第七章 チコ
Ⅶ 名もなき島の一つの村 (1)
シュラは背に乗る人間が一人増え、重さを感じるようになり以前よりも飛行に気を遣うようになってしまっていた。しかもニーシュは常に位置取りが悪く、むずがゆいところに腰を下ろすところもあれば、逆に骨の浮き出ているところに足をかけていたりもする。そのことについて、シュラとニーシュの口論は絶えなかった。
「てめえ、ニーシュ。そこに乗るんじゃねえって言っただろ。次にやったら振り落とすぞ」
「知るか。勝手にすればいいだろう。……まあ、振り落とされるのは俺じゃなくてエリアだろうがな」
こう言った内容の口論を聞くたびにエリアは可笑しくなって笑みを零す。これが男同士の友情なのだろうか、と考えることもあった。もっとも、そんなことを二人に零そうものなら、全力で、声を合わせて否定してくるであろうが。
「皇の路……か」
巻物を広げながら、ニーシュは呟いた。ニーシュと旅を始めてから二つほど皇の路を辿った。エリアやシュラでは残念ながら考え付かないようなことでも、ニーシュが加わったことで早く目的のものが見つかることも多くなった。最初に皇の路を辿る旅をしていることを伝えた時、「誰が皇になるんだ」とシュラに聞いていた。普通に聞いただけだったのだろうが、シュラが「俺だ」と言うと、ニーシュは「冗談はよせ」と言ってからそれが真実だと知ると、驚いた表情を見せた。
「お前が皇になる、か。国を終わらせるなよ」
「国じゃねえ、里だ」
他愛もない会話が、エリアには心地よく思えた。少なくともこんな会話をしているうちは、義母に命を狙われた、という事実から目を背けることが出来たからだ。もう二度と会う事はないし、会うつもりもないとは思っているが、今でもまだ命を狙われるのだろうか、とエリアは怖れていた。
「エリア」
不意に声が聞こえてきたので、エリアは振り向いた。声の主はニーシュだった。
「どうしたんだ。心ここにあらず、といった様子で」
「……今でも、ラ・シドラに命を狙われているのか、心配になって」
素直にエリアは答えた。ニーシュは「言おうか、迷っていたんだが」と前置きをしてから言った。
「もう、お前が狙われることはないだろう」
「……どうして?」
エリアが尋ねるとニーシュは、他の死体を偽装して、ラ・シドラの人間に渡した、と言った。
「これを言うべきか迷ったのは、これで社会的にもエリア・カアラ・サーファルドという人間は完全に死んだからだ。その事実はお前にとってどうなのか、俺には分からなかったからな」
「失う」という経験のなかったニーシュは、エリアがどう思うのか想像もついていなかった。エリアはその話を聞いて、「そう、なんだ」と呟いた。
「とりあえず、良かった、のかな」
言葉とは裏腹に表情は曇っていた。その姿を見たニーシュは何も言えず、シュラもただ前だけを見つめ、空を飛んでいた。
(居場所、見つけないとな)
そんなことを考えながら、ただ風を感じていた。いつしか風が冷たくなっているのは、夜が近付いているからだろうか、とエリアは思った。
丁度、北の大陸ヴェール大陸の上空を飛んでいる時だった。あわただしく鳥たちが横切っていくのを見ながら、何かあったのだろうか、とシュラが目を向けると巨大な竜巻が目の前にあった。
「な、なんだこれは!」
今まで旅をしてきて、小さな雨雲にぶつかったり、積乱雲を横目に振り切ったりしたこともあったが、今回ばかりは話が違った。今からこの猛威から逃れることは出来ないだろう、とシュラは判断した。むしろ既にその大きな渦に巻き込まれようとすらしている。
「エリア!ニーシュ!」
シュラは大きな声で背に乗る二人に声を掛けた。二人も目の前の現実をしっかりと見ているようで、エリアは怯えた表情を見せ、ニーシュは鋭い目で竜巻を見ていた。
「もう、これを避けることはできねえ!一気に突っ込むから、しっかり捕まっていろよ!」
そう言って、返事も待たずにシュラは全力で前に突っ込んだ。最短でこの竜巻を突破しようと考えたのだ。渦の中心に辿り着きひたすら上に行けば、恐らく逃れることが出来るはずだ、と考えた。
