Ⅶ 名もなき島の一つの村 (4)

 二人は遂に花畑に辿り着いた。チコが見ることを強く勧めてきたのが納得出来るほど、とても色鮮やかな花々が咲き誇っていた。


 「良い、ところだね」


 エリアがそう言うと、チコは頷いた。しかし、どこか満たされていないようにも思える表情だった。


 「でも、私はこれ以外のお花を知らないんだ」


 チコはそう言うと、エリアに顔を向けた。


 「外の島には、もっと違うお花があるんだよね」


 チコの目は真剣だった。エリアはこの旅の中で見てきた花の話をする。色は何色で、どんな香りを持っていて……と。チコは何度も頷きながらエリアの話を聞いていた。


 「そう、だよね」


 チコはそう言うと、空を見上げた。


 「この空の下、海の向こうにはもっと、色々なものがあるんだよね」


 そのまま数秒間静寂が流れた。そしてチコが、視線をエリアに戻しながら言った。


 「エリアはもうすぐ、この島を出発するんだっけ?」

 「うん、準備が整ったら」


 準備、というのはシュラの体調のことだ。


 「じゃあ、何年後かになるか分からないけれど……私がこの島を出てから、色々見て回るから。だから」


 言葉の続きは、エリアが紡いだ。


 「うん、また会おうね。きっと会えるよ」



 翌日の夜、チコは部屋に飾ってあった綺麗な頭飾りを着け、服装も普段の服装とは全く違った質の良い生地で織ったものを着ていた。おそらく島に古くから伝わる儀礼的な服なのだろう。チコも袖を通すときに鼻息を荒くしていた。


 「良いの?着替えるのを手伝ったのが私で」


 エリアは先程までチコの着替えを手伝っていた。気持ちがはしゃいでいるのか、チコに着付けをするのは大変だったが、なんとか無事に終わり、目の前のチコは可愛らしいお人形さんみたいだった。


