Ⅶ 名もなき島の一つの村 (5)
「それってつまり」
殺す、しかないということなのか。エリアは一気に顔が青くなった。
「他の、方法は、ないの」
「話を聞いている限りな」
シュラは即座に答えた。
「だ、だってこの前のシルヴァーレみたいに、乱入すれば……」
シュラは首を横に振った。
「あれは人竜伝説が少なからず残っていたから良かったが、この島にそんなものはないんだろ?俺が儀式の中にただ飛び込もうものなら、山神とやらに助けを乞いながらチコって女はその場で殺される。そして俺に危害を加えようとするだろうな」
シュラの言葉はとても重いものだった。
「そうなったら俺は、人間に容赦はしないぞ」
シュラは目を細めながら言う。エリアはペタリと膝をついた。
「殺さなければ、救えない命なの?」
「俺はそう思う」
そんなわけはない、とエリアは叫びたかったが声が出なかった。代わりに溢れてくるものは涙と嗚咽だった。選ぶしかないのだろうか。命を奪って誰かを救うか、誰かの命が奪われてゆくのを黙って見ているか。
「じゃあ、終わらせてくる」
シュラはそう言って翼を広げた。
「待って!」
エリアは涙ながらに、声を絞り出して言った。
「まだ、行かないで。選ぶから……。殺す、のは駄目だから。でもチコが」
エリアは言葉を続けようとするが、頭の中がぐちゃぐちゃなのだろう。自分の伝えたい事が分からなくて混乱していた。
それから、エリアにとってどれだけの時間が流れたのか。ふとエリアが顔を上げた。
そこにはもう煙は立っていなかった。
「……そんな」
乙女の儀はもう、終わったのだろうか。シュラは近くでエリアを見つめていた。
「大分前には、煙は消えたよ」
シュラはそれだけ言った。
「間に合わなかった?」
エリアはポツリと零した。その言葉に答える者はいなかった。
「あ、ああぁ」
またエリアの目から涙が零れてきた。間に合わなかったのだ。選べなかったのだ。
どんな手を使っても止めたいと思った悲劇を、手段を選べなかった自分の弱さが。生贄という名の殺人を、殺人という手段で止めるということが出来なかったために。
「ああああああああぁぁぁ!」
エリアは地面に頭を伏せて叫んだ。どれだけ叫んでも、声が枯れてきても、エリアは泣き叫んだ。
エリアが儀式の地に戻ると、そこにあったものは全て片付けられていた。チコが縛られていた木も燃え尽きたのか、昨日の悲劇を示すようなものはどこにもなかった。昨日の事が嘘だったら良かったのに、などと思いながら、エリアは胸に手を当てて、チコの死を弔った。
「戻ってきたのか」
聞こえた声に振り向くと、ニーシュが立っていた。
「ニーシュさん」
「残念な結果に終わってしまったな」
ニーシュがそう言うと、エリアはコクリと頷いた。
「……もう少し、取り乱しているかと思ったが」
ニーシュがそう言うと、エリアは顔をニーシュに向けることなく言った。
「夜中ずっと涙が止まりませんでした」
エリアは目を伏せた。
「それに、まだ冷静なんかじゃないです」
そうエリアは言うと、つう、と頬に涙の跡を零した。ニーシュはその姿を見て、「そうか」とだけ言った。
「シュラに、助けを求めたんです」
「シュラに?」
ニーシュが少し驚いた様子を見せた。
「山の麓まで、行ったのか?一人で」
エリアが頷くと、ニーシュは額に手を当てた。
「つくづく想像を越えてくれるな、お前は。まさかそこまでの行動力を見せるとは思わなかった」
ニーシュが呆れたようにそう言うと、エリアは少し間を置いてから言った。
「シュラに、頼んだんです。どんな手を使っても良いから……チコを助けてくれって。その時私は、チコの事以外何も考えていなかった」
エリアは罪を告白するかのように、淡々と話し始めた。
「それで、シュラは?」
ニーシュが尋ねると、エリアは言った。
「殺してでも、止めたいのかと聞かれました。私はその問いに対して急に怖くなった。チコは助けたいけれど、私にとって殺す、という行為は」
それだけ言うと、エリアはハッとして口をつぐんだ。自分の話している相手は元々暗殺者であったではないか。それも自分を殺そうとしていた。そう思ったが、ニーシュは特に気にするふうもなく言葉を返した。
「お前は本当に不思議な人間だな」
「……え」
意外な言葉にエリアは反応した。不思議、というのはどういうことだろうか。
「お前を殺そうとして失敗した時、お前は俺に問い詰めたはずだ。誰が自分の命を狙ったのかと。あの時のお前はとても合理的で、かなり冷静な人間なのかと思った。しかし時間を置いたお前は、一気に言葉が弱くなって、まるで別人のようにすら思えた」
ニーシュはそう言って、エリアに一歩近付いた。
「どちらが本当のお前なのか、と疑問に思っていたが、お前と旅をするうちに後者こそが、エリア・カアラ・サーファルドという人間なのだろう、と思い始めた」