しかし、自然の猛威は竜のそれを遥かに越えていた。渦の中に入った瞬間、羽ばたいていたシュラの翼の自由は失われた。流れに逆らうことなど到底出来ず、従う事ですら精一杯だった。
「ぐうう!」
シュラは苦しそうな声を上げた。シュラの身体が大きく揺れる。その振動に負け、エリアはシュラの背中から手を離してしまう。
「エリア!」
声を上げて、ニーシュはエリアの腕を掴んだ。吹き飛ばされそうになるエリアを何とか繋ぎ止めたが、いくらニーシュとはいえ、この暴風には耐え切れそうになかった。
「……シュラ!」
ニーシュはシュラを見た。するとシュラもニーシュと同じ考えを持っていたようで、二人は目で会話し、互いに頷いた。ニーシュはシュラの背中を蹴って竜巻の渦から逃れようとした。
そうして、海に放り投げられた二人だったが、竜巻の影響で波が大きく荒れていた。ニーシュは気を失っているエリアの身体をしっかりと抱きとめ、この波の流れに呑まれまいとした。
そうしているうちに、水の冷たさもあり、ニーシュも意識が遠のいてきた。意識が残っているうちに、せめて陸に辿り着こうと、エリアを抱きとめたまま泳いだ。
エリアが目を覚ますとそこは、浜辺だった。あの荒れた海は嘘のように穏やかに見える。うつ伏せになっていたエリアは上体を起こして辺りを見る。その浜辺には、近くに緑もなければ、人気もなかった。
「私……」
記憶を辿ろうとしたが、あまりにも激しすぎる竜巻に飲まれ、途中で意識を失っていたようだ。自分がどのような流れでこの浜辺に来たのか、想像もつかない。
「頭、痛い」
鈍い頭痛に、思わず額を押さえた。揺れる海面でここまで流されてきた、ということなのだろうか。しかし頭が痛いとはいえ、ここでじっとしているわけにもいかないと思い、エリアは身体を起こした。
「シュラ、ニーシュさん!」
出来る限りの声を出して仲間の名前を呼んだが、返答はなかった。あれだけ激しい竜巻に飲まれたのだから、はぐれてしまってもしょうがないが、せめてこの近くにいて欲しいとだけ祈りながら歩き出そうとした。
「あれぇ」
間の抜けたような声が聞こえた。その声がどこから聞こえてくるのだろうかと、エリアは辺りを眺める。すると、浜辺の近くにある小高い岩場から聞こえてきたようだった。そこには不思議そうな目でエリアを見る、見慣れない衣装を着た小さな褐色肌の女の子がいた。
「起きたんだぁ」
さっきの間の抜けた声といい、少し離れたこの距離で聞こえるというのは、風のほとんど吹いていないこの開けた場所だから、というのもあるかもしれないが、大きな声を出している、ということだろう。実際外見からは、女の子らしさもあるが、活発そうな雰囲気も持ち合わせている。そしてその第一印象を裏付けるかのように、岩場から飛び降りて、小走りにエリアの下へ駆け寄ってきた。
「エセイラ!」
エリアの目の前まで来ると女の子は、両手をバンザイさせながら大きな声でそう言った。エリアは目の前の少女が何を言っているのか分からず、首を傾げた。
「え、せいら?」
「そっか、ごめんなさい」
そう言って少女はペコリと頭を下げた。
「この島の人じゃないものね、分からないよね」
そう言って節操なく少女はエリアの身体を触り始めた。
「わっ……くすぐった、い」
そしてペタペタ触ってから、少女はニッコリと笑った。
「うん、元気になったみたいだぁね」
その眩しい笑顔に、思わずエリアも笑顔になった。状況を考えれば到底笑えることはないはずなのだが、目の前の少女の笑顔はそれを一瞬でも忘れさせてくれる。
「あ、そうだ。まずは名前、だよね」
そう言って少女は一歩下がって、自分を指差した。
「私、チコ!」
チコ、と名乗った少女は、目をキラキラと輝かせてエリアを見る。エリアの自己紹介を待っているようだった。
「……エリア、だよ」
エリアがそう言うと、チコは「よろしくエリア」と大きな声で言った。
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