Ⅶ 名もなき島の一つの村 (2)
チコは「はい」と大きな木の実を差し出してくれた。
「あ、ありがとう」
そう言ってエリアは木の実を受け取るものの、これはどうやって食べるものなのだろうかと、思案しながら木の実をクルクルと回転させた。すると隣のチコは不思議そうにエリアを見ていた。
「あ、ごめん。これって、どうやって食べるのかな」
エリアがそう言うと、チコは「お手本」と言って、自身の分の木の実を見せた。丁度中心の部分に僅かなくぼみがあり、そこを力いっぱい指で押すと、パッカリ二つに割れ、ジューシーなオレンジの果肉が露わになった。
「うわ、美味しそう」
今の動きを真似てエリアも木の実を割って、中身を確認した。隣のチコを見ると、そのままガツガツと食べ始めているではないか。倣ってエリアも木の実に口を付けた。昔こんな食べ方をしようものならリアナにどれだけ嫌味を言われただろうか、などと他愛もないことを考えながら食べた果肉は、とても肉厚で甘くて美味しかった。
木の実を食べ終えたエリアは、チコに話しかけた。
「チコ、ここはどこ、かな」
「どこ?」
チコは質問の意味が分からないようだった。
「この島……なのかな?この島はなんて名前の島?」
暇があれば、皇の路と、どこだったかの町で購入した世界地図を見比べていたので、ある程度の島の名前は覚えていた。あとは自分のいるこの島の名前さえ分かれば……。そう思ってチコに尋ねたのだが、チコは困った顔をしていた。
「名前、なんてないよう?島は島だもん」
どうやら嘘は吐いていなさそうだ、とエリアは思った。残念ながら情報は得られなかったが、チコがいるという事は、ここは無人島ではないということだ。それであるならまずはこの住人たちと触れ合う事が大切かもしれない、とエリアは思った。
「チコ、この辺にチコの住んでいる集落はある?」
「しゅうらく?」
集落、という言葉の意味が分からないようで、チコは首を傾げた。エリアは聞き方を変える必要があると思って、言葉を探した。
「大人の人って、どこにいるかな?」
エリアがそう尋ねると、チコは元気な声で言った。
「お父さんとかお母さんだよね。ブラシャルにいるよ!」
ブラシャル、というのは村なのか、それとも部族の集落なのか。それは分からなかったが、そこに行くことが先決だな、とエリアは考え、チコに尋ねる。
「案内、してもらえるかな?」
チコはニッコリと笑って「任せて」と言った。
チコに連れられてやってきた集落には、大人たちが沢山いた。チコの服装の時点でエリアは思っていたことだが、誰もが露出が多い。女の人でもへそは当然のように出しているし、局部を隠している以外は裸同然の、自分より数歳上程度の若い女性もいた。男性に至ってはほとんどの人が上半身裸で、エリアは目のやりどころに困った。
「ロナーク!」
突然チコが大きな声を発した。人の名前だろうか、とエリアが辺りを見ると、集落の人々が皆、チコの方を向いているではないか。
「チコ、ロナークって?」
小声でチコの耳元で話しかけると、チコは「ただいまって意味」とだけ言った。
「チコ、タスパナ。ところでそちらのおなごは?」
この集落の長だろうか、目立つ装飾を顔に施した、腰の曲がった老人がチコの帰りを労った。タスパナ、というのは会話の内容からして、「お帰りなさい」の意味なのだろうな、とエリアは思った。そして「おなご」という表現も他の国では聞かないものだな、などと呑気に考えていた。
「この人はエリア!海の方で、波に流されたっぽくて、今日の朝からずっと浜辺で眠っていたの。さっき起きたからブラシャルに連れてきた!」
チコがそう言うと、エリアの方に顔を向けたので、エリアは軽く老人に会釈をした。老人は嘗め回すようにジロジロとエリアを見ていた。異国の人間というのはやはり珍しいのだろう。特に服をジロジロと見られた。元々旅をするための服なのでどの国でも浮いてはいなかったのだが、このブラシャルの人には珍しいと思われても仕方ないかもしれないと思った。
「いやぁ珍しいこともあるもんじゃわい。まさか一日に二人も、異国の人が来やるとは」
「え、二人、というのは?」
エリアはその「二人」という部分が引っ掛かった。自分も含めての二人、ということだろう。もしかしたら、という希望が湧いてきたのだ。
「あの、そのもう一人の異国の人というのは今どちらに?」
ズイ、と顔を押し出したエリアに、老人は逆に身体を一歩怯ませた。
「あ、あの家じゃ」
そう言って指差されたのは藁ぶきの小さな家だった。エリアは一気に駆け出した。チコが慌ててついてくる。家のカーテンをバッと開けた。
「うまいな、この魚。あ、この見慣れない野菜の味付けも大分好みだ」
玄関からすぐに食事の間があり、そこの木製のテーブルにギッシリと料理が並べられていた。色鮮やかな魚に、新鮮なみずみずしい野菜に、美味しそうな匂いのするソースが掛けられている。そしてそれを食べているのは、一日ぶりに見る顔だった。
「ニーシュさん!」
「……エリア!」
