Ⅸ 土皇との出会い (4)

 「それで」


 訪れた沈黙を破ったのはエリアだった。


 「その邪竜というのは、今も存在しているのですか?」


 エピタスは首を横に振った。


 「邪竜はその特異な出自故に、一度に一匹しか存在出来ない。今という時間だけでいうなら存在はしていない」

 「シュラのお父さんが倒して、それで……」


 エリアが尋ねると、エピタスは頷く。その頷きを見てエリアはホッと胸を撫で下ろした。


 「それなら、良かったです」

 「そうとは限らない」


 安堵するエリアとは打って変わって、エピタスは険しい顔を見せた。


 「どういうこと、ですか?」


 エリアが尋ねる。エピタスは空を見上げた。


 「自然界より生まれた我らとは違い、邪竜はあるものを喰らって成長する」

 「あるもの?」


 エリアは首を傾げた。人間の負の感情から具現化した存在は何を餌に成長を遂げるといのか、見当もつかなかった。


 「それは、人間の負の感情だ」

 「え?」


 思わずエリアは聞き返してしまった。


 「邪竜は人の負の感情の昂りによって生まれ、人の生み出す負の感情に寄生し、成体となるまで特定の人間の体の中に住み続ける。そして自らが十分に成長を果たせば、人間の身体から実体を具現化させて、自然界のバランスを喰らいつくそうとする」

 「人間に寄生する……?じゃあ、今も誰かの身体の中に邪竜は存在しているのですか?」


 エピタスは重々しく首を縦に振った。次に発する言葉を何にしようかと考えていたようだったが、少しして口を開いた。


 「邪竜は寄生している者の負の感情、怒りや嫉妬、憎悪といったものを増大させ、そこから生まれた膨大な負の感情を養分として成長する」

 「負の感情を増大させる、というのは……」


 エリアは何故か胸が大きく高鳴っているのを感じていた。何か自分にとって、とてつもない事実が判明するのではないか、と思っていた。何故かこの邪竜についての話は自分自身に大きく関わっているのでは、そう思った。

 そんなエリアの思いを知ってか、エピタスは「聞きたいのか」とエリアに一呼吸置かせるように仕向けた。エリアは深呼吸をしてから、「はい」と確かな声で言った。


 「エリア」


 エピタスは、ハッキリとした声でエリアを呼んだ。エリアは虚を突かれたようで、返事をせず頷くだけの反応しか出来なかった。


 「突然、自分が自分ではないような感覚に陥ったことはあるか?」

 「それは、どういう」


 質問の意味がエリアには良く分からなかった。するとエピタスはエリアに対する質問を変えた。


 「不意に大きな怒りに身を委ねたことはないか?いつもだったら気にしないか、呑み込んでしまうような事に対して、異常とも呼べるほどの苛立ちを覚えたことはないか?」

 「……」


 ある、というのがエリアの答えだった。しかし、それを口に出すことがとても怖くなってしまっていた。それこそが肯定だとばかりに、エピタスは言葉を繋げた。


 「それが負の感情の増大だ。強い破壊衝動が生まれ、他人に対して非常に攻撃的になる。また、自分自身が胸の奥に閉じ込めている感情が爆発し、欲望を倍増させ人格の暴走を巻き起こす。そうして生まれる恐怖もまた負の感情として邪竜は餌とする」

 「ちょっと、待って、ください」


 エリアは震える自分の身体を両腕で押さえつけながら、早くなっていく呼吸を何とか正常に戻そうと深呼吸をしようとしてむせた。自分の発した声がまるで自分のものではないように感じていた。


 「まさか、私の中に邪竜の、幼体が」


 エリアは腕を身体から放し、震える自分の手を見た。


 「厳密に言えば、いた、というのが正しい。今の君の中には邪竜は存在していない」

 「え……」


 エリアは必死に顔を上げてエピタスを見た。


 「更に強い負の感情を持っている人間を見つけたのだろう。邪竜は負の感情が強い人間のもとに寄生する習性がある。君よりももっと、誰かを憎んだり妬んだりしている人間のもとに行ったのだろうよ」