 「エリアが良いんだよ。島の外から来た人を見るのは初めてだし、それにお友達になるなんて、こんなこと考えたりもしなかった。だからエリアしかいないの」

 「……そっか」


 エリアは優しく微笑んだ。そんな優しい言葉を掛けてくれる少女を愛おしく思った。


 「あ、そろそろ集合時間に遅れちゃう。行ってくるね」


 そう言ってチコは慌ただしく外に駆けてしまった。部屋に取り残されたエリアとニーシュは、とりあえずテーブルに着いた。


 「チコ、嬉しそうでしたね」

 「乙女の儀、だったか」


 ニーシュはポツリ、と言った。


 「早く外の世界に出たくてウズウズしているんでしょうね。だからあんな駆け足で向かおうとして……転んでなければ良いけど」


 口にしてからエリアは縁起が悪いな、と思った。しかしニーシュの顔は緩まなかった。


 「ニーシュさん?」

 「おかしいと思わなかったのか?」


 ニーシュは足を組みなおして言った。


 「おかしい、ってなにが、ですか?」


 エリアは恐る恐る尋ねた。ニーシュは口を重く閉ざしていたが、不意に口を開いた。


 「山神へのお供え物。これを知っているのはこのブラシャルの大人たちだけだ。そして乙女の儀、これを終えた者はこの島の外へ行く、という噂がある」


 ニーシュは立ち上がり、家の中を歩きながら言った。


 「……まさか、とは思いますけれど」


 ニーシュの言葉に、エリアは嫌な予感を覚えた。


 「ニーシュさん!」


 エリアは立ち上がり、ニーシュに言った。ニーシュは静かに、小さく頷いた。


 「その認識で間違いないだろうな。お供え物を選ぶのは難航するに決まっている」


 ニーシュは歩みを止めて、エリアに言った。


 「……自分の娘を差し出すことになるかもしれないのだから」



 エリアは弾かれたようにチコの家を飛び出した。あまりの勢いで外に出たため、一瞬足を取られて、転びかけるがすぐに体勢を立て直す。


 「どこへ行く?」


 ニーシュの声が後ろから響いた。一分一秒を争うこの状況で、何故今更分かりきったことを聞くのか、とエリアは苛立ちを覚えた。


 「止めに、行くんです」

 「何を」


 ニーシュは即座に質問を続けた。


 「乙女の儀という名の、生贄の儀式です。このままではチコが死んでしまうかもしれない!」


 エリアは言葉を強くしながら言った。


 「そんなことをしたら、ブラシャルの人間たちは困るだろうな。来年の作物が育たなくなって飢えてしまうかもしれない」


 あっさりと言ってのけるニーシュにエリアは絶句した。所詮この人は暗殺者であり、人としての感情は持っていないのだろうか。


 「あなたじゃ、ないですか。民族信仰でしかないって言ったのは!こんな儀式なくたって、来年にはまた野菜も採れれば木の実も採れる、と思いませんか」

 「ああ、思う」


 またもあっけらかんと言うニーシュに、エリアは話すのは無駄だ、と諦めて背を向けた。


 「とはいえ、このブラシャルの文化というものは死ぬだろうな。それを絶望と思う者も少なくはあるまい」


 ニーシュの言葉には耳を傾けないようにして、エリアは駆け出した。


 走っているエリアの視界に、立ち上る煙が見えた。煙が立っている場所はここから遠くはない。そう、ブラシャルの人々がエリアたちを歓迎してくれたあの場所だ。エリアは再び駆け出した。

 自分の心臓がうるさいと思いながら、エリアは懸命に足を前に運んだ。ドンドン息が苦しくなっていくが、それでもその足を止めることはしなかった。そうして、遂に煙の出どころに辿り着いた。

 少し遠くで、チコが大きな木を削ったものに磔にされていた。その下には炎が凄い勢いで燃え盛っている。チコの目の前の大人は涙を流している。チコの父親だろうか?火のついた棒を片手に呆然と火の流れを見ていた。

 チコの表情は怯えていた。今、自分がどんな状況にあるのか、脳が理解出来ていないようだった。信じていたものが全て壊されるという現実を受け入れられていないようにも思えた。しかしどちらにせよ、チコは首を小刻みに震えさせている。その姿は痛々しくて仕方がなかった。


 「チコ!」


 エリアが声を発して駆け寄ろうとすると、一人の老人がエリアの前を遮った。


 「異国の方。どうなされた」


 それはブラシャルの長だった。エリアは避けようとするが、執拗にその道を遮る。下手に動けば、他の大人たちに押さえつけられてしまうだろう。


 「チコに、何をしているんですか」


 エリアは長を睨みつけながら、言った。


 「ブラシャルに伝わる儀式、乙女の儀。うら若き乙女を山神様に捧げることで、来年も作物が豊作になることを祈るもの」


 やはり、とエリアは思った。ニーシュの言っていたことは正しかったのだ。


 「チコを殺すと?」

 「殺す、のではない。捧げるのだ」


 何も変わらないではないか。エリアは心の中でそう言った。


 「止めてください」

 「出来ぬ。山神様にあまりにも無礼を働くことになる」

 「そんなの……!」


 エリアが声を荒げると、何人かの大人たちがこちらに目を向けた。


 「長!その者は確か」


 大人たちの一人が声を上げた。


 「この儀式を止めろと、異国の方は言っておられる」


 長がそう言うと、エリアに向けた大人たちの目が、一気に敵意を抱いたものになった。一触即発とでも言えば良いだろうか、すぐにでも弾かれたように襲い掛かってくるかもしれない、とエリアは思った。

 磔にされているチコの視線がエリアを捉えている。僅かに口をパクパクとさせている。チコはエリアに向かって何か言葉を発しているようだ。遠くで聞こえないが、それがエリアの行動を決定させた。


 (助ける方法は、一つしかない)


 エリアは、クルリと背を向けて駆け出した。目指すべき場所は分かっている。あの大きな山の麓、そこにシュラはいる。


 赤き竜の姿が見えた。竜は静かに眠っているかと思ったが、エリアが近付くと、のっそりと起き上がった。


 「エリア、どうした」


 シュラは、息を切らしながら目を血走らせるエリアに、妙な感覚を抱き尋ねた。エリアは息を整えようとするが、その度に咳き込む。少ししてやっと息が落ち着いてきた。


 「シュラ、助けて欲しいの」

 「助けるって、なにをだよ」


 まるで分からない、というように手を上げるシュラに対して、エリアはまくし立てるように、事情を説明していった。もちろん、ニーシュが手伝ってくれようとしなかったことも。


