Ⅸ 土皇との出会い (5)

 「もう昼過ぎだぞ」


 悪戯っぽくエピタスは笑う。昨日と同じ小さな竜の姿をしているため、妙に可愛らしく見えた。


 「あんたの背中は寝心地が良かったぜ」


 シュラがそう返すと、エピタスは「ほう」と感心したような声を上げた。


 「そんな返しが出来るようになるとはな。一日で成長するものだ」


 エピタスは感慨深げに微笑んだ。


 「サーヴァに似ておるな。やはり」


 その言葉を受けてシュラは照れくさそうにしたが、すぐに首を横に振って答えた。


 「俺は俺だ。親父を越える立派な皇になってみせると決めた」


 決意を秘めた瞳を受け、エピタスは満足そうに笑う。その姿を見てエリアは何だか胸があったかくなった。


 「さて、と世話にはなっちまったけど。それでも、俺たちには行かなきゃいけないところがあるから」


 そう言ってシュラは空を見上げる。結局デゼールの木がどこにあるのかは分からず仕舞いだが、それでも自分に出来ることは進むことだけだ。もう一度隅まで探してみようと思っていた。


 「皇の路か?」


 エピタスがシュラに尋ねた。


 「こう見えても私は、誰かに土皇の位を譲り渡すことなく数百年以上もこの世界に留まり続けている。もしかしたら何かの助けになるかもしれないぞ?」


 余計なお世話でなければ、とエピタスは付け加えた。それを聞いてエリアは声を立てずに笑った。この世界の大地を全て把握している土皇が知らないことがあるだろうか。きっとシュラに期待して助け舟を出そうとしているのだ。しかし、シュラの性格を考えるとその言い方が良いのかもしれないな、とも思った。


 「ああ、そうだな。デゼールの木っていうんだけど」

 「デゼール?」


 名前を聞いた途端、エピタスは考え込むようにして手を顎に当てた。


 「もしかしたら、あれのことかもしれないな」

 「心当たりがあるのか?」


 シュラが身を乗り出して尋ねた。その勢いに押されることなく、エピタスは頷く。


 「まず、デゼールが何かを知っているのか?」


 エピタスの言葉に対し、シュラは首を横に振った。エピタスはそのままエリアに視線を送るが、エリアも首を横に振る。


 「木の、植物の名前じゃないんですか?」 


 エリアが質問に対して質問で返すと、エピタスは呆れたような顔で言った。


 「本当に呆れた奴だな」

 「え?」


 エリアは自分のことだろうか、と思ったが、エピタスは「違う」と言って首を振った。


 「呆れたのはサーヴァの奴のことだ。デゼールの木なんてものは存在しない、この世界にはな」

 「どういうことだ?」


 シュラは早く説明が欲しい、と話の続きを促した。


 「デゼールというのは先代の風竜の皇の名前だ。その昔、サーヴァととても仲の良い奴だった」


 エピタスは昔を懐かしむように空を仰いだ。


 「奴らがまだ子どもの頃、時折私を訪ねては、今のお前たちと同じように私の背中に立ち、遊びまわっていた。その頃奴らは集合場所を決めて、そこで集まってから遊ぶようにしていたみたいだった」