夜になると、集落一番の踊り手が、火を灯した松明を持ちながら踊りを披露してくれた。炎の軌跡と動きキレの良さは、エリアの視線を釘付けにした。ニーシュの方は、さっきあれほどご馳走になっていたにも関わらず、目の前に並んでいる肉の丸焼きや山菜を煮込んで作ったスープをひたすら口に放り込んでいる。
異国の人間が集落を訪れるのは初めての出来事だったようだ。先程チコから聞いた話だと悪いことが起きる前触れではないか、とか集落の滅亡が近付いているのではないか、などと大人たちの間で緊急で会議を開いたらしい。もっとも、一日に二人も訪れたのであれば、まず考える事よりも歓迎をするべきではないか、という結論になったようだ。……一人だったら始末されていたかもしれない、という考えがエリアの頭をよぎった。ニーシュならともかく、自分だけだったらこの食卓に並べられていたかもしれない、などと現実的ではないことを考えていた。
「エリア!」
隣に座るチコは飲み物を差し出してくれた。先程集落の大人から酒を手渡されそうになり、必死に断っているとチコがこの飲み物をくれた。果汁をそのまま絞っただけのものだというが、とても味が爽やかで美味しかったので、こうやって何度もおかわりをしてしまう。
「サダラーナ!リッスブル!」
先程からこの集落にのみ伝わっているだろう言葉が沢山飛び交っている。エリアはチコから貰った飲み物に口を付けながら、甘辛く煮つけられた肉に箸をつけた。この島の動物の肉は少し癖が強いが、味付けが良いので美味しく食べられた。
歓迎会は夜遅くまで続いた。突然謎の仮面を着けた集落の若者たちが太鼓の音に合わせて踊りを見せてくれたりもした。楽しい時間だったが、少し外の風を浴びようと席を外して海の方に歩いて行った。するとそこには先約がいた。
「ニーシュさん」
ニーシュは声に振り向くと、エリアに向かって言った。
「とりあえずは、食い物には困らなさそうだな」
そう言ってニーシュは笑った。
「良かった、ニーシュさんが無事で」
「それは俺の台詞でもあるな」
再会を喜ぶ時間が無かったことを思い出すと、急にエリアは涙が出てきた。心細さがやっと解消出来たことに対する安堵なのだろう。
「それでだ、エリア。明日は二人でこの島を探索しよう」
ニーシュはそう提案した。エリアはコクリと頷く。
「……あの馬鹿竜もここに流されていれば良いんだが」
ニーシュはそう悪態をついた。
朝から三時間ほど歩いて分かったことなのだが、この名もなき島は決して大きいと言える島ではなかった。辺りは海に囲まれており、中心部もほとんど木々に覆われている。上を眺めればとても巨大な山があるが、それ以外に目を見張るものはない。チコに会わなければ無人島ではないか、と判断していたかもしれない、とエリアは思った。
「シュラのあの大きい図体ならば、いればすぐに見つかりそうなものだが」
そう言って草を分けるニーシュは、時折飛んでくる虫を鬱陶しそうにはたいた。他の大陸や国から離れているだけあって、生態系も独自の進化を遂げているようで、怪しいくらいに鮮やかな色を見せる植物もあれば、紫の毛並みを持った狼や、黄色の斑点模様のカエルまでいた。森の中でカエルを見ることになるとは、エリアはおろかニーシュも予想しておらず、驚きの声を上げていた。
「この島は、研究家とかの人が見つけたら喜びそう、ですね」
そんな他愛もないことをエリアが言うと、ニーシュは難しいだろう、と言った。
「喜ぶだろう、という点には同意だが……まず辿り着くのが難しいだろう」
第一地図に載っていないようなところにどうやって辿り着くのか、とニーシュは言った。その言葉にエリアも、確かにそうだ、と頷く。
そんな会話をしながら再び歩みを進めたが、一向にシュラの姿は見当たらなかった。流石にもうすぐ日が暮れる。そうなったらあの集落に戻らなければいけなくなる、とエリアは焦りを覚え始めた。
「本当に、この島に流されていれば良いんだけれど」
そうエリアがポツリ、と言うとニーシュの顔が険しくなった。最悪の可能性であることは間違いない。もしかしたらこの島から出られずにその一生を終えることも考えなくてはならなくなるのでは、という思いがエリアの脳裏に浮かんだ。
「悪いことを考えるのは、起きてからでいい」
そう言うと、ニーシュはスタスタと歩いていく。必死でついて行くエリアだが、途中で耐えきれなくなって噴き出した。
「どうした、エリア」
「少し前まで、闇の世界で暗殺業をしてきたとは思えない、と思って」
エリアがそう言うと、ニーシュは僅かに口角をあげた。一瞬エリアはその笑顔に憂いを感じた。しかしそれが何を意味しているのかは、分からなかった。
「……馬鹿と何とかは高いところが好きだというが」
エリアから顔を背け、前を見たニーシュは言った。その視線の先にエリアも目を向けると、島の中心にある大きな山が見えた。
「まさか、とは思うけれど」
あの山にシュラがいるのだろうか。確かに陸地はほとんど探ったし、何度海を眺めてもそれらしきシルエットは見当たらなかった。探していない場所は一つだけだった。
「行くぞ、エリア」
ニーシュの言葉にエリアは頷くと、二人は駆け出した。
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