第九章 エピタス
Ⅸ 土皇との出会い (1)
これで何度目の舌打ちになるであろうか。シュラは次なる目的地である「デゼールの木」がどこにあるのかの所在が全く掴めずにいることに苛立っていた。大陸の間の海を渡る生活が三週間ほど続いたが何も得られるものはなかった。
「くそっ」
口からゴオッと炎を吐き出す。随分とイライラしているようだ、とエリアは思った。今まではこんな癖を見せてこなかったが、ここ最近多くなった。本人も無意識で行っているようで、エリアが窘めると「何のことだ」という表情を見せる。
(でも、確かに気持ちは分かるかもしれない)
旅の終わりが近付いているというシュラの言葉を思い出す。この旅が終わったら自分はどこへ行くのだろうか。「どんな人間」として生きていくのだろうか。考えても答えは出なかったが、考えずにはいられなかった。ふと、ファルサの放った言葉を思い出す。
(私が、王に)
エリアは自分の両手を見つめた。その手は何かを守れた手だろうか、とエリアは考えた。多くの人と触れ合ってきたし、多くの考えを知って自分自身が少しずつでも変われたのではないか、という気持ちは少なからずあった。
でも、この手は友を守れなかった、という事実を思い出す。あの時自分がとった行動は間違っていないと信じているが、燃え盛る炎の中でチコは苦しかったのだろう、と考えると胸が痛くなる。
(あの悲劇は、誰のせいでもないんだよね)
エリアは不意に涙が出そうになったのでグッと堪えた。一度涙を流したら止まらなくなりそうだと思ったからだ。
「エリア!」
突然シュラの怒鳴り声が聞こえた。その気迫にエリアは肩を震わせる。
「何をぼさっとしているんだよ。次の町に着くぞ。ここでも情報を探ってくれよ」
シュラの言葉で我に返ったエリアは、シュラが大分低いところを飛んでいるのが分かった。もし人に見られたら騒ぎになるのでは、と不安になったが、今のシュラにはそんなことを考えている余裕はなさそうだった。
少し乱雑にエリアを降ろすと、すぐにシュラは翼を広げ飛んでいこうとする。体勢を立て直したエリアは飛び立とうとするシュラに問い掛けた。
「シュラ、焦っては駄目だよ」
その言葉を受けてシュラは、少し悲しそうにエリアを見た。
「仕方ないだろ」
それだけを言うと、シュラは空に飛び立っていった。少し遠くにいる旅人は明らかにシュラの姿を見て口をアングリと開けている。シルヴァーレのときは意味があったことだったが、今の状態でシュラの姿が人間の目に留まるのは決して好ましいことではないはずだ。何より今までのシュラならそんなことはしなかっただろう。
「シュラ……」
エリアはポツリと呟いた。近くなったと感じていた二人の心の間に、大きな壁がドンと建てられたかのようだった。
町に住む人たちに聞いても、デゼールの木の消息は掴めなかった。皆が口を揃えて「聞いたことすらない」というので、本当にこれが存在するものなのか、とエリアも疑問に思わずにはいられなかった。
「ありがとうございます。他の人にも聞いてみます」
この言葉を使うのは何度目だろうか、とエリアは心の中で唱えた。
テンセラ大陸一番の国であるパンテームの中でも割と栄えており、老若男女及び国籍問わず多くの人で賑わっている町なので、もう少し聞くあてはあるだろうかと、エリアは再び歩みを進めた。
すると路地裏の奥の方にひっそりと酒の看板が見える。あまり人目につかない場所に見えるが、何故か人の笑い声が聞こえる。どうやらこの町の穴場の酒場らしい。
他の町に行くと、大概酒場の店員に店に入らないかと誘われたり、ガラの悪い人から一杯付き合えと言われたりして、酒場というものにあまり良い印象はなかった。ちなみに誘われるたびに、エリアは苦笑いをしながら断っていた。強引に手を引こうとするものがいたら股間を思いっきり蹴ってやれ、とシュラが言っていたので何度か実践したことがある。その後ファルサにも「それでいい」と言われたくらいの方法で、実際かなり効果的であった。