 「なるほどな」


 一通りエリアが話し終えると、シュラはふぅ、と息を吐きながら言った。エリアはシュラのその言葉を聞くと、シュラの腕を掴み駆け出そうと、した。

 しかし、シュラの巨躯をエリアの細腕一つでは動かせるはずはなかった。


 「……シュラ?」


 エリアがそう言っても、シュラは動こうとはしなかった。苛立ちを覚えたエリアはまるでペットを引くかのように、何度もシュラの腕を引っ張ったが、シュラはその場所を動こうとはしなかった。


 「何を、しているの」


 エリアはキッとシュラを睨みつけた。こんなことをしている時間が惜しいというのに。こんなことをしているうちにも、チコの命は……。


 「シュラ!早くしてよ!」


 エリアは怒鳴った。誰かに対して声を荒げるという行為がエリアにとっては初めてのものだった。だから全力で声を出すしかなかった。その声は自分でもビックリするくらいには大きかった。

 シュラはその怒声を受けて、一瞬驚いた顔を見せたが、すぐに顔を伏せた。


 「エリア」


 シュラは小さく尋ねた。


 「……」


 エリアは応えなかった。その目は未だにギラギラと光っていた。その目を見たシュラは少しだけ悲しそうに目を細めてから、言った。


 「お前、そんな顔もするんだな」


 エリアはシュラの言葉の意味が分からなかった。そんなことよりも早く、と急かすように見つめるだけだった。


 「分かったよ」


 シュラはエリアに視線を合わすことなく言った。その言葉を受けてエリアも少しだが笑顔を見せた。その笑顔はどこか病的である、とシュラは思った。


 「じゃあ、早く行こう!場所はほら、あの煙が立ち昇っているところで」


 エリアがその方向を指差してから、シュラに顔を向けた。するとシュラは腕を組みながらエリアの前に立っている。今まで感じたことのない迫力に、思わずエリアは後ずさった。


 「それで、俺は何をすればいいんだ」


 シュラは抑揚のない声でエリアに尋ねた。エリアは一瞬面食らったかのように押し黙ったが、すぐに言葉を返した。


 「話した、よね?チコを……私の友達を助けてくれればいいの」


エリアが説明すると、シュラは首を振った。


「そうじゃない、チコという少女を救うために俺は何をすればいいんだ」


シュラの声には、相変わらず感情はこもっていなかった。まるで事務的に尋ねられているかのような感じがして、エリアは気分が悪かった。


「だから、チコを助けてくれれば良いんだよ、それだけ、なんだよ」


エリアがそう言うと、シュラは言葉を探すかのように辺りを見渡して、少ししてから言った。


「どんな手を使っても良いのか?」


一瞬エリアは質問の意味が分からなかった。しかし今の言葉の意味を考えると、シュラにはチコを救う手段が頭の中にあるようだった。


 「手段なんて、何でも良いよ。……シュラの中にはあるんだね?チコを助ける方法が」


 エリアが顔を綻ばせて言うと、シュラはその問いには応えずに歩き出した。そして口から火を零した。


 「シュラ?」

 「じゃあ、どんな手でも使うぞ」


 シュラの目が鋭くなっていることにエリアは気付いた。


 「何を、するつもり」


 エリアが尋ねると、シュラは答えた。


 「ブラシャル、だったか?集落の名前。そこを焼き尽くす」

 「え」


 エリアは間の抜けた返答をするので精一杯だった。シュラの言っていることが信じられなかった。


 「そうすれば、縛られているチコって女以外はなにがあったのかと言って、集落に戻ってくるだろう。……それも全て焼き尽くす」


 シュラの言っていることは冗談ではなさそうだった。竜の本性なのか、獣の本性なのか。シュラは淡々と言い放った。


 「そして、お前の友達以外はいなくなる。くだらない信仰も終わり、チコって女の命を脅かすものはいなくなる。それで終わりだ」

 「そ、そんな」


 エリアはワナワナと唇を震わせた。


 「そんな方法、駄目だよ」


 エリアは必死の思いでそう言ったが、シュラは静かに言った。


 「手段を選ぶなと言ったのはお前だぞ」


 今まで旅をしてきた竜がまるで怪物のように見えた。

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