかりと忘れてはいない。
「だから、絶対に頑張ろうぜエリア」
「……」
何故かエリアはその言葉にどう返事をして良いか分からなくなった。そしてシュラが言葉を繋げた。
「俺が皇になるときは、お前にも見ていてもらいたいな」
シュラがそう言って笑うと、エリアも少しだけ微笑んだ。
「そう、だね」
やっと返答が出来たが、何故だかその声が自分のものとは思えなかった。
気付けば海が夕焼けに染まっていて、とても美しい光景だった。美しかったが、どこか寂しさすら覚える光景で、まるで世界の終わりはこうなんじゃないかと、自分でも不思議な考えに至っているとエリアは思った。
「シュラは、やりたいこと見つけたんだよね」
エリアはシュラに問い掛けた。
「え?ああ、そうだな。エピタス様のところで、親父の事が知れて、親父の生きた証を見て、そしてそれを継いで越えて行きたいと思っているよ。それが今の俺のやりたい事かな」
シュラがそう言うと、「エリアは?」と問い返した。
「見つけたのか、居場所になりそうなところ。今まで色々なところ周ったしな。それにほら、この旅が終わった後でも言ってくれれば時間作って、どこかへ連れて行ってもいいぞ」
シュラはウキウキした様子でそう言った。しかしエリアは応えなかった。
「エリア?」
不思議に思ったシュラはエリアに声を掛けた。
エリアはシュラの言葉を聞きながらもずっと考えていた。海に沈んでいく夕陽を見ながら、遠くにある方角も分からない故郷のことを思い出した。
知っている光景は、どんなものであったであろうか。もう忘れてしまったはずなのに、何故か頭の片隅に残っているような気がする。目を瞑ると、城の情景が思い出せる。ここ最近、夢に見る事なんてなくなったはずなのに、だ。
「シュラ」
エリアは不意に口を開いた。シュラは無言で視線だけをエリアに送る。
「お願いが、あるの」
「どうしたんだ?急にかしこまって」
シュラが不思議そうにエリアを見るが、エリアは視線をシュラには向けなかった。
「行きたい場所があるの」
「エリア、まさかとは思うけれど」
シュラは少し声を低くしてエリアに言った。
「サーファルド、じゃないよな」
エリアは応えなかった。
「カーレス大陸って、どっちの方角かな」
「エリア……」
エリアの目には、忘れようとしていたはずの故郷が見えていた。シュラはため息を吐きながら口を開いた。
「あんまり聞きたくない、けど。行ってどうするんだよ」
「それは」
エリアは口を開いて、そして黙ってしまった。
「エリア……」
シュラが心配そうにエリアに声を掛けるが、エリアの答えは変わらなかった。
「お願いシュラ。カーレス大陸に向かって」
その言葉を聞いた途端に、シュラは少しだけ声を荒げて言った。
「何でだよ、行ってどうするんだ。何をするんだ」
「私は!」
声を荒げたのは、シュラだけではなかった。
「信じられないんだよ、アリスがそんな酷いことをする王様になったなんて。信じたくないんだよ」
エリアは今自分が抱えているモヤモヤを、やっと口に出せた気がした。
「私だって、不思議だよ。ずっと逃げたいと思っていた場所なのに。ずっと居心地が悪いと思っていた城なのに。何でか分からないけれど、どうしてそんなことになっているんだろうって思っているよ!」
エリアは感情を抑えることを忘れてひたすら声を発した。
「どうして、アリスが……どうしてそんなことに」
二日間ずっと考えても分からないことだった。アリスは自分にとって尊敬する姉であり、この人こそが王になるのに相応しいと思える程真っ直ぐな人だった。何より父親を尊敬し精進する姿と、それを現実に成し遂げられ、父とリアナから褒められている姿が眩しくて、羨ましいとすら思う事があった。だから、分からなくなった。
「仮に、だ」
シュラが口を開いた。声はとても低く、感情を押し殺そうと努めているように思えた。
「仮に、お前の姉が本当に暴君になっていて、国民に圧政を強いていて、国民が苦しんでいたとしたら、お前はどうするんだ」
「真実を知りたい」
即座にエリアはそう答えた。少し沈黙が訪れてからシュラは再び尋ねた。
「皇の路はどうするんだ」
エリアはグッと拳を握った。シュラはただ静かに返答を待っていた。
「……もしも、アリスが本当にそんなことになっていたのなら」
エリアは、小さいがハッキリした声で話し始めた。
「まずは、止めたい。どんな事情があっても。国民が、人々が苦しんでいるのなら、それは止めなければいけないと思う」
シュラはまだ、何も言わなかった。
「アリスと話す。彼女は賢いからきっと分かってくれると思う。彼女は強い人だから、自分に負けそうになっていても時間をかければ、きっと」
「時間をかける?」
シュラは急に空中で止まった。エリアは振り落とされないようにギュッとシュラにしがみついた。
「俺たちの旅はどうなるんだよ!約束したじゃないかよ……。俺と一緒に皇の路を全部辿ろうって、自分の居場所を見つけるのも大切だけど、それでも!一緒にこの旅を終えようって!」
シュラは感情のままに叫んだ。叫び終えたあと、大きく息を切らしている。エリアは胸が苦しくなった。
「それでも、行くのかよ」
シュラはポツリと言った。それは行かないでくれ、というメッセージであることは明らかであった。
「今じゃなきゃいけないことなのかよ」
「国民は苦しんでいるもの」
「捨てたんだろ、お前は」
シュラの言葉は、エリアの胸に突き刺さった。
「そうだね」
エリアは力なくそう言った。そして言葉を繋いだ。
「それでも、私は行かなきゃいけないんだよ」
シュラは目を大きく見開いた。
「それが、お前の……エリアのしたいことなのかよ」
シュラの言葉に、エリアは小さく頷いた。その頷きはシュラの視界には入っていなかった。
「しなきゃいけないことだよ、真実を知る事。苦しんでいる国民を少しでも救うこと」
「くそっ」
シュラは悔しそうに舌打ちをした。
「分かんねえよ」
シュラはそう呟いた。その呟きはエリアの耳に届いていた。
「きっと、分かるよ」
きっかけは同じだもの、そう心の中で思いながら、エリアはペンダントを空にかざした。
気付けば世界は暗黒に包まれていた。今日は星も見えない夜だと、エリアは思った。
シュラはずっと空中で立ち止まっていた。葛藤しているようだった。パートナーであるエリアの気持ちを尊重したいという優しさがシュラの中にあるのが良く分かる。
「なあ、エリア」
不意にシュラは口を開いた。
「お願いだから、せめてこの旅だけは一緒にいてくれないか。約束だけは果たさせてくれないか……俺に出来る事なら、お前の国を助ける手助けはするから。せめて、この約束だけは」
これが、最後のシュラの懇願であることは分かっていた。エリアはシュラの辛そうな声に胸が締め付けられるようだった。今までの旅路を思い出す。失っていた心からの笑顔も取り戻せた。信頼関係も築けた。何よりも、自分が誰かを頼るということもシュラから学んだのだ。
ここで、エリアとシュラの旅は終わってしまう。自分の返答一つで、もうシュラと関わることはなくなるだろう。そう思うと、涙が零れ落ちそうになる。
「エリア……」
シュラは、もう一度エリアの名前を呼んだ。エリアは一言だけ、告げた。
「カーレス大陸に行って」
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