しかし、酒場という空間やアルコールの匂いが得意になれないとはいえ、情報を集める際にはとても有益な場所である、ということもエリアは知っていた。町の大通りは周っても何も収穫がなかった。これは覚悟を決めて裏通りに入る必要があるかもしれない、とエリアは考えた。
(結局、焦っているのは私も同じなんだ)
旅の終わりが近付いているという事実に対して、妙な焦りを感じている。この旅で自分の帰るべき場所は見つかったのか、自分は「何か」になれたのだろうか、答えは「分からない」であることをエリアは良く「知って」いた。
路地裏には独特の臭気が漂っており、エリアは口元を押さえながら進んで行く。道中、黒猫が退屈そうに大きなあくびをしているのを見て、エリアは不快感を抱いた。
重そうなドアが目の前にある。取っ手の外れ掛かった木製のドアを、エリアは力いっぱい押すと、ギィィと嫌な音を立ててゆっくりと開いていった。
「いらっしゃい」
ドアを開くと、むわぁと匂いが立ち込めた。それも男たちの汗の匂いと、焦げた肉の匂い、そしてアルコールの匂いが混ざり合って、思わずエリアは咳き込んでしまう。その声を聞いたジョッキを片手に持つ男が椅子をこちらに向けた。
「ここはお嬢さんみたいなのが来る場所じゃないぜ。帰って温かいミルクでも飲むんだな」
突如、男と同じテーブルについていた髭を生やした男たちが「ガハハ」と汚い笑い声を酒場内に響かせた。
「私は、お酒を飲みに来たわけじゃありません」
エリアは弱みを見せまいと、出来る限り背筋を伸ばし、ハッキリと言い放った。先程までグイグイとジョッキを呷っていた男たちの手が止まる。
「酒場に酒を飲む以外の理由で来るのかよ」
男は少し苛立った様子を見せた。エリアは出来るだけ刺激をしないようにと、視線を外すが、男は苛立ちを隠さずにエリアに近付いてきた。
「おい、聞いているのか」
「聞いてはいます、が」
エリアはキッと睨み返す。少なくとも今の話の流れで因縁を付けられる謂れはなかった。同じテーブルに座っている小太りの男を見ると、額に手を当てて首を振っている。他の男たちもそっぽを向いて我関せずといった様子を見せた。
(こうなると、止められないのかな)
男はすっかりと出来上がっているようで、感情のコントロールが上手く出来ないでいるようだ。エリアの発言のどこにスイッチが入ったのかは分からないが、良い状況とは言い辛いのは間違いがない。エリアはどうするべきか、と思いながら右足に意識を集中した。
「聞いているのかこのアマぁ!」
男が急に怒鳴り出す。店のマスターも思わず肩を震わせ、店の看板娘であろう少女はお盆を胸に抱え、プルプルと子犬のように奮えている。
思わずエリアも身構えてしまう。しかし、今までの男とは違って目の前の男は理性が無い。この状況で下手に攻撃に出ればさらに危険な状況に置かれてしまうのではないか、とエリアは思った。今までのナンパ師とは違って、何をしでかすか分からないというのは、想像の出来ない恐ろしさがある。エリアの足は震えていた。
「うるせえぞ!」
突然、奥のテーブルから別の怒声が聞こえた。酒場の中にいた人全員が声の方に視線を向ける。そこには薄汚れたボロ布を服の上から纏った男が瓶のまま酒を口に注ぎ込んでいた。男は足をテーブルの上に乗せ、騒動を迷惑そうに見ていた。
「あんだとこらぁ!」
酒に溺れた男は突然怒りの対象をボロ布の男に変えた。クルリと身体を向きなおすと、酔っているには妙にしっかりとした走りを見せた。
