Ⅵ 暗殺者と竜 (5)
「じゃあ、おれから聞きたいことがあるんだが構わないか?」
不意に声を発したのは、腕を組んだままジッと話を聞いていたシュラだった。
「ああ、なんだ」
ニーシュがそう答えると、シュラは尋ねた。
「なんで、俺らにそんな話をしたんだ。あまり人にしていい話には聞こえないが」
「お前は人間じゃないだろ」
バッサリと言うニーシュにシュラは苛立ちを覚えたが、その怒りを堪えた。
「さっき話した頭領だが、一年前に病でこの世を去ってな。俺ともう一人のどちらかで次の頭領を決めよう、なんて話になったんだが、俺にはそんなものに興味は無くってな。辞退して今まで通りでいる、と言ったんだ」
エリアとシュラは黙って話を聞いていた。
「しかし、そいつが頭領になってからラ・シドラは変わってしまった。かつては貴族、王族より依頼を受け、法で裁けない人間たちに対して静かに殺しをしていった。前の頭領は人望に厚かったからな」
ニーシュは再び笑顔を見せた。エリアは、ニーシュが純粋な笑顔を見せるときは前の頭領の話をしているときなのだ、と思った。
「だが、今の頭領に変わってから、ラ・シドラは違うものになった。仕事の内容を聞かなくなった。依頼主が大きく変わったといったことはないが、今までは矜持に反する仕事は断ってきたのに、それをも受けることになった。それにその仕事を受ける理由や、そのターゲットの容姿以外の情報を俺たち、暗殺を実行する人間に伝える事がなくなった。俺たちはただ殺しをするだけの人形であればいい、と言われているようなものになった」
ニーシュは一呼吸をおいて、また話し始める。
「かつてラ・シドラは《あぶれ者》とも呼ばれていた。先代の頭領だった頃は仮にラ・シドラから抜けたい、と言った者が現れてもそれを追おうとはしなかった。そいつにはそいつの光を見つけたのだろう、と言って応援する者すらいた。そして暗殺に失敗したとしても、頭領がケツを拭いてくれた。しかし今は違う」
ニーシュは拳をギュッと握りしめた。
「仮に暗殺に失敗でもすれば、始末されるのはそいつだし、ラ・シドラを抜けたいと言えば、さっきも言ったように生きていることをやめたくなるくらいの厳しい拷問を受ける。ショックで死ぬか、舌を噛み切って死ぬか、だ。かつてはどこか緩ささえ感じられたラ・シドラはすっかり、仕事を何よりも優先とする組織になってしまった」
ニーシュは遠い目で虚空を見つめた。
「随分と変わっちまったんだな、環境というやつが」
シュラはニーシュに言った。正直に言えば共感出来る部分は少ないが、苦悩しているという事実だけは読み取れたからだ。
「人殺しにしては人並みの悩みだろ」
ニーシュはそう言ってから、くだらない、と呟いた。
「そんなふうに変わってしまったんだ、ラ・シドラはな。そして俺は任務を成功させることが出来なかった。たった一人の王女様を殺すつもりだったのが、まさか火を吐く護衛がいるなんて思わなかったからな。今までの目撃情報だとお前の存在はなかったものだから尚更だ」
「目撃情報、そうか。ユビルとシルヴァーレの……」
あの時自分を見ていた視線は、やはり共通のものだったのだろう。エリアは確信めいたものを持っていたが、遂に真相に辿り着けたような気がした。
「ラ・シドラの情報収集係だな、ターゲットを見つけ観察する。そのときにはこんな凶暴な化け物がいるとは聞いていない」
そういえば、自分とシュラが一緒にいるところを見られたことはなかったかもしれない、とエリアは思った。チラリとシュラを見ると、少し勝ち誇った顔をしているのが印象的だった。
「話を戻すと、俺がここまでペラペラと喋るのは、もうラ・シドラには戻らないからだ」
「戻ったら殺されるからか?」
シュラが尋ねるとニーシュはフッと笑った。
「別に殺されることは怖くない。どうせ簡単に殺されてやるつもりもないしな。出来るだけ多く地獄に送ってやる。少なくとも今の頭領は道連れにしてやるさ」
