Ⅶ 名もなき島の一つの村 (3)

 石というには少し大きめのものが地面に転がっている足場の悪い道を抜けて、遂に山の麓に二人は辿り着いた。山は不気味なうなりをあげている。


 「近くで見ると、本当に大きいですね」


 そう言ってエリアは山を見上げた。ニーシュもつられてその雄大な山を眺める。エリアの言葉に心から同意したようで、静かに頷いた。


 「……行きますか?」


 エリアがそう尋ねると、ニーシュは「ああ」とだけ短く答えた。


 「アイツはこの上にいるかもしれないからな」


 そう言うと、ニーシュは山頂に顔を向けて目を細めた。エリアもこれは長丁場になるかもしれない、と覚悟を決めようとした時だった。


 「その山を登る必要はねぇよ」


 聞き覚えのある声に、エリアは振り向くと、そこには少し傷を負いながらも、二本の足でずっしりと立っている、一匹の赤い竜がいた。


 「シュラ!」


 エリアがそう言うと、シュラは微かに笑い声をあげた。


 集まった三人は、少し辺りが暗くなってきたので、シュラの炎を焚火にしながら座って会話をしていた。


 「じゃあ、シュラはこの山の麓にいるんだね」


 シュラは無駄な混乱を避けたいから、と言って今回は別行動――もとい、山の麓にある天然の湯で傷を癒そうと――することに決定した。ニーシュとエリアもその判断に頷く。


 「それにこの山は、最近は落ち着いているようだが活火山のようだ。火の近くにいられるのは俺たち火竜にとってはありがたい」


 シュラがそう言うと、ニーシュが「竜ってのはよく分からん」と言った。


 「まあ、適度に顔でも見せに来てくれ。俺もあの竜巻で負った怪我さえ治れば、いつでもこの島から抜け出せるんだ。少しの辛抱というやつだろ」


 シュラはそう言って、湯治に行くと告げると、山の方に行ってしまった。エリアが辺りを見ると、大分夜も更けてきたようだ。色々なところから狼の遠吠えが聞こえる。


 「エリア、集落に戻るぞ」


 ニーシュの言葉にエリアは頷く。そして火を消すと、ニーシュの歩みについて行く形でエリアも走り出した。流石に夜目が利くのか、ヒョイヒョイと進んで行くニーシュとは違い、エリアは疲れながらも、なんとかついて行けた。


 

 「遅い、エリア!」


 集落の入り口に戻ると、チコが頬を膨らませながら腰に手を当て仁王立ちで立っていた。


 「チコ、こんな時間まで待っていたの?」


 エリアがそう言うと、チコはエリアの手を取って歩き出した。置いていかれたニーシュは、困ったような顔をしていたが、とりあえず二人の後に続いて歩き出した。


 「こんな時間まで、外で遊ぶなんて危険だよ」


 チコがそう言うと、更にエリアの手を強く握った。


 「チコ、ごめん、だから手を離してほしいな、なんて」


 ちょっとだけ冗談交じりに言ってみるが、チコはムスッとした顔のままだった。


 「心配、したんだよ」


 チコがそう言って、顔をエリアの方に向けると、その瞳には涙が溜まっていた。心配していた、という言葉が揺るがない真実であることを、エリアに告げるには充分だった。


 「……ありがとう、チコ」


 エリアがはにかみながらそう言うと、チコは眩しい笑顔を見せてくれた。今日という一日の中で、チコの笑顔を見たのは初めてだった。


 エリアとニーシュはチコの家で夜を過ごすことになっていた。チコに連れられて集落の外れの方にある小さな家に入ると、小さな松明に火を灯しランタンに近付けた。そして辺りが明るくなり、家の全貌が見える。部屋の中にはテーブルが一つ、それ以外にはこれといったものはなく、厨房も含めて部屋は四つだけだった。


 「チコはここに住んでいるの?お父さんたちは?」


 エリアがそう尋ねると、チコは少々難しい顔をして言った。


 「最近忙しいみたいで、家に帰ってこないんだぁ。そろそろ山神様への供え物を考えなければいけないって言ってね」

 「……山神様、というのは?」


 ニーシュがその単語に興味を持った理由はエリアにも分かった。先程シュラと再会を遂げた場所、大きな火山。あれにまつわるものなのだろうと思ったからだろう。この島に山と言えるものは少なく、あれほど目立つ山は、他の大陸でもそうそうないからだ。