 「集合場所、それがもしかして」


 エリアが声を発すると、エピタスは頷いた。親友であるデゼールとの思い出の地、それがデゼールの木と呼ばれるものの正体だったのだ。


 「それはどこにあるんだ?」


 シュラが尋ねると、エピタスは焦るな、とでも言いたげに両手を上げた。


 「私の背中に一本だけ、白い木がある。上空から見ると少し見つかりにくいが、じっと止まって眺めていると気付くはずだ。決して小さい木ではないしな」


 そこまで話を聞くと、シュラは大きく翼を広げ飛び立ってしまう。相変わらず落ち着きがないな、とエリアは少し笑った。


 「シュラのお父様も、あんな感じだったんですか?」


 エリアが尋ねると、エピタスは声を上げて笑った。それが肯定の意であることは、なんとなく分かっていた。

 自分もシュラのあとを追わなくては、そう思ってエリアも一歩踏み出した時だった。


 「待つんだ、エリア」


 エピタスから呼び止められたエリアは不思議そうに声の主を見た。


 「私、ですか?」


 一体何の話があるのだろうか、とエリアは疑問に思ったが、とりあえず話を聞こうとエピタスに向き直った。


 「私は、この世界の大地の声が全て聞こえる、そう言ったと思う」


 昨日聞いた話だ、とエリアは思った。そしてエピタスは話を続けた。


 「エリア・カアラ・サーファルド。城を出てからもうかなりの日々を送ったと思うが、その間にサーファルドが大きく変わったことを知らないだろう」

 「変わった……?」


 旅に出ていたエリアは出来る限り世界の情勢について関わらないようにしていた。何かのはずみでサーファルドの、故郷の事が耳に入ってしまうかもしれないと思ったからだ。しかし、今は何故かエピタスの話に耳を傾けなければならない、そんな気がしていた。


 「何か、あったんですか?」


 エリアが尋ねると、エピタスは口を開いた。


 「今から二か月前、サードレアン・デル・サーファルドが死んだ。病によるものであった」

 「お父様が」


 エリアはその場に膝をついた。いつかこの時が来る、そう遠くない未来にこの時が訪れる。頭では分かっていたはずだった。だからエリアとアリスどちらかが王になることを望んだのだ。そして自分はそこから逃げた。

 分かってはいたことだが、それでも溢れる感情を抑えることは出来なかった。色々な悔恨が胸に沸き起こってくる。父の死に目に会えなかったこと。父の期待を裏切り、故郷から逃げたこと、こんな娘になってしまったこと。でも、もうそれを伝えられる相手はいないのだ。本当に形見になってしまったセレビアのペンダントを握ったまま額に押し当て、大粒の涙をボロボロと零した。


 「う、うぅ……」


 話を続けようとしたエピタスだったが、エリアの様子に気を遣ってか、しばらくの間そっとすることを選んだ。むせび泣くエリアの声だけが数分の間響いていた。

 

 真っ赤に目を腫らしたエリアは「すみません」とエピタスに告げた。それは取り乱してしまったことと、おそらく続きがあるであろう話を遮ってしまったことに対するものだった。


 「気にすることはない」


 エピタスは首を横に振ってそう言葉を返した。当然の反応であると言っているように聞こえた。


 「続きになるが、サードレアン亡きあと、当然他の人間が王位を継いだのだが」

 「王位、それは……」


 きっと、彼女だろう。そう思いながらエリアは尋ねた。エピタスが発した名前は想像を裏切らないものだった。


 「アリス・イアソ・サーファルド。エリア、お前の姉と呼ぶべき人物だ」

 「やっぱり、アリスが」


 当然だ、とエリアは思った。彼女は聡明だし国民にも慕われている。それに何かあればリアナが色々と手助けをしてくれるだろう。彼女以外に適任はいないように思われた。


 「なら、安泰ですね」


 しかし、エピタスは難しい顔をしてエリアの言葉には応えず、淡々と言い放った。


 「彼女は今、暴君と呼ばれ国民からは恐怖の対象として見られている」

 「え」


 エリアは自分の耳を疑い、次にエピタスが嘘を吐いているのではないか、と思った。しかしエピタスは全く表情を変えることはなく、嘘を吐いているようには見えなかった。


 「どうして、アリスが、そんな」


 父の死を告げられた時とは別の驚きがエリアの胸を支配した。頭の中には「何故」だけが渦巻いている。エピタスはそんなエリアに声を発した。


 「彼女の心境や変化については、私といえども図りようがない。しかし一つだけハッキリしていることがある。それは」


 エピタスが次に口にした事実を、エリアは最初受け入れられなかった。


 「邪竜は今、アリス・イアソ・サーファルドの中にいる」


 その言葉が何かの間違いであることだけを願った。


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