一瞬ニーシュの表情は険しくなり、殺気を見せた。エリアはぞっと背筋に冷や水が流れるのを感じた。
「だが、それをする気力もない」
そう言うと、ニーシュはそのまま地面に仰向けに倒れ込んだ。
「これが、答えだったのかもしれないな」
「どういう、こと?」
エリアはニーシュに尋ねた。
「ラ・シドラを抜けるということだ。俺はあまりにも多くの人を殺め過ぎた」
そう言うと、ニーシュはシュラを見た。
「初めてだよ、俺が誰かに負けるというのはな」
「人間風情が竜に勝ててたまるか」
シュラはそう言ってフン、と鼻を鳴らした。ニーシュはそれを見てフッと笑う。
「エリア・カアラ・サーファルド。お前は不思議な奴だな」
不意に声を掛けられたエリアは「え」と小さく漏らす。
「今まで命を狙われた人間は、すべからく命乞いをしてきたものだ。それほどまでに自分の命を大切にする。そして依頼主より高い金を出すから、と言い、それを断ると死ね、と罵ってくる。死ぬのは自分だというのにな」
だが、とニーシュは続けた。
「お前は、俺を殺さない、と言った。命を狙って来た人間に対し、だ。そんな人間を見るのは初めてだった。だから」
そう言うとニーシュは上体を起こし、そして立ち上がった。
「ラ・シドラから逃げることにする」
それは誰に向けたものでもなく、ただ自分に言い聞かせるようだった。
「いつかどこかで野垂れ死ぬのも今となっては悪くはない。元々そんな運命だったのだからな」
ニーシュは空を見上げてそう言った。何度も空を見上げるニーシュに釣られてエリアも空を見上げた。するとそこには無数の星があった。ここまで星が綺麗なのは、初めてシュラと気持ちを通わせたあの空以来かもしれない。
「ニーシュ」
シュラがニーシュに話しかけた。空を見上げていたニーシュはその声に振り向く。
「久しぶりだったぜ」
「何がだ」
腕を組みながら、竜の発言の意図を探ろうとしているようだった。そしてシュラは少し恥ずかしそうに言った。
「こんなに戦いの中で高揚したのは、里での大喧嘩以来だ。もしかしたらその時以上だったかもしれない。人間ってものを見直したぜ」
そう言われたニーシュも同じ気持ちだったのだろうか、フッと笑って歩き出した。
「生きていたら、またどこかで会えるかもな」
そう言ってニーシュはエリアとシュラの横を通り過ぎた。少ししてからエリアが声を発した。
「ニーシュさん、待ってください」
突然、今までとは違って殊勝な声に聞こえて、ニーシュは振り向いた。そこにはニーシュを真っ直ぐに見つめる黒髪の少女が立っている。その姿は確かに王族にふさわしいものかもしれないな、とニーシュは思った。
「まだ何か用が?」
ニーシュは「手短に」と言ってエリアに話を促した。エリアは話す内容を探りながら、口を開いた。
「あては、あるんですか。どこに行く、とか」
「ない」
ニーシュは正直に答えた。今まで暗殺の仕事で各大陸を周ったが、ニーシュにとってここで骨を埋めよう、と思える場所はおろか、気に入った場所すらなかった。そういうところでもあれば、そこに向かうとか言えるのであろうが、せいぜい大陸を渡る準備でもしようかといったレベルの事しか、今の時点では考えていなかった。
「それなら、私たちと来ませんか」
一瞬、空気が凍り、時間が静止したように思えた。目の前の少女が何を言っているのか、理解に困ったからである。そしてそれは同行している竜も同じであるようで、不思議そうな顔をしながら、エリアを見ていた。
「自分が、何を言っているのか分かっているのか?」
ニーシュは思わずエリアに聞いてしまった。エリアはコクリ、と頷く。
「ニーシュさんに、一緒に旅に行きませんかと、誘っています」
「どうやら聞き間違いではなかったか」
呆れた表情を見せるのはニーシュだけではなかった。竜は口を開く。
「エリア、いくら何でもそいつは反対だ。こいつは二、三時間前までお前を殺すつもりだった奴だぜ」
大きく身振り手振りをしながら説得しようとする姿は、非常に人間的だとニーシュは思った。しかしその説得は、どうやらエリアにはあまり功を成していないようだった。