 「コドネリア山!この島で一番大きな山なんだよ。あそこには昔から神様がいて、その神様がこの島の作物の成長を、えっと」

 「司っている?」


 言葉に詰まったチコをエリアがフォローすると、チコは顔を輝かせてうんうん、と頷いた。


 「ブラシャルのような外との繋がりの薄い環境によくある、民族信仰の類か」


 チコには聞こえないように――聞こえていても理解は出来ないだろうが――小さな声でエリアに囁いた。


 「その山神様へのお供え物っていうのは?」


 チコは、フルフルと首を横に振った。


 「大人の人たちは知っているみたいなんだけど、教えてくれないの」

 「そうなんだ」


 そう言って一度話が途切れた。するとエリアのお腹がぐう、と鳴った。


 「う」


 顔を真っ赤にしてお腹を押さえるエリアだったが、チコが「エリアお腹空いたの?」と純粋な目で聞いてくるものだから、コクリ、と頷くしかなかった。すると大急ぎで食事の支度をすると言って、チコは奥の厨房に入って行った。


 「エリア、お前食いしん坊なんだな」


 ニーシュが呆れた顔でエリアを見ているので、エリアは思わず言ってしまった。


 「ニーシュさんにだけは、言われたくない」



 「さあ、召し上がれ」


 そう言ってチコの家のテーブルには、鳥を煮込んだスープと、新鮮な野菜の盛り合わせ、そして蒸したぎょっとするような顔の魚があった。


 「ありがとう、チコ」


 そう言ってエリアとニーシュは食事に箸をつける。昨日のご馳走とはまた違う美味しさがそこにはあった。特にスープの美味しさには、旅の中でも随一かもしれない、とエリアも舌鼓をうった。


 「良い味が出ているもんだな」


 ニーシュがそういうと、チコは胸をピンと張った。


 「えっへへ!」


 そして嬉しそうに笑うと、次にエリアに視線を送った。どうやらエリアの感想を待っているようだった。


 「……美味しいよ。凄く」


 そう言うと、チコはまたニッコリと笑った。

 

 食事を終えて、三人で皿洗いなどを終えると、テーブルに集まった。


 「ねえ、チコ」


 奥の部屋でチラリと見えたものが気になったので、エリアはチコに尋ねた。


 「あの、綺麗な頭飾りはなに?」


 エリアが指差したのは、部屋に飾られていたキラキラ輝く一見豪華な頭飾りだった。チコは「ああ」と言って、部屋からそれを持ち出す。近くで見ると、それは綺麗に磨かれた貝殻を装飾としたものだった。


 「これはね、乙女の儀に選ばれた女の子が身に付けるものなんだって」

 「乙女の儀って?」


 エリアが尋ねると、チコは誇らしげに言った。


 「毎年、今くらいになると、ブラシャルで一番活気のある女の子を選んで、山神様に祝福してもらう、っていう儀式のこと!この儀式を終えると、この島の一年の作物が豊作になるっていう言い伝えがあるんだ」


 独自の文化が産み出した儀式なのだな、とエリアは思った。ニーシュを見ると、彼も同じことを考えていたみたいで、くだらない、というように目を伏せた。「作物は育つときは育つ」とでも言わんばかりに興味がなさげだった。


 「それで、その乙女の儀を終えた女の子はどうなるの?」


 エリアが聞くと、チコが、待ってました、とばかりの笑顔を見せた。


 「噂でしかないんだけれど、長から小さないかだ船を貰えるらしいの。そしてこの島から離れて海を渡れるんだって。外の世界に旅に出ることが出来るんだ」

 「外の世界に?」


 中々にハードな儀式だな、と思った。山神様の祝福を受けたのだから、外の世界でも強く生きていける、とでもいう認識があるのだろうか。しかし目の前のチコはキラキラと目を輝かせている。


 「外の世界が、楽しみなの」


 希望に満ちた目を見せるチコに、エリアは少し胸があったかくなった。

 

 翌朝、エリアはチコに連れられて島の南部にある自然に出来た花畑を見に来た。行く前にニーシュに着いてこないのかとエリアは尋ねたが、ニーシュは「花には興味がない」と言ってそのまま部屋で寝てしまった。


 (もし何かあったらどうしよう)