エリアはニーシュが自分に何を伝えようとしているのか、考えながら聞いていた。
「そしてお前は再び強い感情を持って、別人かと思える程の過激な行動に出た。さっきの話にも出ていたが、どんな手段を用いてでもチコを救え、というのは普段のエリアからは考えられない発言だ」
そこまで言うと、ニーシュは一呼吸置いた、
「だが、シュラの殺してまでも止めたいのか、という言葉に対して戸惑った。その時のお前は間違いなく、いつものお前だ。誰かを失う事を恐れ、奪う事を躊躇する、エリアだ。俺はそれを否定しない」
ニーシュは少しだけ、笑った。
「仮に、お前が全てを犠牲にしてでもチコを救えと言ったら、チコもシュラも救われなかったと俺は思う」
エリアはニーシュの言葉の意味が分からなかった。迷ったという事実をニーシュは悪い事ではない、と言ってくれているのだろうか。でも、それが原因でチコは哀しい末路を迎えたのではないか、とエリアは胸の中で呟いた。
「ニーシュさん」
エリアが尋ねてきたので、ニーシュは「どうした」と続きを促した。
「殺す事以外の解決法は無かったんでしょうか」
エリアが尋ねると、ニーシュは少し考えるかのように目を閉じた。
「無い、だろうな」
何パターンかの方法を考えたのだろうが、ニーシュが下した答えは、無い、だった。
「チコを救い出すというだけでも、犠牲者を出さないというのは難しいことだろう」
「……どうしてですか」
エリアは尋ねた。
「ブラシャルの人間は、チコを生贄にしなければ生活に支障が出てくるからだ。お供え物が無くては、山神様は納得しないと思っているのだろう。そうなれば作物も育たないし、それ以上の災難が降りかかってくるかもしれない」
ニーシュの話に、エリアは耳を傾けていたが、ふと口を挟んだ。
「でも、そうならなかったら?」
「重要なのは、なるかならないかではない。なるかもしれないという一点だけだ。少なくともそれを続けてきた今までではあり得なかったことだ」
ニーシュが言うと、エリアはそれ以上口を挟まなかった。
「チコを助けようとすれば、敵になるのはブラシャルの大人たちだけではない。これまでの歴史と文化も襲い掛かってくる。守らなくてはならない人間と戦ったのなら、終わらせる方法は殺すだけだ」
エリアはハッとした。もしかしたらシュラはそこまで考えていたのだろうか。最終的に人を殺すことになるという事実を、エリアに知ってほしかったのだろうか。
「そしてどれだけ最小限にその被害を少なくしても、チコに行く場所はない。旅に連れて行けば良い、と言えばそれはそうかもしれないがな。だが、この島は変わらない」
「島が?」
エリアの問いに、ニーシュは頷いた。
「また来年には誰かが生贄になる。真実が子どもたちに伝わることはないだろう。これからもずっと、誰かの命は奪われていく」
エリアは顔を伏せた。確かに、そうだろう。チコを救えたとしても、他の子どもたちを
見捨てていいのだろうか、とエリアは思う。面識などなくても、殺されて良い命などないはずだから。でもそれを達成するためには、どうすれば良いのか。
「歴史を背負う者たちから罪無き少女を救う方法は二つしかない。一つは他を殺してでも守るべき命を守るか。もう一つは、長きに渡って受け継いできた文化を、同じだけの時間をかけてでも変えていくかだ」
「変える?」
エリアは突如現れた選択肢について尋ねた。
「ああ、変えることだ。簡単には出来ないだろうがな」
「どうやれば、変えられるのかな」
エリアはニーシュに小さな声で尋ねた。それが出来るのなら、そうすれば良かったのか、という後悔を抱えながら、聞かずにはいられなかった。
「お前なら、難しくはないかもしれないな」
ニーシュはエリアの目を見た。
「王になることだ。それも、人が付いてくるような、王に」
エリアは意外な答えに、口をポカンと開けていた。
「王になる、ことが……変えることに繋がる?」
エリアが呟くと、ニーシュは頷いた。
「何かを変えるには、それ相応の立場になることが必要になる。ましてや海の向こうのことにとやかく言うのなら、な」
そう言うと、ニーシュはスタスタと歩き始めた。その先にはコドネリア山がある。
「シュラもそろそろ休息を終えただろう。そろそろ出発するべきだ」
そう言われたエリアはニーシュに着いて行った。
(王に、なる)
かつて放棄した権利を、ここに来て意外な形で思い出した。忘れようとしていたはずのサーファルドが、城の様子が、父の姿が脳裏に浮かんだ。
(父さんは、どうして王になることを選んだのかな)
ふと、空を見上げながらそんな事を考えていた。友達を失った悲しみと、自分がなにをしたいのかという葛藤が、エリアの胸の中でモヤモヤと渦巻いていた。
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