Ⅵ 暗殺者と竜 (3)

 「う、ん」


 突然のシュラの咆哮にエリアは目が覚めた。眠い目をこすりながら、エリアは上体を起こす。目を開くと、そこに怒りの形相で立つシュラと、黒い服に身を包んだ、顔をスカーフで隠した男がナイフを持って立っていた。


 「シュラ、まさか……」


 エリアは身体を身構えながらシュラに問い掛けた。シュラは「チッ」と舌打ちをした。


 「嫌な予感ってのは当たるもんだな、エリア。大丈夫だろうと思う反面、不安もあったんだが」


 シュラがそう言うと、ナイフを持った男は「フン」と笑った。


 「竜なのに狸寝入りが得意とは、芸達者だな」


 男はそう言いつつも、構えは解かずに続けて言った。


 「俺は標的以外を殺すのは好きじゃないんだ。退く気はないか?」


 男の問いに対し、シュラはニヤリ、と笑って言い放った。


 「じゃあ、お前が死ね」


 そう言うと、シュラは物凄い速さで男の前まで飛び、その鋭い爪を男の身体目掛けて、下から振り上げた。男はその爪を避けると、クルリ、と身体を右手側に半回転させ、逆手に持ち直したナイフでシュラの腹目掛けて刺した。


 「ぐっ!」


 シュラの腹から鮮血が滴り落ちる。しかし男は異変に気付いた。竜に突き刺したナイフが抜けないのだ。どうやらシュラが自らの筋肉でナイフを押さえ込んでいるようだ。そうしてシュラは右手で男の右腕を掴むと、次は左手を上に掲げ、一気に振り下ろした。

 自分の顔目掛けて爪を振り下ろそうとしている竜に対し、男は足をシュラの右手に絡ませ、グルリと身を回すと自身の右腕を外した。シュラの振り下ろされた左腕は空を切り、自由になった男は、思い切りシュラの顔に回し蹴りをした。

 しかし、シュラの皮膚は人間のそれとは全く違う。その回し蹴りでダメージを受けたのは、男の方だった。そしてシュラは空中に浮かぶ男に対し、ニヤリと笑った。そして体内より熱を口に持っていき、真っ赤な炎が、シュラの口から溢れ出ている。男は次の竜の攻撃を悟った。


 「それは、困るな」


 スカーフの下で微かに笑うと、男は自分の身体をくの字に曲げ、両肘と両膝でシュラの口を挟み込んだ。炎がそこまで出かかっていたシュラは、自らの口の中でそれを暴発させてしまう。そのダメージに流石のシュラも一歩後ずさった。


 (今のうちに、ナイフを)


 男は後ずさったシュラに踏み込むと、腹に刺さったままのナイフを掴んで抜いた。そしてそのまま、もう一度シュラの傷に突き刺そうと狙いを定めた。しかし自分の「後ろ」からその脅威はやってきた。

 シュラは自身の尻尾で男の身体を掴むと、そのまま一回、二回と地面に叩きつけた。その衝撃に男も、苦しそうな声を漏らした。シュラは尻尾で男を掴んだまま空中に吊るした。


 「貴様、何者だ。何故エリアを狙う」


 シュラは男に尋ねたが、男は何も言わなかった。シュラはそのまま男を全力で地面に叩きつける。尻尾の束縛から逃れ、男はゴロゴロと地面を転がった。顔に着けていたスカーフは外れ、男は素顔を露わにした。


 「へぇ、思ったより若いんだな」


 シュラは目の前に立つ、青年というべき風貌の男に言った。男はギリギリ肩までかからない位の黒い髪をしていた。顔立ちも精悍で二十半ば程に見えるが、暗殺者が顔を見られたのに、全く焦る様子のないその様子は、修羅場を何度もくぐっている証明のように思えた。


 「さぁ、若いのかどうかは知らん」


 フッと男は笑うと、今度は男の方から攻撃を始めた。持っているナイフを巧みに操り、少しずつシュラの身体に傷を増やしていく。


 「ちょこまかと……!」


 苛立ちを隠さずにシュラは尻尾の先端を男目掛けて突き刺す。しかし男は身軽な動きでそれをも避け、シュラの尻尾は地面をえぐるに過ぎなかった。


 「はぁっ!」


 男はシュラの懐に潜り込んだ。身体の大きいシュラは内側に潜り込まれると分が悪くなることが分かっていた。しかし距離を取ろうとする前に、男が動いた。


 「これでとどめだ」


 男はナイフを思いっきりシュラの顎の下に刺した。


 「……?」


 硬い、と男は思った。そしてナイフが竜の顎下を貫通していないことに気付いた。しまった、と思うと同時に男は、シュラに地面に叩きつけられた。


 「人間とは、違うんだよ」


 シュラは男を左の手でしっかりと掴んでいた。ましてや地面に押し付けられているのだから、余計に逃げようがない。男は悟ったように言った。


 「俺の負けだな」

 「ああ、そうだ」


 シュラは即答した。そして男の目の前で大きく口を開けると、少しずつ口元に熱を帯びさせ始めた。


 「終わりだ、少しは楽しめたぜ。人間」


 シュラは目をスゥ、と細め、男は少し笑って目を閉じた。


 「待って」


 エリアの声がシュラの耳に入ってきた。

 