 エピタスは一通り話し終えたとばかりに一息ついた。しかし、エリアはバッと身体を前のめりにさせてエピタスに声を発した。


 「どうして、貴方たちは邪竜が生まれようとしている人間を見過ごしたの?」


 その問いに対して、エピタスは露骨にため息を吐いた。


 「不可侵条約を結んだから、というのが一番の理由だ。律儀なのでな。人間に危害を加えることは基本的にはしないようになっている。そしてもう一つ、邪竜の存在を全ての竜が認知出来るわけではないということだ。少なくとも今の世代では邪竜など名前を知らない者の方が圧倒的に多い」

 「……そう、ですか」


 エリアは大きく肩を落とした。世界の危機がこんなに身近で起きているなんて考えてもみなかった。自分がこの旅を通じて抱いてきた感情が、邪竜の成長を手伝ってしまったのだろうか。


 「ところでエリア。先程の口ぶりだと、何故自分を殺さなかったのか?という意味にも捉えられるが」


 エピタスの発言に対してエリアは、戸惑いを見せた。


 「だ、だって世界の危機かも、しれないんですよね。それだったら私なんて」


 そこまで言ったエリアを遮るようにエピタスは言った。


 「なるほど、邪竜が君を選んだ理由が分かるような気がしたよ」

 「……え」


 エリアは思わず固まってしまう。今のエピタスの言葉は一体どういう意味なのだろうか、と。


 (いや、きっとそうじゃない)


 エリアは何故自分に邪竜が寄生したのか、なんとなく分かったような気がした。きっとエリアはずっと誰かに強い負の感情を抱いていたのだ。



 「おや」


 エピタスが空を見上げると、そこには星々が漆黒の闇の中に輝いていた。


 「夜になってしまったか。今日は私の背で申し訳ないが、好きにくつろいでくれて構わんよ」


 エピタスはニッコリと笑ってそう言った。


 「それでは、その、ご厚意に」


 エリアはペコリと頭を下げる。顔を上げようかと思った瞬間にエピタスの声が聞こえた。


 「私の背中の丁度、右下の辺りに、あいつが戻ってきたな」

 「あいつ?」


 エリアが尋ねると、エピタスは笑って答えた。


 「英雄の息子だ」


 

  エリアが息を切らして木々の間を駆けると、見慣れた赤い姿の竜が空を見上げていた。座りながら口を半開きにして、空を見上げるその姿はまるで、何かに疲れ果てた人間のようだった。


 「シュラ、こんなところにいたんだ」


 エリアのその言葉で、シュラはやっとエリアを認知したようで、ゆっくりと顔をエリアに向けた。


 「何か、用か」


 シュラはポツリとそれだけを言った。エリアは憔悴しきったシュラに戸惑いを覚えながらも、出来る限り平常心を保って言葉を繋いだ。


 「一人にしておくのが怖くて」

 そうエリアが言うと、シュラはキョトンとした表情を見せ、そして力なく笑った。

 「そうか、そうだよな。エリアはそういう奴だよな」


 何かに納得したようにシュラは静かに笑い続けた。少ししてからエリアが口を開いた。


 「聞くのも、変だけれど」


 そう前置きをしてからエリアは言った。


 「疲れているよね」


 その言葉を聞いて、シュラの表情がグッと強張った。


 「分からなくなった」

 「……何が?」


 シュラの出した答えに、エリアは言葉を繋げた。


 「俺は、ずっと親父の事が嫌いだった。憎んでいたと言ってもいい。ずっと家族を捨ててどこかへ行ってしまった、家族を置いて空の彼方へ飛んでしまったと思っていた」


 静かに語り出したシュラに対して、エリアは静かに頷きながら聞いた。


 「ずっと、立派な親父だと里の奴らには言われ続けてきた。同年代の竜からも、シュラの親父は偉大なる火皇サーヴァだと、言われ続けてきた。そう言っているときの、そいつらの顔は尊敬や羨望が入り混じっているように見えた」


