Ⅵ 暗殺者と竜 (4)

 それから突然正気に戻ったのか、エリアは夜の風を浴びると言って歩いて行き、一時間程して帰ってきた。シュラは戻ったエリアを見て、直感的にいつものエリアだ、と思った。


 「落ち着いたか、エリア」


 シュラがそう聞くと、エリアはコクリと小さく頷いた。そして、胸元に手を当ててぼそぼそと言った。


 「私、一体どうしていたの、かな。突然、自分が狙われた理由を知りたいって気持ちが大きくなって……どんな手を使っても、と思った」


 怯えるかのようにエリアは言った。普段の自分、というのも変な話かもしれないが、自分とは思えない行動、考え方をしていることに戸惑いを感じていた。シュラと旅に出たころにも同じことがあったことを何となく思い出した。


 「エリア……」


 心配そうにシュラはエリアを見た。すると後ろから咳払いが聞こえた。それは、この一時間の間に縛られたニーシュのものだった。


 「事情は知らないが、とりあえずこれをほどくつもりはないか?」


 そうわざとらしく言うニーシュに、エリアは一瞬困った表情を見せ、そしてシュラに向き直った。


 「どう、する?シュラ」


 シュラは「不要だろ」とだけ言った。その光景に一番驚いているのはニーシュだった。


 「エリア・カアラ・サーファルド。さっきまでと全く違うように見えるな」


 エリアとシュラは何も答えず、俯いていた。ニーシュはフウ、と一息つくと、エリアに言った。


 「まあ、良いさ。エリア・カアラ・サーファルド。聞きたいことがあるのなら、今のうちに聞いておくんだな。今の気分なら教えても構わん」


 ニーシュがそう言うと、エリアは口を開こうとして、躊躇った。しかしギュッと拳を握り、ニーシュに尋ねた。


 「貴方の、貴方の所属する組織に私の暗殺を依頼したのは、誰ですか」


 エリアは息を荒げながら、ニーシュをじっと見た。シュラも腕を組みながらニーシュに視線を注いでいる。ニーシュは僅かに口角を上げ、一人の女性の名前を挙げた。


 「リアナ・ティアラ・サーファルド。サーファルド国の現王妃にして」


 ニーシュは表情を整え、口をポカンと開けるエリアをじっと見つめ返した。


 「お前の義理の母君だ」



 「お義母様、が……」


 エリアの表情が歪んだ。しかしそれは驚愕の色ではなく、やはりそうだったのか、という諦めの部分の方が多かった。本当は心の奥どこかで分かっていたような気がしていたのだ。初めて誰かに突き落とされた時、あれがリアナだったとは思わないが、城に仕える誰かであったのだろうとは思う。そうでなければ、エリアがあそこをよく訪れるということを知らないはずだからだ。

 理由は不明だが、エリアはリアナに目の敵にされていた。いや、理由は自分が娼婦の娘だから、なのだろうか。本当ならエリアはあの城に住むべき人間ではないという意識がリアナの中にあったのかもしれない、と思った。今更サーファルドに戻るつもりもないので、もう本人に問いただす機会もないだろうが。


 「どうして」


 エリアはポツリと呟いた。それは「どうしてリアナがエリアを殺そうとしたのか」に対するものなのか、それとも「どうしてリアナに死を望まれるほどまで疎まれているのか」に対するものなのか、はたまた両方ともであろうか。呟くエリアも分からなかった。


 「エリア」


 心配そうにシュラがエリアの顔を覗き込む。目があったエリアはフルフルと首を横に振るった。


 「王族のゴタゴタについて俺は何の興味もないが」


 縄を解いてもらったニーシュは身体をほぐすかのようにグルグルと右腕を回し、けだるそうにそう言った。


 「俺から、俺らからしてみれば仕事だからな」


 そう言って、ニーシュは空を仰ぎ見た。エリアは空を見るニーシュをじっと見つめる。


 「……なんだ?」


 その視線に気付いたニーシュはエリアに尋ねた。


 「どうして、人を殺せるの」


 それは暗殺者であるニーシュ自身のことを指しているのか、それとも義理の娘を謀殺しようとしたリアナのことを指しているのか、一瞬ニーシュは考えたが、人の事など分かりようもない、といった面持ちでエリアの問いに答えた。