 「エリア、今なんて言った」


 一瞬シュラは自分の耳を疑った。しかしエリアはシュラには目をくれず、男を鋭い目つきで睨むようにしながら言った。


 「待って、と言ったの」


 シュラは男から離れ、ため息を吐いた。自分の耳がおかしくなった方がまだ良かったからだ。


 「お前を殺そうとしたんだぞ」


 シュラがそう言うと、エリアはスッとシュラを見た。そして、クルリとシュラに身体を向けると、一歩踏み出て言い放った。


 「私を殺そうとする誰かによって、でしょう」


 その言葉を受けて、男は僅かに笑い声を上げた。


 「依頼主の情報に誤りがあるようだな。そこまで愚鈍には見えない」


 エリアはその言葉に反応した。そしてバッと男の前まで駆け寄る。


 「……あなたの名前」

 「なに?」

 「名前を、聞きたい。そっちの方が話をしやすいと、思うから」


 エリアがそう言うと、男は肩をすくめた。


 「俺たち暗殺者集団に属する者に、名前などあると思うか」


 呆れたようにそう言うと、今度は笑みを見せながら男は言った。


 「俺たちにあるのは通り名だけだ。普段は通り名で互いを呼び合う」

 「じゃあ、それでいいです」


 エリアが冷静にそう言うと、男はフッと小さく笑った。

 「ニーシュ、それが俺の通り名だ」


 ニーシュはそう言うと、身体を起こした。


 「俺は解放されたと判断して良いのか」


 ニーシュはエリアを嘲るように言ったが、エリアは眉一つ動かさずにいた。


 「話は終わっていません。貴方の依頼主について教えなさい」

 「エリア、やめておけ」


 シュラがエリアとニーシュの間に入った。


 「こいつは相当の手練れだった。そんな奴が簡単に口を割るとは思えない。ここは次がないように、ここで仕留めちまう方が良いんじゃないか」


 エリアはシュラの目をじっと見た。そして僅かに口を動かした。


 「殺す、ってことだよね」


 エリアは重く言い放つ。シュラは間を置きながらも、小さく頷いた。


 「させないよ、そんなことは。……例えシュラでも」


 エリアはそう言って、ニーシュに向き直った。


 「面白いな、サーファルドの小娘。この状況で暗殺者を生かす、と?しかも、自分の命を狙って来た奴なのにか」


 ニーシュは面白いものを見た、と言わんばかりに呆れた顔でエリアを見ている。エリアはニーシュの目をじっと見つめていた。


 「私は、サーファルドの人間だから命を狙われたの?……二回も」


 エリアは両の拳を握りながらそう言った。爪が食い込んで手のひらから血が滴り落ちる。


 「一回目、というのはあの森の事か、それならば俺だな」

 「それじゃない、城で私を殺そうとした、人がいるの。それは貴方ではないかもしれないけれど」


 あの時のことを思い出しながら、辛そうな表情でエリアは言った。胃がキリキリと痛むが、目の前の暗殺者に出来る限り弱みは見せたくなかった。


 「俺、どころか俺たちでもないだろうな。それに関しては」


 エリアは目を見開かせた。


 「どういう、こと」

 「……口が滑ってしまったな。良いから殺せ」


 ニーシュは、持っていた小さな果物ナイフをエリアに渡そうとした。暗殺に向いている代物ではないが、無抵抗の人間一人くらいは殺せるだろう。例え非力な女性でも。


 「……受け取らないよ。人殺しになるつもりはないもの」


 そう言って、エリアは差し出されたニーシュの手を押し返した。


 「それに、死ぬことは簡単に出来るんでしょ。暗殺者なら……毒を含んで自殺だって可能だと思うけれど」


 エリアは冷静にそう言い放った。シュラはエリアという人間がこうまで冷静に物事を分析出来るものだろうか、などと状況に対して違う事を考えていた。


 「残念ながら、それが出来るのならそうしている。俺たちにはそんな都合よく死ぬことなんて許されていない」


 ニーシュはフッと笑った。「絵本の読み過ぎだ」と淡々と言い放ちながら。


 「俺たちは死ぬまで闇の世界に生きる運命なんだ。死ぬタイミングなんて好きに選ばせちゃもらえない。負けたら死ぬまで抗い、殺されるまで戦うのが俺たちに課せられし矜持」


 ニーシュは真っ直ぐにエリアを見据えて言った。その言葉を反芻するようにエリアは考え込んでいたが、ふと答えを見つけたかのように、ニーシュに視線を戻した。


 「このまま組織に帰ったとしても、殺されるのでしょう?」


 ニーシュはエリアから目を逸らした。


 「いや、死にはしないだろうな。死にたいと思う程辛い目に合うだけだろう。……この前同僚がそうなっていた。結局ショックで死んだみたいだが」


 ニーシュは冷や汗を流しながら「出来れば避けたい」と言った。


 「分かった。貴方の命は私が貰う」


 エリアは少し笑ってニーシュに言った。


 「エリア、お前」


 どうしたんだ、とシュラはエリアに声を掛けようとしたが、その前にエリアの声が夜に響いた。


 「私に命を預けたのなら、私の問いには答えてくれるでしょう」

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