 ラ・シドラがエリアの命を狙いに来ることは考えにくい――この名もなき島にエリアがいることを、感付くのは不可能だ――が、それでも大自然が生んだ獣たちに出会おうものなら、ひとたまりもないだろう。エリアの心には、不安の念があった。


 「どうしたの、エリア?」


 曇っていたエリアの顔を下から覗き込むように、チコが見上げていた。エリアは僅かに微笑んで言った。


 「うん、ちょっとね」

 「何か心配事あったら言った方がいいよ?」


 なおも言うチコに、エリアは観念したように言った。


 「昨日、ニーシュさんと一緒に島を探索したんだけど、この島には色々な動物がいるじゃない?なかには凶暴なのも……女二人じゃ危険、かなぁって」


 素直にそう言うと、チコは少し笑ってから「気にしなくていいよ」と言った。


 「今から向かおうとしているところは、あんま動物が寄り付かないから。虫は多いかもしれないけど」


 それはそれで嫌だなぁ、とエリアは苦笑しながらも、この島で過ごしてきたチコが言うのだから確かなのだろう、と思った。

 そうして話が弾み、互いの理解が深まっていった。外の世界に強い憧れを持っているチコにとって、エリアの旅の話は非常に刺激的であった。エリアからしてみれば、チコが料理の話をしてくれることや、家族の失敗談を聞かせてくれて、とても楽しい時間だった。お互いに常識や当然だろう、と思っていたことでもすれ違いがあり、その驚きが共に心地よくもあった。二人は確かに同じ時間を共有し、互いを身近に感じていった。


 「不思議だな」


 エリアが急に、空に向かってポツリと言った。チコが振り向くと、エリア自身も何故そう口にしたのかよく分かっていないようで、少し考えを整理した後に、納得したように頷いて、チコに話しかけた。


 「私、この旅の中でも、旅に出る前でも……あまり心を許せるような人がいなかったなぁ、て思った。でも今、チコと話していると……これがそれなのかなぁって思えるんだ」


 チコは不思議そうにエリアを見た。


 「あれ、あのニーシュって人は?」


 チコはそう言って、今来た道を指差した。エリアは困ったように笑う。もちろんニーシュの事は信頼している。かつて自分の命を狙った暗殺者に対する正当な感覚なのかは不明だが、それでも素晴らしき仲間だと思っている。

 シュラの事もそうだ。この旅を始めてからずっと一緒だった。大切な仲間だし、彼と共にこの旅を完結させることが、エリアの当面の目標である。今までしてきた喧嘩も、小さなすれ違いも、終わってしまった今だからかもしれないが、全てが愛おしいとすら、感じる。

 そしてこの旅を通じて出会ったいくつもの人も、少なからずエリアに影響を与えてくれた。それは間違いないと思う。


 「なんて、言えば良いのかな」


 エリアは言葉を探していた。この胸にある気持ちは何なのだろう。心地良さと相手を知りたいという、知識欲とは違う何かがずっとエリアの胸にある。


 「友達?」


 不意にチコが口にした。それは確信を得て言ったものではなく、「もしかして」という言葉が頭につくような意味合いのものだった。チコは首を傾げながら聞いてきた。


 「友達……?」 


 エリアはその言葉を復唱した。すると胸の中にあった疑問がすうっと抜けていくのを感じた。この言葉こそがエリアの見つけたかった答えだったのだ。


 「うん、友達みたい、だよね」


 今までエリアには友達と呼べるような人はいなかった。城の中で、いつも鬱陶しそうにされながら生きてきたエリアにとって友人と呼べるような人はいなかった。旅の中で何度か同年代の女の子と話をしたこともあるが、チコと話しているようなワクワク感はあっただろうか。


 「みたい、っていうか友達じゃないの?」


 チコは悲しそうな顔でエリアを見た。その瞳は潤んでおり、エリアはその原因が分からずうろたえてしまう。


 「……私、チコの友達で、いいの?」


 思わずエリアは口にした。自分が抱いていた感情に答えは出せたが、その答えがチコも持っているものかどうか、自信がなかったのだ。しかし、チコはエリアのその言葉に対し、今度は少し怒ったような顔で言った。


 「良いとか、悪いとかないと思うよ?それに私はエリアを友達だと思っているもん」


 エリアは目頭が熱くなった。嬉しい、と思った。人並みの人生なんて送れずに、城の中で死んでいくと思った時もあった。でも、あの城を離れた自分にこうやって、友達が出来た。エリアはチコに、「そうだね」と言った。

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