「でも、ニーシュさんは行く当てがないって言うんだよ。それなら一緒に行ってもいいと思うんだけれど。それに、この人の命は一応私が握っているわけだし」
あまりにも愚直だ、とニーシュは思った。
「別に命の所在についてはどう認識してもらっても構わないが、暗殺者を雇うというのか?」
ニーシュが尋ねる。エリアが答えようとすると、それを遮ってシュラが答えた。
「仮にこいつを連れて行ったとして、俺とエリアが離れなければいけない状況になったときに、こいつが再びエリアに刃を向けないとも限らないんだ。そうすればこいつはもう一度ラ・シドラに戻る事が出来る。そうなったときに、俺はお前を守れない」
シュラの言っていることをエリアは理解していた。しかしそうなることはないだろう、という確信めいたものがあった。そしてそれはニーシュの言葉で確実なものになった。
「流石に聞き捨てならないな、それは。俺が今更そんな下衆なことを考えるように見えたという事か?」
怒りの形相でニーシュはシュラに詰め寄った。その姿を見て、エリアはやはりそうだろう、というある一つの確信を得た。
「一度命の削り合いをした男を、そこまで見抜けないとはお前もその程度なのだな」
「知るか、人間なんてそんなものだろう?尊敬に値するのは数えるほどしか知らない」
シュラとニーシュは互いに一歩も引かずに、にらみ合っている。もう一度戦いが始まるのではないか、と考えてもおかしくない状況だったが、エリアはその中に入った。
「シュラ」
名前を呼ばれたシュラは、殺気を完全に消しきれないままエリアに顔を向けた。
「ニーシュさんのこと、信じても良いと思う」
微かに笑みを見せながら、エリアは言った。その姿にシュラは思わず、「本気かよ」と言ってしまった。
「エリア、いくら何でもお人よしを越えているぜ。人を信じるのはいい事かもしれないが」
そうシュラは言うが、エリアは首を横に振った。
「ニーシュさんは、シュラの言葉に対して怒ったんだよ。もうこの人の心はラ・シドラにはないんだ。もしもまだラ・シドラに気持ちが残っているのなら、もう一度シュラと戦おうとなんてしない」
そう言われてシュラは黙り込んでしまった。恐らく呆れて物も言えない、という気持ちとエリアを信じるべきか悩む気持ちが同居しているようだった。
「それに、ニーシュさん。もうあなたはラ・シドラから抜けたんでしょう。そうだとしたら……もう暗殺者じゃない」
「……まあ、そう言えるかもしれないが」
ニーシュは一瞬反応に困ったが、気持ち的には事実だろう、と判断した。
「それなら、雇うとか、そんなのは関係ないですよね」
エリアという少女は純粋なのだな、とニーシュは思った。実際には今までの過去の過ちについては何も考えていないのだろう。どんなに変わろうとしても簡単に変わることが出来ないというのに。その純粋さに思わず笑みが零れた。
「どうやら断る理由を見つけるのが面倒になってきたようだ」
そう言うとエリアは口元を緩めた。やはりこの少女は笑っているときが一番魅力的だな、とニーシュは思った。シュラの隣にニーシュは歩み寄り、小さな声でシュラに言った。
「苦労してきたんじゃないか。あの王女様のお守りは」
そう言われてシュラは、フンと鼻を鳴らした。
「これからはお前にもお守り手伝ってもらうぞ」
シュラがそう言うと、ニーシュはフッと笑う。
「しかし、一番大事な話をしていなかったな」
ニーシュはエリアに話しかける。それを聞いてエリアは「え」と小さく零した。
「お前たちの旅がなんのための旅なのか、だ。まずこれを最初に聞くべきだったと思うが」
そう言うと、エリアはシュラを見た。そして二人が同時に頷くと、ニーシュの隣のシュラが大きく翼を広げた。
「それは、空でお話します」
新たな仲間を連れ、竜は空を舞った。
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