 「俺は今までそうやって生きてきたんだ」


 エリアはその答えに納得がいっていない表情を見せた。もっとも、今まで殺すこととは無縁の城住まいであったのならば当然かもしれない、とニーシュは思った。


 「俺は初めて人を殺したのは、今から十年前だ」


 覚えている限りはな、とニーシュは付け足した。


 「ラ・シドラ……通称闇に生きる者。それが俺の属していた暗殺者集団だ。お前たちに分かり易い言葉でいうのならば、な」

 「ラ・シドラ……」


 エリアは復唱した。世界にはそんな裏の集団が存在しているのか、と思った。この旅で少しは世界を知れたと思ったが、世界はまだまだ広すぎる。


 「暗殺者集団にも色々あってな。金さえ積まれれば、依頼主の立場など関係なく人殺しにいそしむ連中もいれば、一人で格安の料金で人殺しをする奴もいる。そんな奴は大概自分自身が人を殺したいという欲望に駆られているから、理由をつけているだけだと思うがな」


 ニーシュはくだらない、と吐き捨てるように言った。


 「そしてそんな連中は足が捕まりやすい。当然だが殺された方の遺族や、そんな殺人があった国や町の主は面白く思わないから、警備隊や兵士を挙げて捜索する。そして捕まろうものなら、すぐに依頼主の名前を吐いたりするような奴ばかりだ」

 「貴方は、ラ・シドラは違うというの?」


 エリアは話に割り込む形になりながらも、ニーシュに尋ねた。

 ニーシュはフッと笑ってその問いには答えなかった。


 「何故人を殺せるのか、だったな」


 その前の問いを不意に出されたエリアは、勢いで何度も頷いた。その様をみたニーシュは口を開く。


 「俺たちは《闇に生きる者》の名前の通り、表の世界に居場所がない連中なんだ」


 突然、そう言ったニーシュはエリアに一歩ずつ歩み寄った。シュラがエリアとニーシュの間に入り、口元に炎を浮かばせる。


 「何もしやしない」


 そう言ってニーシュは両手を軽く上に挙げた。


 「俺は、十年前に初めて仕事で人を殺したと言ったな。俺は十年前にこの闇の世界に足を踏み入れたんだが」


 そう言って一度言葉を区切ると、目を閉じて声を立てず口角だけを上げて笑った。


 「俺にはそれより昔の記憶というものがない」

 「記憶が、無い?」


 エリアはニーシュの衝撃的な発言に思わず身体を前のめりにさせた。


 「ああ、そうだ。俺は今から十年前、ラ・シドラの頭領に拾われる形で産声を上げたといっても問題ないだろうな。正直なところ、今の俺の年齢が分からないから何とも言えないんだが、俺が十五、六といった頃だろうな」


 ニーシュは自分が覚えている限りの話をエリアとシュラにした。初めての記憶は川に流されているところから始まった。少しそのまま揺らされて砂利だらけの川岸に辿りついた。訳も分からず二日間、眠ることもせずに辺りをふらついていると、流石に空腹に見舞われ丁度草原で倒れたという。ここがどこなのか、自分が誰なのか、これっぽっちも思い出せないニーシュは、ここで死ぬのだろうか、と思った。何も分からないままひたすら歩き回り、何も分からないまま、野垂れ死んでいく。自分のいた形跡などどこにも残らないのだろう、と思ってから、残すべき足跡などないことに気付き、急に虚しくなったことを覚えている、と言った。


 「そうしてゆっくりと意識が消えていく中、俺を見つけたのが、先代ラ・シドラの頭領だった。俺はよく覚えているよ、先代頭領の傷だらけの顔を。だが、あの人は笑うときだけ暗殺者とは思えない程、人懐っこく笑うんだ」


 懐かし気に話すニーシュは自然と笑顔になっていた。今までの笑顔とは違い、自然に出てきた笑顔のようだ、とエリアは思った。話を聞くとニーシュの年齢は二十五、六といったところだろうが、その笑顔は更に五歳くらい若く見える。


 「そこで俺はニーシュという名前を貰ったんだ。嬉しいか、っていう頭領の顔の方が嬉しそうで、俺は笑った」


 そこまで言うと、ニーシュはハッとなり、顔を険しくさせながらエリアに向き直った。


 「話が少し脱線したな。ラ・シドラは俺みたいな奴の集まりだ。過去を背負う奴もいれば戦争から逃げた兵士もいた。今更表の世界に住むことなど許されちゃいない、そういうことだ。だから殺せる」

 「……だから?」

 「失うものなんてないからだ」


 ニーシュはそう言い放った。


 「私の聞きたい事と、少し違う気がします」


 エリアは、一歩前に出ながらそう言った。


 「殺す理由を、知りたい」


 そう言うと、ニーシュは肩をすくめた。


 「人それぞれだ、それは俺には説明出来ないし、俺は王女様の義理のお母さんでもないから、理解のしようもない。ただ、仕事だというだけだ」


 エリアはその答えが全く理解出来なかった。しかしニーシュは、話は終わりだ、というようにエリアに背を向けた。

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