ふぅ、とボロ布を纏った男は立ち上がると、突進してきた男を投げ飛ばした。投げられた男は泡を吹いて気絶をし、同じテーブルに座っていた男たちは、泡を吹いた泥酔男の肩を担いで、そのまま店から逃げ出すように去っていこうとする。しかし出口付近で看板娘に勘定がまだだ、とせっつかれていた。
酒場内はボロ布の男に対して、「ワァ」と歓声を上げた。中には大きく拍手をするものもいた。しかしボロ布の男は、どこ吹く風とばかりに再びテーブルに着くと、酒を呷り始めた。
流石にお礼を言うべきだろうと、エリアはボロ布の男の近くまで歩いて行った。近くになると分かるのだが、この男も店の独特の匂いに負けないくらい、強烈な匂いを放っていた。
「ありがとうございました」
エリアが頭を下げると、男は不思議そうな顔を見せた。
「ああ、さっきの騒ぎになっていた嬢ちゃんか」
納得がいったかのように頷くと、再び男はグイ、と酒を呷り「次」と言って酒瓶の追加を注文した。
「あなたにとってどうであっても、私は助けられましたので」
エリアは少し口角を上げてそう言った。注文した酒瓶が届くと、男はその蓋を開けてグイと飲む。すると酒を飲みながら、チョイ、と同じテーブルの向かいの席を指差した。それは「座れ」という合図だった。
エリアは頷いて、「失礼します」と言いながら席につく。男はうんうん、と頷いた。
「お前」
男は口から酒瓶を離して口元を拭うとエリアに尋ねた。
「旅人か」
エリアはコクリ、と首を縦に振った。
「だろうな、ちゃんと洗っているから目立たないが所々服にほつれがある。よっぽど旅をしていなければそんな服を着てはいないわな」
納得したように男がうんうんと頷く。これは男の癖なのだろうか。
「で、何を探しているんだ」
「デゼールの木、というものなんですけれど」
男はその言葉を聞くと、首を傾げた。
「聞いたことがないな」
エリアはそれを聞くと、一瞬期待をした分大きく落胆した。
「そう、ですか」
立ち上がろうとするエリアを、男は手で制した。
「まあ、待てよ。その代わり面白い話を聞かせてやるぜ。あんたも旅人ならドキドキハラハラ間違いなしの面白い話をな」
エリアはその言葉を聞くと、再び椅子に腰を下ろした。
「幻の大陸、ヤクト大陸について知っているか」
男は突然声を低くして、そう語り始めた。
「そう、ヤクト大陸には地図がない。つまりまともに探検をした人間は存在していないんだ。旅人なら一度は聞いたことがあるはずのこの大陸に、俺は行ったことがある」
徐々に声のボリュームを上げていく男には申し訳ない、と思いながらエリアは口を開いた。
「私も、実はあるんです」
男はその言葉に、思わず口をポカンと開けた。
「な。ど、どうやって?まさか船で行ったとでもいうのか?」
驚きを隠せない男に対して、エリアは返答に困っていた。
「いや、あんなところに船で行くのは一苦労だろう。他に考えられるのは……」
ブツブツと言葉を発する男だったが、突然納得したように頷いた。
「そうか、その可能性が高いな」
そう言うと、エリアに視線を向けた。
「動く島、というものを知っているか?」
突然話が変わったのでエリアは「へ?」と気の抜けた声を出した。男はお構いなしとばかりに話を続ける。
「その島は、名前の通り動き続けるんだ。ある時船に乗った漁師が、島が動いていると大騒ぎをして仲間を呼んだが、仲間たちが来る頃には雲のように消えちまった。しかしその日の夕方、同じ島を反対側の沖で見つけたという」
そして、漁師が再びその島を見つけようとして海に出るも、未だに見つかっていない、と話を締めた。
「でも、仮にそんなものがあるとして、どうやってそれを見つければ良いんでしょうか」
エリアが首を傾げると、男はニマァと笑う。
「上から、見下ろせばいい」
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