 シュラは視線を虚空に捧げながら続けた。


 「寂しいと思うときもあった。偉大なる皇を父に持ち、いずれは皇になることを目指すようにと、里の奴らからは言われ続けていた。それは決して嫌じゃなかったし、むしろどうすれば立派な皇になれるのか、そして親父とは違う形で認められるのか」

 「うん」


 エリアは静かに相槌を打った。初めてシュラと語った夜を思い出す。あの時もシュラは自分の弱さをさらけ出してくれた。父に対する想いを語ってくれた。でも、今はあの時とは違うのだ。今のシュラだからこそ出せる答えを、今のシュラだからこそ思う、本当の父への気持ちをしっかりと受け止めようと、エリアは思っていた。


 「本当は、皇の路を辿ることの意味が分からない、と思っていた。ただ皇になるために必要だから、儀礼だからと単純に何も考えずにガムシャラに飛んでいた。何度も迷ってどこへ向かえば良いのかと悩むときもあった」


 シュラはそこまで言うと、不意に視線を空から落とし、エリアに向けた。


 「その度にエリアに助けられていたよな」


 エリアは少し微笑みながら首を横に振った。


 「他でもないシュラ自身の強さだよ。色々な困難を乗り越えたのは」


 少しだけ自分が涙ぐんでいるのが分かる。エリアは指先で自分の目から零れた滴を拭った。あらためてシュラと自分の関係が変わっていったことを実感する。そしてその変化がとても嬉しかった。


 「そしてこの旅をしているうちに、何故か親父のことが気になったことがある。俺が体験していった皇の路を親父はどんな気持ちで残したんだろう、どうしてそれを残そうと思ったのだろう。それは俺と同じ気持ちだったのだろうか、それとも違ったのだろうか、って」


 シュラの声が僅かにうわずった。


 「知りたい、と思った。俺は親父の事をなにも知らないんだと気付いた。俺の知らない親父を知りたいと、会いたいと思った。思ったんだ」


 そこでシュラは悔しそうに呻いた。

 もう、会いたいと思えるようになった父はいないのだ。


 「不思議なものだよな、どうしてこうすれ違うんだろう」

 「シュラ」


 何か声を掛けようとして、エリアは口を閉ざした。何を言えば良いのか分からなかった。気付けばギュッとペンダントを無意識のうちに握っていた。父が自分に贈ってくれた大切な繋がりを。


 「贈り物」


 エリアは何かに気付いたように呟いた。


 「ねえ、シュラ。レドル湖でのこと、なんだけれど」


 シュラはエリアの声に耳を傾けているようで、僅かに視線をエリアに向けた。


 「あの時、竜の言葉で書かれていた石碑には何が書かれていたの?」


 そう尋ねると、シュラは大きく目を見開かせた。


 「そう、だ。そうだよ……あの時、俺に向けて書かれていたあの石碑のメッセージを読んだ時、確かに俺と親父のすれ違っていた時間は交差した」


 シュラは自分の手を見つめていた。


 「親父が残した皇の路は、俺に残してくれた軌跡だったんだ。皇になるための試練であると同時に、俺に残してくれた親父との繋がりだったんだ」


 シュラは自分の目から涙が溢れていることに気付いていないようだった。エリアがスッと指でその涙を拭う。


 「ずっとシュラの事を想ってくれていたんだと思うよ。だって、そうじゃなければシュラにだけ向けたメッセージなんて、残さないよ」


 エリアが少しだけ微笑んで言うと、シュラも少しだけ口角を上げ、鼻を啜りながら口を開いた。


 「しょうがねえよな。不器用だと思うぜ、俺の親父はよ」


 エピタスが似ている、と言った意味がエリアは分かったような気がした。彼もまた不器用な一人の竜だからだ。


 「なってやるぜ、絶対。火皇に!アンタを越えるくらい偉大な皇になってみせる」


 だから、見ていろよな。そうシュラは空に向かって叫んだ。気付けば夜が明けようとしている。二人は大きくあくびをして、地面に寝っ転がると疲れからか、すぐに眠りに落ちた。


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